3.自由人、源翔
鷹一に会いたいという源翔の希望を叶えるべく、三人は診察室を出て移動を始めた。
施設の廊下を源翔は堂々と歩いているが、本来ここに居て良い人物ではない。特異な環境の教育施設故にそうは感じないが、ここは警察の管轄下にある場所だ。部外者を無断で招き入れていると知れればタダでは済まない。
彼の異質さを象徴するマントを脱がせ、中に着ていた黒いシャツとジーパン姿にしたことでなんとか違和感は薄れている。しかし速畑としては気が気でなく、さっきから静かに見守る素振りを見せつつも、しばしば周囲を確認していた。
妙に堂々としているせいか、稀にすれ違う人達は特に源翔のことを気にすることはなかった。警察としては大問題だが、裏を返せば源翔の後ろめたさを感じない態度がそうさせているのだろう。むしろ速畑の様子を訝しむ人がいるほどだ。
道中、通子から「たぶん鷹一くんはトレーニングルームで自主トレしてます」と聞かされた源翔は、うんざりしたように肩を落とした。
「なんて汗臭い、そんな青春、時代遅れも甚だしいわい!」
その言葉に、速畑は振り回されているのにも関わらずしみじみと頷いて同意した。
「暇さえあればトレーニングだからね、こういうところはまだまだ頑固なまま。一応の保護者としては頭が痛くて」
各々に鷹一の現状を嘆く二人。しかし通子は、首を横に振って否定しようとする。
「別に私、不満なんてないですっ。私、鷹一くんには余計なことを考えないで頑張って欲しいんです。今の私に出来ることなんて、こんなことくらいですし」
そう言って、通子はバスケットを前に突き出した。何を作ってきたかは知らないが、恐らく差し入れだろう。それを見るや否や、男二人は泣き崩れるかのように頭を抱え、力なく膝を落とした。
「通子ちゃん……なんて健気なんだ! オイラだったらとっくに愛想が尽きてるっていうのに!」
「なんか、鷹一が悪魔のように見えてきたよ」
何を言っても、燃え上がる二人の感情に油を注ぐだけだとわかった通子は、口を結んで黙り込むことにした。
やがて三人は、施設内にあるトレーニングルームへと辿り着いた。
広い空間の中には、会員制のスポーツジムのように、筋トレ機材が一通り揃っていた。ボディービルダーが集って汗を流していそうな空気だが、今は部屋の広さに反して人の気配は薄い。
ちなみに、鷹一が一日の大半をほぼここで過ごすと教えられた源翔は、とてもげっそりした顔をした。
室内を覗くと、そこにはスポーツウェア姿の鷹一と、制服姿の少女の二人が向き合っていた。部屋の中央に空けられたスペースで、組手を行っていたのだ。
と言っても、制服姿の少女はその場から一歩も動いていない。鷹一の繰り出す打撃を全て叩き落とし、受け流すばかりだ。
しかしそれらの一撃は傍から見ても子供らしからぬ力強さだった。大人でもまともに食らえば卒倒してしまうだろう。
鷹一の打撃も凄まじいが、それらを平気な顔で受け止めている少女もまた異様だった。目の下の隈こそ目立つが、その挙動には一切の疲労感が見えてこない。
「たかちーの相手してる女の人、誰?」
「二人の先輩だよ。観久地彼方(みくじかなた)くんって言うんだ。ああ見えて武術に関しては組織でも指折りの実力者だよ。大人も顔負けなレベルで」
それを聞いた源翔は、拳を震わせながら強く握り締めた。
「あんな美人とマンツーマン……通子ちゃんと言う者がありながら……!」
勝手に盛り上がり始めた源翔に対し、速畑は「そっちかよ」と突っ込み、通子は顔を青ざめさせて首を猛烈に横に振った。
「とんでもないです! 観久地先輩でもないと、あんなパンチ受け止められないですから! 私、死んじゃいますから!」
「いや、鷹一の場合、通子が相手じゃ逆に手も足も出ないんじゃないかな」
「先生も面白がって変なこと言わないでください!」
廊下はやかましいことになっているが、部屋の中にいる二人はまったく気にしていなかった。否、気付いてすらいない様子だ。特に打ち込むことに集中している鷹一は、そんな余裕はないだろう。
源翔は、そんな二人を見て不満そうな顔を作った。通子がここまで鷹一のことを思っているのに、当の相手は気にすら止めていない。目の当たりにしたことでより癪に触ったらしい。
小さく歯軋りしながら眺めていた源翔は、叫び疲れて少しヘトヘトになっている通子を肘で突付いた。
「通子ちゃん、そんなことじゃ、あのお姉さんにたかちー取られちゃうよ?」
「取られるって、別に鷹一くんは誰のものでも……」
と言いつつも、少し通子のトーンが下がったのを源翔は見逃さない。キラリと目を光らせた源翔は、通子の肩をポンポンと叩きながら、その背中を押す言葉をかける。
「キッカケ作ったんだから、あと一歩押さなきゃ。そうだ、それ、何か作って持ってきてたじゃん」
「え、あ、そうですけど、でも今は……」
そう言って、通子がバスケットを後手に持とうとしたのを、源翔は即座に制した。
「アイツに休憩させてやんなよ。どうせ朝からずっと似たようなことしてんだろうし、通子ちゃんが行けばきっと休むタイミングを掴めるだろうからさ」
後押しを受けて、通子は意を決してバスケットの取っ手を握ると、トレーニングルームの押し引きする扉を開け放った。
「よし、お膳立ては整った」
その彼女の後ろ姿を見てニタニタと笑う源翔を見て、何かやらかすつもりだな、と速畑は頭を掻いた。
「お、お疲れ様です!」
ちょっと上ずった声で通子が挨拶すると、鷹一は構えを解いて向き直った。大分汗をかいているが、少し息が荒い以外は見た目に反して酷く疲れている様子はない。鷹一もその相手をしている彼方も、普段から表情の変化が少ないせいかもしれないが。
「通子か、どうした」
汗を拭いながら、鷹一は応じた。張り詰めていた感じのある表情も、通子の顔を見ると少し穏やかになったようだ。しかし、源翔から変に煽られた通子には、そういった小さな変化を感じる余裕はなかった。
「えっと、合間に何か食べられるものがあったらいいかな、と思って、これ、持ってきたんです」
そう言って通子がバスケットを差し出すと、鷹一は驚いたように目を見開いた。その後、静かにため息をついて、自分の首を掻いた。
「気を遣わなくていいと前にも言ったはずだ。通子がわざわざ俺のことに付き合う必要はないんだ」
言い方こそぶっきらぼうだが、それは拒絶というより遠慮の一言だった。その言葉通り、通子が関わる必要のないことに巻き込みたくない、そういう意思が感じられた。
ところが、気持ちがざわついていた通子には、そういう鷹一の遠慮が伝わらなかったようだ。
「すいません、やっぱり、余計なことだったかな……」
悲しげにつぶやいて俯く通子を見て、鷹一の顔が一瞬ピクッと動いた。脇腹を刺されたかのように顔をしかめて動揺した彼は、慌てて弁解する。
「そんなことは言っていない! 俺のトレーニングなんて、見ていてつまらないだろうから言っているんだ。通子の手料理は……いつも楽しみにしている」
最後の台詞は、顔を赤くして俯きながらつぶやいた。それを聞いた通子は一瞬顔をパッと明るくしたかと思うと、言われた言葉の意味を噛み締めるうちに照れたのか、彼女もまた顔を真っ赤にして俯ける。
それを見せつけられていた彼方は、淡々とした口調で今の気持ちを口にした。
「とても反応に困るやりとりね、見ていてちょっと恥ずかしいわ」
「……放っておいてくれ」
鷹一は唸るような声で彼方に答えた。
そんなやりとりの一部始終を、源翔と速畑は扉を開けて眺めていた。観察するだけなら部屋を一望出来るガラス越しで良いのだが、源翔は何故かそこから覗いていたので、速畑もそれに追随した。
「あーあ、今時小学生でもあんな不器用なカップルいねぇよ」
白けた顔で源翔は感想を述べた。
「今は春休みだから、二人はまだ一応小学生だよ」
と速畑が注釈するが、聞いていないようなので、速畑もそれ以上突っ込まない。
「それで、これから何やらかすんだい? 源翔くん」
「ククク、せっかく良い雰囲気も出来たことだし、大サービスしちゃうよ」
そう答えた源翔は、両手を自分の顔の前に掲げた。
彼方は、小さく息をつくと無表情で大きく伸びをした。
「キリも良くなったし、休憩にするわ。心(こころ)、私の分はある?」
「あ、はい、みなさんのためにたくさん作ってきましたから」
そう聞かれて、通子はバスケットの中身を開けるために、少しだけ身を屈めた。
途端、部屋の中に暴風が吹き荒れた。台風が如く荒れ狂う風は、踏ん張らないとその勢いで倒れそうになるほどだった。しかし丁度屈んだ通子はそれに対応出来ず、暴風に押されてそのまま前に倒れ伏せそうになる。
「きゃっ」
「通子!」
彼女の危機にすぐさま反応した鷹一は、同じく身を屈めて通子のことを抱き留める。倒れると思っていた通子はグッと目を瞑っていたが、恐る恐る瞼を開けると、そこには自分を抱きしめるようにして受け止めてくれている鷹一がいた。
「大丈夫か」
気づけば風は嘘のように止み、それを見て鷹一は通子の無事を確認する。しかし、通子からの返事は返ってこない。足でも挫いたかと思ったが、彼女の顔はみるみるうちに赤くなっていた。
「あ、あの、ああああ、あ、ありがとう、ございます。た、助かり、ました……」
「…………っ!」
通子の様子を見て、ようやく鷹一は自分と彼女がどういう状態にあるかを思い出した。すると鷹一は機敏な動作で通子を立たせ、抱きしめていた身体も即座に開放する。
「ご、ごごごごめんなさい! わ、わわわ私、ど、鈍くさくて、へ、変な心配かけちゃい、まして、あ、あああのそそののの、あり、ありが」
「…………通子」
急に真剣味のある声で、鷹一が通子の名を呼ぶ、呼ばれた彼女は何故か姿勢をピンと正して「ハイィィッ!」と上ずった声で答えた。
しかし、その顔を見て通子は驚いた。何故か鷹一は、不穏な雰囲気を漂わせながら俯いて、歯を食い縛っていたのだ。
「一つ、聞きたいことがある」
「な、なんでしょう?」
「今、ここに、源翔が来ているのか?」
「はい、そうですけ……あっ」
その名を聞いた通子は、何かに気付いたらしく、二人は同時にトレーニングルームの扉の方へ目を向けた。
扉には、こちらを覗くようにしている二人がいた。やりとげた顔をしたボサボサ頭の少年と、何か悟ったような顔をした白衣の青年。それを確認した鷹一は、額に青筋をいくつも浮かび上がらせながら、一歩一歩と扉の方へ歩き始めた。
「源翔、やはり貴様か……」
「これで二人の愛も永遠の物に! って、あれ?」
一人で抱き合うポーズをしながら余韻に浸っていた源翔は、ようやく迫り来る鷹一に気付いた。ちなみに、共に堪能していたはずの速畑は、一足早く身を退いて、その殺気から逃れていた。
「先に俺がお前の遊び道具になってやったんだ。次はお前が俺の鬱憤晴らしに付き合う番だよな?」
「いやん、オイラに何する気よん」
女のように身を縮こませる源翔に、鷹一は手をパキポキと鳴らしながら答えた。
「安心しろ、その手癖の悪い両手をもぎ取るだけで今日は勘弁してやる」
目を血走らせながらそう告げる鷹一の口調は、とても冗談には聞こえなかった。流石に身の危険を感じた源翔も、そっと身を引いていく。
「た、鷹一くん、抑えて抑えて」
「そうそう、ここは可愛いパンツの通子ちゃんに免じて、ね?」
「え、ちょっ!」
源翔の一言を聞いて、咄嗟に通子がスカートを抑える。もう風は吹いていないので、その抵抗は時既に遅し。
すると、さっきまで止めようとしていたはずの通子も、半泣きしながら怒った顔で源翔のことを睨みつけた。
「……源翔さん!」
「いっけね、敵を増やしちまった! 命あるうちに、さらばっ!」
そう捨て台詞を残し、源翔は全力で逃げ出す。
「逃すか! 今日という今日は粉微塵にしてやる!」
「源翔さん、忘れてください! 忘れないともうサンドイッチあげませんから!」
そして鷹一と通子がそれを追ってトレーニングルームから飛び出していった。
速畑は追いかけっこを始めた三人の背中を見送ると、ホッと一息ついた。ほとぼりが冷めたのを見計らい戻ってきた彼の元へ、取り残された彼方が近づいてきた。
「あのイタズラっ子は、どなた」
「源翔くんと言ってね、鷹一が昔居た孤児院で一緒に暮らしてた子なんだ」
ハンカチで冷や汗を拭きながら、速畑は答えた。
「見ての通り、彼もEAPなんだ。ざっくり言うと無から自然のあらゆる力を生み出して、使役する能力さ。基本的に規模は小さいけど、その気になればさっきみたいにすごい風を起こしたり、とんでもない火柱をあげることも出来る。彼の精神的な力が保つ限り、能力が使えるのもすごいところだね」
長ったらしい解説を嫌な顔一つせず聞き遂げた彼方は、首を傾げながらさらに問い掛けを重ねる。
「でも彼、Tsじゃないはずよね。どうしてここに居るのかしら。それとも、私の知らない候補生?」
違反行為を遠回しに、しかし無表情で突かれ、速畑は脇をつねられたような顔をした。彼女の口調に攻め立てている様子は見えない。純粋に疑問に感じているのだろう。
「……スカウトはしてるんだよ、ただ、あんな調子でいつも勧誘は空振り。彼には定住先もないから、なんとかして落ち着かせたいんだけど」
源翔達が走り去っていった先を見ながら、速畑はとても無念そうに語った。彼方に話しているというより、逃げてしまった源翔に聞かせたいかのような口調だった。
それを聞いた彼方は、相変わらず起伏に乏しい口調で答えた。
「本当に、それは正しいのかしら」
「え?」
「一言も会話していない私が言うのもどうかと思うけれど、彼は今のままが一番だと思うわ」
まさかの意見に、速畑は不意を突かれたような顔をした。
彼方は感情の起伏に乏しい、一言で変わった性格をしているが、それに反して考え方は、常識的を通り越してクソ真面目だ。例えると、前置きをしてなぞなぞを出しても、趣旨を無視して現実的な答えを返してくるようなタイプと言うべきか。
義務教育放棄して放浪する未成年の非常識を、こうも感情的に肯定するのは、速畑にとって意外だったのだ。
「どうして、そう思う?」
「彼から自由を奪ったら、あの無邪気さが死んでしまうんじゃないかしら。止まったら死ぬっていう、マグロみたいに」
改めて言われて見ると、正しくその通りだなと速畑は唸った。
命令に従順な源翔など想像も付かないし、仮に入ったとしても翌日には書き置きも残さず行方知れずになっていそうな気がする。でなければ、源翔は本当にマグロみたいに死んでしまいそうだった。
「僕に出来ることは、とっくにないのかもね」
「でも、ここにわざわざ来るということは、獣虎や先生達のことを好いているということでしょう? 速畑先生がそんな顔をする理由はないと思うわ」
速畑は、その一言に少しだけ救われた気がした。彼方の表情や口調からして、別にフォローしたつもりはないのだろう。でも、その意図しない優しさが、今はとても嬉しかった。
「……最後にもう一つ、聞きたいのだけど」
心の中で深く感謝していた速畑は、その次なる問いかけに頷いて応じた。
「私のスカートの中も、見られたのかしら」
無表情でとんでもないことを聞いてくる彼方に、速畑は一瞬ギョッとする。
失礼なことに、速畑は彼方がそういうことを気にしない人間だと思っていた。しっかり女の子なんだな、と速畑はデリカシーがないのを自覚しながらも、感心してしまう。
彼方の隠れた一面を垣間見て少し嬉しくなった速畑は、フッと息を吐きながら、しっかり答えた。
「さあね。ただ、歳相応にちゃんと色気はあると思うよ、僕は」
「わかったわ。それじゃあ、記憶を消去させてもらうわね」
と言って、彼方は全く無表情のまま、右手の指で∨の字を作った。真正面から向き合うとかなり怖い絵面だった。目の下の隈が、一層威圧感を引き立てている。
「あ、あの観久地さん? 目潰しで記憶が消えることはありませんよ? 医者が言うんだからこれは絶対ですよ?」
「…………」
「そもそもあれは不可抗力っていう奴なんです、君なら冷静に考え直してくれるはずだよね? なんで答えてくれな……」
素直過ぎる青年が全てを言い切る前に、耳をつんざくような悲鳴が轟いた。
床に突っ伏して気を失う速畑を置いて、彼方は通子が置いて行ったバスケットを拾い上げた。中身は開けず、その場を静かに立ち去る。
「二人が戻ってくるまで、輪平に頼んでお茶でも用意してもらおうかしら」
去り際、彼女はスカートの裾を軽く握りながら、小さな声でつぶやいた。
「輪平がいなくて、本当に良かったわ」
彼方にしては珍しく、その一言にはほんのりとした恥じらいがあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます