先屋輪平の長い一日

1.コピー少女と埋め込み少年

 しゃがんで、という声が先屋輪平(さきやりんぺい)の耳に入った。反射的に全力で屈んだ彼の頭上を、重い音を立てて風が薙いでいく。輪平は肝を冷やし顔を引きつらせた。

 見上げると、口にピアスをつけ、金髪に染めたガラの悪い男が睨んでいた。殺気を漲らせた形相が、輪平には地獄の悪鬼に見える。

 思わず輪平は声をあげそうになるが、歯を剥き出しにして怒る男の顔面に、鋭い正拳突きが刺さった。

 輪平の相棒である、観久地彼方(みくじかなた)だった。鍛えあげられたスレンダーな体型から繰り出される拳は、ガタイの良い男だろうが平気で殴り飛ばしてしまう。

「輪平、邪魔だから下がっていて」

 ガーン、と心の中で音が響いた。整った顔立ちに反して、彼方は抜け落ちたように感情を出さないため、率直にお荷物扱いされたように思えてショックだった。美人に見合わぬ目の下の隈が、ドライな印象をより際立たせているように見えた。

 殴られふっ飛ばされた男は、悪態をつきながら膝をつく。苦しむ彼を助けようと、背後からアロハシャツを着た筋肉質の男が現れた。

 抱き起こされた金髪の男は「助かった」とばかりに頬を緩ませたが、直後に引きつった顔へと変貌した。アロハシャツの男が、虚ろな目で自分に頭突きをかまそうとしていたからだ。

 制止の言葉も聞かずに、金髪の男は全力の頭突きを食らい、あっさりと昏倒してしまった。

 突然仲間を裏切ったアロハシャツの男は、彼方の元まで歩み寄ると、目を合わせて握手を交わした。刹那、アロハシャツの男の目に生気が灯り、倒れ込む金髪の男を見て声をあげた。

 だが、彼もまたすぐに昏倒した。彼方が顎に強烈な掌底をかましたからだ。

 空き家が並ぶ寂れた場所に、二人の男が倒れ伏せ、少女が悠然と立つという奇妙な風景が出来上がった。

「終わったわ、輪平」

 寄り道を済ませたような口振りで、彼方は輪平に向き直った。無駄のない手際に、輪平はつい空笑いしてしまう。

 思わず脱力する輪平に、彼方が少し慌てた様子で駆け寄る。しかし表情がピクリとも変わらないので、寄られた方はギョッとしてしまう。

「怪我、したの?」

「い、いやいやいや! ぼ、僕が蹴られる前に彼方が教えてくれたから、な、なんとか無傷だよ」

「そう、良かった」

 無事とわかった途端、興味を失くしたかのように彼方はいつもの調子に戻る。輪平は少し寂しい気持ちになりながら、いつも通りだ、とホッとするのだった。

「そろそろ、鳴(めい)が迎えに来るわ。着くまでに起き上がったら面倒だから、この人達をお願い」

「あ、う、うん」

 輪平はそう頷くと、ポケットの中から銀色に光る何かを取り出し、倒れた男達の傍らに座った。右手で太い両手首を掴み、左手に銀色の物体を乗せると、輪平は何か念じるように目を瞑った。そして、両手を思いっきり握り締めると、息を吐いて手を離した。

 左手からは、手品のように銀色の物体が消えていた。その代わりに男の腕は、まるで接着剤でくっつけたように引っ付いていた。

 もう一人の男にも同じことを行って、輪平はようやく張り詰めていた神経を緩めたのであった。

 やがて、パトカーと紅色の軽自動車が到着した。

 パトカーからは制服を着た男性警官が二人、もう一方の車からは、瓶底のように厚い眼鏡をかけた女性が出てきた。

 年は二〇代くらいか、顔立ちは比較的整っているが化粧は最低限しか施されていない。飾り気の無い顔に見合って、薄汚れた白衣を着た彼女は、元気よく彼方と輪平に手を振った。

「お疲れー! 二人とも、怪我はないうぎゃぱっ!」

 悲鳴をあげながら、白衣の女性は盛大にすっ転んだ。物凄く鈍い嫌な音がしたので、輪平はびっくりして顔を引き攣らせた。

「だ、大丈夫、ですか?」

「ちなみに私達は問題ないわ、鳴」

 血の気の引いた輪平の声音に対し、彼方は事務的に彼女の質問に答えた。

 しばらくひくひくと手足を動かしていた白衣の女性・鳴は、突然地面から突き上げられたように跳ね起きた。そして、顔をあげた鳴は、満面の笑顔で鼻血を流し、元気に敬礼をして見せる。

「みんな無事ならそれで良しってことで! 帰ろうか!」

「鳴さんが無事じゃないです! か、帰る前に鼻血をなんとかしましょう!」

 実は半泣きだった鳴に、輪平は慌ててハンカチを差し出した。

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