エンカウント

「桜さん!」


追いついた先で、桜さんは拳を握りしめて立ち尽くしていた。

唇をわなわなと震わせて、目を見開いていた。


「桜さん?」


控えめに視界に映り込んでいったが、桜さんは廊下の先を凝視して、

僕の方はチラとも見ようとしなかった。


「大丈夫ですか?」


小さな声でそう尋ねると、桜さんは震えた声で「今、そこに金魚が」と言った。

何もない廊下の先を凝視しながら、しばらく黙り込み、いや、何でもないと首を横に振った。

大きなため息を吐くと髪を掻き、クソッと吐き捨てるように言った。


「クレの言いたいことは分かる。俺は薄情者だ。

だがどうしろと言うんだ?

いつまでもメイに縋っているわけにはいかないんだ!」

「分かります。」

「お前に分かるものか!」


廊下に桜さんの怒声が響き渡ったが、

僕は涙が出ないようにするのに一生懸命で怯えている余裕はなかった。


「確かに、愛した人を失ったことはありません。

でも僕も次男です。結婚は親が決めました。」


相手がメイさんでさえなければ、僕は全てを話したに違いなかった。

しかしそうは出来ず、もどかしいまま、桜さんは去って行った。

今度は僕が唇を震わせて立ち尽くす番で、声をかけるのは小結さんの番だった。


「あら、術師の方もそんな顔をなさるんですね。」


軽蔑したように小結さんはそう言い、隣にいたシヴィーさんは心配そうに僕を見た。

僕は大きく息を吸って、冷淡な物言いを噛みしめ、桜さんに同情した。


「僕は術師ではありません。僕はキャティシティ出身ですから。」

「まぁ。」


小結さんは驚きながら、手を唇に寄せた。


「私ったら、申し訳ありません。

てっきり皆さん術師なものとばかり。無礼をお許しください。」


そう言って小結さんは頭を深々と下げた。

シヴィーさんが口をぽかんと開けて驚き、僕は言葉を噛むほど驚いた。


「良いんです。僕も見分けなんかつきませんから。」

「いえ、申し訳ありませんでした。お恥ずかしいわ。」

「術師がお嫌いだと聞いています。」

「えぇ、まぁ。」


小結さんは本当に気まずそうにうつむきがちで、背が低い為ますます小さく見えた。


「桜さんが、お嫌いですか。」

「術師はみな嫌いです。人殺し。野蛮だわ。」

「桜さんは優しい方です。」


反論しようと勢いよく顔をあげた小結さんに、

僕は「怒りっぽいですけどね」と笑って見せ、シヴィーさんに案内されながら小結さんの泊まる部屋まで一緒に歩くことにした。


「ヤシロさんは、メイさんという方をご存じですの?」


自己紹介が終わった途端、小結さんはそう尋ねた。

ぎくりとしたが、多少、と答えた。


「桜様はメイさんを好いていらしたのね。」

「どうやら、そのようですね。」

「どうして婚約破棄になってしまったのか、ご存じ?」

「えぇ。」


俯きがちに口を尖らせ、なんと答えたものか迷っていると前を歩いていたシヴィーさんが突然立ち止まって振り向いた。

ふと視線を上げるとシヴィーさんが全くの無表情で小結さんを見下ろしていた。


「メイ様は殉職されました。」


挑戦的な視線を返していた小結さんが、驚いたように目を瞬いた。

僕はその言い方を聞いて、シヴィーさんも怒っているのだと気がついた。

敬愛する桜さんが、望まない婚約に少しでも希望を見出そうとしているのに対して、

尽く冷淡な態度で桜さんを拒絶する小結さんに、シヴィーさんは怒っているのだ。


「メイ様は暮露と私の、大変良き上司であり家族でした。

我々はおふたりが幸せになるものと確信していたのです。

小結様におかれましても、望まないご婚約のご様子で、居た堪れません。

暮露のご無礼をお許しください。」


深々と頭を下げたシヴィーさんからは、術師特有の威圧感は全く感じられず、

ただ悲しみと同情に満ちていた。

小結さんはしばらく黙っていたが、一息つくと謝罪した。


「そうならそうと仰って欲しかったわ。

存じ上げていたらあんな風には申し上げませんでしたもの。」

「桜様は、メイ様と決別なさったのです。

暮露があのようなことを言わなければ、貴方にメイ様の存在をお伝えすることはなかったでしょう。」

「夫婦というのは何でも話し合うものだと思っておりましたわ。」

「奇遇ですね。私も、夫婦とは労り合い、助け合うものだと思っておりました。」


シヴィーさんはそう言い捨てるとクルリと向きを変え、スタスタと歩きだした。

呆然と立ち尽くしている小結さんに、まぁ行きましょうと言って僕は並んで歩き出したが、小結さんは思い詰めたように唇を尖らせて黙り込んでいた。


「何故術師がお嫌いなのですか?」


沈黙に耐えきれなくなり僕が尋ねると、小結さんは顔を上げて一度僕の顔を見上げてから、

シヴィーさんの遠い背中を見つめ、廊下の窓から外の街を眺めた。


「人殺し、野蛮だもの。」

「豪快ですが、みなさん、話してみれば優しい方ですよ。」

「値踏みするような目も嫌いですわ。」

「その人が安全かどうか見定めることが、術師の役割でもありますから。」

「すぐお怒りになるわ。」

「それは否めません。」


ハハハと笑うとシヴィーさんが一瞬振り返った。

僕が手を振ると、会釈をしてすぐ向き直ってしまった。

桜さんが教育係だったのなら、シヴィーさんも相当義理堅い性格を受け継いでいるだろう。


「でも術師の方々は、術師であることを生かして、働き、生きているんです。」

「人殺しです。」

「守っているんですよ、彼らは。」


もしここで僕たちが襲われれば、シヴィーさんは一瞬で戻ってくるに違いないし、

桜さんは強面の側近を置き去りにする早さで駆けつけるに違いない。

例え中庭の桜が散ったとしても、メイさんの墓を守る為なら、逃げるという選択肢を丸投げにして不動を貫く。

それが桜さんの性だ。

怒りながら、苛立ちながら、大声をあげて、優しさ故に駆けつけるのが桜さんだ。

それを小結さんにも知ってほしくて、僕は微笑みかけた。


「こちらにいらっしゃって何年になりますの?」

「1年と少しです。」

「ヤシロさんのご婚約者様は術師ですの?」

「えぇ、とても強い方です。」

「怖いとは思いません?」

「いいえ、全く。兄妹思いのとても優しい方です。

ちょっとまだ、打ち解けてはいませんけど。」

「まぁ、1年もいらっしゃって未だに?」


あまり話せる時間がなくて、と言い訳すると、

小結さんは相槌をうちながら何度か頷いた。

術師の方って留守が多いんですもの、と言って今度は僕が頷いた。

暮露さんや紗遠ちゃんが重そうな荷物を背負って中央門をくぐるのを、何度も見かけている。

声をかけては、紗遠ちゃんは平気な顔をして遠出なんすよと愚痴を言っていた。

その様子をメイさんはおそらく金魚を通して覗いている。


「あまり邪魔はしたくないんです。

仕事もできる方ですし、お忙しいからお手隙の時はご兄妹と歓談して和やかに過ごされるのがいいと思って。」

「気になりませんの?どなたかと良しなにしていないかとか、何をされているのだろうとか。」

「何をしているのかは、気になります。」


僕は頭を掻いて、言い当てられたことへの照れ笑いを隠そうとした。


「今何をされているのだろうとか、お昼は何を召し上がったのだろうとか。

今日もお健やかなら良いとか。

時々は僕のことを思い出してくれているのだろうかとか。

いつも、ご本人には聞けませんけれど。」

「そう。その方を本当に愛していらっしゃるのね。」


小結さんは神妙な顔を逸らしたが、僕は思わず立ち止まり息を止めた。

向こうの方でシヴィーさんも立ち止まり、こちらを振り返っているのがぼんやり見える。

窓から涼しい風が入りこみ、首筋をすり抜けた。


まず、そんなつもりはなかったと思った。

僕はメイさんに愛される努力をしていた。

けれど愛す努力はしたことがないはずだった。

より良い夫婦であろうと努めたものの、

それは愛情を大きくしようなんて大それたことではなかったはずだった。

ただ穏やかな、安心できるふたりで在りたいと願っていただけで、

見返りを求めているのではないと、自分で何度も言い聞かせてきただけのはずなのに。


なのに。

なんてことだろう。

僕はメイさんを愛していたのか。


思えば、僕はいつもメイさんを探していた。

廊下から向かいの建物を見下ろす時、

朝食を食べる時、

散歩をしている時。

赤い着物の裾が靡いてはいないか、

僕以外の箸が1膳多くはないか、

金魚様の影が通りに落ちてはいないか。

僕はいつも探していたじゃないか。


そうして思い出したように見下ろした中庭では桜の木が十分に風を受けて葉を揺らしていた。

その影が落ちる1つ下の階の廊下に、メイさんが立っていた。

夕日のような橙色の重たい布を引きずって、白い帯を華やかに後ろで結び、

まるで宴に駆けつけるお姫様のように、美しく。

ただ指一本ピクリともしないで佇んでいる様子はどこか呆然としているようでもある。


「どうかされまして?」


小結さんに尋ねられ、僕は思わず踏み出しかけた足を揃え直す。


「いえ、なんでも。」


にっこりと笑って見せ、しかしチラリと横目をやると、

驚くべきことに、メイさんは瞬く間に桜さんの腕の中で苦々しい表情を浮かべていた。


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