元婚約者、現る
「え?」
僕の素っ頓狂な裏返った声に桜さんは微笑んだ。
「1年前に亡くなった?メイ様の?婚約者、さん?」
「あぁ、知らないか。
君は貿易関係者か?見たことのない顔だが。」
「いぇ、えぇ、まぁ、旅人みたいなもので。」
旅人みたいなもの、と最初に言ったのは紗遠ちゃんだった。
なんて失礼なことを言うのだとシヴィーさんに言葉の綾でなくひっぱたかれていたが、僕はその言い方が気に入っていた。
メイさんの婚約者だと口にしてはいけないのだと、僕はそう言われていた。
暮露さんにも、シヴィーさんにも、メイさんにも。
私は死んだことになっているからな、と言われた時には実感がなかったのだが、実際に、1年前に死んだのだと第三者から言われるとなんとなく違和感が湧くものだ。
「しばらく滞在するんだ。メイと、前国長の為に。」
桜さんはそう言ってお茶を飲んだ。
その所作がやはり美しく、僕はぼんやりとその様子を見つめていた。
ぼんやりとしていたのは、美しさの為だけでなく、もしかしたら『メイ』と彼女を呼び捨てにする関係性を色々と考えてしまったからかもしれない。
しばらくして、暮露さんとセネさんに挨拶に行くと言った為、僕は案内を申し出た。
もう少し話してみたかったのだ。
「案内なら不要だ。ここらへんは、自分の国のことのように分かるよ。何回も来たからね。」
「メイ様とお会いになる為ですか。」
「そう、メイに会う為に。」
旦那さんの問いに、桜さんは少し照れるように笑った。
そして、案内は不要だが話し相手がほしいからと、改めて僕を指名した。
昼時を過ぎて、街には満腹感により幸福そうな顔が溢れていた。
「街はそう変わらんな。良いところだろう。」
僕を旅人と信じて疑わないのか、桜さんはそう話しかけてきた。
名前の通り、この人も自然を楽しむ人かと思い、話が合いそうで良かったと思った。
「そうですね。綺麗な街です。」
「街も人も変わりない。変わりないな。
メイが向こうから歩いてきても、不思議じゃない変化のなさだ。」
まるで独り言を言うように、桜さんはそう呟いた。
僕はなんと答えたら良いものか大いに迷った。
朝は館の中を歩いてましたよ、と言ってはいけないだろうから、返事に窮していると、通りがかりの人が僕たちに気がつき、寄ってきた。
深々とお辞儀をして、お互いに敬意を払いながら、お悔やみの言葉を社交辞令的に話して、親しそうに話をしていた。
「お知り合いの方ですか?」
別れてから、僕はこっそりと聞いた。
相手は、ほとんど半年もの間、毎日散歩をしては茶屋に入り、また散歩をしているような僕でさえ知り合いというほどではない、あまり話しかけたり話しかけられたりするような人柄ではなかった。
しかし、桜さんは、そうだなぁと言った。
「うん、知り合いだな。挨拶をする程度の。」
「桜さんはここに滞在していたんですか?」
「いや、長期滞在はしたことがない。
長くて3日だったな。
多い時には月に3回訪れたりしたが、その当時はそれでも足りなくて、ここに来れるよう、親をなんとか説得しようと試みたものだ。
話したいことは幾らでもあったから、どんなに時間があっても足りなかったんだ。」
「へぇ。メイさんとは、親しかったんですか?」
「あぁ。」
僕の問いに、桜さんは即答した。
さも当たり前だと言うように。
確かに桜さんは話していて嫌な感じはひとつもしない。
逞しい腕や健康そうな足取り、自信が丁度良い位に表情に現れ、またその表情はどれも美しく、見ていて飽きないのが魅力的だった。
上品で高貴で更に術師大国の王子というなら、それはもう少しも欠けている場所のない、綺麗な満月のように見惚れ、羨む存在になり得、メイさんもこの人なら気にいることもあるのかもしれないと思った。
メイさんの気が引けるのなら、それを羨ましいと、少しだけ思った。
「君はメイを知っているのか?」
「えぇっと、一応、お会いしたことあります。」
「それはいつ頃?」
「いつだったかなぁ。」
僕はまたも困って、考え込む素振りをした。
すると桜さんは質問を変えた。
「その時のメイの髪型は、長かった?短かった?」
「短かったです。」
「じゃあ一昨年の冬から、去年の
5月にかけてのどこかだろう。」
髪型ひとつでそこまで絞り込んでしまうのには驚いたが、そういえば見合いの時に渡された写真は長かったなと思い出した。
「バッサリ切ったんですかね。」
「バッサリなんてもんじゃない。
50cmは切ったって言ってたな。」
「どうしてそんなに思い切り切ったんですかね。」
「長いのはお父上の趣味だったからな。
反抗だよ、ありゃ。」
「へぇ…。」
僕は何でも知っている桜さんに感心してしまって、ついその横顔をまじまじと眺めてしまった。
桜さんは、横顔も美しかった。
「短いのと、長いの、どっちが好きでした?」
からかうようなつもりで、僕はそう尋ねたのだが、桜さんは「どっちも好きだった」と言って声を上げて笑った。
快活で、自信に溢れた人なのだなと思った。
それはすごく、素敵で生きる為に必要なことのように思えた。
「桜様!?」
どこか向こうの方から、びっくりして、気が動転している様子をすぐに想像できるような声がかかった。
二階の廊下からシヴィーさんが身を乗り出していた。
顔中で驚きを表現するなら、あぁいう顔をするしかないだろうという顔だった。
「おっ!シヴ!久しぶりだなぁ!」
桜さんは手元がはだけるのも構わず、二階に向けて大きく手を振った。
シヴィーさんは1度廊下の奥に消えた後、サッシに足をかけ、窓から飛び降りてきた。
僕と桜さんを交互に見ながら、笑ってしまうほどシヴィーさんは心底驚いている様子だった。
しかし、シヴィーさんはきちんと1度頭を下げて挨拶をした。
それに桜さんが答えるとすぐに、シヴィーさんは顔を上げて言った。
「門番からの連絡もありませんでしたが、どうやってお入りに?」
「どうやってって、門番にこう、手を挙げて、おはようと言って入ってきた。」
得意気に、桜さんはその様子を再現して見せ、シヴィーさんの間の抜けた、はぁ、という返事に僕は遂に笑ってしまった。
「いらっしゃるなら、いらっしゃるって事前に教えてくだされば良かったのに。」
「突然来れることになったんだよ。
ただ歓迎すれば良いものを、お前は本当に口煩い奴だな。」
桜さんはそう言って、シヴィーさんの頭をぐりぐりと、兄が世話の焼ける弟をなだめすかせるように、強引に髪を撫でつけた。
「大きくなったなぁ。」
くしゃくしゃになる前髪を邪魔くさそうにしながらも、シヴィーさんはやはり嬉しそうに笑っていた。
「幾つになった?」
「22歳になります。」
「まだまだお前もちいちゃいな。」
クククッと桜さんは笑って、励ますように労いの言葉をかけると、漸く解放されたシヴィーさんは手で道を示した。
「セネ様と暮露のところへご案内します。」
「おぅ。」
格好だけはいっちょまえになったな、と肩を2度叩き、桜さんはシヴィーさんの前を通り過ぎた。
案内をすると言いながら、シヴィーさんは桜さんの後ろを歩いた。
ちらちらと僕の方を横目で捉えようとしていたが、そうする度に桜さんが何か話しかける為、僕とシヴィーさんは全く話ができなかった。
お前さ、とか、いえ僕は、とか。
そんなことない、とか、絶対そうだ、とか。
だって前は、とか、でも今は、とか。
そんな言葉を聞きながら、僕はふたりの後ろのテクテクと歩き続けた。
セネさんは桜さんを見ると、顔を輝かせて立ち上がった。
僕はその時点で立ち去るつもりだったのだけれど、桜さんは僕をしっかりと捕まえて離すつもりがないようで、致し方なく僕は部屋の端っこでニコニコと上機嫌なシヴィーさんの横に立っていた。
桜さんはセネさんには簡単に挨拶を済ませた。
それでも今朝僕がセネさんと交わした会話より話題が多く、笑顔も多かったことには素直に驚くばかりなのだが、桜さんの目当てはそこにはないようだ。
桜さんは、そのあとすぐに、真っ直ぐ墓地に向かった。
メイの墓。
その墓はおよそ只の石だった。
簡素というより、質素。
手頃な石に、手頃な価格帯の彫り師がメイとカタカナ2文字を彫っただけの、石だった。
少し離れたところには見上げないと名前が読めない大きさの墓石があるにも拘らず。
桜さんはまず前国長の墓に手を合わせ、花を手向けた。
その仰々しい墓石は土台に畳6畳分くらいのサイズ感があり、隣の墓との間は2メートルくらい離れていた。
桜さんはゆったりと歩いていくと、懐かしむような顔つきで、小さな墓石の前にしゃがみ込んだ。
「小さくなったなぁ。」
桜さんは墓石に向かってそう話しかけた。
ただの石を大事そうに見つめながら、片手をそこに乗せた。
「シヴ、水。」
桜さんがそういうと、シヴィーさんは何も言わずにその手元の桶を水で一杯にした。
当たり前かのようにそちらを見もせず、桜さんは懐から手拭いを取り出し、バシャバシャと水をつけて、片手で絞ると墓石を拭き始めた。
刻まれた名前の周囲が綺麗になると、桜さんは、「よっと」と言ってその墓石を持ち上げ、手元で隅々まで満遍なく綺麗に仕上げた。
光が当たると黒光りするそれを満足そうに見つめるまで、15分以上かかった気がする。
その間はすっかり静かになってしまったのだけれど、手拭いを放り出すと桜さんは片手で墓石を持ち上げ、シヴィーさんにそれを示しながら言った。
「これ持って帰っていい?」
「ダメです。」
「大事にするからさ。」
「ダメです。」
「そうかい。」
丁寧に墓石を元に戻すと、桜さんは大きなため息をついた。
「またメイを置いて帰るのは気がひける。」
桜さんはこの時初めて、悲しそうに呟いた。
「最後に会った時、強引にでも俺の国に連れて帰れば良かったと何度も思ったよ。
そうすれば、お父上と外交の為に出かけて、道中で襲われて死ぬこともなかったんだ。」
シヴィーさんは、なんと答えたら良いものか考えあぐねているようだった。
僕も、桜さんの横顔を、見つめることしか出来ない。
「守ってやると言ったのに、結局守れなかった。
全く、不甲斐ない。
愛想をつかされても仕方ないな。」
力なく笑って、桜さんは項垂れて腕の中に顔を隠してしまった。
シヴィーさんがその横にしゃがみ、背中を撫でた。
「そのお気持ちだけでメイさんは十分お幸せだと思います。」
「幸せなもんか。
少なくとも、俺は全然、幸せじゃない。」
くぐもった声が僕のところまで届く。
「メイは死にたくなんかなかったはずだ。
ユヌを残して、勝手に死ねるもんか。」
あぁ、この人は、と僕は驚いた。
この人は本当にメイさんのことをよく知っているのだと。
僕は、一歩後ずさった。
そして辺りを見回した。
空を見上げた。
どこかに、金魚が浮かんではいないかと。
あの赤い、逞しく美しい金魚の黒い瞳が、どこかで僕らを見てはいないかと。
そうでないのなら、むしろ見せなければならないと思った。
「あの。」
僕がそう言った途端、シヴィーさんが僕を見た。
険しい顔だった。
何も言うなという警告にも受け取れた。
僕は他の言葉が思いつかず、口をつぐむ。
なんと言えば、この男を慰められるのか、僕には分からなかった。
「メイの笑った顔が、もう一度見たかったなぁ。」
ハハッと自嘲気味に笑う桜さんを見て、その気持ちはとても分かるという意味で首肯した。
僕ももう1度見たいと思っていたのは事実だった。
しかし、その意味合いは大きく違うのだろうとも、理解しているつもりだった。
僕は、一年前に見たユヌちゃんに向けた姉として笑みを盗み見たにすぎないが、おそらく桜さんは、そうじゃない。
間近で、真っ正面から、その笑顔を向けられたに違いないと思った。
その様子がまざまざと、リアルに、想像できたし、おそらくそれはその通りの事実なのだろうという確信があった。
きっと、僕とこの人は同じところに立ってはいけないのだと感じ、だから桜さんに「しばらくふたりきりにしてくれないか。」と言われるまでもなく、僕はすぐに別れを告げて、店に戻った。
次の日も、その次の日も、僕は働いた。
余計なことは考えないようにして、黙々と働いた。
メイさんに、プレゼントを買うために。
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