3.ささやかな平穏

 Ts捜査官のために用意された居住スペースは、この拠点内に用意されている。常に監視の目が行き届くように、という思惑があってのことである。

 とはいえ、この居住スペースを利用するのは身寄りのない人物が主だ。事情は様々だが、過剰に危険視されやすいEAPの立場上、孤独な身の上は多い。

 自分の子供がEAPであることに耐えられなくなった親に捨てられる。周囲の嫌がらせや好奇の目に耐えられなくなった親に自害される。親に殺されかけたところを保護される。

 どんな理由であれ、子供の時分に味わうには酷な過去を抱えた者達が、ここには多く暮らしているのだ。

 彼方と輪平も、お互い事情は全く違うが身寄りを失って、この居住スペースで暮らす道を選んでいる。

 反発による内部崩壊などを防ぐためか、各捜査官の部屋は一般的なマンション程度の部屋が与えられている。風呂なども共有ではないし、しっかりとプライベートは守ることが出来る。

 それ故に、ある程度恵まれた環境で育った捜査官でも、警察内部の監視を承知で施設内暮らしを選ぶ者も僅かだが居るという。少なくとも、彼方達のチーム内にはそういった輩はいないようだが。

 彼方と輪平の部屋は丁度隣同士となっている。そもそも捜査官が二人とも施設で暮らしている場合、このように隣同士の部屋が宛てがわれるのだが。

「え、えっと、お、おやすみ。ゆっくり休んでね、彼方」

 心ここにあらずと言った顔の彼方にそう言葉をかけると、輪平は自分の部屋へと入っていこうとした。しかし、鍵を挿そうとした輪平の手を、彼方はいきなり掴んできた。

「……」

「な、なななな何?」

 予想外の行動に、輪平は飛び上がりそうなくらい驚いた。よほど眠いのか、彼方の目の下の隈は炭でも塗りたくったのかと思えるくらいに深い。

「寝る前に、話があるの」

「う、うん。聞くよ、どうしたの?」

「ここじゃ話し難いから、私の部屋に来て」

「え、えええぇぇぇぇぇぇっ!」

 輪平は魂が抜けそうになるくらい声をあげて仰天した。しかし彼方は呆けた顔で首を傾げ、さらに続けた。

「私の部屋が嫌いなら、輪平の部屋でも問題ないわ」

「そ、そういう問題じゃなくて! こ、ここじゃ駄目なの?」

「絶対駄目。ここでは話せない」

 目眩で輪平は少しよろけた。彼方の事だから、素直に大事な話があるから読んでいるのだろうが、年頃の男女が部屋で二人きりというのは、輪平にはハードルが高すぎた。

 彼方が倒れた時とかならば、恥を偲んで彼女の部屋でずっと看病なりなんなりしたことはある。しかしそれとこれとは、輪平にとって話はまるで違うものになる。

「眠たいから、早くどうするか答えて」

 催促された輪平は、さらに数秒悩みに悩んだ後、彼方の言うとおり彼女の部屋で話をすることにした。

 決め手は、「自分が部屋に連れ込んだ」風になると、後で溶けそうになるくらい悶絶しそうだと思ったからであった。

 彼方の部屋は、極端に質素である。机、冷蔵庫、タンス、ベッドといった生活に使う品以外はまるで置いていない。

 この施設に同じく住む後輩も、そのパートナーの話によれば、彼方と同じ感じだそうだが、今時は質素な部屋が流行っているのだろうか、と輪平は空笑いする。

 輪平が床に座ろうとすると、彼方が「床は痛いからベッドに座って」と促した。また輪平は頭を抱えて葛藤しつつ、顔を真っ赤にして彼方のお言葉に甘えた。

 二人が並んでベッドに腰かけてから数秒後、彼方がようやく口を開いた。

「任務の後、輪平がすごい落ち込んでいたから、気になったの」

「え?」

 急に自分の話題を出され、ただでさえ動揺していた輪平はさらに狼狽する。その様子を見て、どうやら図星らしいということを見抜いたか、彼方は少しだけ顔を俯けて、ポツリとつぶやいた。

「また、私が余計なことを言ってしまったのね」

「ち、違うよ。彼方は何も悪くない!」

 輪平は、その一言を必死に否定した。ショックを受けたのは確かだが、原因を作ったのはドン臭い自分だ。適切に指示をくれた彼方が、自分を責める必要などない。

 もし、彼方がちゃんとあの時避けるよう言ってくれなければ、今頃輪平は頭を蹴り飛ばされて、病院のベッドの上だったかもしれないのだ。

 とにかく頭を横に振りまくる輪平だったが、彼方は納得してはくれなかった。そして、彼女は輪平の目を見ながら言う。

「恐らく、私の言葉は引き金に過ぎない。輪平が悩んでるのは、もっと根深いことだと思う。それを教えて欲しいの」

「え、う、あの、えっと」

 彼方は、ほとんど無駄口を叩かないが、言いたいことは包み隠さず言う。よって一見すると無神経に見えるが、しばしば輪平の考えていることを自然と見透かしてくることがよくある。

 相手に自分のコピーした人格を植え付け、乗っ取った相手の記憶を活かして操る能力を持つからこそ成せるのだろうか。それとも、長年の付き合いからの勘だろうか。

 深く息を吐いた輪平は、頭を掻きながら申し訳無さそうに答えた。

「い、いつものことだよ。役に立たない自分が嫌になるな、って。ば、馬鹿みたいだよね」

 彼方は、特に頷きもしなかった。自分のことを役立たずと蔑むのは、輪平がしばしば弱気に駆られてやってしまうことだった。勿論その度に彼方は素直に否定しているが、当人は納得が行かないのかしばらく落ち込んだままになる。

 きっと、毎度毎度同じことで気持ちが沈んでいる自分に、彼方は呆れているのだろうなと輪平は自嘲した。貴重な睡眠時間を無駄にしたとすら思われているかもしれない。

 小さく息を吐いた彼方は、しゅんとする輪平の目を真っ直ぐ見た。

「この間、鳴に相談したの。どうしたら輪平に信じてもらえるか」

「え、し、信じる、って?」

「私が輪平を必要としていること、伝わってないみたいだから」

 そして、困惑する輪平の両手を、彼方は優しく掴んだ。

「前にも話したけれど、あなたが正式なパートナーだって聞かされた時は、貧乏くじを引かされたんだと思ったわ」

「あうっ」

 木槌を顔面に叩きこまれたように、輪平が大きく仰け反った。確かに何度も明かされたことだが、こんなストレートに言われて傷つかない人はいないだろう。

「でも実際は違ったってことも話したわね。輪平は、私のことを本当に良く考えて選ばれた人だったって」

「い、いつもそうだけど、僕は、堂々とそう言える自信がないよ」

「どうして?」

「やっぱり、彼方と僕の能力があんまり噛み合っていないって思うから。相留くんと皆先さんとか、獣虎(じゅうこ)くんと心(こころ)さんみたいに、能力の欠点を補っているわけでもないじゃないか」

 パートナーの選出基準は様々だが、彼等の周りには相棒の能力の欠点を補う人物が選出されていることが多い。輪平があげた二組は正にそれで、二人揃わなければ敵対するEAPとの交戦が認められないことすらある。

 しかし、彼方と輪平の能力は普通に使えば互いに干渉することはない。

 彼方の能力は、自分の人格をコピーして人の意識を一時的に乗っ取るものである。一方、輪平は片手で掴んだ物体を、逆の手で掴んだ相手の体内に吸収させ、定着させるものだ。少なくとも片方の欠点を補うものではない。

「Tsのペアは、別に能力が噛み合うことを重視して選ばれるわけじゃないわ」

 そんなおどおどした一言を、彼方は将棋の駒を打つようにピシャリと答えて否定した。

「私は輪平と居るとすごく安心出来るの。いつ倒れても、あなたは絶対私のことを見捨てないで助けてくれるって信じられるから」

「か、彼方」

「私は、輪平に嘘を言ったことはないつもりだけど、あなたはどこかで私の言葉を信じてくれていないのね」

「ち、違うよ、僕は、僕は……」

 輪平は、自分の弱気を今ほど恥じたことはない。彼方はここまで自分に絶対的な信頼を置いてくれているのに、自分はそれを態度で裏切ろうとしていたのだ。

 いつも、他人の褒め言葉をどこか頭で否定して、しっかり受け止めていなかった。だが、その後ろ向きな姿勢が、どれほど人を傷つけていたか輪平は今、強く思い知った。

 酷く申し訳ない気持ちになった輪平は、まずは謝ろうと思い立ち、相棒に深く頭を下げた。

「ごめん、僕、ずっと間違って……」

「鳴は、言ったわ。私の気持ちが伝わらないのは、私が甘え方を知らないからじゃないかって」

「って、え? あ、甘える?」

 しかし、彼方の話はまだ続いていた。せっかく気持ちを入れ替えたのに、話は妙な方向に向かいつつあった。

「でも私は、方法がすぐ思いつかなかった。だから鳴に聞いてみたの、甘えるってどういうことかって。教えて貰ったこと、いつやれば良いかタイミングがわからなかったけど、今はとても丁度良い気がするわ」

 そう言って彼方は、ゆっくりと上半身を輪平の方に倒す。そして、自分の頭を、彼の小さな膝の上にそっと乗せた。

 時間が止まったように思考が完全に停止する瞬間というのを、輪平は十数年生きてきた中で初めて体感した。

 そして、現実を認識すると、一気に感情が爆発した。

「う、うわぁぁぁぁ! か、かかかかかか彼方、なななな、ななな、なに、なにににに、な、何してるの!」

「甘えているの」

「鳴さんは何を教えたんだぁぁぁぁ!」

「膝枕」

「み、見ればわかるよ? わ、わかる、けど! ああ、な、なんてことを!」

 しどろもどろになりながら、輪平はこのとんでもない状況からなんとか脱しようと試みる。

 だが、気持ち良さそうに横になる彼方を跳ね除けるわけにも行かない。よって、自主的に起き上がるよう促すしかないのだが、彼方は完全に脱力して起きる気配がない。輪平の膝に全てを委ねているのが、頭の重さで嫌でもわかってしまった。

「なんだか、いつもより、ぐっすり、眠れる気がする」

「じ、じじじ、じ、冗談、だよね? ぼ、僕の膝なんかより、ぜ、絶対その枕のほうが、柔らかいから! 寝やすいから! でしょ、彼方?」

「おやすみ、なさい」

 眠りの挨拶から、心地良さげな寝息が漏れるまで、一秒とかからなかった。

 性格上、輪平はいつもおどおどしている。よって、下手すると四六時中心拍数が多いのではないかと言うくらい心臓がバクバクしている。

 だが今はそんなの目ではないくらい、心臓が破裂しそうな勢いで高鳴っている。耳を塞がずとも、脈の音が聞こえるくらいに。

 このままだと本当に死んでしまう。輪平は、命の危険を感じた。

 そっと膝から退かして、ベッドにそっと寝かそうとするが、もし起こしてしまったらという罪悪感が邪魔をする。

 いや、自分の命が危ういのに、余計なことを考えている場合じゃないと、輪平は意を決し、彼方の頭を静かに持ち上げて、膝をずらそうと試みる。しかし、すると彼方の安心しきった寝顔が目に入り、手が止まってしまった。

「僕のことを、信じてくれている……」

 ここで彼方のことを退かしたら、また自分は彼女の信頼を裏切ることになってしまう。自分はここまで輪平に心を許しているという証として、彼方は平然と相棒の膝を枕にしてみせた。それも無理をした様子もなく、自然に。

 気付けば、輪平はもう両腕を下ろしていた。

「信じて、くれているんだ」

 膝に感じる相棒の頭の重みが、無意識に出た輪平の言葉を肯定しているようだった。なのに、その気持ちを全て素直に受け入れられない。

「僕が僕自身を、もっと信じないといけないよね」

 だが、その答えは既に自身で出している。

 自分に必要なのは、自分自身を本気で信じる勇気であると。

 数時間デスクに向かっていた寺崎(てらさき)鳴は、大きなあくびをして背もたれに身体をどっぷり預けた。パソコンのモニターと見つめ合っていたせいか、背中や腰に疲労が出ている。

 疲れを吹き飛ばそうと大きく伸びをし、一瞬の爽快感をバネに鳴は再度パソコンと向き合う。だが、最初に出たのはため息だった。

 ワープロデータのタイトルに記されている定期報告書の文字が、くたびれた身体に伸し掛かるようだった。

「早く功樹と香実の迎えに行く用意をしないといけないのに。こんなことずっとやらされなくちゃいけないのかな」

 鳴は基本的に人を嫌わない女性だ。しかし、この定期報告書を押し付けてきたのおは、そんな彼女が珍しく反吐を吐くほど嫌いな相手だった。

 どんなに世のため人のためと言ってみても、無能力者からすれば警察だろうが犯罪者だろうが、超能力を使う人間はEAPである。

 自分にない強大な力を持つ相手は、どの時代でもどの場所でも脅威である。警察にとってもTsの捜査官は必要な戦力である一方、厄介事の種でもあった。

 警察は昔から縄張り意識の強い組織である。そしてTsの捜査官には未成年が多い。いくら警察としての教育を受けたとて、子供が現場に踏み込むなど、不快極まりないことだった。

 おまけにTsの捜査官は特別な権限が与えられ、現場に出るレベルの警察官であればまず逆らえなくなる。専門家だから当然の処置だ、と割り切れない人間が少なからず居るのは当然である。

 この報告書は、表向きはそんな警察の間で生まれる摩擦を少しでも減らすためのもの、とされている。が、実際の所、これは、普段Tsの存在を快く思っていない人間からの嫌がらせでもあった。少なくとも鳴はそう受け止めている。

 実際これを考案した人物に悪意はなかったのかもしれない。が、これを押し付けてきた鷲鼻の男には、間違いなく敵意が含まれていた。

 鳴が担当しているのは四人だが、全員の行動を表にしてまとめ、三十分単位で知らせろと最初は言ってきた。

 鳴がプライバシーの問題もあるから無理だと強く抗弁し、ある程度免除されたが、それでも部屋から出た時間は正確に記さなくてはならない。四人分の生活を把握しろというのは困難なことである。

 どんな些細なことでも報告しろ、何か問題があってからでは遅い。書類を受け取りに来る時、男は馬鹿の一つ覚えのように鳴に伝えてくる。他のオペレーターも同様のことを言われるらしい。問題をおこして当然の存在、あるいは存在そのものが問題である。あの男は暗にそう告げているのだ。

 鳴は、EAP専門のカウンセラーとして招致された人材である。自分が担当する捜査官達が腫れ物のように扱われるのは良い気分がしない。

 このうえ、オペレーターの仕事は山ほどある。多忙な仲で余計な仕事を放り投げられれば、反感を覚えるのも無理はない。

 いやみったらしいあの男の顔を思い出して、鳴は思わず歯噛みした。

「ああもう! アイツがなんか問題起こして懲戒処分にでもならないかなぁ!」

 自室で思わず怒りを口にしたその時、携帯の着信音が高らかに鳴り響いた。

「うわひゃぃ!」

 あまりにもタイミングが良すぎる呼び出しに、鳴は椅子ごと後ろに倒れ込んだ。頭をぶつけた鈍痛に耐えながら、おそるおそる携帯を手に取る。見ると相手はあの男ではなく、今任務に当たっている香実からだった。

 終了の報告だろうか? と思って鳴は通話ボタンを押す。

「はい、もしもし」

「あ、鳴がようやく出たよ!」

 電話越しに香実の切羽詰った声と、何かが激しく壊れるような音が聞こえた。

「ゴメン、ドジった! 出来れば応援を呼んできて欲しいんだけど!」

 それを聞いた鳴は、すぐに立ち上がって、出掛ける準備を始めた。

 緊急事態だ、多少報告書の提出が遅れても文句は言わせない、そう自分に言い聞かせながら。

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