第3話 二頭のじゃじゃ馬は顧みない
初練習から数日後――。
貴文は新入生達と同じように、その日初めての経験を迎えることになった。
「えー、あー、であるからして――」
貴文は何日も前から用意した資料を壇上上のプロジェクターに映し、説明を始める。
――そう今日は内田貴文教授の初講義であった。
過去、講演会などで人前で説明しながら話した経験はそれなりにある。だがこうして教師として話すのとは、大分勝手が違った。
あちらは望まれて行ったが、今回は義務として話している。選択授業とはいえ、学生は積極的に勉強する生き物ではないということは、嫌と言うほど理解していた。
それでも自分のネームバリューが影響してか、想像以上に受講生がいた。ただ、わざわざ選択授業で取ったというのに、スマートホンをいじくって全く話を聞いていない学生を見ると、心が折れそうになる。
それでもなんとか自分を奮い立たせ、どうにかこうにか貴文は講義を続けた。
「……以上です。続きは次の講義で」
試合より緊張した講義は、表面上何の問題も無く終わった。それでもよくできたかどうか、貴文の胸は不安で一杯になる。
「監督お疲れ様です!」
一番前の席で講義を受けていた部員達が、終了と同時にかけよってきた。
メンツは松之助、翔、未央、隆だ。
沙織は貴文が予想していたとおり、練習以外でも顔を合わせたくないという理由から、春樹と秋雄は必修科目と重なったため、授業を取っていなかった。特に春樹は心底悔しがっていたので、おそらく来年は必修と重なりさえしなければ、顔を見せに来るだろう。
「その……、なんだ……、どうだった?」
「え、あーそのー自分の頭脳ではどうも……」
松之助は決まりが悪そうに、そのよく動く大きな目を分かりやすく逸らす。
一瞬絶望的な気分になったが、後で知った三十六高の偏差値を思いだし「まあさすがに尾崎には無理か……」と、自分を妥協させた。
「他はどうだ?」
「え……あの……よかった……です……」
未央のとってつけたような感想は、あまり役に立ちそうには思えなかった。
まともな感想は真面目そうな隆に期待するしかなさそうだ。隆のいた都立千住高校は偏差値もそれなりで、逆に言えば隆レベルの生徒に分からないようなないようだと、問題がある。
「三上はどうだ?」
「え……あ……ちょっと待って下さい」
隆はノートをペラペラと開いた。
貴文としては1ページでまとめられる内容のつもりだったが、隆は3,4ページ開いていた。
(これは……)
貴文は理解した。
隆は真面目だが要領が悪く、あまり勉強が出来ないタイプの人間だ、と。勉強時間が多いため何もしない人間よりは成績は上だが、要領よく理解する人間に比べるとはるかに劣る。今回のように理解度を聞く場合、もっとも相性が悪い相手だった。
「えっと、筋肉がこうなるから新陳代謝がこうなって……」
おそらく頭の中で講義でした内容をもう一度繰り返しているのだろう。
これではどんな講義をしても意味がない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
貴文と翔は無言で見つめ合う。
この脳みそまで筋肉で出来てそうな柔道ザバリストに、まともな答えなど期待するべくもなかった。
とはいえ、この流れで一人だけ無視するのも可哀想だったので、とりあえず聞いてはみた。
「田山田は?」
「国府田っす! 押忍! まず監督が今回の講義で専門的な運動生理学の知識より、家庭の医学的な、よくいえば一般的、悪く言えば世俗的な内容の話をこれからしていこうという意図が分かったっす!」
「・・・・・・」
翔の感想に貴文は一瞬呆気にとられる。
いったい講義にもジャージで来ているこのゴリラは何を言ったのか。なんでこんな外見で、ここまで正確な考察が言えるのか。
翔の言っていたことは、貴文が狙いとしていものずばりであった。運動生理学に関してそこまで精通しているわけでもない貴文が専門的なことを言っても、いつかかならずボロが出る。そこで学問的なものは基本的な知識だけで留めておき、他は経験を踏まえた実践的な話にするつもりだった。
それを初回の講義だけで見抜くとは……。
「確か田山田って工業高校だよな。偏差値もそこまで高くなかったはずだが……」
「押忍! 田山田はそれでも勉強は厳しいっす。学校生活が軍隊同様っす。そのおかげで本当の馬鹿はいないっす。それでも偏差値が低いのは、多分授業自体は簡単で、就職組が多いからだと思うっす。でも中には東大にい行く奴もいるっすよ」
「あのユニフォームと良い、田山田侮れんな……」
貴文は心底思った。
「まあお前の場合理解力が高すぎて、逆にあまり参考にはならなかったが」
「申し訳ないっす……」
「とりあえず俺の講義の件は置いておいて、めぼしい奴は見つけたか?」
これからは内田貴文教授ではなく、ザバル部監督としての話だ。
「いちおう今日もアンケートを採ったから、この講義だけでも経験者を探ってみようと思ってはいるんだがな」
「そういえばそんなもの配られましたね」
松之助が思いだす。講義内容はほぼ忘れていても、そういうことはさすがに覚えていたらしい。
「それで、お前達の方はどうだ?」
『・・・・・・・』
部員達は一斉に視線を逸らす。
体育会系らしい、分かりやすい反応だった。
「まあそんなことだろうと思った。俺もまだ成果を出していないし、人のことは言えんが、本当にたのむぞ」
『はい……』
力の無い声で部員達は返事をする。
それから部員達はそれぞれ次の講義や自主練習をしに教室から出て行った。
貴文も荷物を片付けて教室を出る。
「……あ」
教室を出て数歩歩いたところで、忘れ物をしたことに気付いた。
エレベーターに乗る前で幸いだったと言えよう。
「お……」
出るときには気付かなかったが、再び入ったことで教室に一人だけ女子学生が残っていたことに気付く。
もしこれが授業中なら、真面目な学生と感心しただろう。
だが既に授業は終わり、何もない教室で授業中からの内職を続けているのは明らかだった。
貴文は今更叱るのも馬鹿馬鹿しい気がしたので、そっと近づき何をしているのか観察することにした。
(漫画か……上手いものだな)
絵心のない貴文は素直に感心した。
その女子学生は一心不乱に絵を書いていた。正確にはデッサンで、あまり漫画に詳しくない貴文は一緒くたに見ていた。
(……ん?)
貴文はそのデッサンのモチーフが妙に気になった。
よくある美少女や美少年の絵なら、それほど奇異に思ったりはしない。生粋のスポーツマンだが、様々な人種の人間と出会ったことにより、他人の趣味に関してはかなり寛容な性格になっていた。
しかし、目の前にいる彼女のそれは個性的では済ませられない。そのモチーフは自分のよく知る、というか……。
「俺じゃん!」
「ひっ!?」
貴文の声で、女子学生は思わず姿勢を後ろにのけぞらせる。
「ああ、すまん」
「え、あ、ああ!?」
今までモデルにしていた人間が突然目の前に現れ、その学生はこれ以上ないほど分かりやすく取り乱していた。
「ああ、あの、その、内田選手の理想的なザバリストの肉体を見て思わず!」
「あー教師としてここは叱るべきなんだろうが、まあ俺もそういう面倒くさいことはしたくいない。それよりまさか俺の絵が描きたいから授業とったわけじゃないよな……」
「・・・・・・・」
女子学生は何も答えなかった。
どうやらその通りだったらしい。
(見た目は大人しそうなんだけどな)
貴文はその一途すぎる姿勢に半分呆れ、半分感心した。
野暮ったい眼鏡をかけ、野暮ったい服を着、野暮ったい髪型をした完璧な文系少女で、体育系の振興大学では、彼女のような存在は珍しい。初回の授業なので緊張していたため気付かなかったが、もし慣れていたらすぐにその異質さに目がいっただろう。ただよく見ればかなり可愛らしい顔をしているので、それなりの化粧をしていれば、そこそこもてたかもしれない。全力で顔を作っている沙織とは対照的だ。
「そこまでして授業を取ってもらったのは男として光栄だが、そもそもお前みたいなのがなんでうちの大学に来たんだ? 美術系の学校とまでは言わないが、普通の4年制大学の方が潰しも利いて良いだろ」
「あの、私、ザバルが大好きなんです!」
「ほう……」
そう言われて貴文は改めて少女を見た。
その目にいやらしさは欠片もない。ザバル指導者としての、冷徹なまでの観察眼だけがあった。
春先だというのにだぼだぼの服を着ているので、スタイルまでは分からない。ただその座っている姿勢からある程度の筋力の察しはつく。ザバルをしている人間の姿勢は自然と美しくなるものだ。そしてわずかに見える露出部分からも、どれだけ外で練習しているかなど、様々な情報が得られる。
それらを踏まえた結論は――。
(ダメだな)
不可だった。
体力を使うポジションは論外。猫背で生っ白い肌の彼女に、激しいプレーは期待するだけ無茶というものだ。
だからといって沙織のように『マネ』に向いているとも到底思えない。今まで会った『マネ』の女性達は、冴えない格好をしていても皆何かが感じられた。沙織から感じたあの強烈な社交性もその何かだ。それがこの少女には一切ない。いくら元の顔が良くても、それがない人間は使い物にはならない。そして他の女性が出来そうなポジションでも、なんとかなりそうなものは無かった。
「あの、先生。私が糞の役にも立たないと思ってますね」
「いやそんなことは」
ずばり指摘され貴文は慌てる。ポーカーフェイスの自信は無いが、それでも部員達ほど分かりやすい表情はしていなかったつもりだった。
「いえ、他ならぬ自分自身が分かってるんです。小学生の頃地元のクラブで『スターリー』志望で入部し、翌日には違うポジション、その翌日はさらに違うポジションと渡り歩き、最終的にはベンチウォーマーになりましたから……」
「ま、まあベンチ入りできただけでもマシと……」
「観客席のベンチウォーマーです……。その空いた時間に絵ばっかり書いていたおかげで、絵の腕はかなり上達しましたが……」
「そ、そうか……」
貴文はかける言葉が見つからなかった。
世の中にはこの少女のような、致命的な下手の横好きがいる。貴文のような好きな上に世界レベルで上手い人間が何を言っても、慰めにもならないだろう。
「まあがんばれ。ザバルの選手にならなくても、色々な道はあるんだからな」
「それです!」
少女は眼鏡を輝かせながら――実際に輝いてはいないのだが、そうとしか言えない勢いで――椅子から立ち上がり、貴文に詰め寄る。
最近こんなのばっかだなと、貴文は心の中で周囲の変人率の多さを嘆いた。
「確かに私にザバルはプレーできません。でもこの熱い思いと知識は誰にも負けないつもりです! そこで!」
「『ホスト』希望というわけか」
「その通りです!」
『ホスト』、つまりマネージャーなら運動神経があろうがなかろうが問題ない。重要なのは折れない心と熱意だ。その2つに関しては、この少女は疑いようはなかった。
「本来なら入学式と同時に入部しようと思ったのですが、まだ入部期間になっていなくて……」
「入部期間?」
貴文は首をかしげる。「なんだそれ?」
「え、あの、一般生の部活は入部期間が始まらないと、入部できないんですけど。それ以前は事務局が書類を受け付けてくれません」
「マジか!?」
貴文はとてつもない衝撃を受けた。てっきり、いつでも入部させられるものだとばかり思っていた。
(そういえば高校時代は、勧誘期間しか勧誘できなかったっけ……)
高校卒業と同時にプロ入りした貴文は、それをすっかり忘れていた。
「あ、でも正式に登録されないだけで、練習に参加したり体験入部的なことは出来ますよ。ザバル部は体験入部を募集してないので、私は今のところ宙ぶらりんですが」
「それは俺の落ち度だ、悪かった。すぐに登録してくる。ちなみにその入部期間は?」
「来週からですね」
「・・・・・・」
貴文は大きく息を吐く。
首の皮一枚繋がった気分だ。
「ところで内田せんしゅ……じゃなくて先生。ここまでの話から察するに、いちおう私はほぼ部員の『ホスト』と捉えて問題ありませんね」
「そうだな」
今のところ、スポーツドリンクの準備や練習の手配など、細々としたあらゆる作業は監督である自分がしている。その一方で教授としての仕事や勧誘もあり、最近寝不足の日々が続いていた。この状況で『ホスト』が仕事を肩代わりしてくれるのは、心底ありがたい。
「つまり今の私にはあの『産んでくれたお母さんに感謝したくなるような心臓』を持つと言われる内田貴文の教え子達の世話をする権利があるということですね!」
「お前よりによってその異名……まあ権利と言えるかどうか分からないけど、そうだな」
「そして『ある意味ザバル少年に現実を見せたド鬼畜』内田貴文率いるチームのスカウトも務めることが出来るというのですね!」
「何その異名、初めて聞く上に失礼すぎるんだけど。でもまあその通りだ。今は猫の手も借りたい」
「ふふふ……ついに私の時代が来た!」
少女は右の拳を高々と振り上げる。
「いや、あの、おま、えーと」
「大石です! 大石広子!」
「ああ大石、気持ちは分からないし、とりあえず落ち着け」
「はー、はー、はぁあ!!!」
広子はひどい興奮状態にあり、軽い過呼吸状態に陥る。
貴文は広子をなだめながら、まともに話が出来るまで待つことにした……。
「……お恥ずかしいところをお見せしました」
「否定はしないぞ」
数分後、ようやく落ち着いた広子と貴文は同じ教室で話を再開させる。幸いにも2人とも次の時間に講義はなく、話す余裕はどちらにもあった。
「えっと、とにかく
「ああ、現在7人しか部員がいない上に、『スターリー』なしの『シッカリ』入りだからな」
「『シッカリ』……ということは都立千住の三上君ですか?」
「詳しいな」
「有力な高校生ザバリストはほぼ頭の中に入ってますからね」
「じゃあ田山田……じゃない、国府田翔って奴は知ってるか?」
田山田高校ザバル部の実績は皆無に近い。さすがに無名校の『フラッター』までは分からないと思っていたが。
「田山田高の『フラッター』ですよね確か。写真だけでプレーは見たことありませんが」
「すごいなお前、よく知ってたな」
「その、田山田高校はザバルファンの間では、実力じゃなくてユニフォームで有名ですから……」
「ああ……」
貴文はこれ以上ないほど納得した。
「それではさっそく行って参ります! 実はこう見えても人見知りなのですが、ザバルが関わるとあらゆるリミッターが振り切れておかしくなるので、安心して下さい!」
「それは逆に安心できないなあ」
むしろ不安になる。
「では!」
忍者のようなポーズを取ると、文字通り教室から走り去り、
「うげぇ!?」
ドアの敷居に躓いてこけた。
やはりかなり鈍くさいようだ。
貴文は、立ち上がり、よろよろとどこかへ向かって行く広子をただ見送ることしか出来なかった……。
そして時間は飛んで放課後――。
「ワールドに礼!」
『どうぞよろしくおねがいします!』
いつものように全員で挨拶をし、練習を始める。
ザバル部の練習は三部制で、すでに今日は早朝練習は行っていた。
朝は柔軟と基礎運動が中心で、ザバルの練習と言えばまだ軽いランニングとキックとスローと『ベロ』ぐらいしかない。二部に当たる午前午後の練習はそれぞれが授業の空いた時間にする自主練で、本格的な練習は放課後の夕方の部だ。
「いででででででぇ!」
今日も柔軟による悲鳴が南千住に響く。
入学式翌日から今のスタイルになり、柔軟もそこそこ回数をこなしているが、未だ部員の誰も完璧に慣れることができない。自分でしているときは加減するため痛みはほとんどなかったものの、貴文に指導されると途端にボロが出た。
「はあ、はあ、ありが、とう、ございます……」
息も絶え絶えといった様子で、未央が感謝の言葉を言う。
今のところ彼女が一番身体が硬い。
逆に最も柔らかいのは意外にも翔だった。柔道で受け身をしっかりやっていたおかげで、柔軟性の下地が一番あったのかもしれない。柔道家らしく悲鳴もほとんどあげなかった。
「と、ところで監督、あそこにいるのは……」
「おっと、そうだった。とりあえず柔軟しながら注目!」
貴文は手を叩き、『ワールド』の角で待機していた広子を呼ぶ。
「今日から『ホスト』になる大石だ」
「皆さんよろしくお願いします!」
広子は勢いよく頭を下げる。
大部分の部員は「よろしくー」と気軽に返したが、翔だけは「押忍!」と力一杯返事をした。
「大石は今の学生ザバルには俺より詳しい。練習以外で分からないことがあったら、まず大石に聞いた方がいいかもしれんぞ」
部員達が少しざわつく。
外見だけの印象では、とてもそこまでザバルに詳しそうな人間には見えないようだ。実際貴文もそう思ったのだから、どうしようもない。
「ホントにそうか~?」
春樹が広子にからんできた。会ったときから貴文は思っていたが、春樹はやたら対抗心が強い……というかけんかっ早い。何でも勝負事にしなければ気が済まない性分らしい。
「他人と競ったことはないので分かりませんが、とりあえず君が世履高校『右レフト』の小野くんだって言うことはわかります」
「え、俺のこと知ってんの!?」
「はい。インターハイは全試合テレビ中継してますし、私も全試合チェックしてますから」
「おまえ……すげーな!」
その分納得するのが早いので、あまり大事にはならなかったが。
むしろ秋雄の方がこじれると色々問題がありそうだった。
「さて、無駄話はこれまで。それじゃあ練習するぞ!」
『はい!』
そしてザバルの練習が始まった。
最低人数なので、紅白戦のような実戦形式の練習はできない。できるのは個人のプレーと、局地的な連携だけだ。
貴文は練習中練習内容以外ではあまり指示は出さず、広子には練習の様子を記録させる。さすが生粋のザバルマニアだけあって、あえて言わなくても広子は専用ノートに形式に沿った記録を書いていった。
「……ストップ」
しばらく好きにさせてから、貴文は練習を中断させる。
「さて、あえて俺が言わなくても言いたいことは分かると思うが」
『・・・・・・』
皆黙っていたのは疲れで口が開けなかったからではない。
「じゃあ大石、初めて練習を見たお前の忌憚ない意見を聞かせてくれ」
「えー、でははっきり言わせて貰いますが、ばらっ……ばらですね!」
「だよな」
入学式から練習を見ているが、連携面において全く成長が見られなかった。ほぼ全全員が周囲に合わせようとせず、自分本位のプレーに終始している。これでは『龍起杯』どころかリーグ最下位確定だ。
「お前ら高校時代はもっとちゃんとできてただろ……」
疲れた声で貴文は言った。羽を生やして逃げていくボーナスが、はっきりと見える。
「あの、いいですか?」
唯一プレーにブレがなかった秋雄が、手を上げた。
「なんだ?」
「たぶんみんな監督にいいところを見せようとして、空回りしてるんじゃないでしょうか?」
「俺に?」
「はい。俺は別にそんな気はさらさらないんで、いつも踊りのプレーが出来ますけど」
「・・・・・・」
少し嬉しいような、だいぶ困ったような。
そこまで慕われて悪い気はしないが、そうなると解決するのは時間としか言いようがない。どんなアイドルも一緒に生活していればそのうち慣れるものである。
(まあでも試合では力を発揮するってこともあるしなあ)
そう思うしかなさそうだった。
そして今日もあまり身のない練習は終わる。
練習後全員に勧誘の状況を聞いてみたが、まだ成果を上げられた部員はいなかった。『ホスト』を連れてきた貴文が一番の功労者だ。
(前途多難だな……)
『ワールド』の夜間練習用ライトのように、この暗闇を照らす一条の光でもないものかと、貴文は思わずにはいられなかった……。
翌日――。
2回目ともなると、それほど緊張もせずに講義を進められた。この適応力の高さこそ、貴文が一流のザバリストでいられた一因でもある。
広子も含めた部員達は、見た目はしっかり聴講していた。ただ、広子だけは昨日のように絵を描いてはいないものの、話を聞かずに目を皿のようにして周囲を伺っていた。
講義終了後、貴文はとりあえず広子を呼び、その理由を尋ねた。
その答えがこれだ。
「とりあえず見える範囲で使えそうな人間を漁ってました!」
「協力は感謝するが、せめて授業はまともに受けて欲しかったぞ」
「その、私の場合聞いてもあまり役には立つようには思えないので……」
「『ホスト』の仕事にも関係するような話してるんだけどな」
「そうだったんですか!? 次から真面目に聞きます!」
「それは昨日からにしておけ」
「ぶふ!」
広子の脳天に軽くチョップを落とす。ただ、あくまで貴文基準の軽さで広子は結構なダメージを受けた。
「――で、めぼしいのはいたか?」
「いたた……残念ながら」
広子は涙目になりながら答える。
「めぼしい人間は既に別の部活に入ってました。少なくともこの教室に使えそうなのはいませんでした」
「そうか……」
何か随分上から目線で見ている気がしたが、貴文は結果だけ聞いておいた。
「それで思ったんですけれど、そもそも新入生の勧誘はほぼ絶望的じゃないでしょうか。だいたい才能のある新入生って、スポーツ推薦で入ってきた連中じゃないですか。そうである以上、部活に入ってないわけないんですよね……。有名な大学なら推薦を蹴って受験勉強して入る子もいるんでしょうけど、残念ながらここは……」
「そうだな。歯に衣着せぬ率直すぎる意見ありがとう」
「あ、でも上級生には何か理由があって引退した人がいるかもしれません。怪我で辞めた人は無理ですけど、その競技と合わなくて辞めた人なら……。そこら辺の人を当たった方がいいかもしれません」
「まあ1年のこの時期に引退する変わり者はいないからな。わかった、俺も色々聞いてみるわ」
「はい。それじゃあ私も上級生を中心に当たってみます」
「上級生か……」
広子の話を聞いてから、貴文は勧誘について考えていた。
確かに上級生というのは盲点だった。今までの経験上、どうしても途中で辞めた人間に良い印象は抱けなかった。有り体に言って、負け犬というイメージがどうしても拭えなかったのだ。それに1年だけの部活で、いきなり何も知らない2年以上が先輩になると言うのも、どうも釈然としない。最悪派閥が出来るような気もした。
しかし考えてみれば、辞めるにしても色々な理由がある。
それを落伍者の一言で片付けるのはどうか。
何より他ならぬ自分がその落伍者の中の一人だ――。
「――内田先生!」
「あ、はい!?」
廊下を歩いていると、不意に背後から呼び止められる。実際は不意どころかずっと呼ばれていたのだが、考え事をしていたためこうして大声を出されるまで気付けなかった。
「考え事ですか?」
声をかけたのは年配の、同じく部活の顧問をしている教授だった。中年太りが目立ち、脂ぎった、いかにもな悪徳政治家顔をしているが、実際は善良で、男女両方の体操部の顧問をしていた。
「はい……」
「それは部員のことですね。話題になってますよ」
「いや、お恥ずかしい……」
謙遜ではなく本当に恥ずかしい。監督になったのに試合をするための人数が足りないなど、うかつで済ませられるレベルの話ではない。たとえ自分のあずかり知らないことだったとしても、それを説明すればまた自分が惨めになる。
「実はそんな内田先生にとっておきのお話が……」
その中年教授は、随分言いにくそうな表情で話を切り出した。
いったいなんだというのか。
その件について話をしにくいのは、こちらの方だというのに。
「なんでしょうか?」
「うちにスポーツ推薦で入った女子部員がいるんですが、これが実際に使ってみたらとんでもない生徒で……」
「勧誘の時は違ったんですか?」
「猫を被っていたみたいです。高貴なペルシャ猫を100匹ほど」
「それはまた……」
学生も推薦をとるのに必死のようだ。
「それで今部がいろいろごたごたがあって。こういうとき指導者なら厳しくするべきなんですが、私はどうも体罰というものが苦手で……」
「私も体罰には反対です」
いけしゃあしゃあと答える。
ただ、貴文は本心から自分は体罰はしていないと思っていた。今までしてきたのは躾であり、スキンシップだ。
あまりの堂々とした態度に、中年教授は目が点になる。しかし、「だから平然と出来るのか……」と最終的には逆に納得した。
「それで、たまたまその子は学生時代ザバルと二足のわらじを履いていたので、是非内田先生に面倒をみてもらえないかと……」
「うちでですか!?」
貴文は絶句した。
いくら人数がいないとはいえ、そんな問題児まで面倒は見切れない。部がバラバラになる可能性は、上級生を入れた場合の比ではない。
「お願いします! このままだとあの子は入ったばかりで退部し、そのまま退学になるかもしれないんです! ザバル部だったら学長もお気に入りだから、転部してもきっと体操部と同じ待遇を受けられると思うのでどうか……」
「ううん……」
どんなに出鱈目な性格とはいえ、その子の人生がかかっているのでは無碍にはできない。
「じゃあとりあえず会うだけ会います」
結局貴文が折れた。
「本当ですか! ありがとうございます。実はそこで待たしているんですよ!」
(これ最初から逃げ道無かったな……)
どうやら選択肢は一つしかなかったようだ。
それからその中年教授は、後ろに控えていたその問題児と引き合わせる。
「・・・・・・」
無言で貴文はその少女を見た。
体操選手らしい均整の取れたスタイルで、無駄な贅肉はほとんどついていない。顔も高貴な感じで美しく、何とも言えない華がある。ただ立っているだけでも、宝塚を彷彿とさせるような凜とした姿だ。現ザバル部女子部員全員と比べても、明らかにこちらの方が容姿は上だった。その分教授のいうとおり性格はきつそうで、何もしなくても眉と目がつり上がっていた。
「おい、丸山、内田先生に挨拶しろ」
「初めまして、丸山聡美と申します。どうしても
「内田だ、よろしく。部員に困っているのは事実だが、別にそこまで言ってない」
「ぐっ……」
光の速さで聡美の言葉を否定する。
どうせ中年教授が納得させるためにいい風にいったのだろうが、貴文がそれを踏まえてやる義理も無い。それより初対面で舐められる方が問題だ。
「とりあえずお前を入部させるかどうかは、面接してからだ。ちなみにポジションはどこだった?」
「当然『スターリー』ですわ!」
「ですわ」という漫画でしか聞かないような言い方に少し違和感を覚えたが、それよりポジションの方が気になった。
『スターリー』は花形ポジションで男性が多いが、女性もいないわけでは無い。女性の場合男には体力で負けるので、主に『芸術点』で稼ぐ。貴文も現役時代、『実得点』で勝っていたが、試合後の『芸術点』で逆転されたことは少なくなかった。聡美のように優雅で、体操をやっていた女性なら、充分女『スターリー』も務まるだろう。
性格に難はあるものの、待望の『スターリー』候補であった。
ただ、その難がどれほどのものか指導者として絶対に把握しなければならない。
「で、具体的にどんな理由で体操部にいられなくなったんだ?」
「い、いられなくなったのではありませんわ! 私から出て行ったんですの!」
「何かその言葉使いだけで、理由の半分は分かった気もするが……」
「本来なら私が体操部のエースのはずでした。けれど年功序列だかなんかで私は試合にも出られないとか! そんな暴挙あり得ませんわ!」
「うん、予想通りの理由だった。ちなみに俺が監督でもお前のような奴は出さん」
「ぐぬぬ……だ、だったら他の部活に――」
「今まで体操とザバルしかしてこなかった人間が、高校3年間死ぬ気で努力してきた人間に、思いつきで勝てる自信があるならそうすればいい」
「ぐぬぬ……」
同情はしても甘やかしはしない。指導者によるマウンティングは体育会系では基本だ。やるからには徹底的にする。
「なあ丸山、お前だって安くもない学費親御さんに払ってもらって、今大学に通ってるんだろ。それなのに今辞めたりしたら、今までの費用はパアだぞ? 俺がお前の親だったら全額今すぐ耳を揃えて返せって言うね」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
貴文は聡美をさらに追い詰める。
実はこういった精神的な圧迫も、貴文は現役時代得意としていた。
「なあ丸山、社会に出たらもっと我慢が必要なんだ。だからここは勉強だと思って俺の靴を舐め……じゃなくて、とりあえず俺の言うことに従ってみないか? 人数的に体操部より早く試合に出ることになるし、悪いようにはしないぞ」
「そ、そこまで言うのなら……」
結局聡美は折れた。
聡美が色々考える前に、貴文が押し切ったのだ。
中年教授はその手腕に素直に感動した。
「すごいですね……」
「馬鹿の扱いには慣れています。時間が経てばそのうち図に乗るタイプなので、次は実力行使で分からせる予定です」
「そ、そうですか……。とにかくよろしくおねがいします」
中年教授は頭を深々と下げ、逃げるようにその場を後にした。まるでばば抜きでジョーカーを押しつけられ、そのままトランプを持って逃げられたかのようだ。ただ、貴文自身もかつて現役時代、移籍に際して似たようなことをしたので、あまり文句も言えなかった。
「……まあそう言うわけで、放課後『ワールド』に集合な。場所は事務に聞けば分かる」
「ふん! こうなったらザバルでてっぺんとってやりますわ!」
「その意気込みだけは評価してやるぞ。それじゃあ放課後にな」
貴文はそこで一旦聡美と別れた。彼にも教師としての仕事があり、いつまでも聡美に構ってもいられない。
研究室に向かう道すがら、貴文は聡美、ひいては『スターリー』について考える。
(丸山には悪いが、あれをレギュラーの『スターリー』には出来ないな……)
『芸術点』を重視する女性『スターリー』を先発にすれば、チームもそのための構成にしなければならない。とにかく華やかなチームにしなければならず、少なくとも地味すぎる『シッカリ』を入れる余地はなくなる。
それはある意味で奇策を捨てるという選択でもあった。『芸術点』での勝利は意外にも1本道しか無い正道で、1年で『龍起杯』出場を狙う現状には即していない。
そしてこれは貴文の個人的な感情の問題になるが、『実得点』で活躍していたザバリストとして、『芸術点』の女『スターリー』を中心におくのには、どうにも抵抗があった。『スターリー』がもう一人いればダブル『スターリー』として採用してもよかったが、残念ながら今は彼女一人だ。
(これは最悪『0トップ』も考えないとな……)
人数は足りている。
選手達の実績もそこそこある。
超守備的であるがそちらの方が未だ現実に即していた。
(でもなあ……)
できるならそんなチームは作りたくない。見ていて面白くないし、そういう戦い方を現役時代まったくしなかったので、どう指揮を取れば良いのかさえ分からない。
自分自身が生粋の『スターリー』なのだから当たり前だ。プロでも通用したのはせいぜい、『前バック』ぐらいである。
(どうすっかなあ……)
貴文はその日ずっとそんなことを考えていた。
そして気付けば放課後になっていた。
「……ビックリした! 日が暮れてる!?」
「どうしたんですの先生?」
「いや、なんでもない。あーとりあえず新入……体験部員を紹介する。丸山だ。元体操部で、先に言っておくが性格に問題があり、体操部を退部してうちに流れ着いた。皆そのように扱うように」
「ひ、ひどいですわ! ……ごほん。丸山聡美です。ポジションは『スターリー』。すぐにこの部を私色に染めてあげますわ!」
『・・・・・・』
無言どころかぴくりとも動けない部員達。
貴文の言った言葉が、本人によってこれ以上ないほど簡潔に証明された瞬間だった。
秋雄がそっと手を上げる。
なにが言いたいか貴文にも分かっていたため、発言を許可しなかった。
「見ての通りアホだ。お前らもそうだがこいつは大概だ。皆が心配なのは分かるが、いちおうザバル経験者でもある。とりあえずプレーを見てから使えるかどうか判断して欲しい。俺もそのつもりだ」
「俺が聞きたかったことは全部監督が言ってしまいましたね」
秋雄はそっと呟き手を下げた。
「とりあえず柔軟は終わってるか?」
部員達は一様に『はい』と答えたが、貴文の基準を満たした柔軟をしている部員はいるようには思えなかった。
(まあでも、今日はこいつの面倒もあるから仕方ないか……)
そう自分を納得させ、練習を始めることにする。
ただ、これには部員達が納得しなかった。
「あの、監督」
松之助が手を上げる。
松之助の自己主張は珍しかったので、貴文はそのまま話させることにした。
「そいつ……丸山は柔軟しないんですか? 怪我しませんか?」
そう言った松之助の顔は妙に邪悪に歪んでいた。
口はでどうのこうの言っても、本音を言えば新入生に自分達同様地獄を味わわせて、恥をかかせたいのだろう。体育会系によくあるマウンティングだ。それを率先してしようとするあたり、本当に松之助も良い性格をしている。
こういう小賢しい性格は、確かに現役時代の自分を彷彿とさせた。
だからといって、松之助の想像通りの結果になるわけではなかったが。
「柔軟ならもうしてきましたわよ。部活辞めてから暇でしたから、空いた時間に念入りにしてますわ」
「そういうことだ」
「で、でも自己流であんまり意味ないじゃないかもしれないじゃないですか!」
「……丸山、体操部の柔軟見せてやれ」
「はい」
聡美は頷くと、かつての貴文と同じように身体を反らし、脹ら脛に後頭部をつけるどころか、股から上半身をくぐらせた。
あまりの柔軟性に松之助も含め、部員全員が唖然とする。
「まあ曲がりなりにも体操部でエースと言い張ってた人間だ。身体の柔らかさだけは尋常じゃない。女『スターリー』の場合、『芸術点』を稼ぐために身体の可動域を広げることは必須だから、その点では認めてやっても良いだろう」
「ふふふ……」
聡美は自信たっぷりの表情で前転しながら体勢を元に戻す。
一方マウンティングに失敗した松之助は、恥ずかしくて消えてなくなりたいと思っているような真っ赤な顔をしていた。
(アホな奴だな)
体操部と聞いた瞬間、柔軟性に関する指摘は無駄だと悟るべきだった。少なくとも学生時代の自分なら、黙っていただろう。まだまだ甘いなと、貴文は松之助の青さを内心で嘲笑った。
「さて……と、よく見てみれば一人足りなかったな。三上、藤井はどうした?」
「え、あ……その……」
突然名指しされたことに、隆は驚く。
たった一つのタスクを試合中こなしつづける『シッカリ』には、そこまで柔軟な思考力は必要ないかもしれないが、一般的なスポーツ選手としてこの要領の悪さは少し頼りなかった。
「そ、その……未央ちゃんとは取ってる授業が違うんでよくは……」
「押忍、自分良いですか監督!」
「なんだ田山田?」
「国府田です!」
「いや、ユニフォームがな……」
未だに大学からユニフォームが支給されず、全員高校時代のままだ。幸いにも聡美はザバル部のユニフォームも持っていたので、着るものには困らない。それでも、いつまでもこのままというのは、情けなさ過ぎたが。
「まあお前はユニフォームが来るまで田山田ということで」
「ひどいっす……」
「で、話っていうのはなんだ?」
「あ、藤井のことなんスけど、自分と同じ学部で取ってる授業もだいたい同じなんすよ。今日の最後の授業は実験だったんすけど、それで大分もたついてたから、練習に遅れるかもしれないって言ってたっす」
「ああ、二人とも理系だったのか」
振興大学はスポーツ系の学部が中心だが、スポーツ化学を標榜する理系の学部も存在していた。貴文は詳しい授業内容までは知らないが、化学実験室があり、実際に薬品を使った実験を行っているという話は聞いた。
「多分もうすぐ来ると――」
「おそくなりましたー」
蚊の鳴くような声で、未央が練習場に現れる。
急いできたのは分かるが、やたら前髪が長いので表情はよく分からない。顔見知りが治らないうちは我慢するが、貴文はいずればっさり切らせるつもりだった。
「実験が長引いて……」
「段取りよく……といってもお前の性格じゃ無理そうだから、そういうのは前日より前から準備をしっかりしておけ。それで劇的に良くなるとも思えんが、少しはマシになるだろう」
「はい」
「そしてここに都合のいいことに体験部員がいる。とりあえず慣れろ!」
「は、はい……」
未央は女にしては大きな身体をゆっくり動かしながら、慎重に聡美を見ようとする。
すると、そこには自信満々に仁王立ち――。
「……?」
していたはずの聡美の姿が影も形もなかった。
「……監督?」
「あー、あそこだ」
その細身の身体を活かし、ポールの影に隠れている聡美を指さす。
理由は全く分からないが、貴文にも聡美が未央に会いたくないことだけは理解出来た。
「おい丸山!」
「・・・・・・」
「本宮、連れてこい。女だが頭が軽いから乱暴に扱っても構わん」
「分かりました」
秋雄は文句も言わずに命令をこなす。
数秒後、文字通り小脇に抱えられた聡美が、未央との対面を果たした。
「知り合いか?」
「……分かりません。でも丸山って苗字には記憶が……」
「丸山聡美という名前だ」
「まるやまさとみ……」
未央は顎に手を当て考える。
何か無駄なことに時間を使っている気がしないでもない貴文であったが、このもやもやした気持ちのまま、練習するのはどうにも抵抗があった。
「そ、そんな群馬の田舎者の知り合いなんて私にはいませんわ!」
「田舎者……あ、思い出したぁ!」
聡美の余計な一言で未央は記憶のありかを見つける。頭の悪い体育会系にありがちな、完璧な藪蛇だった。
「おめー栃木の聡美だっぺ!」
未央は方言全開で言った。
貴文は初めて地声を聞いたが、女にしてはかなり大きく低い。これなら慣れると股全開になるという隆の話も理解出来た。
「と……私は巴里の生まれですわ!」
「その顔じゃさすがに無理ありすぎだね」
秋雄の呟きも当然だった。
聡美は美少女ではあるが、どう見ても大和撫子で、長い髪も目も真っ黒だ。女『スターリー』には髪の長さも重要なためそのままにさせているが、そこに外国人の要素は全くない。4代前ぐらい遡れば、中国人か朝鮮人の血が入っているかもしれないが。
「ほう、お前ら知り合いだったのか」
「……は、はい。私が群馬で聡美が栃木でした」
未央がいきなり音量を下げる。まだ貴文相手では、聡美のように親密になることはできないらしい。
(まあ初対面の時と比べれば、話せるだけマシか)
貴文は今はそう思うことにした。
「知り合いってことは、こいつのザバルの力も知ってるのか?」
「はい、中学まで同じでしたから。中学は二人ともザバル部で、私が『前バック』で聡美が『スターリー』でした。高校でも女子ザバル部の助っ人で会ったりしました。えっと、その、実力なんですが……」
未央はなんとも言いづらそうな顔をする。
「な、なにが言いたいんですの!?」
「俺にはだいたい分かるぞ。自分の得点を取ることばかり考えて、チーム全体が壊滅的な状況に陥ってるんだろ」
「そのとおりです……。高校時代インターハイの初戦で当たったんですけれど、聡美だけが活躍して私の学校が圧勝しました。たった一試合で『芸術家』ランキング2位は、実力がないと無理とは思うんですけれど……」
「すごいな……」
春樹が素直に感心した。
「うん、すごい馬鹿だね……」
秋雄はさらに物事の本質を捉えていた。
「な、なに言うんだべ! あれは周りが悪かったせいだ!」
感情の抑制値が限界を超えたのか、聡美も方言を隠しきれなくなる。未央と違い、そのお嬢様然とした外見と声で話す方言には、かなりの威力があった。
(ぶふぉっ! この野郎……とんでもない武器を隠し持ってやがった……)
貴文はこみ上げる笑いをなんとかこらえる。いちおう指導者として、社会人として、そういった欠点はなるべく気付かないでやる良識が、貴文にはあった。
しかし彼女は違う。
「ぶはははあははっははは! 普段あんなしゃべり方して、地が栃木訛りとか自分パンチ効き過ぎてるんちゃう!? 今すぐ吉本行ってお笑い目指した方がいいんと違うか!?」
今まで静かだった沙織がここぞとばかりに笑い出した。ひょっとしたら最初のお嬢様口調から、笑いをこらえていたのかしれない。
「そ、そんなにへんかな……?」
未央が照れながら頭をかく。
すると沙織は真顔で、
「あー未央っちはあんま違和感ないわ」
そう言った。
未央は喜ぶべきなのか怒るべきかのか、複雑な顔をした。
「……というわけだ!」
貴文は強引に話をまとめる。
もちろん何もまとまっておらず、部員全員の脳裏に「何が?」という疑問文が浮かんだ。
「さあ、無駄話はこれぐらいにして練習始めるぞ。多分見なくてもだいたい分かるが、聡美も含めた全体練習をする!」
貴文はさらに強引に練習を始める。
こうしてかなりうやむやな状況で練習は始まったのだが……。
「まあこうなるな」
「ですよねー」
貴文の呟きに隣で控えていた広子が同意した。
練習ノートには、彼女の罵詈雑言が書かれた付箋が、ハリネズミの針ように貼られていた。
だいたいの流れを練習したのだが、聡美を経由する場所でことごとく止まった。『ウップス』やミスというレベルではない。聡美はとにかく自分の所で限界まで目立とうとする。
これではチームが負けるのも当然だ。
ただその一方で、意外な事実も判明した。
「近藤、お前対抗して目立とうとすると思ったら、意外にサポートに回ってたな。普段はそうでもないのに」
「あー」
沙織は人差し指を立て、頭に当ながら言った。。
「お嬢みたいに強力なキャラクターがいてあたしが目立とうとしても、なんか空回りするだけな感じがしてー。むしろ見てた方が楽しいし」
「ほう……」
貴文は意外そうな顔をした。
沙織のことをてっきり目立ちたいだけのお調子者とばかり思っていた。
「……なあ近藤。お前別のポジションも試してみないか?」
「えー『マネ』以外体力的に無理ですよ、疲れるし」
「いや、俺が見たかぎりお前基礎体力が結構あるぞ。ガチガチの運動系ポジションは無理だが、『サポ』ならなんとか務まるだろう。三上同様いきなり実戦は無茶だろうけどな」
「『サポ』ねえ。なんかあたしの性格と真逆なポジションな気がするんですけど」
「まあ目立たないからな。女『スターリー』をより専門化させた『マネ』とは対照的だ。しかし、お前が何と言おうが俺はやると言ったらやる」
「ひでえ!」
「そして丸山」
「……はあ……はあ、なんですの?」
力を出し切ったかのように肩で息をしていた聡美に言った。
ちなみにまだ練習は始まったばかりだ。そりゃあれだけ動けば人一倍疲れるだろうと、貴文も思う。
そしてそんな人間をレギュラーで使うことは難しかった。
「先に言っておく。お前は当分ベンチだ」
「な、なんですって!?」
「まだザバル勘も戻ってないし、周りが全く見えてない。何より体力の使い方が全くなってない。どうせ体操部でも最初に力を出し尽くして、演技後半はへとへとだったんだろ」
「ぐっ……」
図星なのか、聡美はあからさまに表情を変える。
「体験部員から正式部員に格上げしてやるだけありがたく思え。言っておくが俺は体操部の先生みたいに甘くはないぞ」
そういえばあの先生の名前何だったのかなと思いながら、貴文は言った。
「さて、それじゃあこれからいつもの練習を始めるぞ」
「え、これで今日はもう終わりじゃ……」
「言っただろ、お前は今日から新規部員だって。お客様扱いはここまでだ。これからは他の奴ら同様泣いたり笑ったり自分のキャラ付けに疑問を持てなくしてやる」
「疑問なんてないですわ!」
そして練習は始まった。
この日の練習はあまりに自分勝手な聡美のプレーが反面教師になったのか、今までよりはるかにスムーズに進んで行った。
しかし練習を見ながら貴文は思った。
「やはりまだ部員が足りないな……」
貴文は聡美の加入で勧誘の必要性を更に強く感じるのだった……。
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