新しい道を切り開く


「じゃあな。」


桜さんは開いた門の真下に立って、そう言った。

あれだけお酒を飲んで、酔っていたように見えたのだが、桜餅を食べ、蕎麦を食べ、少しばかり歩き、最後の墓参りを済ますと、もう足取りもまともに戻っていた。

シヴィーさんは少し辛そうに青い顔をしている。


「自分の飲める量くらい把握して飲めよ。」

「はい…、次はそうします…。」


シヴィーさんの声があまりに暗かったので、僕と桜さんは顔を見合わせて笑った。

桜さんは、僕に紙切れを差し出した。


「これは?」


受け取りながら尋ねると、桜さんは何も言わずに紙切れを顎でさした。

見てみると、それは住所だった。


「手紙をくれ。」


桜さんはそう、短く言った。


「桜さんもご自分の国では結構暇なんですか?」

「暇なわけあるか、馬鹿。

行事、訓練、外交、戦闘。

毎日飽きもせずに、何かしらが俺に用事があるんだ。信じられるか?」

「僕にはちょっと、想像がつかないです。」


桜さんはまたため息をついた。


「この国に来て良かった。」


心の底から出た言葉に、桜さんの情の深さが表れていた。

しかし、そう言った途端、遂にシヴィーさんがしゃがみこんでしまい、それを見て、桜さんは豪快に笑った。

そして傍に片膝をついて、シヴィーさんの背中を撫で、全く可愛い奴だと言った。


「シヴにも会えたし、お前にも出会えた。」

「僕みたいなのは何処にでもいると思いますけれど。」

「俺の国にはもう、お前のように、俺を対等に見て物言う奴はいない。

上か、下か、それだけだ。」

「もしかして昨日のこと根に持ってます?」

「持ってない。お前はもしかして、俺のこと相当狭量な奴だと思ってないか?」

「思ってないです。」


僕はケタケタ笑った。


「でも、昨日のことが原因で今日お帰りになるんだと思ってました。」

「違う。父を説得できなくなった。

本当は17日の朝発とうと思ってたんだが、元々父には5日には帰ると言っていたし、致し方ない。」


桜さんは立ち上がり、だから、と続けた。


「だから手紙をくれ。

俺にこの国の移ろいを、差し支えない範囲で教えて欲しい。」

「分かりました。」


僕も、と下の方から消えるような声がして、僕と桜さんはふたりしてシヴィーさんを見た。


「僕も書きますぅ…」


今にも吐いてしまいそうな顔色のシヴィーさんが顔を上げ、そう言った。


「お前からはもう期待せんわ。」

「そんなぁ…」

「いいか、俺は手紙を寄越せと言ったんだ。

お前が送ってきたのは手紙じゃない。業務報告だ。」

「うへーん。」


そうか弱い声で言い残すと、シヴィーさんはまた突っ伏してしまった。


「またいらしてください。」


僕がそう言うと桜さんは考え込むように間を置いた。

僕から目をそらすようにシヴィーさんの後頭部を見つめ、また視線をあげて何かの決意のように言った。


「いや、もう来ない。」


初めは桜さんが僕を慌てさせようとしているのだと思ったが、そうではなかった。

桜さんは無念さを隠しながら、続けて言った。


「次の縁談が、決まりかけているんだ。」


僕が驚いて声をなくしていると、桜さんは肩を落として僕の肩越しに街を見つめた。


「好きじゃないのに結婚するんですか。」

「何言っているんだ。

見合い婚なんてどれもそんなもんだ。

メイとは、運が良かっただけで、大抵あるのは情じゃなく国益だ。」

「お嫁さんを貰うんですか。」

「まぁ、俺が婿養子になるわけだが、そうなるな。」

「メイさんのこと、忘れちゃうんですか。」

「そうでなければ、嫁になる奴に失礼だろう。」


なんだその顔は。

桜さんは僕に視線を移して、そう言った。

僕は、余りにも悲しかった。

桜さんは、メイさんを愛し続けるのだと勝手に思い描いていた。

そんな都合の良いことが、あるわけないけれど、だけど、そう信じていた。

僕が黙り込んでしまってできた沈黙を、桜さんは無理に埋めようとせず、街を眺る為の時間としてたっぷり堪能していた。


「この国にも、これでさよならだ。

メイの笑顔も、忘れ難いが、もう忘れるよ。」

「そんな!」

「ヤシロ。」


桜さんは仕方なさそうな、時折見る鏡に映る僕と同じような瞳で、少し微笑んだ。


「メイは死んだんだ。死んだんだよ。」


シヴィーさんが、ぴくりと動いた気がした。

僕がまだ黙っているので、桜さんは僕の肩を2度叩いた。

風がびゅうっとふいて、僕たちの館の方へ駆け抜けていった。

手のひらの中で、僕は紙切れを握りしめた。

いっそのこと、泣いてしまいたかった。


「他人の為に泣いたり怒ったり、お前は本当に忙しい奴だな。」


桜さんはそう言ってまた笑った。

僕の為に、笑ったのだろうと思った。

桜さんが笑っていることだけが、僕の救いだった。


「で、そう言うわけなんだがな、ヤシロ。

旅なんか辞めにして、俺と来ないか?」

「え?」

「だから、どうせ下働きなんかするくらいなら、茶屋なんか辞めちまって、俺の側仕えになれよ。

給金は弾むぜ。」


突然の提案に、僕は咄嗟に頭が働かなかった。

それは、と無意味に2回繰り返した。


「それは…、それはできないです。ごめんなさい。

実は僕も、親の決めた婚姻でここに来たんです。」

「やめちまえ。そんなもん。」


桜さんは、僕が旅人だと嘘をついたことには何も言わず、そう言った。

桜さんがほとんど本気でそう言っているように思え、僕は申し訳なく、言い訳をした。


「そうはいきません。

僕の意思ではどうにかできることではありませんし、僕は、僕のお嫁さんになる人を幸せにしたいと思ってるんです。」

「真面目なやつだな。

まぁ、お前ならできるよ。

…メイも、お前なら気に入ったろうな。」

「え?」

「もしメイが生きてたら、俺よりお前を取ったかもって話だ。

今更生きていたらなんて我ながら女々しいが、本当にそう思う。」

「そうでしょうか。」

「俺もタダで渡す気にはならんが、お前には全く、敵う気がせんよ。」


桜さんが何を言っているのかよく分からず、目を瞬いていると、桜さんは何かを思い描くように上の方を見つめた。


「俺の嫁になる女は、大層気が強いらしくてな。

話も好まず、笑みも見せてもらったことがない。

難儀なものさ。」

「それは、難儀ですね。」


僕はハハッと乾いた笑みを漏らした。

桜さんが相手にされないなんて、半ば信じられなかったし、きっとお相手は、気難しい方なんだろうと思った。


「お前もがんばれよ。

それから手紙を寄越せ。

俺はそれを楽しみにしながら、嫁との距離を縮めるさ。」

「僕も、そうします。手紙、出します。」


桜さんは嬉しいそうにニカリと笑って、じゃあな、と手を挙げた。

そして2度手を打ち鳴らすと、何処からともなく、桜さんの側仕えの面々が現れて驚いた。

8人もの、大きかったり小さかったり、太かったり細かったりする彼らは、やはりメイさんの側近衆とは似ても似つかない雰囲気がある。

側近衆とか、側仕えとかよりも、武力集団の名称の方が、しっくりくる。

そして桜さんには、その方が似合っていると思った。


「おら、俺はもう行くぞ。言うことはないのかー?」


そう言いながらシヴィーさんの肩を揺らすと、シヴィーさんはまた少し顔を上げ、

「寂しいですー」と半べそのような声で言った。

桜さんは、声を上げて笑いながらシヴィーさんの肩を2度叩いて、そしてもう1度叩いてから再び、じゃあなと言った。

砂漠を歩いて行く桜さんの後ろ姿は、美しい一本の桜のようだった。


僕はそれを、桜さんたちが見えなくなるまで、今にも吐きそうなシヴィーさんの隣で見送った。

そして彼が見えなくなってしまうと、シヴィーさんを彼の自室まで送り届けた。

そして自分の部屋に戻り、ベッドに大の字に倒れ込んで、桜さんの言葉を反芻した。

その記憶はまだほとんどが悲哀の色に満ちていた。


暫くして、しなければいけないことを思い出し、僕はまた、街に出た。

桜さんのいなくなった街は、彩が一つ欠けたような気がしたけれど、でも本当にそうであるわけがなく、おやつ時を少し過ぎた頃合いで、あたりは明るかった。

だから僕は地図を買い、歩き回って、気に入ったところに赤い丸をつけた。

そして近くにいる、色鉛筆やら油絵やら絵の具の絵描きやらに声をかけ、絵を見せてもらったり話しをしたりをして、優しそうで絵がなるべくリアルな絵描きさんたちに風景画を依頼した。


できれば、まるで自分が歩いているかと思うくらいの視点から見た風景のを、カラーで、と何回か言葉を変えて言い、その日のうちに2貫文を使い果たした。

最終的には7人の絵師に、計30枚の絵を依頼したのだが、仕上がりのことまでは何も考えが及ばなかった。


それからも茶屋では働いていた。

特に使うあてのないお金を稼ぐ為、僕は黙々と黙々と、と言いつつ色んな人とお話をして色んなことを教わりながら、残りの5日を過ごした。

途中、一周忌があり、ユヌちゃんが喪服が嫌だと言って駄々をこねたりしたけれど、僕が喪に服すふりをするゲームだよこれは、と言って宥めすかして、ふたりでお揃いの黒服を着たりした。


ユヌちゃんが遺族として僕から離れている間、僕は式の会場から出てくる人に話しかけて、厚紙とペンを差し出すのに奔走していた。


「あの、これに、メイさんへの感謝の言葉とか、思い出を書いて欲しいんですけど。」


そういうと、色んな人が、「まぁ」と言ってペンを手に取ってくれた。


「できれば、過去形じゃなく、お願いします。

メイさんが今読んでくれたら、って感じで。」


うんうん、と頷きながら、街の人たちは幾人かは涙ぐみながら、幾人かは思い出に微笑みながら、大きい文字や小さな文字で寄せ書きに協力してくれた。

僕はユヌちゃんが戻ってくるまでにそれを隠さなければいけなくて、ちょうど現れたテムさんに共謀してもらった。


そんなこんな、色々あって遂に5月16日になった。

メイさんは既に元のお仕事に戻っていて、あの日以来1度も話をしていなかった。

だからこうして目の前にすると、なんとなく気後れがした。


「御用とは?」


メイさんが、手元の資料を仕分けしたり判を押したりしながら僕に尋ねた。

いつもの椅子に座り、いつものようにサバサバと仕事をこなしていく後ろでは、4方に加えて天井さえ水槽になっている中で巨大な金魚が一匹泳いでいる。

僕のことを監視するような目で見る金魚は、それでも無音を貫いていた。


「お誕生日、おめでとうございます。」

「お気遣い痛み入ります。それで御用は?」

「用…、あぁ、用は、これです。」


そう言って、僕はアルバムのようにまとめた冊子を差し出した。

メイさんは受け取る様子もなく、差し出された分厚い冊子を見つめた。


「こちらは?」

「僕からの、プレゼントです。」


メイさんは驚いたような様子は少しも見せず、しかしピタリと手を止めてその冊子を凝視していた。


わたくしに?」

「えぇ。メイさんに。」


しばらくの間、シーンとした沈黙があった。

その冊子は少し重たかった為、僕の腕はプルプルし始めていた。


「僕が一度お受け取り致します。」


見かねたシヴィーさんがそう言って、にっこり笑って僕から冊子を受け取った。

この時点ではまだリボンで結ばれていたから、中身までは分からない。

僕は提案してもらった通り、シヴィーさんに手渡して、もうそれ以上なんの会話もするつもりもないらしいメイさんの表情を見て、退室した。


残念ながら、そのあと夕食の席を同じくしても、メイさんから何か言われることはなかった。

開けたとも嬉しかったとも言われないプレゼント。

受け取ってもらえただけでも御の字とは、なかなか言い難いが、そういうことにしかできなかった。


そんな具合に僕の初めてのアルバイト生活は終わりを迎えたわけだけれど、それはただ無意味に肉体を酷使しただけではなかったと、後日改めて思うことになる。


メイさんのお誕生日から数日経ったある日、側近衆の面々が集まって、何やら話をしていた。

それ自体とても珍しいことだったのだけれど、その内容が、僕にはとても嬉しいものだった。

シヴィーさんは廊下をあてもなく歩いていた僕を見つけるなり、声をかけて仲間に入れてくれた。


「何のお話をされていたんですか?」


興味本位で尋ねると、シヴィーさんが少し声を低くして言った。


「メイ様、ここ数日ずっとアルバムみたいなものを眺めていらっしゃるんですよ。

誰が差し上げたのかも分からなくって、なんなんだろうってみんなで話していたんです。」

「ウチがチラッと見たときは、なんか中央門を見上げた絵が描かれてたッス。」


紗遠ちゃんがそういうと、今度は琴音ちゃんが、「私の時は茶屋と団子の絵でした。」と言った。


「メイ様、熱心にご覧になってて。時折地図を広げるんですよ。」

「ウチ、コーヒーを買ってきて欲しいって言われたッスよ。

甘いものを、みんな分買っておいでって。

メイ様、よくご存知でしたよね。

あのコーヒー屋のこと。」


メニューやチラシや寄せ書きを、入れておいて良かったと僕は心の底からホッとした。

絵だけでは、なんとなく喪失感が漂っていたから、まるで交換日記か、あるいは広告塔のような雰囲気にしようと思って、僕も色々な言葉を書いたりしたのだ。

メイさんが、『この国の一員なのだ』と感じられるものを取捨選択するのは難しかったけれど、

僕はどうしても、消費されるだけの存在ではないのだと伝えたかった。

そして、どうやらそれが幾らか成功したようだ。


「なんなんでしょうね。」


そう言って不思議がるシヴィーさんを見て、

僕はフフッと笑ってしまった。


「僕にも、分かんないです。」


僕が余りにも笑顔でそう答えた為、3人は訝しげな表情を浮かべたが、僕はくるりと踵を返して、街に繰り出した。


小道具屋で、便箋を、買う。

いかにもこの国らしい砂漠の絵が描かれた便箋。

僕はこうでなくっちゃと、端の方に桜の木を一本描きたした。

そしてペン先をようく整えてから、思い直して、桜の木の下にふたりの棒人間を描いて、へへへと笑ってから正真正銘なる手紙を書き始める。


拝啓 桜さん。

お元気ですか。



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