初めてのお仕事
早速、次の日から僕は仕事を探し始めた。
そして、初めての仕事に選んだのは、館に近い茶屋だった。
塗装が半分くらい落ちていて、看板はかろうじて地面と平行を保っているのだが、店内はゴミひとつなく、机などもよく手入れされている店だ。
何故この店を選んだかは答えるほどでもない。
週に2日は通う、よく知る店なのだ。
「あのう、僕、働きたくて…。」
そう言って暖簾をくぐったものだから、茶屋の店主は目をまん丸にして驚いていた。
どうやら、店に寄らずとも毎日散歩している姿を目撃されていたらしく、
働く気も、その必要もないただの小金持ちだと思っていたらしい。
結局は快諾してくれたのだが、初めて働くのだということは伏せておいた。
彼が提示した一刻20文の給金が、高いのか安いのかは分からなかった。
「それで、僕は何をすれば良いですか?
お茶入れるのは得意ですけど。」
「いやぁ、あんたさんは接客をしてくれよ。
お客が来たら、どの机が空いてるとか、釣り銭だとか、片したりとか。」
「わかりました。」
そういえば僕が店に入る時にも、店の人間はそうしている気がする。
しかし、今まで働くという概念がなく、その仕方はさっぱりだった。
前掛けの結び方も怪しいものだ。
「おや、新しい子かい?」
早速入店した中年の男を、僕は店内を見回してじっくりと考えてから、
店の真ん中あたりの席に案内した。
目新しい僕を、愉快そうに眺めながら男はそう尋ねた。
「はい、ヤシロと申します。
どうぞ、宜しくお願い致します。」
「堅いよ、あんちゃん。お茶頂戴。あと、団子ふたつね。」
はい、と返事をして、奥に戻る。
あまり堅苦しく話しかけられないというのは、これで心地が良いものだった。
家でも、この国でも、多くが僕に敬語を使い、まるで僕が尊いような話し方するのだ。
みんな、さっきのお客さんみたいにしてくれれば良いのにと思いながら、そういえば、自分もメイさんには堅いと気づく。
帰ったら、少し崩して試そうかと思う。
いや、突然口調を変えると怪しまれる。
それはプレゼントを渡した後に試そうと決めた。
プレゼントは、まだ決めていないのだけれど。
間口まで来たものの、店の人間は元々2人しかいない為、なかなか忙しなくしていて、声が掛けづらい。
声のかけ時を見計らっていると、旦那さんが振り返った。
「どうした?」
「あ、お客さんが。お茶と団子を…」
「あいよ。もっと早く言うんだよ。
戻った、戻った。」
「はい。あ、団子、2つです。」
「茶は?」
「…おひとりでいらっしゃったので」
「じゃあひとつね。はいよ。」
店に戻ると、客が何人か増えていた。
勝手に座ってくれるなら、むしろ有難いものだ。
お茶と団子の手配に追われ、昼頃になるとへとへとになってきた。
珍しく脳をフル回転させていたものだから、それも仕方がない。
「ヤシロっちゃんはほんとに良い子だねぇ。」
開店前に教わり、書き留めておいたメモを見ながら、四苦八苦しつつ帳簿をつけていると、朝一から店の隅に居座っているおじちゃんにそう言われた。
いたくこの店を贔屓にしているらしく、茶屋の旦那さんも手が空いた時などは同じ卓についていた。
「でもお仕事はまだまだなんですよ。
午前中だけで湯呑みを3つ割ってしまいました。」
「頑張ってるんだから、いいんだよそんなこと。
湯呑みなんて、酒飲んで目が覚めたら割れてるもんさ。」
ガハハ、と笑うおじちゃんと話していると、その向こう、窓の外に誰かいることに気がついた。
お客さんだと思い、前掛けで手を拭いながら店先に出た。
「いらっしゃいませー、…あ。」
「お疲れ様です。ヤシロ様。」
ぎこちなく微笑むシヴィーさんが佇んでいるのを見て、しまったと思った。
ちょっと出かけてくるとは言ったものの、働いてくるとは言っていなかったのだ。
内緒にしたいのだから、当たり前なのだが、やはり後ろめたさがある。
「こちらで何を?」
「えーっと、…働いています。」
「働く?何のためにですか?」
「いやー、急にお金が入りようになって…。」
「言っていただけたらすぐご用意しますのに。どうして何も仰らずに?」
「内緒なもので。」
「内緒?」
「内緒。」
怪訝そうに眉をひそめているシヴィーさんを見ながら、やはり連れ戻されるのではないかと不安になった時、ちょうど店の中から旦那さんの呼ぶ声がした。
「ヤシロっちゃあん、何してんだい?お客さんがお帰りだよ!」
「はぁい!」
呼ばれたことをいい事に、僕はシヴィーさんににっこりと微笑んだ。
「そういうわけで!」
「え、ちょ、お待ちください、ヤシロ様。」
颯爽と身を翻しかけた僕を、シヴィーさんは慌てて引き止めた。
「ヤシロ様、理由を聞かないことには貴方から離れられません。」
「ヤシロ様じゃありません。僕は今、ヤシロっちゃんなんです。
あとで話しますから、とりあえずお引取りを。
あ、あとメイさんには絶対に、絶対に報告しないでくださいね!」
余りにも邪険にしたからか、シヴィーさんは驚いたように立ちすくんだ。
僕は店の中に戻ってしまったが段々と、酷いことを言ってしまったと後悔した。
お代を受け取りながら、あとでちゃんと適当な言い訳をしなければと思った。
そして、そんなことを今から考えていても仕方がない為、
空いた机を拭きながら、手持ち無沙汰そうな例のおじちゃんと話を続けた。
「こちらにはよくいらっしゃるので?」
「まぁねぇ。暇だから。
この国は術師以外はお気楽なもんさ。
それに、ここに来ればリニスちゃんに会えるからねぇ。」
「リニスちゃんですか。」
「おうよ。知ってっかい?
ついこの間、派手に蜘蛛神をけしかけてたあの子のことだが。」
「えぇ。少しばかり話もしました。」
「あの子はいい子なんだよ。ほんとはさぁ。
ヤシロっちゃんと同じくらいいい子さ。
でも、近頃はとんと顔を見せてくれなくてねぇ。」
と、そこへ手の空いたらしい旦那さんがやってきて、同調の色を見せた。
「昔は街の人気者だったんだがね。
外で大変な思いをしてるらしくて。
帰る場所がないならうちへおいでと言ったんだよ。」
「国が滅ぼされちゃったって聞きました。可哀想ですよね。」
僕がほとんど唯一知っているだけの情報を口にすると、
旦那さんとお客さんはふたりとも目を見開いた。
「滅ぼされた?一体、誰がそんなこと言ったんだい!?
滅ぼされたんじゃない!
この国があの子の国を滅ぼしたんだよ!」
旦那さんもおじちゃんも憤慨したように声を荒げた。
僕は言葉を失い、ふたりを交互に見つめ返した。
「昔の話だよ。」
向こうの卓から、また違ったお客が口を挟んだが、おじちゃんが悔しそうに否定した。
「昔の話なもんか。
あの子は今も苦しんでんだ。
昔の話だと思ってんのは、この国の人間だけだ。」
ぱったりと会話が止んでしまって、僕は視線を落としたが、旦那さんの声に顔を上げた。
「あれ、あのお方は…」
一瞬、自分の身元がばれたのかと思ったが、旦那さんの視線の先を見て、どうやらそうではないらしい。
「悲しい話が続くねぇ。」
旦那さんはそう小声で呟きながら、店先に足を運んだ。
彼は暖簾を潜るところだった。
店に入ってきたのは、まさに好青年で美しい、若い男だった。
「やぁ。久方振りだな。」
男、と称するには美しすぎ、どうやら高貴らしい出で立ちをした青年がそこに立っていた。
黒服でサツマイモのように濃い赤紫色の髪をハーフアップにしているが、横の髪が真っ直ぐ肩へと伸び、更に胸の前まで降りていた。
艶がある美しい髪で、少し動くたびにサラサラと服の上を泳いでいた。
その和洋折衷の見本のような衣服からは、隠しきれない品性と高貴さが溢れている。
店の旦那さんが丁寧に頭を下げて、店の一番良い席へ案内をした。
僕がお茶を運んでいくと青年はおや、という顔をした。
「こちらはヤシロと申しまして、今日から働いて貰っているんですよ。
ヤシロさん、こちらはヴァピール国の
「どうも。」
ヴァピール国といえば、術師大国だ。
僕の母国とは親交がない為、詳しくは知らないが、確かリェシアとは貿易が盛んだったはずだ。
僕がなんと挨拶するべきか迷っていると、御式という青年が僕に手を差し伸べた。
「
「ヤシロと申します。宜しくお願いします。」
「桜様はね」と、旦那さんが僕の為に紹介してくれた。
「昨年亡くなられた、メイ様の婚約者だったお方なんだよ。」と。
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