6.視る力
「あははは! 馬鹿だなぁ、なんでアイツ操るのやめちゃったのぉ?」
「あなたに殺されたら可哀想だと思って」
彼方は、鉄パイプを避けながら軽く答えた。
半分は嘘ではないが、もう半分は違う理由だ。彼女の能力は人格をコピーすることだが、コピーした先の人間が死亡するとどういう因果かオリジナルの記憶がダメージを受け、意識にも一時的な影響が起きるなどのデメリットがあった。
検査しても詳しい理由はわからなかったが、恐らくコピーする際にいくらか強い記憶を相手にも分け与えているからではないか、と憶測された。
よって、彼方は自分の能力を、油断した相手を一撃で叩き潰すという用途でしか利用しない。それに失敗すれば、身の安全を考えて潔く能力を解除する。
勿論どんなゴロツキや犯罪者でも人命であることから、危険からは遠ざけるという理由もあるが。
「あははは! じゃあ、君が死んじゃうねぇ!」
震一は嬉しそうに笑うと、手に同化させていた鉄パイプを投げつけてきた。彼方は難なく避けたが、彼は背後の荒太に手で何か指示を出していた。
頷いた弟は、スクラップの山から何か引き抜くと、重たかったのか、危なっかしい様子で兄に投げ渡した。
受け取ると同時に、兄は自分の腕に渡されたものを同化させる。
「ボクの力を自慢したいんだけど、説明するの面倒臭いからさぁ、死んで覚えてよぉ!」
爆音が鳴り響く。彼の腕には、古びたチェーンソーが同化していた。
かろうじて見える外装から、元々壊れて動かなくなった廃品のようだった。しかし、回転する刃は少し錆びながらも、切断力に問題はないように見える。
素手で相手をするには厄介そうな武器だが、彼方は特に興味なさげに見ると、応じるように構えた。
「ごめんなさい、興味が無いことは覚えられない性質なの」
「こちらこそごめんねぇ、ボク、人の言うこと聞く気なんてないからぁ!」
チェーンソーの爆音と、空を切る音が混ざり合う。
彼方はそれを睨みながら、なんとか隙を窺おうとする。勿論、後ろで攻撃しようとベルトを構える荒太を意識しながら。
「彼方っ」
兄弟と彼方が戦う少し後ろで、輪平は物陰から様子を伺った。チェーンソーが回る音に腰を抜かしそうになるが、尻もちをつくことなく、二人の戦闘を凝視している。
戦いにおいて参加出来ない人員は、少し離れた場所から状況の報告を行うのが基本だ。勿論、輪平はこれまで意識はしていたが、自らを鍛え上げ、心身ともに冴えている彼方は、彼が報告する前に全てを片付けてしまうのだ。
だから戦闘ではほぼ役に立たない輪平だったが、今は少しでも彼方の力になりたいという気持ちで一杯だった。
まず、巨大なチェーンソーを振り回す震一のことも、しっかりと観察する。
チェーンソーは芝刈り用の丸いタイプではなく、丸太を切るための大型のものだ。同化しているだけあってか、本当の手足のように扱っている。重さなどまるで苦ではないらしい。輪平と比べて良い勝負なくらいに小柄な体格なのに、大剣を振るっているかのようなプレッシャーがあった。
近づけば、もしかしたらあのチェーンソーを剥がせるかもしれない。輪平は自分でもビックリするようなことを考えていた。
輪平の能力は、震一の使う同化能力に似ている。
自分の手に持ったものを相手の身体の中に埋め込み、その一部としてしまうのが彼の超能力だ。先の任務で手錠代わりに磁石を入れた時も、この力を行使したのである。
震一が自分を中心とする能力なのに対し、輪平の場合は他者に行使するという点に違いが見られる。また、相手は定かではないが、こちらは手を介さないと能力を扱うことが出来ない。
そこまで己の能力を考察しているうちに、輪平は頭を打ち付けたい気持ちになる。
彼方のように動けるわけではない自分では、力を使う前に身体をズタズタに引き裂かれるだけという結論に至ったのだ。
大体接近の可不可以前に、自分の能力は相手の力には干渉出来ないという懸念とてある。
結局、見ていることしか出来ないのか。無力な自分を責め立てようとして、輪平はネガティブな思考を打ち消す。絶対に隙を窺う価値はあるはずだと、無理にでも自分を奮い立たせる。
怯えで寒気の走る背筋を気力で抑えつけ、唇を噛みながらじっくりと目の前の戦いに意識を集中させた。
彼方は、EAPを二人も相手にしながらよく凌いでいた。相手はどちらも超能力を使うとはいえ、攻撃自体は物理的なものだ。炎や電撃を使う類の能力者でないだけ、彼方でも相手が出来る部類である。
スクラップ場という戦場も多少は味方となった。後ろから攻撃を加えようとする荒太に対し、彼方は小さな廃品を投げたり蹴り飛ばしたりして、援護を上手く妨害している。
彼方は、己が能力の弱点を重々理解していた。だからTsの候補生として選ばれた幼い頃から、身体能力をひたすら鍛え続けてきた。
よって、能力頼りで戦うだけで運動神経が鈍い相手に対しては、ある程度優位に立つことが出来る。もし相手が荒太だけならば、あるいは制圧も容易だったろう。
しかし、問題は震一の存在だ。見た目は華奢だが、身のこなしは実に身軽である。
相手が得意とする間合いに入れまいと、チェーンソーを振って近づかせないことは勿論、地面や廃品を抉ることで牽制していた。あんな大きなチェーンソーを片手で振り回しているとは思えない器用さだ。
彼方の奮戦ぶりは凄まじいが、これではいずれ隙を突かれるのは明白だった。
息を呑んで見守る輪平に、彼方が一瞬目線を向けてきた気がした。すると、次の瞬間に彼方は体勢を崩した。
「彼方ぁ!」
足は勝手に動いていた。前のめりになりながら、輪平は戦場の真っ只中に飛び出す。
これを見た震一は、嫌らしい笑顔を浮かべながら動き出した。そして、彼方に駆け寄る輪平を羽交い締めにすると、彼の身体へ染み込むように入っていった。
「う、うわぁぁぁっ!」
「あははは! 駄目だよねぇ、弱い癖に出てきちゃさぁ! あはははは!」
チェーンソーを輪平の首に突きつけながら、震一は狂ったように笑う。眼前で、触れれば無慈悲に物体を切断する凶器が、唸りを上げていた。
「どうするのぉ、お姉さん? コイツの首、派手に飛んじゃうよぉ? あはは、なんかすっごいワクワクするね、あ、あはははは!」
狂ったように笑い続ける震一。しかし、輪平は自分を拘束する彼に対する恐怖よりも、結局足を引っ張ってしまった自分の情けなさに泣きそうだった。張り切った結果、自分を信じてくれる彼方に迷惑をかけることしか出来ないなんて。
自己嫌悪で歪んだ顔で、輪平は許しを請うように相棒に目を向けた。
彼方は、じっとこちらを見つめていた。焦った様子も、心配している素振りもない。
「あははは! お姉さん優しいねぇ、素敵な人だねぇ、そういう人が悲鳴あげると、どうなるのか、すごい楽しみだよぉ」
「ニイサン、ドウスレバ、イイ?」
「お姉さんを連れて来てよボクの前に連れて来てよぉ。お前のそいつでやるより、こっちでグチャグチャにした方が絶対面白そうだしさぁ。ドキドキワクワクだねぇ! あははは!」
「ドキドキ……ワクワク……ドキドキ……ワクワク……!」
兄弟は、二人だけで妙に盛り上がっているが、輪平の耳にはもう届いていなかった。
輪平に視線を向ける彼方は、無心のように見えたが、実際は違うことが輪平にはわかった。自分のことを信頼していると言ってくれた目と、同じだったのだ。
思い出した時、輪平は気付いた。そして自分の背中から生えるように飛び出し、狂ったように笑う震一に、意識を集中させる。相手はチェーンソーを自分に突き付けるだけで、こちらの行動に注意はしていない。
輪平は意を決した。恐怖を押し殺して震一の腕を自分の手で挟み込むと、それを放り投げるように滑らせた。途端、チェーンソーがまるで吐き出されたかのように宙を舞った。
「へ?」
何が起こったかわからず呆けた声を上げる震一。
その隙に、輪平は自分の手を身体に押し付け、持ち上げるイメージを頭にしっかりと浮かべた。
「お? うわおぉぉぉ!」
気づけば、震一の身体は、輪平によって天に掲げられるようにされていた。仰向けになってジタバタする様は、ひっくり返った虫のようだった。
「彼方ぁぁぁ!」
無防備になったその身体は、彼方に向けて力一杯放り投げられる。
まるでそれを待っていたかのように、彼方は既に駆け出していた。
「ひぐぁぁぁぁぁ!」
鞭のように滑らかな回し蹴りを空中で食らった震一は、投げ捨てられた人形のように何度か跳ねて廃品の山に激突した。
「ヨクモ、ニイサンヲォォォ」
一部始終を唖然としていて見ていた荒太は我に返り、刃の付いた二本のベルトを輪平へと差し向けた。
しかし、彼方が割って入って、ベルトと刃の付け根の部分を掴んだ。
蛇が首を掴まれて抵抗するかのように、刃がヒクヒクと動いた。
「ハナセ! ハナセヨ! ハナシテ!」
「それは聞けないお願いね」
彼方は、力強くベルトを自分の方へと引っ張った。二度三度強く引いて見せると、荒太は耐え切れず手放してしまう。
「ア……」
ヘルメットをしているので顔色はわからなかったが、荒太は顔から血の気が引いたように立ち尽くしていた。
その隙に彼方は一気に距離を詰めた。
そして、無防備になった鳩尾に綺麗な正拳突きを決める。
荒太は、少し呻いたかと思うと、力なく崩れてその場に倒れ伏せた。これで当面は起き上がることは出来ないだろう。
自分が何をしたのか忘れ、放心する輪平に対し、彼方は振り返って親指を立てた。
「グッジョブ」
「は、ははは……ありがとう。でも、ようやく終わったね」
「まだよ」
気を抜いた輪平の背中を叩くように、彼方は答えた。
「戸形震一の姿がないわ。仕留め損ねたようね」
言われて、さっき彼方が蹴飛ばした震一の方を見てみると、倒れていたはずの彼は完全に消えていた。
少しして、包帯を巻いた痛々しい姿になった功樹を支えながら、香実が戻ってきた。現場を見て終わったのかと安堵した顔を見せたが、彼方と輪平は急いで二人の元に駆け寄った。
彼方は、簡易的に事情を説明すると、能力を使って逃亡したと見られる震一の追跡をするよう言った。
一部始終を聞いた功樹は、輪平の活躍に半信半疑だったが、自分達が手こずった相手をこうも早く追い詰めたのを見れば一目瞭然。口では「本当かよ?」と訝しげだったが、ついでに背中を叩いたのを見ると、どうも彼のことを見直したらしい。
震一は人に同化することも出来るため、四人はあまり離れないようにし、同時に鳴にも一度現場を離れるように伝えた。誰かが人質になれば、また厄介なことになるからだ。
離れないようにしたのは、輪平の能力を使えば、仮に同化されても排除することが出来るからだ。
彼方と功樹はとにかくいつでも戦えるように身構えた。功樹は体温もクールダウンし、能力の発動自体は可能だが、傷の具合から使用は控えるよう厳命されている。一方の香実は、能力で作った手持ちサイズの氷柱を持ち、警戒していた。
「もしアイツが襲ってきたら、しっかりお願いね、輪平くん!」
「な、なんか、さっきから不思議な気分だよ……うわわぁ!」
妙に持ち上げられて少し嬉しくなった輪平だったが、気持ちが緩んでいたせいかうっかり廃品に蹴躓いて転んでしまった。
「気をつけて」
「しっかりしろよ、今回のエースなんだろうが」
三人は、振り向いて助けるということはしなかった。後ろを向いた隙を狙われるかもしれないからだ。
輪平が襲われそうになった時、守れるようにするためだが、そもそもこの状況で相手との相性が良いのは彼なのだ。
急いで立ち上がろうとして輪平は地に手をついたが、すると何故か地面から離れられなくなった。両手から、妙な不安のようなものを感じたのだ。
「なんだろう、嫌な予感がする」
その理由が何かを探ろうとして意識を集中させるうちに、輪平は自然と目を瞑っていた。
「……これは?」
少しすると、暗かった視界にビジョンが浮かんできた。
強いて例えるならサーモグラフィーのような映像というべきか。その目は、情景や人物の輪郭と温度を、見て感じ取っていた。
こんなことは生まれて初めてだ。恐らくこれは超能力の類であろうが、EAPであると言い渡されてから一〇年程度、一度もこんな力は使ったことがないし、あるとも聞かされていない。
しかし不安の正体は確実にこの目に映る世界の中にあると、輪平は確信してさらに意識を集中させる。
「輪平、どうしたの?」
「静かに、大丈夫だから」
三人が訝しげにしているのがぼんやりとした輪郭の様子だけでもわかったが、恥ずかしがっている暇はない。
しばらく周囲を見渡していると、座っている人の輪郭が見えた。捕まえた戸形荒太のものだ。しかし、彼は完全に意識を失っているし、輪平の能力で腕と足に磁石を植え付けて拘束してある。
能力を使う手を封じ、道具も奪っている以上、抵抗が出来るとは思えない。この輪郭から、不穏な空気も感じ取れなかった。
この男ではない、と、輪平が次に意識を向けようと周囲を見渡すと、真横からおぞましい殺気を感じた。
意識をそちらに向けると、廃品の山の輪郭が見えた。その下部辺りに人の体温が見えた。
そこで目を開けて凝らすと、廃品の山からボウガンが突き出ていた。よく見ると、引き金にはどこから沸いたのか細い指がかけられている。
標的は、今まさに注意を他に向けている、彼方だった。
「彼方、避けて!」
輪平の声を聞いて、彼方は踊るようにその場から離れた。彼女が居た場所を、ボウガンの鋭い矢が突き抜けていく。
「皆先さん、あそこに氷柱を投げて!」
その指示通りに、香実は廃品の山へと氷柱を向ける。
「ようし、行く……」
「おっしゃあ、いくぜぇぇぇ!」
が、横から功樹が氷柱を引ったくり、彼女の代わりにぶん投げた。
飛んできた矢にも負けない速度で投げられたそれは、廃品の山へ気持ちが良いくらい綺麗に刺さった。
「い、痛ぁぁぁぁい!」
そこから、右肩に氷柱が刺さった痛ましい状態で、戸形震一が飛び出してきた。
刺さりが甘かったのか、氷柱はすぐに取れて割れてしまったが、傷口からは血が滴っていた。
「痛い痛い痛い痛いよぉぉぉぉ!」
震一は、笑みを保ちつつも涙目になり、足から地面と同化して逃げようとする。その姿はまるで泥沼に沈んでいくかのようだった。
「次は、こうはいかないからねぇ。必ず眼鏡のお前ぇ、滅茶苦茶に壊してあげるからぁ……忘れない方が、いいよぉ」
「次はないわ」
「ぐぇ!」
が、潜ろうとしていた身体は、首根っこを掴まれて簡単に引き抜かれてしまった。
「い、ぎぃ……」
震一は、歯を食い縛りながら、自分を捕まえた相手の顔を見る。
「輪平にこんな怖い思いをさせて、まだ何かしようって言うなら」
ずっと浮かべていた道化師の笑顔は、初めて引きつった。
据わったような目をした彼方は、彼の身体を大きく持ち上げ、
「本当に土の中で眠って貰うわ」
ガラクタだらけの地面に力一杯叩き付けた。
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