第6話 子犬たちの頼りない船出
「終わった……」
選手登録を終え、それが正式に学生ザバル連盟に受理されたと広子から聞いた瞬間、貴文は練習場で倒れそうになった。
陽介の強引な選手登録には本当に苦戦させられた。選手時代を通してもここまでの苦戦、なかなか体験したことはなかった。その影で、聡美とグリーンの入部申請をすっかり忘れギリギリで思いだしたことは、後で絶対悪夢として夢に見るだろう。
その件に関してもあの事務員の女性には力を貸してもらった。
(これは少なくとも小森が卒業するまで高級お歳暮コースだな……)
陽介が貴文に抱く以上の負い目を、貴文は背負うことになった。
「あのー、ちょっと気になることがあるんですが良いですか?」
「どうした?」
「私中身までは見なかったんですけど、結局主将って誰になったんですか?」
広子の言葉に、練習していた部員達が一斉に耳をそば立てる。
実は主将に関しては、貴文は今まで一切言及してこなかった。それどころではなかったのが一番の理由だが、貴文自身そこまで大きな問題でも無いだろうと思っていた。
何故なら、貴文は主将に関する考えが淡泊で、ワンマンチームであった高校時代でさえ主将ではなかった。現役時代はとにかくプレー以外の雑事が煩わしかったのだ。それはチームの中心だった日本代表時代も変わっていない。
とはえいそれはあくまで貴文の考え。
現役部員達は違った。
全員が大なり小なり貴文に憧れて入部した。主将指名は、その貴文から一番信頼されているという証でもある。主将になった場合の同級生に対する優位性は計り知れなかった。平静なのはその気がないグリーンと秋雄、最初から無理と理解している陽介ぐらいだ。客観的に見て明らかに無理である聡美は無駄に緊張していた。
「主将は――」
『・・・・・・』
部員達が息を呑む。
「お前」
「……え?」
「だから大石、お前がやれ」
『えええ!?』
全員が声を揃えて驚く。
「私選手ですらない『ホスト』ですよ!? 選手以外が主将なんて前代未聞です!」
「あーそれな、お前ただの『ホスト』じゃなくて、選手兼『ホスト』だから」
『はー!?』
再び全員が声を揃える。
「いやいやいや、意味が分からないです。なんで選手で登録するんですか!? まだザバル習ったばかりの小学生の方が役に立ちますよ!」
部員全員口に出さずにうんうんと頷いた。
「うちの事情を考えろ。なんだかんだ言っても正規の部員は10人しかいないんだぞ。それで試合中怪我人でも出て、ベンチの交代要員が誰もいなかったときどうする? 頭数だけでも必要な状況なんだよ。まあ来年までの辛抱だ」
「うう……そう言われると何も言えないです。少数精鋭嫌い……」
「でもさすがに『ワールド』に主将がいないのは問題ありませんか? ベンチがキャプテンマークを巻いているという話も聞いたことありませんよ」
秋雄が貴文の適当な対応に異議を唱える。
他の部員は「そうだそうだ」と、口々に囃し立てた。
尤も、本当に常識的な観点から言った秋雄と他の部員達とでは、明らかな温度差があったが。
「あーうるせーなー。じゃあ副主将は近藤がやれ」
「あたしが!?」
言われた本人が最も驚く。
これには他の部員も黙ってはいられず、練習を中断して抗議しに来た。
貴文は何か言う前に手で制し、理由を話す。
「まあ俺は主将なんてたいしたもんだと思ってないが、お前らが拘るようだからいちおう理由を話す。まずこのチームで試合中、最も全体を統率できるのは小見川だ。だが、外人のこいつに『ワールド』の外のことは頼れん。次点で三上だが、ご覧の通りプレッシャーに弱すぎる。で、その次が近藤だ」
「で、でもこいつじゃ色々問題が――」
「こいつって言うなチビ」
松之助にすぐにつっこむ沙織。実際沙織の方が少しだけ身長が高かった。ザバル部にいる女性陣はスポーツをやっているだけあって、同年代の平均的な女性よりだいぶ背が高い。
「尾崎がそう思う気持ちも分かるが、こいつはこいつで全体を見ている。何より周りにどんなに嫉妬されても受け流させる、傍若無人のメンタルが素晴らしい」
「あれー、なんだろ、あんまり褒められてる気がしない……」
「とにかく他の奴らは自分のことで精一杯すぎる。それに主将はずっとそのままじゃない。適任だと思えるようになればその都度変える。文句言う前に自分を磨けひよっこ共」
『・・・・・・』
そう言われては誰も言い返すことができない。
皆が「まあ監督をどうでもいいと思っている近藤なら……」と自分を納得させることにした。
「さて、これで振興大学ザバル部もチームとしての体裁を成すことが出来たわけだが、関東リーグ戦は早くも再来週から始まる。で、うちは紅白戦をやれる人数もいないから、これからは積極的に練習試合を組もうと思う」
「おおっ!」と部員達が歓声を上げた。さすがにずっと練習ではやりがいがなかった。
「そこで俺が選手時代や大学のツテを頼って練習相手を募ったのだが……」
そこで貴文の顔が曇る。
「まさかどことも試合組めなかったとか?」
「いや、試合自体は組めた。ちょうど俺が練習相手を探しているという話を聞きつけた後輩が、手を上げてくれたんでな。だがその相手が――」
「分かった! 中学生だったのね!」
沙織は自信満々に言った。
全員が「ああ……」と言う表情をする。自分達の今の実力はある程度分かっていたが、まさかそこまで下に見られていたと分かると、誰も彼も悲しくなった。
しかし貴文は首を振った。
「……逆だ」
『逆?』
「練習試合の相手は明皇大学だ」
『明皇!?』
明皇大学を知っている部員全員絶句した。
「明皇大学ってどんな大学でござるか?」
唯一知らなかったグリーンだけが不思議そうに言う。
「明皇大学は去年と一昨年の『龍起杯』の優勝大学だ……」
翔が絞り出すように言った。
「おお、ということは日本の大学で一番強いところでござるか!」
「ああ。うちの大学とは雲泥の差というか、もう始まる前からクリティカル・ゲームというか……。本当は高校時代の友達で3部リーグの監督やってる奴の大学と練習試合を組みたかったんだが、そいつに話す前に明皇のアホに話が漏れた……」
部員達はガックリと肩を落とした。
これではあまりに実力がありすぎて、練習にすらならない。ただ恥をさらしに出かけるだけだ。けんかっ早い春樹でさえ、死んだ魚のようにうつろな目をしている。
「さらに、今回はわざわざ向こうから試合しに来てくれることになった。すまん、俺が現役時代あいつ……明皇の監督をパシリに使いまくったせいで、未だにそのパシリ根性が抜けなかったみたいだ……」
「そういえば明皇大学は去年から野中精二さんが監督でしたね……」
さもありなんという顔で、広子が言った。
精二も貴文同様元日本代表である。年齢は一歳しか変わらないが、その上下関係は誰の目にも明らかだった。それはプレースタイルにも現れ、常に貴文のサポートを第一と考え、貴文の指示には監督命令に背いても従っていた。その献身的すぎる姿から、『忠犬』とさえ呼ばれ、貴文がいない試合では絶対に使われることもなかった。広子は私生活までは知らなかったが、どうやらそちらも変わらなかったらしい。
「野中さんは俺の一番のライバルです。引退してしまったのは残念でした。でも、こういう形での戦いはちょっと……」
松之助が言葉を濁す。
(こいつはあれをライバル視していたのか……)
貴文にはさすがに志が低すぎる気がした。
「で、でもさすがに1軍と戦うってことは無いですよね。わざわざうちみたいな弱小校のゴミムシと戦っても時間の無駄ですし。怪我なんてしたら目も当てられませんし、そこまでいったらむしろアホですし」
「さすがにそれは卑下しすぎだと思うぞ三上」
「ど、どんな相手であれ目に物見せてやりますわ! 当然勝利しか考えられませんわ!」
「現実を見られないポジティブな考えは俺も嫌いじゃないぞー。けどまあ、先方にはこっちは急造チームだから、くれぐれもそこを考えてくれとは言った」
「そ、それなら大丈夫かな……」
未央がほっと胸をなで下ろす。
「とりあえず1軍は当然として、2軍もないでしょうね。3軍ならギリギリ、4軍ならひょっとしたら良い勝負が出来るかもしれません」
「うん」
秋雄の冷静な分析に、春樹が素直に頷く。珍しい構図だった。
「まあ今から先のことをどう言ってもしようがあるまい。とにかく練習まで今の「ゴミクズレベル」の連携を「多少はマシレベル」まで上げるぞ!」
『はい……』
力なく、部員達は返事をする。
大部分の部員が今のチーム状況が、まだまだお話にならないことは理解していた。強豪校にいた部員は、自分の母校の方が絶対強いだろうとさえ思っていた。
それでも練習試合ともなれば、皆テンションも上がって、マシになるだろうと貴文は思っていた。
実際前日まではかなり雰囲気も良くなっていた。
しかし当日を迎え、その空気は一変する。
「内田先輩おはようございます!」
貴文が予定した時間に練習場に行くと、すでに明皇大学ザバル部一行はその場に来てアップを始めていた。
「おは……随分早いですね」
現役時代は「お前」とか「おい」とかひどい時になると、視線だけで察しろと無理難題を押しつけた相手であるが、今は生徒達の手前慇懃に対応する。海外での生活が長かったせいか、こういった切り替えはなんなくできた。
だが、相手がそれ以上に下手に出てはどうしようもない。
「あの内田先輩が再びザバル界に戻って来たと聞いて、いても立ったもいられなくなり、馳せ参じました!」
「いえ、私などまだ指導者としては若輩者ですから。むしろ野中先生に今日はご教授いただくつもりで――」
「そんな他人行儀な話し方水くさいじゃないですかですか先輩!」
「・・・・・・」
なんとか精二の体面を保とうとする貴文であったが、精二がそれを全く理解してくれない。
仕方なく貴文は生徒達から見えないところまで精二を連れ出し、小さな声で話す。
「お前が生徒に舐められないようにこっちが下手に出てるんだろボケ! それぐらい察しろカス! テメー現役時代だったら試合終了後『反省文』のための漢字書き取りドリル不眠不休で5册やらせてたぞ!」
「う……うす……」
現役時代を思いだしたのか、精二は青い顔で頷いた。
「いや、待たせてすまない……?」
貴文が戻ると、今度は振興大学の部員達が青い顔をしている。
「何があった?」貴文は広子にそっと耳打ちした。
「い……いち……」
「いち?」
「この場にいる人達、全員1軍の、それもレギュラーの人です……」
「ぶっ!」
今度は貴文が青い顔をする番だ。
「あの野中先生、今日は私達の実力に会わせたチームできてくれるんじゃ……」
げっそりやつれ、のろのろと戻って来た精二に、同じく冷や汗をかいている貴文が聞いた。
「え、あ、はい。出来たばかりの急造チームということで、当初は自分も3軍ぐらいが適当かと思いましたが、こいつらが……」
「あの内田選手が率いるチームに、そんな失礼な真似は出来ません!」
今まで直立不動で待っていた明皇大学ザバル部の学生が、大声で言った。
「そう思ってもらうのは光栄だが、私は指導者としてはひよっこどころか、まだ卵から出たばかりでね。コーチ経験もなくいきなり監督だから、優秀さでは野中先生の方が上だよ」
「それでも自分にとって内田選手は憧れの存在です!」
その学生は断言する。
まさか別の大学にも松之助のような狂信者がいるとは、夢にも思わなかった。
「(その人は明皇大学の主将でU-23日本代表でもあり、プロの試合にも特別指定枠で出ています)」
広子が貴文にそっと耳打ちする。
練習試合ではあまり知りたくない情報だった。
「自分が初めて内田選手と会ったのは小学生の頃でした。その時は地元で一番の『スターリー』で、中学生にも勝つのが当然と思ってました。でもプロ選手との「ふれあい教室」で内田選手と出会い、生きているのが嫌になるほどぼこぼこにされました!」
「それは悪かったね……」
おそらくその時は虫の居所が悪かったのだろう。それともそんなゴミのような仕事のために、わざわざ海外から日本に呼んだエージェントに切れていたのか。いずれにしろ絶望的にふれあえない教室だ。
「いえ、あれで自分がどんなに駄目な人間か分かったんです。そのおかげでそれまで以上に練習に励み、今は日本代表として試合に出られるようになりました。感謝しかありません。もし内田選手が3年前にチームを作ったら、そこにいたのは絶対に自分達でした」
「それは……」
3年前に監督にならなくて心底良かったと貴文は思った。自分の為にも彼らのためにも。
「先輩、こいつらは俺がコーチ時代、先輩の理想を体現できるチームを作るために集めた連中です。スカウトの時、一番好きな選手に内田貴文と答えなかった奴は一人もいません。でも今回はそれが強すぎたみたいで、自分達が試合に出ると聞かず……」
「2連覇したチームに言うべきセリフではありませんが、スカウトのやり方間違ってますよ」
貴文は自惚れるより、余計な
「野中先生、ここは恥を忍んで言います。ハンデを下さい!」
このままでは勝負にも練習にもならない。貴文は教え子達のために恥をかく道を選んだ。
その情けなくも身を切る貴文の姿に、振興大学ザバル部の一部は感動する。残りは自分達がそこまで弱いのかと改めて認識されられ、顔が曇った。
「内田先輩……今の話は聞かなかったことにします」
「聞けよクソ野郎」
思わず素が出てしまった。
「よしお前ら、これ以上先輩に恥をかかせるんじゃないぞ! アップのピッチ上げろ!」
『はい!』
『ワールド』が震えるよう声だった。これだけでもう負けは見えている気がした。
「力足らずですまん……」
教え子達の方を振り返り、貴文は素直に謝る。
彼らは貴文を責める言葉も慰める言葉も持ち合わせていなかった。
そして両者はアップを終え、練習試合を始める。
結局明皇大学は一切のハンデはくれず、頼みもしないのに全力で挑んでくることになった。
当然結果は火を見るよりも明らかだ。
『・・・・・・』
死屍累々の振興大学ザバル部員と未だ余裕綽々の明皇大学ザバル部員。
試合は始まってから10分ほどしか経っていなかったが、両者の様子を見るだけで途中から来た人間にもその点差は明らかだった。
「……謙遜じゃなかったんですね」
「だから言っただろボケ」
貴文は隣に立って試合を見ていた精二に、視線を合わせずあらん限りの憎悪を込めて言った。
「その……大丈夫か?」
「どうも……」
件の日本代表選手が、倒れている陽介に手をさしのべる。
彼らもこんな一方的な展開になるとは予想せず、本当に申し訳そうだった。
貴文は全て精二が悪いと確信する。
「あーあ、これからどうすのかなー。死ね。まだ試合続けさせるのかなー。死ね。これどっちにとっても全然意味ないんだけどなー」
生徒達が聞いていないのをいいことに、貴文は現役時代のように暴言を吐きまくった。精二も現役時代のようにチワワのような目で、チワワのように震えながら地面だけを見てじっと耐える。
「もうこうなったらお前の教え子に練習見てもらうしか――」
「先輩お願いできませんか?」
「は? いきなりなに言ってんだテメーマジで殺すぞ」
「先輩が生徒の代わりに出れば、試合もそれなりの体裁を成すんじゃないかと。怪我も今は完治しているようですし……」
「してねーよ人殺し。医者からは未だに現役時代と同じようにプレーしたら死ぬ言われてるわ」
「すんませんっス……」
精二は現役時代同様思わずその場で正座しそうになった。
「……たく、まあ学生相手に一試合ぐらいなら命に支障はねえけどよ。お前、試合終わったらおごれよ。お前の方が今は金貰ってるんだから」
「やってくれるんすか!?」
「焼肉」
「……できればリーズナブルな食べ放題で」
「ディオ園で青天井」
「さすが先輩容赦ないっす。そんな高級店自分も年に1回レベルっす……。そのかわりプレー中の動画は録画させてもらいますよ。色々参考にしますから」
「今の俺じゃ大して役に立たないだろうけどな」
貴文はホイッスルを鳴らし、試合を一時中断させる。
そして自らは上に羽織っていたジャージを脱いだ。
陽介と勝負して以来、練習中は下にザバル用の服を着るようにしていた。といってもこの期に及んでもまだユニフォームが届いていないため、スポーツ用品店で売っているような有名メーカーの既製品だ。新興大学側はユニフォームがバラバラなので、明皇大学にわざわざビブスを着て貰い、チームを判別させていた。
「小森俺と変われ。あと近藤と三上交代だ」
貴文が『ワールド』に入ることになり、学生達全員がざわつく。今までベンチにいた明皇学園の部員達は、精二に交代するよう詰め寄った。そんな部員達に精二は「ふざけんな、俺だって出たいんだ!」と言い黙らせる。
「とりあえずよく見ておけ。お前よりはマシだから」
「・・・・・・」
貴文はベンチに下がる陽介の肩をぽんと叩いた。
陽介は疲労困憊とはいえ不服だった。1対1では負けたが、その時はそこまで差があるようには思えなかった。体力的には現役の自分の方が上だとさえ思っている。他の連中は内田貴文という存在に夢を見過ぎだと、陽介は見ていた。
そんな陽介の内心を知ってか知らずか、貴文は『ワールド』に入るとまずグリーンと相談する。短い間とはいえ、これでま『ワールド』を統率していたのはグリーンだ。練習でもそうするように貴文が指示していた。
それから全員を呼び、それぞれに指示らしきものを出す。
それが意外に長く、5分ぐらいはかかった。実際の試合なら審判から注意されるような長さだ。
ただ『ワールド』上にいるのはほとんどが貴文の信奉者であったため、文句を言う選手は誰もいなかった。
「すまない待たせた。続きを始めよう」
そして試合が再開される。
ベンチに下がった陽介は、始まって数分で自分の間違いに気付かされた。
貴文が入っただけで、チームの動きが今までと全く違ったのだ。それまでは各々が勝手に判断して動き、グリーンの指示もあまり通っていなかった。しかし、貴文が『スターリー』に君臨すると、全員がそのために有機的に動いているように見えた。
特に顕著なのは隆だ。
練習中はそれほど目だったプレーが出来なかったというのに、今は相手の日本代表『スターリー』をほぼ完璧に封じている。攻めているのは明らかに明皇だが、今までのようにそれが『実得点』に結びつかない。
そして明皇が焦れたところに、貴文が効果的に走り込む。
プレー自体はとりたてて目だったものは無かったが、貴文の一挙手一投足で明皇フォーメーションが崩れていくのが、第三者にも手に取るように分かった。もし貴文に強引さがあったら、点の取り合いになっていたかもしれない。
やがて『ワールド』に審判の笛が鳴る。審判も明皇大学側が用意してくれた。
結局試合は前半だけで終わり、貴文が入ってからはどちらも『実得点』は入らなかった。
だが、試合を支配していたのが誰かは、あまりに明らかだった。
「あー疲れた」
貴文はベンチに座り大きく息を吐く。
「あの……」
そんな貴文に、明皇大学のあの『スターリー』が話しかけてきた。
「すごかったです。現役時代のプレーとは違いましたけど、こっちのやることが全て読まれてるみたいで、何をして良いのか全然分からなくて……10年ぶりに心が折れそうになりました」
「あー褒め言葉として受け取っておくよ」
「それであのこれ!」
彼が差しだした物はサイン色紙とサインペンだった。
貴文は少し躊躇ったが、最終的には受け取った。
最近でもたまに求められることがある。今まではその全てを断っていたが、今は断る理由も無いし、わざわざ試合をしに来てもらった恩もある。
「はいよ。現役時代アホほど書いたから、オークションで売っても無駄だぞ」
「あ、ありがとうございます! 小学校の時ショックがでかすぎて書いてもらえなかったこと、未だに後悔してたんです!」
「その節はホントにごめんね……」
明皇『スターリー』は何度も頭を下げ、サイン色紙を大事に抱えて去って行った。
そしてその後ろには、同じようにサイン色紙とサインペンを持った明皇部員が。
「……ていうかなんでお前らまでいるんだよ」
さらにその後ろには見知った顔がちらほら。
結局練習試合が前半だけで終わった代わりに、即席サイン会が開かれることになった……。
練習試合は早朝に行われ、終了後はそれぞれ授業に出たり自由に時間を使う。
昼食も各々が三々五々自主的に撮っていたが、今日は貴文の指示で、部員全員集まってのミーティングとなった。
「俺が言いたいことは分かるだろう」
全員が学食の同じテーブルに座り、貴文の話を聞いていた。
「まあ負けるのは全員分かっていたはずだ。だが、負け方というものもある。おそらくやられすぎて、お前らは何が悪いかすら分かっていないだろう」
『・・・・・・』
「だからといって俺は密室でぶん殴りながら「根性が足りないからだ!」などとまくし立てる野蛮人ではない。「自分でよく考えろ!」と言うほどお前らのことを評価してるわけでもないし、気が長くもない。1人づつちゃんと何が悪いか説明してやろう。ここでな」
学食はザバル部だけが使っているわけではなく、一般学生も大勢いる。こんな環境では内緒話など出来るわけも無く、話は筒抜けだ。
つまり貴文は体罰を振るわない分、部員達をさらし者にすることにした。
痛みはすぐに忘れても屈辱は早々忘れられない。
それが貴文の持論である。
「まず尾崎」
「はい」
松之助は立ち上がった。
「いや、座ったままでいい。武士の情けだ」
「いえ、立ったまま聞きます」
「そうか。なら好きにしろ。まずお前は――」
それからミーティングという名の駄目出しが始まった。
松之助の次に絶対座ったままの沙織を指名し、座るか立つか選ばせる環境を作ってやる。武士の情けだ。
結局半分が立ち、半分が座ったまま駄目だしは行われ、その日は立った方も座った方もほとんどがまともに昼食が食べられなかった……。
「はぁ……」
1人教授室に戻り、貴文はため息を吐く。
部員を落ち込ませた張本人である貴文も、また落ち込んでいる人間の一人であった。
「まさかあそこまでひどかったとはなあ……」
自分が入るまでチームとは呼べなかった。
ぼろくそに言っていても、最低限の力はあると思っていた。しかし、練習試合でその最低限の力すら無かったのを、嫌と言うほど理解させられた。
特にひどかったのは陽介だ。
食堂では他と同じぐらいの叱責だったが、本当なら1時間は説教したかった。
とにかくチームプレイが全く分かっていない。自分の才能だけを信じて、チームメイトを全く信じていないのが、プレーにはっきりと現れていた。
貴文も学生時代はワンマンチームであったが、独りよがりのプレーをしたことは一度もなかった。自分の力を圧倒的に信じていたのは陽介と同じだが、だから格下のこいつらを引っ張らなければならないという傲慢な使命感があった。一方の陽介は当てにならない他人を無視して、すべて自分一人でどうにかしようとしていた。貴文が入っただけでチームが活性化したのには、そんな理由があった。
ただ、陽介が完全な孤高なら問題はなかった。誰も責めず、ただ自分だけを頼り、自分の力で局面を切り開こうとするのも、プレーの1つだ。貴文もそういう選手には何度か出会い、彼らは背中でチームを引っ張ってきた。
しかし陽介はプレーが上手くいかない度に、チームメイトに向かって苛立ちを見せていた。そのくせ自分からは歩み寄ろうとはしない。
現状チームの和を乱す最悪の選手だ。
「若いうちの苦労は人を作ると言うけれど……」
必ずしもそれが良い方向に転ぶわけではなかったようだ。
「でもこういのは上から言ってもどうしようもないんだよなあ」
貴文はため息を吐く。
一つの苦労が消えたら今度はまた別の苦労が。
好き勝手に振る舞えた選手時代が今は本当に懐かしかった。
「もう我慢してあいつが変わってくれることを待つかあ……」
時間が解決してくれることを祈りながら、貴文は結局予定通りの練習をこなすことにした。
そして瞬く間に日は過ぎ、ついに関東リーグ5部の公式戦が始まった――。
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