4.緊急出動
輪平は、ゆっくりと意識を取り戻した。
つい一緒になって眠ってしまったと慌てたが、寝惚けているせいか四肢が上手く動かせない。さりとて、ずっと彼方の部屋に居座るわけにもいかない。
輪平は自らを奮い立たせて、身体を芯から起こそうとするが、早速彼は異変に気付いた。
何故か足が宙に浮き、地に付かない。いくら踏みしめようとしても触感がない。そういえば、自分の腕が何かに抱き付くような形になっているし、心なしか身体が揺れているようにも感じる。
軽く首を振って目を凝らすと、徐々に視界が鮮明になってきた。最初に見えたのは、風で靡く女性の長髪だった。
続いて、普段は縁のない甘い香りが鼻をくすぐって、ようやく意識がはっきりとする。
「……わっ、なななな何! なんなのこれは!」
「おはよう、輪平」
目の前の頭から、聞き慣れた彼方の声が聞こえてきた。困惑したまま周囲を見渡して、輪平はようやく自分の置かれている状況に気付いた。
「お、お、お、お……おんぶされてる!」
輪平は、全力疾走の彼方に担がれていた。どうやら施設の廊下を走っているようで、見慣れた景色がどんどん後ろに流れていく。
まるで目覚めにふさわしくない状況に驚き、輪平は手を離しそうになるが、彼方の「離さないで」の一声になんとか体勢を維持した。
「ど、ど、ど、どうなってるの!」
「出動よ。相留と皆先の二人がピンチらしいわ」
人を背負いながら走る彼方は、平然と状況を説明した。
二人は、戸形荒太(とがたあらた)というEAPを追い、彼等がアジトとしているスクラップ広場へと奇襲を仕掛けた。
十数人のチンピラとやり合いながらも、不意の突入だったおかげか初めは完全に優勢だった。が、思わぬ増援が現れ、二人は一転して劣勢に陥ってしまったという。
輪平は耳を疑った。
功樹と香実のペアは、どちらも戦闘向きの能力を持つEAPである。少なくとも能力だけで見れば、戦闘でまるで活躍出来ない輪平や、能力自体があまり戦いに向いていない彼方と比べれば、雲泥の差があると言える。
功樹の能力は身体能力の爆発的な強化である。全身の筋肉にエネルギーを集中させて地力を倍化させ、常人離れした運動能力を発揮して敵を力押しで粉砕するのだ。
一方の香実は、冷気を操る能力の持ち主だ。凍死はおろか凍傷とも無縁という特異体質に加え、冷気で万物を冷やしたり、手で掴める程度の氷の塊を生み出して相手にぶつけたり出来る。
香実の能力は功樹に比べれば攻撃性は低いが、鋭く尖った氷柱は、相手にとっては十分な脅威だ。前衛の功樹と後衛の香実という役割分担もバッチリで、Tsにおいて、ここまで双方戦闘向きのペアは早々いない。
が、このペアには致命的な弱点があった。功樹が能力使用した後、戦闘どころか行動すら困難になってしまうことだ。
功樹の能力は通常で一分半、ギリギリ無理をしても三分という制限がある。筋力の倍化は負担が大きく、使用後は筋肉が限界を迎えてが入らなくなる。加えて、負荷に伴う体温の急上昇による熱中症も彼を蝕む。
香実は、能力使用による高熱で苦しむ功樹のため、ペアとして引き合わされたのだ。氷塊を使った戦闘は、彼女の任務における優先事項ではない。
つまり、能力の限界を越えるまでに対象を制圧しなければ、功樹は戦えなくなり、香実は相棒の冷却に専念しなくてはならなくなる。今回二人が劣勢に陥ってしまった理由の一つである。
「あ、あ、あの二人が簡単に押されるなんて、し、信じられないよ」
「伏兵にやられたの。主犯の兄よ」
能力のデメリットを補うのは、作戦次第でいくらでも出来る。今回劣勢に陥った最大の理由は、想定外の敵の登場であった。
そこまで聞いたところで、やがて輪平は用意された車まで担がれた。そして、待っていた鳴から、車を飛ばす道すがら話の続きを聞いた。
「今まで姿を見せなかった戸形荒太の兄、戸形震一(しんいち)が、急に現れたのよ」
ハンドルを軽く叩きながら、鳴は話を始めた。
その存在自体は、勿論警察も把握していた。兄の震一は隣の県という非常に離れた場所で、弟とは別のグループを形成していた。内容は変わらず小狡い犯罪行為だったようだが。
ところが、警察は存在を把握していながらも、彼の消息自体は掴めなかった。戸形震一は身を隠すのが異常なまでに上手かったのである。「普通の指名手配犯ならもう少し足跡を残す」とは、内偵を担当していた警官の悔しさから漏れた台詞だ。
能力によって隠密行動を可能にしているのは明らかだった。しかし、肝心の能力が不詳なため、躍起になった捜査陣は振り回され続け、努力のほとんどが水泡に帰した。
はっきりとわかったことは、戸形が兄弟間で連絡を取り合う様子が一切ないということだ。
下っ端同士でならグループ間で横の繋がりがある。が、兄弟間では仲が険悪なのか、捜査員は誰一人として、二人の接触する場面を目撃しなかったという。
ここに至れば実力行使しかないと、今回Tsに戸形荒太のグループの制圧任務がくだされた。弟を逮捕すれば、消息不明の兄も動揺して、不用意な動きを見せるかもしれない。
結果として、戸形震一は動いた。様々な予想を裏切る最悪の形で。
「二人のEAPを相手にすることを想定しなかったなんて、とんだ大ポカよね、私」
話しながら、彼女がハンドルを握る手は苦々しく震えていた。自分の判断の甘さを酷く悔やんでいるようで、輪平はその姿に心を痛めた。
オペレーターであると同時にEAP専門のカウンセラーである彼女は、無能力者なりにEAPの心情を慮ってくれる人格者だ。功樹と香実の二人も鳴のことを慕っているし、彼女のことを責めたりはしないだろう。
だからこそ、鳴は子供達の信用を裏切ったことが許せないのだろうが。
「それで、二人は今、無事なんですか?」
「なんとか逃げて今はなんとか隠れているみたい。香実は、功樹が肩に怪我をしたって言ってたわ。たいした怪我じゃないって本人は言ってるみたいだけど……」
今はなんとか隠れてやり過ごしていても、見つかれば一巻の終わりだ。命を落とす可能性は十分にある。
Tsは言ってみればEAPにEAPを、つまり超能力に超能力をぶつけるための組織だ。超能力同士の衝突は、無能力者同士の衝突よりもずっと過激で、異常である。よって、殉職者が出ることは少なくない。
輪平は息を呑んだ。このような危機的な場面に、彼はそこまで慣れていないのである。危機的状況に陥った経験がないわけではないが、いつだって必要以上に緊張してしまう。
人の死をイメージしたせいか、思わず身体が震えているのに気付いて、輪平は全身を強ばらせた。必死に怯えを隠そうとしたのだが、なかなか身体は我慢してくれない。
しかし、怯える彼を見かねたのか、隣に座っていた彼方が優しく手を添えた。ビクッと驚く彼に、相変わらず無表情な彼女はそっと問いかけた。
「どう?」
「ど、どうって……」
「嫌ならやめるわ」
と、彼女が手を離そうとしたので、輪平は慌てて首を横に降った。
「そ、そそそそんなことはありません! ありがたくご厚意を受けさせて頂きます!」
「そう」
後先を考えずに引き止めてしまったが、冷静に考えると後から気恥ずかしさで息苦しくなると思い、少し後悔した。だが、恐れによって塗り尽くされようとしていた心は、大分ホッとした。
心臓をバクバクさせながらも、輪平はふいに彼方の目元を見て、不安を感じた。
連続の出勤なせいか、彼女の目の下の隈は、まだ色濃く残っている。疲れがあまり取れていない証拠だ。
「そ、それより、彼方こそ大丈夫なの? ヘトヘトじゃないか」
「心配無用よ」
いつも彼方は平然と答える。言葉の中から内心を読み取るのは難しいが、輪平は、彼女が少し無理をしていると悟った。いつも以上に口数というより、言葉が少なくしようと心掛けているように見える。
どうすれば相棒の負担を減らせるかを、輪平は真剣に考え始めた。すると、彼の太腿に何かが静かに乗っかった。
「着いたら起こして」
「って、ええええええええ!」
「眠れないわ、静かに」
少し不機嫌そうに言われ、輪平は反射的に自分で自分の口を抑える。間もなく、彼方の静かな寝息が聞こえてきた。もはや膝を占領された彼は、顔を真っ赤にして硬直するほかない。
「なんだか、こっちまで気が抜けるわ……」
一部始終を聞いていた鳴は、がっくりと肩を落とした。
鳴は超特急で車を飛ばし、数十分で現場付近へ到着した。
外に出てみると、周囲は油の匂いが大気中に充満していた。輪平は思わず鼻と口を覆ってしまう。
原因はすぐ目の前に広がっていた。明らかに走れそうにない廃車や、廃棄され泥塗れになった家電製品がスクラップの山を作っていたのである。
ここは、かつて車両解体業者が保有していたサッカースタジアム四つ分くらいの広大な土地だ。好景気の時は繁盛していたようだが、不況期が到来すると状況は一転、経営者はさっさと夜逃げしてしまった。
放置された鉄屑が大量に残された跡地には不法投棄が相次ぎ、気づけば廃品による高い山々が出来上がっていた。ただでさえ町外れなのも災いし、人が完全に寄り付かなくなったここに目を付け、チンピラ集団は溜まり場に化してしまったのだ。
周囲をしっかり確認しながら、彼方を輪平は敵に追われる仲間を助けるために駆けた。
少し走ると、戸形の手下と思われる連中と何人も遭遇した。ただし彼等は全員鎮圧されて気を失っている。恐らく功樹と香実によって取り巻きは全員倒されたのだろう。
二人が走り去っていた後、倒れていた一人がゆっくりと起き上がった。
追手が増えたことを知った彼は、急いで戸形荒太に知らせるために走りだした。
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