4.鷹一と源翔

 走りながら鷹一は、大きく舌打ちをした。

 昼を過ぎたからなのか、廊下で人にすれ違うことがなかった。しかし、これが偶然ではないことを、鷹一は理解していた。源翔は能力で風の流れを読み、人の往来がないところを選んで進んでいるのだ周囲から目立つマントをわざわざ羽織りながら走っているのだから、よほど人と鉢合わせない自信でもあるのだろう。

 源翔なりに目的地はあるようだが、人を避けるためか階段を上がったり下がったりなど、不思議なルートを辿っていた。ちなみに一緒に追っていた通子は途中でバテてしまい、随分距離が離れてしまっていた。もしかしたら見失っているのかもしれない。

 源翔を追って何度目かの角を曲がり、踊り場に出た時、鷹一はその姿を見失った。ほんの一瞬、鷹一の思考が停止するが、その隙を見計らって背後から気配が現れた。

「ひっさぁぁぁつ! ……膝カックン」

「うぐっ!」

 その攻撃には、いくら鍛錬を積んだ人間とて耐えられなかった。膝関節を後ろから突かれ、鷹一は思わず前へとたたらを踏んでしまう。

「ウヒヒヒヒ、トレーニングが聞いて呆れますのう。たかちーったら、背中がお留守ですぞ」

「フンッ!」

 鷹一は、よろけながらもすぐ体勢を立て直す。

 床に手を突きながら、振り返る時の遠心力を利用し、源翔へと回し蹴りを放つ。

 骨を砕きそうなその蹴りを、源翔は身を後ろに逸らしてなんとか避けて見せた。

「あっぶねぇなオイ! ガチで蹴ってくんなよー!」

「くたばれ!」

 さらに鷹一が蹴りを放ってくるのを見て、源翔は後ろへ飛び退き、上階に続く階段へ回り込んで駆けた。

 それを逃すまいと、鷹一はすぐにそれを追って走りだす。しかし、源翔はそれを予測していたかのように振り返り、両手に銃の形を作る。

「バンバーン!」

 指から放たれたのは、小さな水の塊だった。水の銃弾と言ったところだが、鷹一が手刀で振り払うとあっさりと飛散した。

「小賢しい!」

「なら、これくらいがお好き?」

 源翔が鷹一の悪態に応えるように、両手を左の腰に引いた。そして、何かを溜めるようにその腕を震わせると、勢い良くそれを突き出す。

 すると、花のように開いた両手の中から、突如大量の水が飛び出した。バケツの水をぶちまけたかのような勢いのそれを、鷹一は避けられなかった。

「…………」

 全身水浸しになって絶句する鷹一を見た源翔は、腕を組みながら右手で顎を撫でた。

「いやぁ、水も滴る良い男だね、その怒った顔さえなんとかすれば、通子ちゃんが惚れ直しちゃうかも」

 噂をすれば影、丁度そこへ遅れていた通子が、息を切らせながら到着した。

「ふ、二人とも、待ってくだ……ど、どうしたんですか鷹一くん!」

 びしょ濡れになった鷹一を見て、通子は声をあげながら慌ててハンカチを取り出す。身体を拭かれている間、鷹一は何も喋らないどころか微動だにしなかった。しかし、その尋常でない怒気を、通子は肌で感じていた。

 ここまで感情を剥き出しにすることなど、鷹一には滅多にない。普段から近くにいる通子ですら、こんなに怒っている鷹一を見るのは久しぶりだ。

「あの、源翔さん……」

「あー悪い、オイラちょっと調子に乗りすぎちゃった」

 わざとらしく頭を掻きながら、源翔が手を合わせる。さしもの彼も、これは鷹一のことを怒らせ過ぎたと反省したのだろう。

 通子はほっと胸をなでおろした。

 鷹一の持つ能力は、自分の中に眠る獣の血を呼び起こし、人知を越えた力を得るというものだ。人間にはない翼すら背中から生やすことが出来るとんでもない能力だが、自分だけでは理性を保てないという欠点がある。

 それを解消するため、通子が持つ、動物に直接自分の思いを伝える能力が必要となる。彼女の能力は、鷹一の中で爆発するその野生を鎮めてくれるのだ。

 とはいえ、野生を鎮めたところで、鷹一の理性が戻るだけでしかない。つまり、彼の怒りが収まらない限り、源翔にそのまま襲い掛かるかもしれないという懸念が、通子にはあった。

 でも、源翔が反省してくれるなら、きっと鷹一も落ち着いてくれるはずだと、通子は心底安心したのだ。

 しかし、源翔は通子の思惑とは違い、何を思ったか掌を差し出した。そして、その中に小さな炎を発生させ、ニヤリと笑う。

「通子ちゃん、ちょっと後ろにどいてね。でないと、また可愛い下着を見えちゃうぞ」

 源翔がそう言うと、どこからともかく強い風が吹き込んできた。

「え、キャッ」

 通子がその風に危険を感じ、言われた通りに壁の後ろに逃げ込む。一方で、鷹一はついに顔をあげた。源翔を睨みつけながら、わざと歯を剥き出しにしている。

 しかし、鷹一が何かを言おうとする前に、源翔は高らかに声をあげた。

「最近編み出した新必殺技、人間ドライヤー!」

 熱風が踊り場を包み込んだ。砂漠の空気のような熱波が嵐の如く吹き荒れ、それをもろに受けた鷹一は、腕で必死に顔を覆った。何か叫んでいるが、風の音で聞こえない。

 それから少しして、源翔が指を鳴らすと同時に、暴風は忽然と消え去った。

「はいお終い、ちゃんと乾いたでしょ?」

 彼の言葉を聞いて、鷹一と通子は床を見渡した。跡形も無いとまでは言わないが、源翔がばら撒いたあの水は、すっかり蒸発していた。

 鷹一が思いっきり被った分は、まだ水気が取れてこそいないものの、肌に張り付かない程度には乾いている。

「このままにしておいたら、掃除する人に悪いからね。それとついでに、たかちーに風邪でも引かれて、後でネチネチ文句言われるのも嫌だったからねぇ」

「……礼を言うぞ、源翔」

 声を震わせながら、鷹一は感謝の言葉を述べた。しかし、その顔は怒りで引きつり、目は先程よりも血走っている。

「一回冷ましてくれたおかげで、リフレッシュした気持ちでお前を殴れる!」

「あー嫌だ嫌だ、ジョークの通じない純情ボーイはこれだから……通子ちゃんにもそれくらい素直になれよ」

「そのやかましい舌、一思いに引っこ抜いてやる!」

 誰かにささやくように言った源翔の一言が、再開のゴングとなった。追走劇がまた始まると、通子も慌ててそれを追い始めた。

 

 

 追走劇を続けて数十分、鷹一が施設の屋上に出た頃にはもう陽が落ち始めていた。

 涼しい風が吹き抜け、薄っすらと湿った鷹一の身体を撫でる。寒気がして、彼は思わず腕を擦った。

 屋上には、フェンスの上で仁王立ちをしている源翔がいた。フェンスはとても幅が細いはずだが、足元はグラつくどころか微動だにしていない。

 源翔は、不敵な笑顔で勝ち誇ったように胸を張っていた。屋上は、今鷹一が出てきた扉以外に出入り口はない。逃げ場がないはずなのにも関わらず、源翔は全く慌てていなかった。

 鷹一はその顔を苦々しく睨みつけた後、深くため息をついて脱力する。これまで発していた怒気が、涼やかな風とともにどこかへ飛んでいってしまったように。

「また、お前に追いつけなかったか」

「諦めが良いじゃんかよ。なるほど、ちょっとは大人の余裕を身につけたかな?」

 源翔はその細い足場の上で、素早く胡座をかいた。

「昔はオイラをぶん殴るまで、ずーっとしつこく追ってきてたのに」

「お前からこっちに来てくれるなら、いつでも全力で殴る準備は出来ているが?」

 それを聞いた源翔は、胡座のまま大袈裟に避けるポーズをとる。そのわざとらしい仕草からは、相変わらず余裕が見える。

 鷹一は、本心では殴りかかりたい気持ちがあったが、既に彼を追いかけることを諦めていた。外に出た時点で、既に鷹一は自分の負けを理解していたのだ。

 鷹一の能力を使えば、もっとしつこく追いかけることは出来る。しかし彼は、自分だけで発動すると暴走の危険がある能力を使う気など毛頭なかった。大体こんな馬鹿馬鹿しいことに力を使って追い詰めても、終わった後に虚しさが残るのは目に見えているのだ。

「昔から貴様は変わらないな」

 実力行使が出来なくなった鷹一は、恨み事を吐くことしか出来ない。

「その身勝手さに何度振り回されたことか……そのとばっちりで俺はまとめて先生に叱られていたんだ」

「おいおい、そいつはたかちーのせいだろ? オイラの面倒見ろっていつも言われてたのに、無視して一匹狼に浸ってたんだからさー」

「ふざけるな、そもそも何故俺が貴様の面倒を見なくてはならん。そんな義理はない」

 腕を組みながら、鷹一はイライラしながら吐き捨てた。

「大体、お前が孤児院に顔を出さないせいで、俺は先生に連絡する度にお前の様子を聞かれるんだぞ。何故たまにしか会わない貴様のために、俺がそんな面倒を被らなくてはならないんだ」

「水臭いなぁ、それくらいで迷惑なんて。幼馴染の仲だろ?」

「反吐が出る。そもそも俺は貴様の保護者じゃない」

 思いつく限りの罵詈雑言をぶつけるも、源翔はニタニタして平気な顔だった。思えば小さい頃から源翔にと口合戦になって、勝てた試しがないことを、鷹一は思い出していた。さりとて負けた覚えもないのが。

 何を言っても無駄とわかった鷹一は、深く静かに息を吐く。そして、源翔の目をじっと見ながら改めて話を始めた。

「先生は、貴様の元気な姿を見たがっているんだ。たまには心配してくれる人のことも考えろ」

「……」

 源翔の笑みが、ふっと消える。

「貴様みたいなフーテンにも、心配してくれる人はいる。気色悪い男だが、あのドクターだっていろいろ気遣っているし」

 と、鷹一が話を始めたその時、背後から一人の人間が飛び出してきた。それは、走り疲れてへとへとになり、目を回している通子だった。

「ふ、ふたりとも……け、けんかは、しちゃ、だめ……ぼうりょくは、よくないことですよぉー……」

「通子だって、そうだ」

 やってきた通子に穏やかな笑顔を向けながら、鷹一は彼女のことを気遣い始める。

「そして、たかちーもオイラのこと心配してくれてんだね」

「野垂れ死ね」

 打って変わって、源翔のことはとても冷たく睨みつけた。

「いやーでも、そうやって心配してくれるのは嬉しいよ」

 胡座を解きながら、今度は源翔から語り始める。

「普段は一人が好きだけど、やっぱりオイラも孤独って寂しく思うわけよ。でも、一人であちこち旅していて、オイラ全然寂しくないんだよね」

「どうして、ですか?」

 少し落ち着いた通子が、そう割り込むように問い返すと、源翔はこれでもかと言う程の笑みで答えた。

「通子ちゃん達が心配してくれてるからさ」

「え?」

「誰かが心配してくれている。それってつまり、孤独じゃないってことじゃん? 孤独じゃないなら、相手がどこに居ようが関係ないね」

 そう堂々と語る彼の笑顔を、通子は呆けたような表情で聞いていた。一方、鷹一は心底呆れたように目頭を擦る。

「自分勝手な……」

「でも、たかちーと通子ちゃんにはちゃんと恩返ししてるつもりだよ? ああ、ついでに速畑のにいちゃんにもね」

「一番恩返しするべき相手を無視してどうする」

「何か成果を出してからじゃなきゃさ、顔出しづらいだろう? 何してたんだって拳骨落とされちゃうよー」

 頭を抑えながらおどける源翔。やれやれと言わんばかりに首を横に振った鷹一は、片目で彼のことを見遣る。

「……その成果、出せる日が来るのか?」

「でなきゃ、先生に親不孝しただけで終わっちまう。そんなの格好悪すぎるだろ?」

 鷹一は、付き合いきれないとばかりにそっぽを向いた。そう語る源翔の表情や言葉に秘められた憂いが引っ掛かって、おどける彼に悪態を返す気にはなれなかった。

「つーことで、オイラはそろそろ出発しようかな」

 そう言って、源翔は細い足場の上で手も付かずに立ち上がった。

「え? もう行っちゃうんですか? せっかくお弁当作ってきたのに……一日くらいゆっくりしていってください」

 心底ガッカリした顔をする通子に、源翔は元気付けるように答えた。

「気持ちは嬉しいけど、やっぱオイラはどの道、一カ所に留まれるような人間じゃないのさ。それにお弁当は、もう頂いちゃったしね」

 かと思うと、彼はマントの中から何かを取り出した。その手には、ラッピングされたサンドウィッチがあった。

 通子が「いつの間に!」と驚いて、口をあんぐり開けていたが、その間に源翔は巻かれたラップを取り、豪快にそれを平らげてしまった。

「あー、コイツで餌付けされちゃったら、オイラ旅する気なくしちゃいそう。早いとこ行こ行こ」

 そう源翔がつぶやくと、彼の身体がゆっくり宙に浮き始めた。

 これは当然ワイヤーなどを使った手品ではなく、EAPとしての能力によるものだ。自然の力を操る能力を持つ彼は、少しだけ自分にかかる重力を緩和して、緩慢だが空中移動することが出来るのだ。

「今度来る時は連絡してくださいね、ずっとここに居たくなるくらい美味しいお弁当を作って待ってますから」

「あはは、通子ちゃん、それ結構の悪魔の囁きだぜ」

 一方で、鷹一は何も言葉を送る気がないのか、そっぽを向いたままだった。

 それを見た源翔は、少し面白くなさそうな顔をしてから、ニヤリと笑う。そして、去り際に言葉を捨てていった。

「次会う時は、通子ちゃんとチュー出来るくらいの仲にはなっておけよ」

「なっ!」

 顔を真っ赤にしながら鷹一が顔をあげた瞬間、突風が吹いた、すると、その風に乗って源翔が紙袋のように吹っ飛んでいった。高笑いをあげながら遠くへ消えていく風来坊に殺気を飛ばしながら、鷹一は怒鳴り散らした。

「おい源翔! 今すぐ戻ってこい! やっぱり一発殴らせろ!」

「ちゅ、ちゅ、ちゅ……」

 その横では、顔を真っ赤にした通子が放心して何か変なことをずっとつぶやいていた。

 数日後、鷹一はあるところに電話していた。

 それは、自分が預けられていた孤児院の先生へ、毎月している定期連絡だった。

 本人は「恩知らずに思われたくないから電話くらいはする」と主張しているが、実際は心配性な先生のためを思っての連絡だった。

 先生は淡白な外見とそれに見合った大雑把な性格から、がさつな人に見られがちだった。しかし実際は顔に出ないだけで、いつも自分が責任を負った子供達のことについて考えているのだ。孤児院を出た子供が相手だとしても。

 そんな彼女といつも通りのやりとりをして、電話を切ろうとした鷹一は、ふとあることに気付いた。今日はいつも聞かれることを聞かれないのだ。

「珍しく、アイツのことは聞かないんだな」

『え? ああ、源翔の奴、近くまで来たのか、置き土産していったよ』

 くたびれたような声でそう説明した先生は、何かを取り出しているのか、受話器から物を漁る音がした。間もなく先生は電話口に戻ってきて、それを読み上げる。

『紅に燃える修羅』

「……は?」

『お気に入りだって』

 その一言に、鷹一は空を仰いで顔を覆った。

「またヤクザ映画か……」

『まったく、一体どこでこんな映画見てるんだか』

 ため息とともに吐いたその呆れた一言には、ほんの少しだけ安堵の気持ちが籠っていた。

『顔は見せてくれなかったけど、これが今見せられるアイツなりの誠意なんでしょうね』

「どこが誠意だ、ただの嫌がらせでしかない」

 どうして顔の一つぐらい見せてやれないのか、と、鷹一はほとほと愛想が尽きたと言わんばかりに吐き捨てた。

「次こっちに会いにきたら、俺がアイツを簀巻きにして持っていくさ」

『へぇ、二人して顔を出してくれるなら、そいつは楽しみね』

 先生は、本当に待ち遠しそうに答えた。

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