【第5話】同じ時を過ごすということ

「明日のご予定はいかがですか?」


「明日のご予定はいかがですか。」


メイさんと共に食事をする習慣がついて、しばらく経った。

メイさんの時の流れは驚く程に忙しなく、

投げたばかりのコマが勢いよく回るようだと日を追うごとに感じるようになっていた。


「明日も公務がございます。

明け方までに終わらせなければならぬ書類があります故。」


そう言いながらも、メイさんの箸は止まる様子がない。

止める時間さえないのだ。

細く長い指が煙管、筆を持つことに見慣れていたが、

上品な手つきで箸を操る様子も見ていて飽きない。


話すことは多くなく、また話題に富んでいるわけでもないにも拘らず、

夕食を食べる1刻が、僕の楽しみだった。


「本日はいかがお過ごしでしたか。」


そう尋ねられ、僕はハッと顔を上げた。

実のところ、共に食事をして会話をすれど、

ある意味僕が一方的に尋ねたり、話しているだけのことが多い。

今日は、ユヌちゃんの所に寄ってから夕飯は来たのだろうと伺えた。

メイさんは、ユヌちゃんとの会話でのみ、

とても多くの質問をし、とてもよく笑う。

ユヌちゃんと話した直後は、その感覚が抜けないのだろうと思えた。


「今日は風が強かったのでコーヒーを飲んで帰ってきました。

カフェに寄って来ただけなのですが、戻ってきたら砂だらけで、みんなに驚かれてしまいました。」

「左様でしたか。

砂嵐には十分ご注意下さいませ。

砂だらけになっただけでは済みませぬ故。」

「えぇ。気をつけます。

お気遣いありがとうございます。」


僕が微笑んでみると、メイさんはちらと僕の方を見て、すぐにお吸い物に目を移した。

食事の時間なのだから、当然のことだが、

ユヌちゃんとの弾む会話を、どうして僕はできないのだろうと思った。

元々得意ではない会話に、いつも失敗してしまう。

上手に返すことができない自分を、寝る前に布団に潜り込んでは反省するものだ。


メイさんに話したいことは山程あるのに、

今、思いつくことができないなんて。


「今度、お花見でもいかがですか。」


やっと思いついた言葉を、お花見というよりピクニックですが、と言い直す。

桜が散ったこの頃に、花見など適切な言葉ではないはずだ。


「わたくしは外へは出られません故、

ご友人と行かれれば宜しいかと。」

「そうなんですが…。」


僕はいもしない友人というのを思い浮かべられず、少し食い下がってみた。


「ユヌちゃんの部屋から、向日葵畑が見えるんですよ。

今年は特に素晴らしい満開具合だと聞きました。」

「左様でしたか。

窓には近づかぬようにしております故、存じ上げませんで。」


メイさんは淡々と白米を口に運んでいる。

なんてことを言ってしまったのかと、上手いフォローを探すが、

ただの会話さえ得意で無い僕に、取り繕うことなど到底できない。


「失礼しました。配慮に欠けたことを…。」


その先が何も思いつかないまま、僕は手持ち無沙汰な左手にお椀を乗せる。

話したいことは沢山あるはずなのに、そしてそれを、たったひとり潜り込む布団の中でなら悠長に語ることができるのに、

一体何故こうも面と向かうと僕は何も思いつくことができなくなってしまうのだろう。

僕の下手な会話には、メイさんもうんざりしていることだろう。

メイさんは、人と話すのが得意な人だ。

話さないだけで、多分。


「お仕事、何かお手伝いしましょうか。」

「お気持ちだけ頂戴致します。お気遣いなく。」

「気遣いというより、何かやってみたいんです。

紗遠さおんちゃんの手伝いをたまにしますが、とても楽しくて。」


さおん、その音を聞いた途端、メイさんの端がぴたりと止まった。

そしてお椀に残ったお味噌汁をぐいと飲み干すと、コタンと音を立てて机に戻した。

箸を揃え、手を合わせ、そして口を開いた。


「どうりで雑用ばかり終わるのが早いと思うたら。」


メイさんはギロっと僕を見た。

萎縮させる、上司としての顔だった。

あるいは、外敵から部下を守る為の顔。

小さな顔に上目遣いの瞳が光って、一拍の沈黙さえ彼女に味方をしているようだ。


「あれはただ面倒くさいから紗遠にさせているわけではおりませぬ。

あれは学びであり、わたくしはそれをこなすあの者共を多方面から評価せねばならんのです。

横槍が入れば彼女を正しく評価できず、無理な仕事を与えることになりかねます。

今後はそういった行為はお控え頂きますよう、お願い申し上げます。」


失礼。

メイさんはそう言って、もう二度と僕のことを見やることをせず、退席した。

氷が溶けるように緊張がほぐれた時には、

僕はきっと明日には肩が痛むだろうと思った程だった。


部屋に残され、少し冷めてしまった味噌汁をすすり、部屋に戻る。

翌朝、紗遠ちゃんは僕を起こしにこなかった。


寝坊したことさえないのだが、

まるで迎えをやるのが礼儀だというように、

メイさんは毎朝誰かを寄越し続けていた。

今朝は誰かと扉を開けると、琴音ちゃんが立っていた。

直立不動。

廊下の真ん中を占拠してまで、彼女は僕の起床を見守っていたのだ。


「おはよう。」

「おはようございます。朝食のご用意ができております。」


ぺこりと、とそんな可愛い表現ではなく、

彼女は僕にお辞儀をする。

確か11歳になったばかりで、細身も相まってとてもちいちゃく見える。

それなのに言葉遣いや態度は一人前に大人びていて、困惑してしまう。


「琴音ちゃんが来てくれるのは久々だね。

嬉しいなぁ。」

「恐縮です。」


琴音ちゃんはこちらを振り返らずにそう答えた。

燕尾服のような後ろ下がりのスーツが、彼女の歩みに合わせて揺れる。

階段では、髪がパタパタと上下して、見ていて飽きないものだ。


「今日の朝ごはんは何かな?」

「申し訳ありません。存じ上げません。」


用意された単語を組み合わせて回答を編み出す琴音ちゃんが、接客をしている様子を思い出し、メイさんの教育の賜物だろうと思った。

しかし、もう1年半も同じ国で過ごし、少なくとも週に3回は顔を合わすのだから、もう少し打ち解けて欲しいというのが本音だ。


結局、朝食は雑穀米ともずく、フルーツといったいつものメニューだった。

夕飯をメイさんと共にするようになってから、朝ごはんが寂しく感じられることが多くなった。

琴音ちゃんも斜向かいで同じ食事を食べている。

昨晩何も食べていないかのような食いっぷりの良さで、僕は慌てなくてもご飯は逃げないよと声をかけた。


「ご飯は逃げずとも時間は流れています。」


お茶碗2杯の雑穀米がその胃袋に消えていくのを見て、僕は自分の器を見下ろした。

あの子は成長期だと、シヴィーさんが言っていた。

僕は自分のフルーツの器を彼女の方に押し出した。


「食べる?」

「それはヤシロの果物です。」


真剣な面持ちで僕の器を凝視しながら答えた彼女が、ふと誤りに気がついたように顔を上げて俯いた。


「失礼しました。それはヤシロ様のご朝食でございます。私は頂けません。」

「いいんだよ。僕、お腹いっぱいだし。

果物、好きでしょ?」


そう言っても尚手を伸ばさない彼女の方に、更にお皿を寄せ、僕はもずくを食べ始めた。

懸命に受け取る理由を探している彼女と、施しなど受けないぞという彼女が、どうやら戦っているように見えた。

その内戦は、僕がご馳走様と手を合わせるまで続き、ついに前者が勝利したようだった。

お前の食事が終わってしまったのなら、私が食べてやろう。

そんな調子なのだろうか。


ほとんど2人前の朝ごはんを食べ終えた琴音ちゃんに部屋まで送ってもらうと、

僕は以前、桜さんから頂いた筆を持って外へ出かけた。

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