「憐んで頂かなくて結構。」
「ヤシロっちゃん、嬉しそうだねぇ。」
茶屋の旦那さんが、僕に1ヶ月分の給金を手渡しながらニヤニヤ笑ってそう言った。
僕は僕自身が同じように笑っていることに少しも気付いていなかった。
銭を受け取るとその重さに驚く。
ひと月分の重みに僕の心がじんと来た。
「何か買いたいものでもあるのかい。」
「いえ、奥さんに渡すんです。」
「嫁の為だけに稼ぐってのかい。
坊ちゃんはすることが違うねぇ。」
「いえ、僕の為なんです。
僕の夫としての役割を果たす為です。」
そう胸を張って本気で話す僕に、旦那さんは最後まで呆れたように首を横に大きく振っていたが、
僕が帰る頃にはありがとよ、と大きな笑顔で手を振ってくれた。
お金を貰ってありがとうと言うことはあっても、ありがとうと言われることは初めてだった為、僕は気を良くしていた。
懐を重くした銭を大層大事に抱え、僕は正反対に軽い足取りで雑貨を扱う店に向かった。
赤いクレヨンを3つ握りしめて、金魚柄のうちわなども買ってみた。
茶屋では団子を、花屋では向日葵を1輪買った。
他にも店で目につくものは何でも買った。
シヴィーさん達には秋らしい甘味や、コーヒー店のチケット等を買い、後でみんなで食べようと思い、2種類も3種類も手に取った。
荷物を部屋でおろすと、僕の肩や手はやっと得た自由に伸びをした。
夕飯などはそっちのけで、真っ直ぐにユヌちゃんのところへ向かうと、ユヌちゃんは突如開け放たれた扉に目を丸くした。
「ヤッシーだ。」
彼女がそう言って横を向き微笑んだ先には、つい先程まで和やかな表情だったであろうメイさんがいた。
僕の顔を見るなり、僕を見定めるように目を細めた。
「あ、失礼しました。改めます。」
そう言ってふたりに背を向けようとした時、ユヌちゃんが「いいよぉ」と言った。
「いいよね?メイ姉?それとももう帰っちゃう?」
メイさんは一瞬考えたように見えたが、それは本当に瞬き一回分の瞬間で、
すぐに不安そうなユヌちゃんに向かって優しい視線を送った。
「いいや、まだ少しいるよ。ユヌの為に今日は朝からお仕事を頑張ったからね。」
やったあと満面の笑みを見せられては、メイさんも微笑まずにはいられない。
おいでよという言葉に従い、窓側の椅子に座るとベッドの向かいにメイさんを見る形となった。
「ヤッシー、どうしたの。お夕飯の前に来てくれるなんて、珍しいじゃん。」
「うん。ちょっと渡したいものがあってね。」
「なぁに?」
ユヌちゃんが少し身を乗り出し、興味津々といった様子で目を輝かせた。
その背後では、メイさんが僕の手元を凝視している。
最初に差し出した向日葵は、ユヌちゃんが手に取る前にメイさんが素早く奪い取った。
そして向日葵の種の部分から花びらの裏、茎の切り口まで、険しい顔で凝視したのち、
ユヌちゃんに差し出した。
「害はない。向日葵かな。」
メイさんがそう言うと、ユヌちゃんはそれを受け取り、わぁと目の前に掲げた。
「お花屋さんで見かけて。」
僕がそう言うと、ユヌちゃんはお礼を言いながら花弁や種をつついた。
あと、と言って団子を差し出したが、今度はユヌちゃんに渡す前にメイさんの目の色を窺ってみた。
やはり検閲したい様子だったので、包装ごと手渡すと、メイさんは丁寧にそれを開き、匂いを嗅ぎ、至近距離からじっと見つめたのち、ユヌちゃんに差し出した。
観察が済んだ向日葵がメイさんの手元に押し付けられ、
ユヌちゃんがお団子に涎を垂らしそうになっている間、メイさんは向日葵に視線を落としていた。
お団子をお皿によそっているのをちらっと見てから、メイさんは立ち上がって近くの棚から空の花瓶を取ってきた。
右手をかざすと、花瓶の底から小さな噴水のように水が湧き出たが、2㎝程で止まってしまった。
僕がメイさんを見ると、彼女は術の不発に微動だにせず、再度同じ仕草をより優美に繰り返した。
今度は水が十分に沸き出でて、メイさんは満足そうにユヌちゃんに見せた。
「向日葵はこっちに置いておくからね。」
そう言って袖机にコトンと置くと、ユヌちゃんによく見えるよう、花の向きを丁寧に整えた。
「あと、内輪を買ってみました。金魚の柄だったので。内輪、使う?」
僕がそう言うと、ユヌちゃんは可愛いと微笑んだ。
実を言うと、これはユヌちゃんが不要であれば僕が貰う予定だった。
金魚がメイさんを想起させて、仕事に精が出るような気がしたからだった。
「これ、メイ姉に似てるよ。ほら。」
「これが?そうかい?」
メイさんはユヌちゃんの指差す金魚を一緒に指差し、口元を緩めて微笑んだ。
「僕も、似てると思いました。」
メイさんは僕をちらと見ると、可愛い妹宛の微笑みの残像だけ映した表情で僕から視線を戻した。
その顔に、ユヌちゃんが思いっきりの良い風を内輪で送ると、
メイさんは驚いたように目を開いて、また細めては微笑んだ。
風で靡くメイさんの髪が、普段頑として隠している額と両耳をさらけ出した。
余りに可憐な素肌に僕は唖然として、遂にメイさんに「何か。」と問われてしまった。
いえ、とギリギリ答えた僕は最後の包みを取り出すことを忘れかけた。
新聞で包まれたそれは赤いクレヨン3つで、ユヌちゃんは他3つの贈り物よりは見慣れた風な様子だった。
「あー、ありがとう。メイ姉に今度お願いしようと思ってたんだ~。」
ユヌちゃんのその言い様は、買い忘れた常備野菜を都合よく入手してきた家族へのそれだった。
「でも、3本も良かったのにぃ。」
ユヌちゃんはケタケタ笑って、文房具入れに3本とも押し込んだ。
「よく使うって言ってたから。」
「うん。だって、金魚も太陽も赤だもん。」
ユヌちゃんはすぐにお団子に話題を移し、僕たちは3人揃って団子を1本ずつ食べた。
串から外そうとするメイさんと、外さなくても食べられるというユヌちゃんの言い合いがあったが、結局はメイさんが奥の2つを手前まで端で寄せて食べさせていた。
団子で小腹が膨れると、僕とメイさんはそれぞれ自室に戻るためユヌちゃんに別れを告げた。
ユヌちゃんの部屋を出て少しすると、メイさんは歩きながら僕に言った。
「後でお代をお支払いしますので、領収書をご提出ください。」
シヴィーに代金を預けますから、というメイさんに、僕は食い気味に断りを申し上げた。
「あれはプレゼントです。ユヌちゃんが、メイさんの小遣いからクレヨン代を払ってもらうのが申し訳ないと先日言っていたので、微力ながら僕にもお手伝いできないかと。」
僕が少し照れて俯きながらそう言うと、メイさんははたと立ち止まった。
そして僕を見下ろすので驚いて彼女の方へ視線を向けると、心臓が一拍も飛びそうになった。
メイさんは険しい表情で僕に敵対的な視線を向けていたのだ。
暗くて、鋭くて、鷹のような目をしていた。
「憐れんで頂かなくて結構。」
それが一言目だった。
僕が何か言う前に、メイさんは続けて言った。
「それとも、玩具さえ妹へ買え与えられない甲斐性なしだとお思いで?」
「い、いえ。」
そういうつもりでは、と口ごもる僕に、メイさんは一歩詰め寄った。
高下駄が、カンッと高い音を立てて僕を追い詰めた。
「あの子は
親なし子らと哀れんで頂かなくて結構。」
メイさんは憤りを隠せない様子でそう言い残し、肩で大きく息を吸うと踵を返して廊下の奥へと消えていった。
息を吐くことさえできなかった僕は、その赤い着物の裾のほんの端さえ見えなくなるまで、
息を止めたままそこに立ち竦んでいた。
その晩、メイさんは夕飯に姿を見せなかった。
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