友だち
初めてのお仕事、11日目。
今朝もまた、仕事にとりかかる。
しかし、桜さんは訪れては来なかった。
10日間、滞在時間の長短は別にして、休まず見届けてくれていたから、なんとなく惜しい気がする。
来なくていいと思いつつ、来ないまま、そのまま帰ってしまうのも嫌だった。
「ヤシロっちゃん、昨日はありがとうよ。」
「あぁ、いえ。とんでもないです。」
店の旦那さんがそう言って、昨日店仕舞いをした代わりに、今日は休みにしようかと提案してくれた。
僕はどちらでも良かったが、そういえば、もう一度、あの桜の木を日中に見ておくのも悪くはないと思い、有難くお休みを頂戴した。
1時間くらい朝の支度をお手伝いしてから、僕は午前中の太陽が降り注ぐ街に繰り出した。
10日ぶりの明るい街は、懐かしく美しかった。
空は青く晴れ渡り、聳える建物は砂漠の中にあるとは思えないほど彩り豊かで、僕を迎えてくれた。
砂漠の中というだけあって、やはり草木は少ないが、
水の都というだけあって、やたらめったら水は沢山流れている。
川があって、噴水がある。
しかし、僕ももう1年ほどこの国に居座っているから、この水が飲み水ではないことは、わかっている。
多くは術師によって作り出された生活用水であって、飲み水には向かないらしい。
飲料水は純粋な湧き水を煮沸殺菌して、入手する為、やっぱり希少なのだとか。
そういう、飲める水の湧き出る井戸やその周辺の地区はとても繊細らしく、僕はまだその場所を訪れたことがない。
ともあれ、水の流れる音がする場所というのはどこでも心が安らぐものだ。
「小春日和だなぁ。」
うーんと伸びをして、特に誰にいうでもなく、僕は呟く。
スタスタと歩く方法を知らないから、僕はてくてく歩いて、桜の木を目指す。
そこまで遠くはないのだけど、その道中には様々な人がいて、遊ぶ子供や洗濯物を干す母親がいて、店先で客商売をしている父親がいる。
その逆のことも、ある。
逆の時の方が、僕は好きだ。
父親が家事をするか、あるいは母親が店先に立っている時は、僕は思わず微笑んでしまう。
何故だか分からないけれど、多分、エディプスコンプレッションのようなものだ。
母親という人種が、たとえどんな形であっても僕は好きだった。
まぁ、別に、だから何というわけではないけれど。
「あら、ヤシロさん。お久しぶりで。」
「テムさん。お久しぶりです。」
声をかけてきてくれたテムさんは、この国に来て最初にできた一般市民のお友達だった。
テムさんは絵描きで、いつも道端に小さな木の椅子を持ち寄り、ここと決めたら朝から晩までそこにいる人だった。
有名ではないけれど、名無し絵描きの絵として、国外では少しばかり評判が良い。
「今日は何を描いているんですか?」
「あれだよ。」
テムさんが指差した先には、最近オープンしたらしい、かふぇなるものがあった。
「かふぇ、ですか。」
「そうよ。つい一昨日ばかりに開きよってね。
異国の、こーひーというのを売っているらしい。」
「こーひー、ですか。」
ふーん、とその外観をよく見てみる。
白く塗ったレンガの中に、時折思い出したかなように赤いレンガが挟まれている。
看板には、空色の飾りと白いペンキでCOFFEEと異国の文字が綺麗な書体で書かれていた。
少しの間見ているだけでも、年頃の女の子たちがこぞって入っていき、中にはすぐに退店する子いたが、そういう子は必ず手にマグマカップを持っていた。
「女性に人気のようですね。」
「そのようで。」
テムさんはそう答えながら、平たい筆で色を塗り込んでいく。
その絵はまだまだ完成途中だったが、まさしくその光景を描き出していて、僕は感心してしまった。
メイさんはこの店を見ただろうかと考えた。
空を見上げてみたり、少し下がって屋根をみてみたりしたが、やっぱり上からでは日除けが遮ってよく見えないだろうと思った。
僕はこの新しい発見をなんとかしてメイさんに見せてあげたくなった。
「テムさん、お願いがあるんですけど。」
「うん?なんだい。」
「僕の為に絵を描いてくれませんか。」
僕がそう言うと、テムさんは訝しげに僕を見上げた。
「あんたさんにかい。」
「えぇ、プレゼントにしたいんです。」
「俺の絵をかい。」
「えぇ。とても素敵だから。」
「照れるね。」
テムさんはそう言って、うへへと笑った。
僕はそこで4枚の絵をお願いして、また取りに来ますと言った。
再び歩き出し、まっすぐに桜の木を目指した。
館まではすぐそこだったのだけれど、どうやって桜の木に辿り着けるのか、
さっぱり分かっていなかった為、建物の周辺をぐるりと2周して、
同じところを通ったことに気づいたあたりで、1度建物に入ってしまうということを思いついた。
1階をとぼとぼと歩きながら中庭を探し、ようやくそれに辿り着くと、驚くべき事にそこには先客がいた。
「あ、ヤシロ様。おはようございます。」
僕と目が合った途端、そう声をかけてきたのはシヴィーさんだった。
ウッと声が出るかと思った。
すぐに目を逸らしたのに、目ざとく、ではなく親切心でシヴィーさんは挨拶をしてくれたのだ。
「おはようございます。」
仕方なく、僕は建物の廊下をぐるりと歩いて、桜の木の根元を陣取るシヴィーさんと、そしてさっきまで確かに微笑んでいた桜さんへと近寄った。
「どうされたんです?」
「いえ、ちょっと、散歩がてら。」
なるべく桜さんの方は見ないように心がけたものの、彼は僕をじっと見上げていて、余りにも気まずかった。
謝らなければと思うのに、高圧的に糾弾されるのが怖かった。
「どうです。一緒にお花見でも。」
暢気な様子でそう尋ねるシヴィーさんはにっこりと笑っていた。
ふたりの間に、もうわだかまりはないのだろうかと不思議に思ったけれど、
シヴィーさんならすぐに謝れるのだろうし、桜さんもそれを許すだろうと思えた。
僕は手招きされるがまま、窓枠を跨ぎ、乗り越え、中庭に入り込んだ。
僕がまだ答えに詰まっていると、シヴィーさんが桜さんに言った。
「ヤシロ様もご一緒して、良いですよね?」
「そうしたいならそうすれば良いだろ。」
「もう、そんな風に仰って。ヤシロ様、どうかお座りになってください。
桜様、昨日から随分反省されたんです。」
「えっ」と、つい桜さんの方を見ると、桜さんはギロリとシヴィーさんを睨み付け、シヴィーさんの長い前髪をぐいと引っ張った。
「言うな馬鹿!」
「だって本当のことじゃないですか~。」
シヴィーさんはケタケタ笑っていた。
ふたりは少し広めのシートを広げて、桜餅とお酒を並べて座り込んでいた。
そのシートの端まで行くと、桜さんが下唇を噛んでいるのが分かった。
あの、と言うとふたりは同時に僕を見上げた。
「僕も、僕も反省しました。
桜さんに、偉そうなことを言って、すみませんでした。」
そう言って僕は頭を下げた。
桜さんの視線が痛かった。
昨日、頭を下げ続けたシヴィーさんの気持ちが、少しだけ分かった気がした。
「顔を上げろ。」
思いのほか、拗ねたような強い口調でそう言われ、
やっぱり止めておけば良かったかなと思いつつ、言われた通りにすると桜さんはそっぽを向いていた。
そして僕の方を見ないようにし努めているようだった。
「俺は、友に頭を下げられるのは好かん。」
桜さんは短くそう言って、
「俺も、すまなかった。」と続けた。
そうして、ちらと横目で僕を見る仕草が、僕にはすごく愛おしかった。
思わず微笑みながら、僕はシートに膝をついて、いえ、と言った。
桜さんは少しズレて、僕に場所を空けてくれ、シヴィーさんは僕にお猪口を差し出してくれた。
僕が座り直してからそれを受け取ると、桜さんは無言でそれにお酒を注いでくれた。
「ありがとうございます。」と言うと、桜さんは頷いた。
「でも、安心しました。
桜さんとシヴィーさんが仲直りしてくれていて。」
そういうと、桜さんはついに僕の方を向いた。
そして昨日以前と全く変わらない様子で口を開いた。
「仲直り?何をトンチンカンなことを言っているんだ。
目上の者が目下の奴を叱って粗相を矯正させるのは当たり前のことだ。
そんなことでヘソ曲げられたら、やってられん。」
「だから、そういうことを言っちゃうのがヤシロ様を不快にさせるんだって、昨日も言ったじゃないですか。」
桜さんの物言いに、シヴィーさんが仕方なさそうに口を挟んだ。
「俺は当然のことを言ってるんだ。」
「桜様、僕が昨日言ったこと聞いてました?」
「お前こそ何で昨日俺が叱り飛ばしたのか忘れたのか?」
「僕、今日非番なんで。
非番の時は無礼講でいいって言ってましたよね。」
そう言ってシヴィーさんはピースサインをして、ケタケタ笑った。
このふたりは、僕が思っていたよりも絆が深いのかも知れないと思うと、自然と笑みがこぼれた。
「やっと笑ったな、この野郎。」
桜さんはそう言って、今度こそ僕に向かって微笑んだ。
僕は嬉しくなって、はい、と言ってもっと笑った。
「この桜のこと、ご存じだったんですね。」
「当たり前だ。昔はこの建物に客室があって、よく泊まったからな。
メイとも、よく花見をしたし。」
へ~、と言いつつ、僕は建物の真ん中くらいの階を見上げた。
昨日、メイさんが桜の木を見下ろしていたのは、どのあたりだろうかと思った。
「この桜、メイが大層気に入っていてな。
お花見をしたいから今すぐ来国してくれと文を貰ったときは失笑したもんだ。」
へ~、と気のない返事をしてしまい、桜さんに、おい聞けよと言われてしまった。
桜さんが言う言葉が、昨晩のメイさんを思い出させたから、聞いてますよと言いつつ、事実右から左だった。
昨晩、メイさんは桜を見ていたのだろうか。
それとも、お花見をした思い出を、見ていたのだろうか。
「それで、来たんでしたっけ?」
会話を引き継いだシヴィーさんがそう尋ねた。
「来るに決まってんだろう。
ここに来る許可を得るのに随分父を説得したもんだ。」
「それ前にも言ってましたよね。」
「何回話しても足りん程苦労したんだ。」
なんやかんやと言いながら、桜さんは思い出話をすること自体はまんざらでもない様子で、
1回目の花見の時はふたりの兄同伴でつまらなかっただとか、
2回目の時はシヴィーさんが一緒で口煩くて敵わなかったとか、
3回目にふたりだけで夜桜を見たときは本当に有意義な時間だったとか、そんなことを話した。
「この桜が咲いている限り、俺たちは大丈夫だと信じてたんだ。俺は。」
桜さんがお猪口を覗き込み、ゆらゆらとその水面を揺らしながら言った。
「どうしてですか?」
僕が問うと、どこか不服そうに桜さんは答えた。
「
「桜が咲くから会うのではなく、お互いの会いたい気持ちに応えて、ふたりを迎える為に咲いてくれる、そういうことですか?」
シヴィーさんが何も言わないので、僕がそう尋ねると、桜さんは酒をぐいと飲み干してから頷いた。
「まぁ本来の意味とは違うがな。俺は春以外にも会っていたわけだし。
なんというか、メイがそういう気持ちでいたら良いっていう俺の願望もあったんだ。」
なんだか、酒が入っているからか、桜さんは色々なことを吐露し始めていた。
お酒を飲み過ぎていないかと、シヴィーさんに視線で窺おうとしたのだが、
シヴィーさんは何やら不思議そうな顔をしていて、そして突然、
「こぞの春って何ですか?」と言った。
「は?」
桜さんは気分を削がれたというように、荒っぽくそう言う。
大きくため息をついて、お猪口を突き出して酒を注がせた。
「お前は相変わらず学がないな。」
「こぞの春ってなんなんです?」
シヴィーさんの問いに桜さんが答える様子がなかった為、
僕が、去年の春という意味だと教えてあげた。
「古い言葉ですから、知らなくても無理ないですよ。」
「無理ないもんか。お前は本当に実践以外は知らん奴だな。」
「実践以外というか、基本は桜様が教えて下さった事以外、知らないんですよ。
礼儀作法と、武力と、組織内での立ち回り方とか、それくらいですかね。」
「それくらいって言うな。それだけで十分だろうが。」
「じゃあ去年の春が分からなかったからってそんなに言うことないじゃないですか。」
「それとこれとは別だ、馬鹿。粋もへったくれもない奴だ。」
えー、と声を上げるシヴィーさんに、僕はクスクスと笑った。
そして未だに理解が及ばない不服そうな顔をしているシヴィーさんの為に、僕は歌を繰り返した。
「
去年会ったあなたの事が恋しくて、今年も桜の花が咲いて、あなたを迎えているようですねっていう短歌です。」
「短歌、ですか。」
「駄目だ、ヤシロ。こいつには響かん。」
桜さんは頭を垂れて何度か横に振った。
そのあと幾つか短歌を教えてあげたけれど、
「なんか語呂がいいですね、
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