納得できない!
新しい部屋の中は、赤い垂れ幕や水槽など無いものの、やはり壁際は全て水で満たされており、その中をそれなりの大きさの金魚が悠々と泳いでいた。
先程の天を覆うほどの金魚を見てからだと、まるで可愛らしい大きさだ。
胸ビレが少しばかり傷付いているが、それもすぐに治るのだろうと思った。
比べ、メイさんはというと、右手首に包帯を巻き、なんとなく足も重たそうにしていた。
「あれ、僕、お呼びじゃなかったですか?」
そういえば、なんとなくシヴィーさんについて来てしまったが、僕は呼ばれていないのではないかと急に気がついた。
メイさんは全く目を合わせてくれないし、この部屋に他には誰もいない。
間違えちゃったかなと思ったところで、メイさんに氷点下より冷たい口調で有難いお言葉を頂くこととなる。
「ヤシロ殿を、お呼びしたのだ。」
語尾にイライラのマークが付きそうなほど、メイさんが語気強くそう言うので、怖い怖いと思い、背中をしゃんと伸ばして、はい、と答える。
「お呼びだてしたのは、他でもない。
注意勧告する為にございます。」
丁寧な言葉を使って、ここまで不機嫌さを表せるものかというほど、メイさんは露骨に語感を荒げていた。
どうしてだろう。
僕何かしたっけ。
そう考えていると、メイさんは大きなため息をついた。
それを聞いても尚、何も察せずにいる僕に気を遣ったのか、シヴィーさんが深々と頭を下げた。
「メイ様。申し訳ございませんでした。
私の監督不行き届きです。
戦場となる場に、ヤシロ様がお出でになった責任は、全て私にあります。」
「当たり前だ。」
メイさんはぴしゃりとそう言い切った。
怒られたことないんじゃなかったの?と思うほど、メイさんの口調は冷たかった。
「状況を把握しながらヤシロ殿を放り出すなど言語道断だぞ!
お前にはいかなる場でもヤシロ殿の安全を確保せよと命じてあっただろう!」
「はい。申し訳ございません。」
「あの、メイさん、シヴィーさんは悪くないんです。」
控えめに告げた言葉に、メイさんがこちらを睨んだ。
美人なのに、おっかない顔するなぁと思いながら、僕は少し笑って両手をあげた。
「僕が、シヴィーさんにメイさんの方に行った方が良いって、言ったんです。
シヴィーさん、随分迷ってたんですよ。
ほら、僕、怪我もしてないし。
シヴィーさんの判断は妥当だったと、」
「妥当かどうかは
余計な口出しは無用。
ヤシロ殿が何を仰ったにせよ、シヴィーの判断は間違っているのです。
本来の任務であるヤシロ殿の身の安全の確保を放り出し、まして戦闘に参加する等、一体どの者にそう教育されたのか…!」
「申し訳ございません。」
「シヴィーさんは悪くないです!」
思ったよりも大きな声が出て、僕自身、少し驚いた。
それよりも驚いていたのはシヴィーさんだが、メイさんはピクリともしなかった。
「だって、メイさん、貴女だってシヴィーさんの水の魔術のおかげで助かっていたじゃないですか!
あれがなかったら大火傷じゃ済みませんよ!
助けられたのを棚に上げて、礼も述べずに叱るだけだなんて、そんな指導おかしいんじゃないですか…!」
「ヤシロ様…!
僕がメイ様をお守りするのは当然の職務なんです。
今回の件は、」
「職務だからって、感謝もしないなんて!
命をかけて守ることが、当たり前だなんて、そんなのおかしいです…!」
肩を上下させて、僕は自分が本当に憤りを覚えているのだと気付いた。
そういう組織体制に対して。
それに則る、メイさんに対して。
叱るべきでない人を叱っていることと、褒めるべき人を褒めていないことに対して。
そうか、僕は怒っているのだ。
「そなた、誰の正義感でそう仰っておられる?」
メイさんは少しだけ口調を変えてそう尋ねた。
冷たいままだが、どこか同情するような、まるで、そう思うのは仕方のないことだが、と付け足すような、そんな口ぶりだと思った。
「ご自分を優先しなかったことを正しいと仰るのですから、ご自分の為ではございませんでしょう。
シヴィーの為を思って?
或いは、
違いましょう。
貴方様は、わたくし共の私情をまるでご自分のもののように思い、我儘を仰るように、空想の誰かの為の正義を語っておられる。」
「僕の、我儘で、空想…?」
「左様。
極端な話を致すとしましょう。」
メイさんは大層な机の前から立ち上がり、なんとなく足を重たそうにしながら、近くのソファへ移動した。
怒りは呆れに変わったのか、或いはコントロールしているのか、僕には測りかねるものになってしまった。
いや、もとより、他人の感情を推し量るなど、僕にはできないのかもしれないと思った。
「
どちらを助けろと指示致しましょう?」
「そりゃあ、メイさんです。」
「貴方様はそう仰るでしょう。
何故なら、貴方様は
シヴィーは上である
メイは自分の命が惜しいだろうと。
だから、自分が犠牲になれば、簡単にことが済むと思われるのです。
何故か。
貴方様は代えが効かない、組織が成り立つ上で重要な役割を担っているからでございます。」
「でも、」
「
そんな悲愴なお顔をせずとも、補佐官が死んだ場合、補佐官の誰かが昇進するだけのこと。
ですが、貴方様はそうはいきません。
貴国の次男坊は貴方様しかいらっしゃいません。
私情や同情ではなく、冷たく言えば、歯車としてみていると言った方が分かりやすいかと。
そういった組織体制等を鑑みて、
もちろん、
今回のことも、末々を危惧した、予防策だったと理解して頂きたい。
その為の指示に反したシヴィーを注意するのは当然のこと。
同情では、国は支えられませぬ。」
うんうんと頷くシヴィーさんを見て、憤りが全部悲しさに変わってしまった。
各々、自らの命を軽んじているわけではない。
それは分かるのに、とても悲しくなるのだ。
「僕が、助けたいと思っているから、だから助けたい、守りたいと思うのは、そういうのは、ダメですか。」
「貴方様は左様に致せば宜しいかと。
なんの責任も、なんの役割も全うする必要がないのであれば、どうぞご自由になさって下さいませ。
但し、それをわたくし共の部下や他の信条に倣うものに強要するのはおやめ下さい。」
メイさんは立ち上がった。
「迷惑極まりない。」
そう言って、メイさんは手持ち無沙汰な方の右手をはらはらと振った。
話は済んだという合図だ。
大層な机の前の、大層な椅子に腰掛け、メイさんはこっちの方を見てもくれなくなった。
シヴィーさんに促され、僕は半ば引きずられるように外に出される。
でも、僕の話は済んでいない。
しっかりと踏ん張って、メイさんの方を向いた。
「僕は嫌です!」
驚いて、ではないのだろうが、メイさんが顔を上げる。
顔を上げて、もう一度僕を見た。
見てくれたのだから、言わなきゃと思った。
フェアでいたいから。
知っていて、その上で認めて欲しいから。
「僕は、嫌です。
貴女を見捨ててまで、生きたくない。
誰かを見捨てて生き延びるなんて、そんなの最低だ。
僕が死んだくらいで動かなくなる歯車なんて、どうせもともと壊れてるんだから。」
そんなの、嫌です。
そう僕は繰り返した。
なんて無力な声なのかと思ったし、多分、みんな情けない声だと思ったに違いない。
もしかしたら、もともと情けない人間だと思っていたところに拍車がかかったかもしれない。
正解だけど。
もうちょっと、装っていたかったと思った。
「お気持ちはよく理解致しました。」
メイさんはそう言った。
もしかして笑っているのではないかと思って視線を上げたけれど、やっぱりお顔は笑ってはいなくて、無表情のまま、それが同情であると思うのは、僕の勝手なのだろうか。
「ヤシロ様、行きましょう。
メイ様、失礼致します。また参ります。」
シヴィーさんの声で、僕はようやく、大人しく帰路に着いた。
扉を出て、さおんちゃんにすれ違い、深刻そうな顔の暮露さんと言葉をひとつ交わし、僕は自分の部屋に辿り着いた。
「ヤシロ様、流石ですね!」
シヴィーさんがそう言うものだから、僕はシヴィーさんまで皮肉を言うのかと悲しくなった。
けれどシヴィーさんの顔を見てみると、とても嬉しそうに笑っていて、僕は少し混乱した。
「さすがって、何がですか?」
「何がって、あのお言葉ですよ!」
シヴィーさんは部屋に入るとすぐに、お茶を入れる準備にかかりながらそう言った。
「言葉?」
「自己犠牲を厭わず、他の人を守りたいってあれです。
僕が教えるの、本当はダメですけど、だから秘密なんですけれど、メイ様、歯車とか色々と仰ってたでしょう?
あれは、メイ様が20歳の時に、お兄様にありがたく頂戴した叱責とおんなじなんです!」
「えっと、つまり?」
「つまり、4年前のメイ様と、今のヤシロ様は全く同じ考えだということです!
メイ様もお兄様におおよそ同じようなことを言って、同じように諭されたんですよ。
メイ様が気持ちは分かると仰っていたのも、社交辞令とかそんなんじゃあないですよ。」
シヴィーさんがお茶を差し出してくれた。
熱い湯呑みを見つめて、そうなのかと思った。
シヴィーさんは、にこにこしながら、椅子に腰掛けている僕に退室の挨拶を述べて、消えていった。
僕はシヴィーさんが消えていった扉をぼうっと見つめて、また思案にふける。
考えが同じだったことは嬉しい。
嬉しいことだけれど、そうしたら、僕も将来、ああいう考えに染まるのだろうか。
それはきっと、恐ろしいことなのに、変わっことにすら気付かず、いつか遠い将来にはたと気付いて、僕はひどく傷付くんじゃないだろうか。
ぶんぶんと首を横に振る。
なりたくないと思うことで、メイさんを貶めていることに気付いき、自分にひどく嫌気がさした。
なんだか胸が気持ち悪い。
もう止そうと決めた。
「メイさんは悪くない。」
そう声に出してみて、ベッドに移動する。
夕食の頃に甲斐甲斐しい世話役が起こしに来てくれるだろう。
僕も、メイさんも、間違ってない。
間違ってない。
間違ってない。
そう唱えながら、僕は心地よい温もりの中で眠りに落ちた。
気付いたら翌朝だったと言うのは、また今度の話。
おわり。
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