第4話 白馬は荒川の向こうから
選手登録締めきりまで一週間を迎えたある日。
珍しい組み合わせが、貴文の教授室を訪れた――。
「ん、三上と大石か」
その時貴文はちょう昼食の弁当を食べていた。
最近は仕事に慣れてきたおかげで、逆にすべき仕事が見つかり、こうして教授室での食事が多くなった。
「はい、実はザバル部に入部したいって上級生の人が何人かいて。それで監督に見てもらおうと」
「ほう、何もしてないようで、ある程度目途が立っていたか。さすが『ホスト』」
「いやあ、三上君にもいろいろ手伝ってもらったから」
「僕は基本的にブレーキ役でしたけど。大石さんだけだと熱意は伝わるんだけど、暴走して相手が引くことが多かったから……」
「うーん、これでもセーブしてたんだけどね」
「まあ家庭用自動車とF1じゃ元のスピードが全然違うからな」
貴文は弁当を持ちながら立ち上がる。昼食は歩きながらだ。社会的な礼儀には厳しい貴文も、単純なマナーやエチケットに関してはむしろ適当な方だった。
「どんな連中だ?」
入部希望者が待っている体育館に向かいながら、貴文は彼らのことを聞いた。
弁当は既に食べ終わっている。
早食いは体育会系ならいやでも身につくスキルだ。
「えっと、前にも話したとおり、ほとんどが部活引退者の人達です。理由は様々ですけれど、とりあえず人数だけ集めました」
「……その言い方から察するに、お前自身はそこまで期待してない感じだな」
「現状を考えて、とにかく部員を集めることだけ考えましたから。それにひょっとしたら、私には見つからなかった光る何かが、監督には分かるかもしれませんし」
「俺はお前の眼力を評価してるから、結果は変わらんと思うけどなあ」
気乗りしないまま3人は体育館に着いた。
体育館では20人ほどの学生がいた。元々やっていたスポーツがバラバラなためか、体格も性別も様々だ。2メートル近い男子もいれば、150あるかないかの女子もいる。
貴文はまず体型的に、明らかにザバルに向かない学生を帰らせた。
相撲取りのような極端に太った人間は、男女抜きにしてもザバルには向かない。
それから全員に希望ポジションを聞く。
「……まあそうだろうな」
案の定、ほとんど全ての学生は『スターリー』志望だった。
ひょっとしたら、自分が監督をやっているのが影響しているのかもしれない。とはいえ、推薦組と違い、一般入部組には複雑なプレーを求めることはできない。そのため、希望ポジション通りのポジションに付けるつもりだった。
そこで貴文はさらに希望ポジションに会わない体型の学生を帰らせる。
これで体育館にいた学生はすでに半分になった。
それからザバル歴に関する質問だ。
「やる気だけはあります! 大学から始めます!」では現状間に合わない。それに、そういう部員はやたら手がかかる。余計な面倒を抱えるぐらいなら、最初から入部させないほうがマシだ。
いちおう入部希望するだけあって、経験が0という学生はいなかった。
ただ、「小学生の頃少しだけ」とか「遊びで何回か」程度の経験ばかりで、役に立ちそうな経験者はほとんどいない。
結局残ったのは20人いて男子2人だけだった。
「……これは2人残っただけでもマシと考えるべきか?」
「いやあどうなんでしょう」
「僕は0よりはマシかと……」
「じゃあとりあえず――」
最終試験とばかりに、貴文は残った2人の身体をぺたぺたと触る。残ったのが女子なら色々面倒だったが、男子なのは幸いだった。
「……腰やってるなお前」
触ってすぐに貴文は言った。
言われた学生の顔が一気に青くなる。
広子には「非故障者」という条件付けで勧誘させていたが、どうやら誤魔化していたらしい。
「で、でもこれぐらい――!」
「多分この状況でプレーしたら、将来歩くことさえ出来なくなるかもしれん。監督である前に教師として、この状況の子供にプレーはさせられん。せめて腰が完全に治ってから応募してくれ」
「……はい」
男子部員はガックリ肩を落としながら体育館を出て行った。
「つ――」
「すいませんした!」
貴文が触る前に、残りの一人が前置き抜きで謝る。
「自分も故障抱えてて、それでも内田選手に教えて貰いたくって……」
「そうか……。まあスポーツだけが人生じゃない。むしろ競技者で無くなってからの方が、人生は長いんだ。これから他にも視野を向けてがんばれよ」
「はい……」
前者と同じように寂しい背中を見せながら、男子生徒は体育館を出て行った。
あとには正式な部員と監督だけが残される。
「0だったな」
「ぶっちゃけ予想どおりでした」
「う……胃が……」
蹲る隆をよそに、遠い目でここではないどこかを見る『ホスト』と監督。
しばらくして次の体育の授業のための学生達が入ってきた。
「帰るわ」
「そうですね」
「僕は気分が落ち着くまでしばらくここにいます……」
何の収穫もない入部審査であった。
これなら教授室で弁当を食べていた方が遙かにマシだ。
この時は貴文はそう思っていた――。
翌日――。
「監督、実は新たな入部希望者が……」
「昨日の今日で良く来たな。しかも今日は三上1人か」
教授室で出前のラーメンを食べていた貴文に、真剣な表情で隆が話しかけた。
「ところで胃の方は大丈夫か? 昨日練習を休んだみたいだが」
「いえ、昨日は体調の問題じゃなくて、その勧誘で休んでました。どうしても気になる人間がいたのだ」
「大石ならまだしも、お前がそこまで言うのは珍しいな。楽しみだ」
「あまり期待されるとプレッシャーが……」
「お前は試合までにまずそのメンタルをどうにかしろ。で、そいつはどこにいるんだ?」
「練習場に。国府田君も一緒にいます」
「こうだ……」
貴文は首をかしげる。
聞いた事のあるようなないような、あやふやな名前だった。
「……田山田です」
「ああ、あいつか!」
もう貴文の中ではユニフォームがあろうがなかろうが、翔の呼び方は田山田で確定していた。
ちなみにユニフォームはまだ届いていない。貴文の命令で広子が毎日呪詛のような催促をしているが、大学当局からは「しばらくお待ち下さい」という機械アナウンスのような返事しか来なかった。
「よし、飯時にいつまでも待たせるのは悪いから行くか」
貴文はラーメンどんぶりを持ったまま立ち上がる。
隆は「せめて食べ終えてからにした方が……」と思ったが、メンタルが弱点の彼にはその一言すら言えなかった。
「で、どんなやつだ?」
今回も前と同じよう食べながら歩く。
ただ今回は、向かう途中にすれ違った中華料理屋の少年に、空になった器をノーモーションバックハンドで投げて渡すという離れ業まで敢行した。
最もこれは受け取った少年の方が偉かったとも言えるが。
「留学生です」
「留学生!? 盲点だった……わけじゃないんだよな」
日本の大学に来る留学生は主に二つに分けられる。一つは体育会系の部を強豪にするためにきた傭兵のような学生、もう一つは純粋に勉強をするために来た学生だ。そして、大して偏差値も高くない振興大学で留学生と言えば、前者しかいなかった。
彼らはその部を強くすることが目的のため、日本人と違って退部は即帰国に繋がる。転部などあり得なかった。
「ホントに留学生なら、何者だ?」
「高校時代から日本の高校に通ってて、一般入試でうちに来たみたいです。ちょっと口調は変わってるんですけど、日本語は通じます。ああ、そうなると留学生とは言わないのかな」
「どこで知り合ったんだ?」
「昨日の体育館で。あの後の落ち着くまで授業の体育を見てたんですけど、そこで彼のバスケのプレーを見て。授業が終わってから大石さんばりに勧誘してしまいました」
「お前がそういうことするのは珍しいな。ますます期待だ」
「……はい」
意を決したのか、今度は隆もしっかり頷いた。
やがて練習場に到着すると、話にあった翔だけでなく、春樹と秋雄もいた。貴文の知らない1人がその留学生……というか外人の一般生なのだろう。
「あー、よろしく、内田だ」
「初めまして。拙者は小見川・レッドリー・グリーンと申すでござるよ」
「ござ、ぐり、男、えええ!?」
情報の大量流入に、貴文の頭は一時ショートする。
まず見た目がおかしい。
髪は金髪目は青と、完全な白人だ。それも掛け値なしの美少女である。身長も松之助と同じぐらいで、体型はその松之助より細い。ただしなやかで、弱々しさは一切見られない。聡美と並ぶと、和洋の対比でかなり映えそうだ。
しかし声はひどいだみ声で、声を聞いた瞬間彼女が彼であることに気付かされた。それでも髪は肩まで掛かるほど長いし、女『スターリー』に声は関係ないので、男女両方の『スターリー』が出来そうだった。
また、色が二つ並ぶ名前も妙だ。赤いのか緑なのかさっぱり分からない。
ただ、こういう名前の人間に貴文には心当たりがあった。
「ひょっとして君はンパンパ連邦の出身か?」
「その通りでござる。母がンパンパ連邦人で、ジュニアスクールまで向こうにいたでござる。母が父と結婚したのを機に日本に来たでござるよ。だから拙者苗字は小見川でござるが、日本人の血は一滴も入ってござらん」
「なるほど……」
ンパンパ連邦はアフリカの国だが、白人の割合がかなり高い。あの大統領も白人だった。ちなみにブルーリー・ホワイトは白人でも黒人でもなく、親が華僑の黄色人種だ。
「それでそのしゃべり方は……」
「へんでござるか? 拙者ンパンパにいた頃から日本文化に興味があり、時代劇を見て勉強していたでござるよ!」
「そう……か……?」
果たして時代劇を見た程度でそうなるものか釈然としなかったが、深く問い詰めても意味がなさそうなので、そう思い込むことにした。割り切りは社会人にとってなくてはならないスキルだ。
「まあそれはおいおいこっちが慣れるしかないだろう。それで、希望ポジションは?」
「特にないでござる」
「ない!?」
グリーンの返事はあまりにやる気が感じられなかった。
早くも暗雲が立ちこめ、部員達の顔も曇る。
しかし、グリーンは空気が読めないのか、特に表情を変えることもなく話を続けた。
「強いて言えば『スターリー』以外でござる。拙者ンパンパ時代は『スターリー』以外のポジションを必要に応じてやらされ、ほとんどのポジションが出来るようになったでござる。日本に来てからはしばらく遠ざかっていたでござるが、三上殿の話を聞いて、眠っていたザバル熱が燃え上がったでござるよ!」
「あらゆる意味で変わってるな……」
ンパンパ連邦はプロザバル発祥の地だけあって、ザバル熱は尋常ではない。赤ん坊はハイハイよりも早く『ポラット』を覚えると言われるぐらいだ。そんな環境で揉まれたというのなら、高校時代のブランクなど気にするほどではないかもしれない。
「じゃあとりあえず実力を試させて貰うぞ」
「待ってました!」
何故か春樹が返事をする。
「ていうか、どうしてお前らまでいるんだ?」
「三上君がラインで入部試験のこと話したら、ハルも自分も参加するって言い出して」
「『フラッター』の自分だけいれば充分とも思ったんすけど、ポジションがなんでもできるなら多い方がいいと思って……」
「それもそうか。じゃあ『前バック』から連携と対人見てみるぞ。とりあえず今回は俺も参加する」
『おお!』
部員達が歓声を上げる。
怪我のことも考えて、貴文は今まで自分が練習に参加したことはなかった。あくまで指示を出したりチェックするだけだ。
だが、学生ザバルで死の危険が迫るほどの怪我をする可能性は低く、何より練習である。最近そこまで怯える必要もないと思い始めていた。
「こんな所で監督のプレー見られるなんてマジかよ!」
「自分カメラ撮っていいっすか!?」
「さすがに生で見られるのは興奮しますね!」
「ふふ、お前らのハードルのあげ方には若干の悪意を感じるが、それを乗り越えるてこそ元プロ!」
貴文は上着替わりのジャージを脱ぐ。
中に着ていたのは当然ワイシャツで下はスーツだ。
いうまでもなく貴文はこんな展開になるとは予想だにしていなかった。
「その格好で大丈夫でござるか?」
「問題ない、良いハンデだ。これでも元プロザバリストなんでな」
「へーそうだったでござるか」
「グリーンは監督の選手時代知らないみたいっすね」
翔が意外そうな顔をする。
だが、実際のところは、
「ンパンパじゃそこまで活躍できなかったしな」
むしろ松之助のように詳しく知っている人間の方が、貴文にはおかしかった。
「さて、それじゃあさっそく始めるぞ。お前らはまだちゃんと柔軟してないんだから、無理はするなよ」
『はい』
そして入部試験は始まった――。
「ハンパないっす……柔道でもザバルでもこんな疲れたことはないっす……」
「これが本場で揉まれた人間の実力かあ……」
「こんなんぜってー勝てねーよ……」
疲労困憊、死屍累々の部員達。
何があったのかは傍目にも一目瞭然だった。
そして――。
「拙者もうダメでござる……」
肝心のグリーンも『ワールド』にうつぶせに倒れていた。
「なんだお前ら、だらしないな」
最後まで立っていたのは悠々とスポーツドリンクを飲む貴文ただ1人であった。
「ていうか、監督マジハンパないっす! うまいし強いし速いし痛いし! 『スターリー』以外も普通以上にできるじゃないっすか! 『右レフト』までできるとか反則すぎる……」
「自分もそう思うっす。監督相手だと何をしても、1対7でも勝てる気がしないっす」
「いやあ、ただ威張ってるだけじゃなかったんですね。素直に脱帽です」
「おまえらはもっと練習しろ」
予想以上に自分がプレーできたことより、予想より部員達が対抗できていなかったことが貴文には不満だった。
(まあそれはそれとして……)
貴文はグリーンの今までのプレーを振り返る。
まだ小さな問題は目に付くものの、概ねどのポジションも水準以上の動きが見られた。これから経験を積めば、かなりのプレーヤーになれるかもしれない。なによりどこでも出来るというのは、非常に魅力的だ。プロでは埋もれやすいタイプだが、学生スポーツで、かつ今のように猫の手も借りたい状況ではこれ以上の選手もいない。聡美は当分ベンチだが、グリーンは即レギュラーで問題なかった。
(強豪相手には三上の『シッカリ』を出だしから使って、それ以外は小見川を相手に合わせたポジションに……)
貴文の頭の中で、だいたいの青写真がかたまっていく。
とにかくグリーンの加入で、あるていど目途は立った。
立ったのだが……。
「どうしたんですか監督、難しい顔して?」
「いや」
隆の問いかけに、貴文は曖昧に答えた……。
放課後――。
さっそくグリーンは部員達と一緒に練習する。聡美ほど身体は柔らかくないので、柔軟では豚の断末魔のような悲鳴を上げたが、それ以外は特に問題なく進んだ。
「それにしてもあんな選手よく見つけましたね」
「これは三上の功績だな。俺はただ首を縦に振っただけだ」
「あとみんなの前で監督自身がプレーしたみたいで……」
地獄から這い出ようとする亡者のような恨みがましい目で広子は言った。
よっぽど見たかったのだろう。
「あれはたまたまそうなっただけだ。そんな目をするな」
「本当に妬ましい……」
自殺の名所で誰もいないのに背後からしそうな声。
松之助であった。
今までも「妬ましい……妬ましい……」と、あの時試験に参加した部員の背後に向かって呪いを吐きまっていた。グリーンも含めた4人にとっては、これ以上の逆恨みもない。翔がその時の動画を見せなければ、今日は練習にならなかったかもしれない。
「とりあえず、これで本格的な部員勧誘は終わりでしょうか。これで部の形はある程度出来た感じですし」
「そうなんだがなあ……」
広子の問いかけに貴文は曖昧に答える。
貴文の引っかかっていたところはまさにそれであった。
グリーンが加わったことで、チームがようやくその態をなした。これならリーグ戦昇格ぐらいなら問題なさそうだという目算も立った。
だが『龍起杯』に出るためにはあと一歩足りない気がした。
その一歩が『スターリー』だという予想はついている。聡美は通して使える『スターリー』ではないし、グリーンはそもそも『スターリー』ができない。だからといって他の部員にポジションチェンジさせるわけにもいかず、このままでは貴文の嫌がっていた『0トップ』が基本フォーメーションになる。
「星の輝きは夜空にいては分からない、か……」
貴文はかつての名選手の言葉を思いだした。
「監督?」
「ああ、なんでもない。ちょっと考えたことがあってな……」
そして練習は終了する。
普段ならコンビニで弁当を買ってすぐに家に帰るか外食をしていたが、この日は寄り道をした。
「こんなところに何かあるとは思えないけど………」
向かったのはあのザバル記念館だ。
夜も遅く、普通の公営の建物なら締まっているはずであったが、まるで貴文を待っていたかのように建物は開いていた。
とはいえすでに閉館準備をしているところだったので、貴文は慌てて券を買って中に入る。
「・・・・・・」
二度来てもまったく良さの見いだせない展示物。『スターリー』の件に関して何か良い案はないかと考えるため、あえて学校から離れこんなところに来たのだが、本当に意味のない思いつきだったのかもしれない。
「帰るか……」
受付の例の老婆も妙に迷惑そうな顔をしているし、長居してもいいことはなさそうだった。
記念館を出ると同時に腹の虫が鳴る。久しぶりに身体を動かしたので、今日は随分と腹が減っていた。
「昼はラーメンだから夜は牛丼か」
そう決めて踵を返して歩き出そうとしたとき、以前と同じように前から走ってきた誰かとぶつかる。
貴文は避けようとしたが、その誰かと見事に方向がカチ合ってしまい、貴文はその場に尻餅をついた。
「すみません!」
ぶつかったのは少年で手をさしのべてきた。
「ああ、こっちも不注意だった」貴文は手を借りて立ち上がり、少年は一礼して去って行った。
「狭い日本、そんなに急いでどこに行くってね」
貴文は苦笑して去って行く少年を見送った。
その後、予定通りに牛丼屋へ行く。
そこはチェーン店ではなく町の定食屋で、店内には客用のテレビがあった。テレビではちょうど、プロザバルの試合をしているところだった。
貴文は牛丼が来るまで、見るともなしに見る。プレーヤーの中には実際に戦った選手や後輩が何人かいた。昔はそんな光景を見る度に傷ついていたが、今はそれどころではないので心がささくれ立ったりはしない
「……ん?」
試合を見ているうちに妙な違和感を覚える。
それが何か分からない。ただ、気になってしようがなく、牛丼が来たことも気付かなかった。
そんなとき、貴文のスマートホンが鳴る。用件は広子のユニフォームに関する話だったのだが、貴文にとってはスマートホンと一緒にポケットから出たチラシの方が、遙かに重要であった。
「これは……」
貴文は電話に出ることも忘れ、チラシを開く。
『時は来た』
チラシにはただそれだけが書かれていた。
今回は貴文にも全く意味が分からない。
「なにが言いたいんだこれ?」
貴文はチラシをひっくり返してみる。
これも記念館にあったチラシで、ジョン・マルゴーの写真が使われていた。
マルゴーはイギリスのザバル選手で、その経歴が何より異彩を放っている。マルゴーはなんと学生時代一切本格的なザバルをしておらず、デビューは30手前と桁外れの遅咲きだった。その分活躍期間も短かったが、ザバル史上ここまで極端なオールドルーキーは存在しない。「もっと早くデビューできたらさらに活躍できた」という人や「結局話題性だけで、そもそもたいした選手ではなかった」と毀誉褒貶あい別れるプレーヤーだ。
貴文はルーキー時代、引退間際の彼と一緒にプレーをしたことがあったが、その能力は別にして人格的にはこれ以上素晴らしい人間もいなかった。中でも心に残っているのは、テレビ局の企画で行ったインタビューだ。
貴文はそこで、あらゆる人間が思っている「もっと早くデビューした方が良かったのではないかと?」という質問を、新人らしい向こう見ずと傲慢さで包み隠さず聞いた。
するとマルゴーは、
「そう思うことが無いと言えば嘘になる。だが当時の私はそれが許されない状況だったし、過去を嘆いても今は何一つ変わらない。だから私は過去の自分ではなく、今目の前にいる自分に手をさしのべたいんだ」
と答えた。
それはテレビ用の美辞麗句などではなく、本当に実を伴っていたのだ。マルゴーは金銭的な理由でプレーできない子供達のためのスポーツクラブを、選手時代の給料の大部分を使って運営していたのである。
その時はいきがっていて、「何言ってるんだこのおっさん」程度の感想しかなかったが、今はマルゴーがどれほど素晴らし人間なのか、痛いほど理解出来た。社会には口では耳障りの良いことを言っていても、実際の行動が伴っていない人間がごまんといるのだ。
「マルゴーさん確か今はイギリス代表のコーチしてるんだったな。俺とはあらゆる意味でレベルが違いすぎる」
同じ指導者になって、より格の違いを浮き彫りにさせられた気がした。
自分もマルゴーのように……。
「ああ!!!!!!!!!?」
そこで貴文はようやく今まで喉に刺さった魚の骨のような違和感に気付くことが出来たのだった。
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