諍い
アルバイトなるものを始めて1週間と少しが経った。
相変わらず湯呑みは割るし、相変わらず桜さんは滞在期間を伸ばし続けていた。
「最長記録だ。」
得意げに桜さんが言う。
僕は机を拭きながら、おめでとうございますと言った。
桜さんが何か甘いものを食べたいと言った為、茶屋の旦那さんは桜餅を出して、そして何かの用事でどこかへ出かけてしまった。
2人きりになると、桜さんは話しかけてくれることが多くなることを僕は感じ取っていたから、それは少し嬉しいが少し煩わしいところもあった。
桜さんはうんと広く椅子を陣取って、桜餅を手に取って言った。
「これ俺、共食いにならない?」
「ならないんじゃないですかね。」
「なんだよヤシロ、随分冷たいじゃないか。」
「冷たくないですよ。」
「いいや、お前は冷たくなった。」
「なってないです。」
「なった。」
メイさんへの、貴方の感情が眩しすぎたんだ、とはどうにも言えず、僕は桜さんの言葉に適当に相槌を打ちながら、順々に仕事を終わらせた。
机を拭き終わり、今度は床に取り掛かる。
桜さんは退屈そうに頬杖をついて、僕が働くのをずっと見ていた。
すると、余りに僕が特別構うこともなく、桜さんより頑固な汚れにかぶりつかれている床ばかりに注意を注いでいた為、暇を持て余したのか、桜さんは床の上に火のサメを泳がせた。
なんの前触れもなく、突然足元に火の玉が現れたら、誰でも驚く。
「うわ」
驚いて後ずさると、桜さんは膝を手で叩いて大声をあげて笑った。
「サメですか?」
と僕が問うと桜さんは自慢気に頷く。
もう一度それを見下ろすと、今度は龍になり、狛犬になり、最後は桜の花になり散った。
「器用ですね。」
術師が自分の術を使って、つまり火や水や草木や雷で型を取るのはよくあることだが、大抵出来損ないだったり、すぐに形が崩れてしまったりするらしいのだけれど、桜さんの火の玉にはそんな様子は少しもなかった。
産まれたての子鹿を模したそれを、シルエットクイズで、『産まれたての子鹿』だとそのままに言い当てられるくらい、それらの造形は優れていた。
「器用というほどでもない。
ガキの頃はこれでしりとりをして、みんな術の精度をあげたもんだ。」
「楽しそうですね。」
「楽しくなければガキには続かん。」
「そうですね。」
「ところで、お前はどうしてこんなところで下働きをしているんだ。」
僕は、働くという単語を聞いて、思い出したように手を動かし始める。
床掃除が終わったら、湯呑みを全て洗って、拭いて、片す作業が残っている。
果たして7時までに終わるだろうか。
あまり遅くなると、またぞろシヴィーさんがお迎えに来たりして、とやかく言い出しかねない。
「働きたいんです。」
「なぜ。」
「何故って、自分でお金を稼いでみたくて。
桜さんは、そう思ったことないですか?」
「今のところ無いな。」
桜さんは、どうやら僕を小金持の次男坊と思っているらしかった。
国の大きさや財力でいえば、桜さんは大金持ちで、僕は小金持程度という認識で間違いないのだろうけれど。
「金ならくれてやる。だから街に出ようぜ。退屈だ。」
「それじゃあ意味がないんです。
そんなに出歩きたいのなら、シヴィーさんと行けばいいじゃないですか。」
「あいつは口煩いから嫌だ。」
「口煩くなんてないと思いますけど。」
「正気か?あれはダメだの、これはだめだの、気が狂いそうになる。」
「じゃあユヌちゃんに会いに行くとか。」
桜さんは心底嫌そうに顔をしかめ、退屈そうに伸びをした。
そして、それはもっと嫌だと言った。
「お前は術師ではないから分からんと思うが、ユヌと同じ空間にいるとひどく疲れるんだ。
術師のパワーを吸い取るからな。あれは。」
そんなものなのかと思いながら、そんな言い方しなくてもいいのに、と思う。
それでも、疲弊する苦労を理解できない僕が批判できる立場にはないだろうと思い、口をつぐむ。
桜さんに、悪気はないのだと知っているから。
「難儀な病だ。
うちの国の優秀な医者にも診せたが、原因も分からん。
研究を進めろと言ったが、実際、症例も資料も少なすぎる。
第一人者という他国の女にも依頼してみたのだが、無下に断りやがった。
俺が頭を下げたんだ。
一回くらい診てやっても良いと思わないか?」
「そうですねぇ。」
僕は箒を動かし続ける。
さっきっから、同じところを履いていることに気がつき、移動する。
桜さんは、疲れるから疲れると言っただけだ。
やっぱり悪意はないし、まるっきり敵意はない。
素直な人なんだと思うと、笑みさえ溢れる。
「何を笑っているんだ。」
「いえ、別に。」
「よく分からん奴だ。」
「よく言われます。」
僕は机の上に椅子をあげ、丁寧に床を履いて行く。
退屈そうな桜さんは、どこかに出歩いて行けば良いのに何故かそこに留まり、挙げ句の果てには座ったまま、火の玉でお手玉を始めた。
「熱くないんですか?」
と問うと、桜さんは突然、その火をひとつ僕には向かって投げてきた。
思わず避けたのだが、それはユラユラと床の上で燃え続けた。
「何するんですか。危ない。」
「触ってみれば熱くないかすぐ分かるだろ。」
「嫌です。」
「臆病だなぁ。」
「火傷したらどうするんですか。」
火傷なんてしたら、このあとの洗い物が大変になるではないかと僕は憤慨したが、桜さんはどこ吹く風と聞き流した。
「この火は俺の意思なんだよ。
だからさ、敵意を感じていれば熱くなるし、逆に親身に思っていれば熱くもないってわけだ。」
「そうなんですか。」
「便利なんだぞ。」
「そうでしょうね。」
「他に思うことはないのか。」
「その火はどのくらいまで熱くなるんですか?」
僕は上げた椅子を元に戻しながら、仕方なく尋ねた。
随分お喋りが好きなんだなぁと思ったし、話す人がいないのかなとも思った。
僕と同じで親しみやすいのは、変わらない。
「さぁな。人間が骨になるくらいだから、1000度から1500度くらいじゃないか。」
「人が骨になるんですか?」
「よくあることだ。
手足の細いところは残らんな。」
「よくはありませんよ。また物騒なことを。なんですか、怖いです。」
「向こうから飛び込んでくるんだから、仕方ないだろ。
俺だって黒炭なんか回収したくないんだ。」
向こうから飛び込んでくる状況を考えたが、おそらくは戦闘中のことを話しているのだろうと思い、その場を容易に想像することができた。
実際に戦場に赴く術師が日常茶飯事というなら、そうなのだろう。
恐ろしい世の中だ。
掃除を終え、湯呑みを洗いに奥に行くと、桜さんは当然のようについてきた。
「なぁそれいつ終わんの?」
「あと1時間くらいですかね。」
「付き合いきれん。」
「付き合ってほしいとは言って」
ないです、と続けようとしたところで、店の扉が開く音がした。
ガラガラ、ガタンガタンと石を巻き込んでいる音だ。
あれも直さなければと僕のリストに加える。
「お客さんですかね。」
僕が前掛けで手を拭きながら桜さんの立っている向こう側を覗いたが、桜さんは違うなと答えた。
首だけ向こうを向けて、僕よりも一段上の場所から覗いている。
いちいち、格好のつく仕草だなぁと思いながら、桜さんの返事の続きを待った。
「誰だ、あいつ。もう店は終いなんだろ。」
「えぇ。暖簾をしまい忘れたかな。」
「暖簾はさっきしまってたじゃないか。
相変わらず忘れっぽいな。」
「そうでしたっけ。慣れないもんで。」
桜さんが対応してくれるとも思えなかったので、僕が店の方に出て行くと、そこには紗遠ちゃんが立っていた。
「ヤシロ様ァ、何してんスかー!」
紗遠ちゃんは僕の姿を見つけると、呆れ半分憤慨半分で近寄ってきた。
「帰りが遅いなら遅いって言ってくれないと、ウチが怒られるんスよー!」
あぁ、そうだったと思い、僕は謝る。
シヴィーさんが急遽桜さんの世話役になり、
すみません、と言われながら一時的に僕の世話役が紗遠ちゃんになったわけだが、どうやら僕の行動は全て把握していないといけないらしいのだ。
「そこまで頭が回らず、すみません。
茶屋の旦那さんが急に出かけることになって、片付けをひとりでやっているので、つい遅くなっちゃいました。
あと1時間くらいで終わるので。」
「えぇー、まだ帰らないんスかー?
大体なんでこんなところで働いてるんスか?
シヴィーさんが不思議がってましたよ。」
「色々あって。」
はぁあ、とため息を吐く紗遠ちゃんは、なんだかいつもより疲れて見えた。
それもそうだろう。
今回の桜さん来訪のおかげで、メイさんがやっていた仕事を暮露さんが行い、暮露さんがやっていた仕事をシヴィーさんが行い、シヴィーさんがやっていた仕事を紗遠ちゃんと琴音ちゃんが行なっているのだ。
こういう場合、多くは下に行けば行くほど雑用が増える。
「すみません。」
「おい、お前。」
僕が謝るのと、桜さんが声を発したのはおおよそ同じタイミングだった。
あからさまに不快そうな桜さんは既に椅子に座っていて、足を組み、腕を組み、不機嫌ですと顔に書いて、そこにいた。
ここ数日でなんとなくわかってきたのだが、桜さんは沸点が低い。
「はい、なんスか。」
紗遠ちゃんは突然、それもかなり高圧的に話しかけられ、驚いたように返事をした。
「無礼だぞ。
お前はヤシロの世話係だろ。
側仕えがそんな態度で良いと思っているのか。」
紗遠ちゃんは一瞬キョトンとしていたが、しかし怯む様子もなかった。
そもそも、メイさんの下で働いている紗遠ちゃんが、この程度の言葉で震え上がるはずもなかった。
「ウチはヤシロ様に仕えてるわけじゃないッスから。
大体、誰スか、この人。ヤシロ様。」
「俺が誰かも知らんのか。」
「まぁまぁまぁまぁ。」
僕が割って入るとふたりの鋭い視線を両側から受けることになり、胃が痛んだが、一触即発の空気を吸いながら僕はなんとか間を取り持とうとした。
「僕はこれくらい緩い方がいいんですよ。」
と、まず先に桜さんの怒りを鎮めようとし、
次に紗遠ちゃんに、こちらは桜さんだと紹介した。
しかし、桜さんの怒りは収まらなかったし、紗遠ちゃんには桜さんというネームバリューは響かなかったようだった。
「お前、シヴの後輩だろ。あいつ呼べよ、今ここに。」
「桜さん、まぁ落ち着いてって。」
「お前は嫌じゃないのか?
こんな下っ端の小娘に、あんな口の利き方をされて。」
「嫌じゃないです。」
「理解できん。
とにかく、いいからシヴを呼べ。今すぐだ。」
桜さんは怒り心頭といった様子で、もう何を言っても取り合う気はないようだった。
紗遠ちゃんはシヴィーさんを呼ぶつもりは端からないみたいだし、じっと黙って何か考えているようだった。
困り果てていると、桜さんは遂に痺れを切らせて、机を強く叩いた。
「シヴィー!!」
桜さんが怒鳴り声をあげ、その落雷のような憤怒に僕は驚き、身体がビクッとした。
そんなに怒らなくても、と言おうとして、僕の隣にシヴィーさんが立っていることに気がついた。
「お呼びでしょうか。」
さっきまで、いなかったのに。
一体どうやったというのか分からない。
術師の術とは、便利なものだ。
本物の、シヴィーさんがそこにいた。
「この小娘はお前の後輩だろ。」
乱暴な口調で言いながら、桜さんは顎で紗遠ちゃんを指す。
えぇ、そうです、とシヴィーさんは答え、何かございましたかと尋ねた。
「この小娘が、俺にどこのどいつだと聞きやがった。
どんな教育をしたらこんな出来損ないの世話役が出来上がるんだ!」
あぁ、とシヴィーさんは紗遠ちゃんの方を向いて、じっと見つめてから、桜さんに深々と頭を下げた。
「ご無礼を。申し訳ありません。
僕の教育不足です。本当に申し訳ありません。」
「言葉遣いも、態度も、何一つ満足にできていないではないか!
よくこれで一人前に仕事をさせようと思うものだな!」
「仰る通りです。申し訳ありません。」
桜さんはまた机を叩いた。
僕がさっき、手を退けてくださいと言って綺麗に吹いた机を、桜さんは、叩いた。
目の色を変えて、桜さんはシヴィーさんを睨みつけている。
シヴィーさんは、まだ頭をあげない。
桜さんの言うことは確かに正しいとは思うが、僕は息が詰まりそうだった。
「桜さん、もういいじゃないですか。」
「良くない!
いいか、後輩の落ち度を指摘しないのはそれを許容しているのと同じだぞ。
そんなこと、馬鹿のすることだ。
メイの側近衆ともあろう者が、そんな甘えた姿勢で許されると思うな!」
桜さんは僕の方を見もせずに、頭を下げ続けるシヴィーさんの、垂れる髪を見つめながら、大声でまくしたてる。
僕は、その怒鳴り声に酸素を取られてしまって、満足に呼吸ができなかった。
口の中がカラカラになり、何度も唾を飲もうとしたが、それもできなかった。
「はい、申し訳ありません。」
「馬鹿の一つ覚えのようにそればかりか。
大体お前は昔から甘すぎる!
昔、俺が言ったことが何一つ治ってないのが最たる証拠だ!
怠惰で臆病で、繊細などと言われて、それが脆弱なんだと言われていることにも気がつかない!
そうやって自分に甘いうちは、捨て子だった時分となんら本質は変わらないと思え!
メイに甘やかされて、お前は昔から」
「もう止めてください!」
一瞬、自分でも自分が叫んだのだと気がつかなかった。
こんな大きな声が出せるはずはないと思っていたし、そうでなくとも僕は窒息しそうだったのだから。
驚いたように、桜さんは口を開けたまま、僕を見ている。
「高貴なご自分のお気に召さないからといって、鬱憤ばらしのように怒鳴りつけるのは、やめてください。」
「馬鹿にされて、黙って済ませられるもか。」
「そんなに貴方は偉いんですか。」
「俺は一国の王子だぞ。
こんな小娘に馬鹿にされる覚えはない。」
「たかが王子でしょう。
貴方の人としての態度は褒められるものではありません。」
桜さんはあからさまに大きくため息をついて机を叩いた。
呆れた。
そう言いたげだった。
「お前は俺と同じ側の人間だと思ってたんだがな。」
「僕もそうじゃないかと思ってました。
でも僕は、身分や権力を振りかざして人を人と思わず糾弾する人間が、嫌いです。」
「俺の沽券に関わるんだ。勝手に言わせて貰うさ。」
「貴方の価値は貴方自身の行いによって決まるのであって、貴方に対する他者の態度や言動で決まるのではありません。」
「下らん御託を並べよって。興醒めだ。」
ぷいと向こうを向いて、桜さんは立ち上がり、暖簾をくぐって立ち去った。
その姿が見えなくなると、僕は息を吸いすぎていたことに気づいて、長い呼吸で吐き出した。
未だに頭を下げ続けていたシヴィーさんは、太ももの横で揃えていた拳を膝の上に移動させ、そのまま項垂れたように意味のない言葉で唸った。
そして「さぁおぉんん!」と唸りながら、勢いよく上半身を起こした。
その顔からは疲弊と緊張が伺えた。
「反省するように!」
そうシヴィーさんは厳しく言った。
しかし、それだけだった。
横にいる紗遠ちゃんは、不服半分、反省半分の声で、「はい。すんません。」と答えた。
僕の方はといえば、興奮が今度は一気に冷めてしまって、とんでもないことをしてしまったという後悔に襲われた。
お恥ずかしいところを見せてしまいましたと言うシヴィーさんの言葉を、僕はまるきり聞く気力が残っていなかった。
「すみませんでした。」
突然、頭を下げた僕に、シヴィーさんと紗遠ちゃんは驚いたようで、何か励ますようなことを言ってはくれたのだが、僕はどうしても、謝らずにはいられなかった。
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