嫉妬が招くアクシデント


「小結、出店など後でゆっくり見れば良いだろう。」


時折立ち止まる小結さんに、遂に桜さんが痺れを切らした。

小結さんが立ち止まる毎に数歩先で待っていた桜さんだったが、ため息を堪えているのは明らかで、その度に僕とシヴィーさんが話しかけて和ませていた。

しかし余りに多く出店に惹かれていく様子に、僕でさえ、

これは桜さんを苛立たせるためにわざとそうしているのではないかと疑い始めた頃、桜さんが努めて落ち着いた声でそう言ったのだった。


「ただでさえ約束の時間に遅れているのだから、後ほど改めて参るとしよう。」

「あら、遅れたのはわたくしの所為だと責めていらっしゃるのね。」

「そうは言っていないだろう。」

「目は口ほどにものを言うという言葉をご存じ?鏡をご覧になるか辞書をお引きになると良いわ。」


しかしそう言いながらも小結さんは素直に店を離れ、セネさんと暮露さんが待つ役所へと歩き出した。

追いかける形で桜さんも歩き出したが、聞こえないため息をついて、肩をすくめているのが目の端に映った。

小結さんは天使の見た目をした小悪魔なのかもしれないと僕は思い始めていた。


「ようこそいらっしゃいました。」


最初に挨拶をしたのはセネさんだったが、そこに暮露さんはおらず、

ただセネさんの腹心8名が大仰な様子で2人を出迎えた。

祝い事用の服で統一されていて、白いネクタイの柄まで同じとくれば僕さえ驚く。

桜さんはピクリともせず挨拶に応じ、また驚くべきことに、ここでは小結さんは完璧な貴婦人を演じて見せた。


セネさんは義弟になるはずだった青年の婚約を祝福し、可愛らしく微笑む小結さんを褒め称えた。

桜さんは真実を暴きたくてうずうずしているのではないかと思ったが、意外にも桜さんも「仰る通り、私にはもったいない女性です。」と賛美した。

一通りの挨拶が済むと、桜さんは次に暮露さんへ挨拶に向かった。


廊下を歩いていると桜さんはチラチラと背後にいるはずの小結さんを気にしている様子だった。

シヴィーさんがどうかされましたかと尋ねると、時々いなくなるからとボヤいた。

しかし不安と不機嫌な入り混じった表情は暮露さんと会うと一気に消え去った。


「久しいな、クレ。」

「お久しぶりでございます。」


掛けていた暮露さんは立ち上がり、桜さんを出迎えた。

普段こそメイさんに倣うかのように露出度の高い和装なのだが、今日はモダンな女袴を着こなしていた。

暮露さんが礼儀正しく腰を折ると、桜さんの隣に立った小結さんも笑みを浮かべて礼をした。


「この度はご結婚、誠におめでとうございます。」

「兄上からシヴを遣いにやってくれていたと伺った。

不在につき返礼が遅れ申し訳ない。」

「とんでもございません。

小結様、でございますね。

わたくしリェシアで武力統率補佐及び参謀補佐をしております暮露と申します。」

「小結と申します。

暮露様は優秀な方と伺っておりますわ。

この度はお祝いのお言葉を頂戴しまして、改めてお礼申し上げます。」


あれ。と僕は違和感を覚えてシヴィーさんの顔をチラと見遣った。

しかしシヴィーさんは澄ました顔で2人の様子を眺めていて、

僕の感じた敵対心は勘違いかと思い直した。


「どうぞ、お掛けくださいませ。」


暮露さんの真紅に染められた唇の口角が上がりそう告げられると、桜さんは頷いて来客用のソファに腰を下ろし、小結さんもそれに倣った。


「クレ、その後どうだ。変わりないか。」

「格別な変動はございません。

お気遣いありがとうございます。」

「シヴとヤシロも掛けたらどうだ。」


ありがとうございますと同時に答え、僕は座ろうとしたのだがシヴィーさんは続けて、でも私はここで、と言った。

桜さんは鼻を鳴らして頷いた。


「桜様はこのままジャンペン国へ向かわれるとか。」


暮露さんが尋ねると、シヴィーさんと睨み合ってた桜さんが視線を戻し、そうだと答えた。


「ヴァピールの方にはしばらくお戻りにならないのですか?」

「あぁ。ヤシロと同じ、婿入りだからな。お前はその後祖国に戻ることはあったか?」


桜さんはだいぶ表情が普段通りになって、僕がいいえと答えると、ほらなと暮露さんに眉を上げてみせた。


「お前も縁を結べば分かる。」

「わたくしは嫁ぐ気がございません。

この国とこの国を治められる方々に全身全霊尽くすつもりですから。」


暮露さんが微笑むと、桜さんはため息をついて頷いた。

暮露さんがその気だと言うことを知っていたという顔だった。

あるいは、命を預けるはずだったメイさんの死に胸を痛めているのかもしれなかったが、僕にはそれがどちらなのか判別がつかなかった。


「ところで」


暮露さんが微笑んでそう言った。

視線は桜さんを見据えていて、まるでメイさんと同じ試すような瞳だった。

何故暮露さんが桜さん相手にそんな目をするのか、僕にはまるで検討がつかない。


「メイ様へご挨拶は済ませましたか?」


言い終えてから、更に目を細くして笑みを浮かべる暮露さんは、意地悪そうな顔をしていた。

桜さんはその表情を見て確実に何かを感じ取ったはずだったが、何事もなかったかのように肩を落とした。


「いや。」

「なさらないおつもりで?」


畳み掛けるように質問を繰り返す暮露さんに、桜さんは遂に何が言いたいのかと尋ねた。


「いいえ、ご結婚が決まった途端、メイ様へご挨拶もなさらなくなるとは思っていなかったものですから。」


暮露さんは、この時初めて桜さんを正面から睨んだ。

敵意と怒りに満ちた瞳に、僕は息を止めた。

暮露さんは、桜さんを裏切り者だと判断したのだ。

メイさんが泣く泣く諦めた桜さんが、メイさんが死んだと聞いた途端別の女性を嫁にとったと思い、それは薄情者だと糾弾しているのだ。


そうじゃないんだと言おうとして口を開いた時、

僕よりも先に声をあげたのは小結さんだった。


「あら、女性にご挨拶なさりたいのね。宜しいじゃない。さぁお行きになって。」


髪がさらりと落ちて細い首筋が見える小結さんは、

桜さんが本気で怒れば一瞬で手折ってしまいそうだ。

しかしそんなことに怯えている様子はなく、真っ直ぐと強気な瞳で桜さんを挑発する。

桜さんはその瞳を見下ろして、ため息を押し殺していた。


「クレ、メイには前の滞在時に別れを済ませた。

正式に嫁をとった以上、メイにはもう」

「薄情なお方。」


暮露さんが吐き捨てるようにそう言った。

今まで目にしたことがない暮露さんの態度に僕は驚いたが、

百戦錬磨の桜さんはやはりため息をこぼしただけだった。


「俺が薄情だと言うのか?」

「えぇ、聞こえなかったのならもう一度申しあげます。桜様は薄情者です。」


桜さんが立ち上がった瞬間、暮露さんの背後に掛かっていたタペストリーが一瞬で燃え上がった。

僕と小結さんは驚くあまりに声を失ったが、暮露さんは微動だにしなかった。


「俺にどうしろと言うんだ!

俺に指図出来るほど偉い立場なら、言ってみろ!」

「小結様が驚いていらっしゃいますよ。」


暮露さんに呼びかけながらシヴィーさんが止めに入ろうとしたが、

それよりも早く桜さんが机に脚を乗せて暮露さんの胸ぐらを掴んだ。


「貴様誰に物を言っている!」

「桜様あなたにです。

メイ様を愛していると仰ったのに、随分お気持ちの切り替えが早くていらっしゃるのですね!」

「拾われ子のお前に何が分かる!」


グラスが割れ、タペストリーが塵になり、あたりに焦げた匂いが充満し始めた。

為す術もなく争うふたりを止めたのは、小結さんだった。


「お止めなさい!見苦しい!」


ぴしゃりと叩き付けるような冷ややかな声が響き、

それに対しても無反応の暮露さんに対して、桜さんはピタリと動きを止めた。


「お座りになって、ご説明をしてくださいません?

女性にご挨拶なさりたいならわたくしは結構。

このように争う理由を理解いたしかねます。

メイさんというのは、どなたなんですの?」


奥歯を噛みしめた桜さんが暮露さんの襟から手を離したのは、

小結さんがそう言ってから20秒も経ってからだった。

突き放すように解放された暮露さんは気後れする様子もなく襟を正した。

桜さんは息を飲みながら座り、震えた声で小結さんに話し始めた。


「メイというのは、お前の前に婚約が内定していた女の名前だ。」

「初耳ですわ。やましいことがあるから、隠していらっしゃったのでしょう。」

「違う。婚約破棄になった。」

「その傲慢な態度が嫌になったというのならその方に同情せざるを得ませんわ。

どうぞ、ここに連れていらっしゃって、わたくしにもご挨拶させてください。

わたくし達きっと気が合うわ。」

「メイのことはいい。挨拶は済んだ。宿に移動する。」

「あら、会わせたくない理由があるのね。

そんなにやましいと思うのなら、その方とご結婚なされば良かったのよ。」

「小結、もう止してくれ。」

「いいえ、止したりしないわ。その方と暮露様はご友人でいらっしゃるのね。

だからお怒りなのよ。

好きでもないわたくしと婚約なんてされたから、メイさんがお可哀想で。」

「止せと言っているんだ!」


胸の奥で胃が震えるのを感じながら、僕は桜さんを凝視していた。

小結さんは尚も喧嘩腰な視線を桜さんに向けていて、桜さんは耐えきれない様子で暮露さんを睨んでいた。

しかしその目に映っているのは、間違いなくメイさんの小さな墓石だった。


「あぁ、恐ろしいわ。術師の方々ってすぐお怒りになるですもの!

メイさんという方にはお目にかかれない、きっと特別な理由がお有りなんですわね!」

「あぁ、その通りだ。」


桜さんはしばらく沈黙した後、机を蹴飛ばして部屋を出て行った。

ガラスが割れる音がして、最後に残っていたタペストリーが燃え上がった。

僕は慌てて立ち上がり、桜さんの後を追った。


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