嘘がばれ、夢はじけ、


思わず、小結さんのことも忘れて窓に手をかける。

慌てた様子でシヴィーさんが小結さんに話しかけているのが聞こえる。

風が吹いて桜の葉が舞い落ちる。

それでも桜さんはメイさんを抱きしめたまま動かない。

苦々しい表情のメイさんも、振りほどきはしない。

ただ今にも泣きそうな目で、覆い被さるようにして離さない桜さんの髪を見つめている。


何も聞こえないけれど、聞こえてくる。

墓の前ですすり泣く桜さんの息づかいや、

桜さんの話をする時、事前に必ず深く息を吐くメイさんの吐息が。

僕のいない世界の音が、鮮明に耳に届く。


2人の元へ駆けつけた暮露さんが立ち尽くし、

眉を潜めて俯いたのち視線をあげ、僕と目が合った。

もう不要なんだぞと言われている気がして、僕は思わず後ずさった。


「どうなさったの?」


小結さんが僕の顔を覗き込み尋ねた。

ショートカットの髪が傾き、上品な瞳に見上げられ、僕は無言で首を横に振る。

シヴィーさんが何か言ってフォローしてくれるが、

小結さんはほとんど視線を外してくれなかった。

頭を抱えて隠れてしまいたい気分だと言うのに。

鼻が痛くて、息をのむことさえ精一杯な僕に、一体どんな答えを求めているのだ。


「ごめんなさい。」


やっとのことでそれだけ残し、足早に廊下を来た方へ戻った。


逃げたのだ。

ふたりから逃げ、自分の部屋に辿り着くと扉をバタンと閉めて、しゃがみこんだ。

べったりと扉を背中に押しつけて、両手で膝を抱えた。

頭を垂れて、嗚咽をかみ殺すことだけに一生懸命に、

何が悲しくて、何がこんなにも胸を締め付けるのかも分からず、

ただ僕は目に腕を押し当てて泣いた。

なんで泣いているのだろうと正気に戻る度、

影の形が変っていく室内を見回し、僕がこうしている間にも、

メイさんと桜さんは再会を喜んでいるのかと思うと、

その場に駆けつけたいような、逃げ出したいような途方もない気が溢れた。


袖がぐっしょり濡れきってしまい、漸く立ち上がった僕は衣を変えた。

お祝いの空色から、普段着に着替え、気丈な態度で臨もうと深呼吸をした丁度そのとき、ドアがノックされ、桜さんの声がした。

何も答えないまま扉を開けると、口を堅く結んだ桜さんがひとりで立っていて、

彼は僕がどうぞとも言わないうちに部屋に入り込み、どっかりと椅子に座った。


「可笑しかっただろう。」


桜さんは不機嫌そうに横柄な態度を見せつけつつ、僕にそう尋ねた。

僕は桜さんの向かいに腰を下ろして、「何が可笑しいのですか」と尋ね返した。


「メイは生きているとお前は知っていたな。

それどころか新たな婚約者というじゃないか。

俺の思い出話は良い肴になったろう。」

「メイさんの意思を尊重するとどうしても言えませんでした。」

「違うな。お前は優越感に浸って笑いこけていたんだ。」

「僕がそんな人間に見えますか。」


桜さんと睨み合うように見つめ続け、

深く2回深呼吸をしたところで桜さんの方から目を逸らした。

そして目を閉じ、ため息をついた。


「いや、お前はそんな奴じゃない。嫌な奴なのは俺だ。」

「桜さんは嫌な奴じゃありません。」

「いいや、嫌なエゴイストだ。

メイが俺を選ばなかったことに腹を立てて、選ばれたお前に嫉妬している。」

「それは本当にメイさんを愛していたからです。」

「嫉妬など下らん。

要するにメイに捨てられたと信じたくないだけさ。

墓を拭いてやったことが、彼女の兄の前で膝をついたことが、左様なことをさせた虚言はけしからんと腹をたてるくらい、全て己の為だったのだ。」


桜さんは背もたれに腕をかけ、天井を見上げた。

足を組んだその姿はあまりに勇ましく、僕には到底届かないと思った。

桜さんは、いつでも僕のなりたい姿だった。

何でも持っていて、清々しい。

しかし、それは悲しみや後悔を持たないというわけではないのだと、改めて痛感した。


「メイが生きていて良かった。それだけのはずなのに。」


天井を向いたまま、喉を鳴らすようにそう言った桜さんはチラリと僕に視線を向けた。

僕は黙って頷いて、頬に流れた涙を袖で拭った。

再会を果たしたその時、メイさんは何を思っただろうかと思うと堪らなく涙が溢れた。

嬉しかっただろうと思い、その瞬間は僕のことなど頭の端にもなかっただろうと思った。


「メイさんと何かお話になりましたか。」

「あぁ、何故嘘をついたのか全部吐かせた。

事情は分かる。メイは死んでいなければ、兄妹を守れなかった。

身内殺しの兄妹はこの国では生きていけなかっただろう。」

「優しい国ですよ、ここは。」

「ヤシロ、この国はお前が思うほど親切ではない。

術師の国は、時として残酷になる。

そうでなければならないんだ。」

「貴方なら彼女を守れた。」

「あぁ、守れたさ。」


桜さんは尚、顔を天井に向けたままだった。

守れるかなんて、僕には到底答えられない問いなのに、

桜さんはいつも即答する。

それが素晴らしいと思え、また羨ましくもあった。


「でもメイが選んだのは俺じゃない。」


大きなため息をついて、桜さんは目を閉じた。


「僕は仕方なく選ばれたにすぎません。」

「メイは妥協などせん。」

「国の為です。」

「例えそうだとしても…!」


声を荒げて目を見開いた桜さんは、続きの言葉を噛み殺しているかのような苦い顔をした。

今度は幾らか俯きかけ、長い優美な髪が流れる。

拳を握りしめたその顔を見て、なんて酷なのだろうと思う。

桜さんの言いたいことは、聞かなくても分かった。

国の為であっても、そうでなくとも、自分を選んで欲しかったという気持ちは、僕よりも強いのだろうと思う。


「抗議しないんですか。」

「抗議したら、お前はその座を俺に差し出すのか?」

「そうなるでしょう。」

「お前がメイを愛していないのなら、

メイの代わりは幾らでもいて、誰でも構わんというのなら、それも考えよう。

あるいは、お前にとっても好都合だというのなら、今すぐそうしよう。」


僕が黙り込んでいると、桜さんはこちらを窺うように眉をあげた。

鋭い目と青い顔が、それでも端正な顔立ちを引き立てている。

いざという時にその存在を頼もしく思うだろう有り様に、僕は自分の細い手首を見下ろしてしまう。


「メイさんがそれを望むなら、そうしてください。

僕はもとより代替品です。」


涙の最後の一粒が手の甲に落ちて、僕は顔をあげた。

頬はもう乾いていて、ただ顎の先が冷えていた。


「僕に選択肢はありません。」

「選択肢など幾らでもあろう。」

「意見するだけの価値がないんです。権利さえない。

僕は案山子です。貴方のようにはなれない。」


桜さんは口をへの字にして、僕の言葉を強い不満と不可思議さをもって聞いているようだった。

顎を拭って枯れかけの涙の筋を消し去ると、僕は深呼吸をした。

後ろを振り返り、部屋を片付けなくてはと思った。


ノックに続いて、シヴィーです、と声がした。

どうぞと応えるとシヴィーさんが入ってきて、僕に、そして桜さんに頭を下げた。

今まで、桜さんより先に僕に礼をすることはなかったのに、彼の中で何かが変わったのだろうかと疑問に感じた。


「ヤシロ様、メイ様がお呼びです。」


宣告がなされるのだと、背筋が伸びた。

桜さんは堅い表情のままシヴィーさんを睨んでいて、分かりましたと応えながら、桜さんの方を見ることができなかった。

シヴィーさんは僕からの返事に頷くと、今度は桜さんに向き直り言った。


「桜様、小結様がお探しです。お部屋にお戻りください。」

「他の部屋を用意しろ。小結とは別室がいい。」

「畏まりました。

紗遠に用意させますので、それまでに一度は小結様にお会いになって下さい。」


シヴィーさんがそう言うと桜さんは黙って頷いた。

不服そうなのは自分の世話役がシヴィーさんから紗遠ちゃんに変わったからだろうか。

僕はこれからどうなるのだろうかという不安が押し寄せ、

どうか厄介者にだけはならないでいたかった。


「では、参りましょう。」


シヴィーさんが先立ち、僕と桜さんも部屋を出た。

丁寧にお辞儀をしたシヴィーさんを見下ろし、その後僕に視線を移した桜さんは口を開いた。


「お前が選ぶんだ。お前の人生だろうが。」


厳しい口調ではあった。

非難するような視線でもあった。

しかし、責め立てているのではないと理解できる表情だった。

俺たち次男は、と繰り返される手紙上の言葉が想起された。


「お前に口があり、耳があり、目がある以上、物を言う権利がある。

お前に憂い、感ずる心があるのなら、物を言う価値がある。

お前は術師ではないのだから、物を言う自由さえある。

忘れるな。お前は全て、持っているんだ。」


それだけ言い捨て、桜さんは踵を返した。

僕は拳を握り、呼び止めた。


「どうなることになっても、僕は桜さんと友達でいたいんです!」


数メートル離れた桜さんが立ち止まり、半身だけ振り返った。

そして表情は変えないまま口だけを動かした。


「どうなるかは、もう決まっている。」


踵を返した桜さんは、幾ら見つめ続けてももう振り返ることはなかった。

彼の決意は、いつも固い。


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