肌寒い夜に
夜の静寂を引き裂くように、悲鳴が轟いた。
それは日付が変わって間もなくのことだった。
不景気の波によって、ゴーストタウンのように静まり返っていたはずのシャッター商店街。
その路上には、レザージャケットを羽織った金髪の男が倒れていた。目を抑えながらのたうち回る彼の姿を、同じような格好をした柄の悪い少年達が、慄きながら見下ろす。
「甘い匂いに誘われ蝶となる……か、にぃちゃんの言ってたことは本当だったんだ」
幼い声音が、静けさに支配された空間に投じられる。真夜中には似つかわしくないその声は、彼等を嘲笑していた。
「あははは、お兄ちゃん達はね、僕に捕まったちょうちょさんなんだよ」
どこから聞こえてくるかわからない声に少年達は怯え、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
しかしまた一人、誰かが絶叫するのが聞こえた。金髪の男と同じく、彼も目を抑えて呻いている。
その数はどんどん増えていき、やがて苦痛に唸る声へと変わっていった。
最後の一人は、どこへ逃げたら良いかわからず、ビルの壁に背中を貼り付けて立ち尽くした。だが、そんな彼の肩に、何かが乗っかってきた。
ひっ、と息を飲む彼の耳を、無邪気な声が支配する。
「えへへ、確かお兄ちゃんがリーダーさんだったよね? 僕ね、ずっとお兄ちゃんのことを探してたんだ」
という声が聞こえてきた途端、彼は一際大きな声で絶叫した。
彼の身体は、まるで中身が抜け出ていくかのように萎んでいき、やがては干物のようになってしまう。
かろうじてひくひくと動くその身体を、彼の肩に乗っかっていた影は朗らかに笑う。
「どうしようかな、殺しちゃうのはちょっと可哀想かな? でも、にぃちゃんを殺したのはコイツラなんだよね……」
まるで算数の問題の答えを一生懸命考える子供のようにそうつぶやいた後、声の主は「よし決めた」と言って手を叩いた。
「この人だけ殺しちゃおう。そうしたら他の人達はこれで勘弁してあげる」
「だ、誰、だ……な、何だ、俺が、何を、したって」
「ほら、やっぱりムカつく。僕のにぃちゃんを殺したのはお兄ちゃんだよね? もう忘れちゃったの? 最低」
今まで無垢な子供のようだった声が、一気に冷気を帯びる。人が発したとは思えないその一言とともに、声の主は何かを決意したようだ。
影が、干からびかけた男の首を掴み、ゆっくりと持ち上げていく。
「早く、死んじゃってよ」
そして、影が手に力を込めようとした瞬間、何かが影の前を突き抜けて行った。
驚いた影は少したたらを踏みつつ、すぐさま後ろへと飛び退いた。
「それ以上はやめておけ。お前のためにならない」
新たな声が聞こえてきて、影の主は少し驚いたような声をあげる。
かろうじて街を照らす街灯は、乱入者の姿をしっかりと照らし出していた。
若い少年だった。しかも、影の主によって地面に倒れこんでいる男達よりも若く見える。中学生くらいだろうか?
やや幼さを残す顔立ちながら、黒いコートがよく似合っている。
「鷹一(たかいち)くん、他の皆さんは命に別状はないみたいです」
「わかった通子(かよこ)、救急車を呼んでくれ。それまでの時間は稼ぐ」
鷹一と呼ばれた少年は、懐から手帳を取り出し、影の主に突きつけた。
特殊警察課Tsと記された中身を見て、影は思わず驚きの声をあげる。しかしそれは恐怖によるものではなく、好奇心に似たものだったが。
「すごーい! 本物のTsだぁ! 悪い人達を捕まえに来てくれたの?」
「残念ながら、今俺が捕まえようとしているのは、お前だ」
「えっ?」
何を言われているかわからないと、影は首を傾げた。
「た、大変です鷹一くん! みんな目を抑えていて、目から、ち、血が……」
鷹一の背後から、通子と呼ばれた少女が懐中電灯片手に走って来た。この薄汚れた町の風景には似合わない、おっとりとした風貌だ。
「うん、そうだよ。目薬でも治らないようにしてあげたんだ」
母親にお手伝いしたことを報告する子供みたいな言い方をする影に、通子は絶句する。
「気の毒だな、目をやられた奴も、その年で力の使い方も教わることが出来なかった、お前も」
と言って、鷹一は通子から懐中電灯を貰い、影を照らした。
そこに居たのは、明らかにダボダボの服を着て、髪を伸ばし放題にしている幼い少年だった。
目には明らかに生気が篭っていない。あの瞳に秘められているのは、子供の無垢さではなく、何も知らない無知故の無謀さだった。
「悪いのはこのお兄ちゃん達なんだよ? 僕のにぃちゃんを殺したんだ。変な力を使う奴は出て行けって。にぃちゃんは何も悪くないのに」
「さぁな、それは捜査してみないとわからない。だがな、ソイツが悪人だろうが善人だろうが、今のお前は他人を傷つけた極悪人だ。だから俺が、Tsが来た」
幼い少年は、無表情で頭を抱えて、左右に何度か降り始めた。涙が薄っすらと溢れているのが見えた。
「Tsって、みんなを助けてくれるお巡りさんじゃないの? お兄ちゃんも、コイツラの仲間なの? じゃあ、殺すね」
答えを聞く前に、幼い少年は駆け出した。すぐに鷹一と通子はそれを追う。
そして、駄菓子店と記された色褪せた看板のところまで来ると、少年は瓶を入れるケースの上に乗っかっていた。
「まずは、目をやっちゃえ!」
と言って、少年がケースを蹴倒すと、中に入っていた無数の瓶が割れた。すると、中身がまるで壁のように盛り上がり、シュワシュワと音を立てながら鷹一達の方へと津波のように襲いかかってくる。
あの少年は、常人では使いこなせない力を持つ人間。すなわち、今この世界でEAPと呼ばれている超能力者だった。
ソーダ水越しの景色など、最早見えるものなど何もない。視界を遮られた鷹一は通子の手を引いて駆け出した。
「アイツの能力は、液体を操る能力だ。あの力で人間の目にソーダだのをねじ込んで、失明させていたんだ」
通子は、掴まれていない手で口を覆った。幼い少年に、そのような残酷なことが出来るということが信じられないかのように。
「一気にケリを付ける。通子、頼んだ」
「え、でも、彼はあんな小さい子ですよ、大きいな怪我をさせるわけには……」
「見くびるな、ガキのアバラを平気でへし折れる程、俺は荒んじゃいない」
通子は、鷹一の言葉を聞くと、迷いなく頷いた。
やがてソーダの波を物陰に隠れてやり過ごすと、通子はその場に留まって、胸の前で手を合わせる。
鷹一は、改めて少年の前に姿を見せ、楽しそうに笑う少年を睨みつけた。
そして彼は、コートを脱ぎ捨てて、全身に力を入れた。刹那、背中から巨大な猛禽類の羽が飛び出した。
少年が驚いているうちに、巨大な翼で彼は宙を舞った。はばたく音に驚いて、少年は尻もちをついた。
手の内が知れている時点で、既に勝負は決していたのかもしれない。少年は空中から回り込まれた鷹一によって、首筋に手刀を叩きこまれ、気絶した。
全てが終わり、救急車とパトカーが集結したのを見届けてから、鷹一と通子の二人は現場を後にする。
通子は事件が解決してホッとしていた反面、相手が中学生の自分達より幼かったことの気に病んでいるようだった。
「俺も、下手すればああなっていたかもしれんと思うと、やりきれんな」
「鷹一くんは、絶対そんなことありませんっ!」
熱っぽく断言する通子に、鷹一は一瞬あっけにとられたが、「そうだな」と一言返し、こっそり鼻をかいた。
「へっくしゅん!」
重苦しい空気を断ち切る、通子が緊張感のないくしゃみを聞いて、鷹一は苦笑いする。
「まったく、肌寒い夜はもっと上着を着込んでこいって言っただろう」
そう言って彼は、自分のコートを彼女に差し出した。
「でも、鷹一くんだって寒いんじゃ」
「甘く見るな。これくらいで体調を崩すほど、やわな鍛え方はしていない」
と言って無理矢理コートを託し、ツカツカと先に歩いていってしまった。
通子は、彼の温もりの残ったコートを抱きしめて、小さく息を吐いた。
「大丈夫です。こんな優しい人が、あんな怖いこと、出来るわけないですから」
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