多分、あまり良くない状況。


とはいえ、問題はある。


僕がこちらに身を移して早1ヶ月が経つのに、メイさんと打ち解けるどころか、挨拶すらろくにさせてもらえていない。


『よう、婿に来たか。上々だね。

あとは暇を潰しておいで。』

そう言われているようだ。


メイさんと会話をするべく、色々試してはいるのだけれど、どれもうまくいっていない。


作戦1の朝の寝起きを狙う案は、仕事部屋の前の椅子に居座って、朝出勤したところを話しかけるという名案だった。


けれど、1日目は6時に、2日目は5時に行って椅子を陣取っていたのにメイさんには会えず仕舞いだった。

3日目にはほとんど無理をして4時に扉の前に着いたのに、6時半になって、『ここには来ないように』という注意書きをシヴィーさんから受け取ることとなったわけで。

どうやらメイさんは、僕がここにいたことを知ってはいるらしい。


ぬぅっとしながら、次に思いついたのが作戦2だ。


作戦2はシヴィーさんに着いて回る案だった。

これは早々に失敗して、どこかの部屋に入ろうとする度に、シヴィーさんににっこり『ここから先はダメなんです。』と言われると無理強いできず、回れ右をしてとぼとぼ帰るのがオチだった。


なるほど、それもダメなら次はと思い、

「じゃあメイさんのお部屋に」

と言ってみると、シヴィーさんは血相変えて首を横に振った。


「ダメです!

メイ様からプライベートのお部屋は絶対に、絶対に案内しないようにときつく言われているんです!」

「どうしても?」

「どうしてもです。」

「行ったらどうなります?」

「明日から僕が仕事を失います。」


そこまで必死に言われると、分かりましたと言わざるを得ない。

少し笑って見せたけれど、シヴィーさんは笑わなかった。



仕方ないので、僕はメイさんではなく、ユヌちゃんに会いに行くことにした。

病気で隔離室に住む彼女にだ。

生まれた時から住んでいるその空間に、年頃の女の子は不満を爆発させれているらしく、脱走やら絶叫やらで、メイさんの部下を日々困らせているらしい。

僕がユヌちゃんに会いに行くと、監視兼遊び相手の部下が胸をなで下ろすのを、僕は知っていた。


昨日仕入れたばかりの、異国の青いリンゴの話を土産に、身支度を整え、その旨をシヴィーさんに伝えるとすぐにオーケーを出してくれた。

僕の世話係は随分と甲斐甲斐しく面倒を見てくれるものだ。

行く先々について来る。


本当はあんまり会わないようにとメイさんから(シヴィーさんを通して)言われているのだけれど、ユヌちゃんの阿鼻叫喚を防ぐことができるので、多少黙認しているらしい。


「報告はしてますけどね。

いつ会ったかとか、おふたりの様子とか。」

だそうだ。


まぁ監視しているよ、と言われたところで、僕のすることは変わらない。

ユヌちゃんに会って、取り留めのない話を数時間するだけだ。


「ねぇシヴィーさん、どうしたらメイさんと仲良くなれると思います?」

「どうですかねぇ。」


僕の部屋のある別棟を出て歩き始め、僕たちはそんな話をし始めた。

シヴィーさんは口が固く、他愛のない話は多く返事をしてくれるが、特別メイさんの話となると口数が少なくなる。


「僕らみたいな術師だと、それこそ技量と忠誠心で事足りますけど、ヤシロ様の場合は…どうでしょうね…」

「シヴィーさんはメイさんの下で長いんですか?」

「いやぁ、僕もまだまだですよ。

4年かなぁ。」

「4年でまだまだなんですか。」

「全然です。あ。」


シヴィーさんが急に畏まった顔をしたので、メイさんが来たのかと思い、僕は少しだけ嬉しくなりながらキョロキョロと辺りを見回した。


しかし、そこにいたのは青年ひとり。

シヴィーさんが一礼したので、偉い人かぁと思いつつ、メイさんではないことに少しがっかりした。


生真面目そうな青年が駆け寄って来る。

深い藍色の和装にアレンジを加えたような服飾で、黒髪を右側だけ留めて、細いチェーンのような髪飾りを付けている。

額が見えるくらい前髪が短く、クルミのような瞳が可愛らしかった。


「この方は?」

と、青年が問うと、

「メイ様の許嫁になられたヤシロ様でございます。」とシヴィーさんが紹介してくれた。


すると青年は目を見開いて驚き、慌てた様子で踵を揃えた。


「ミヤギと申します。

補佐官の弟です。宜しくお願い致します。」

「ヤシロです。宜しくお願いします。

えぇっと、補佐官って…?」


僕がシヴィーさんに助け舟を求めると、シヴィーさんは少しばかり躊躇ってから、教えてくれた。


「メイ様のことでございます。」

「ふぅん。…えっ!メイさんの弟さんなんですか!?」

「左様でございます。」


僕の言い方が可笑しかったのか、シヴィーさんが失笑を堪えきれずに、少しだけ笑ってから、一生懸命真面目な顔になるのを僕とミヤギ君はふたりとも見つめて、そして今度はふたりで目を見合わせた。


ミヤギ君は肩を落として少し微笑んだ。


「姉は俺のことを話していないでしょう。」

「…えぇ、聞いてないです。」

「お気になさらず。」


そう言ってミヤギ君は困ったような顔で、続けた。


「姉は俺のことを話したがらないだけで、ヤシロ様を疎外しようとかそういうんじゃないですから。

姉とは打ち解けてきましたか?」


ミヤギ君がそんなことを聞くので、僕もつい困った顔で笑ってしまった。


「いえ、さっぱり。」

「あはは。あまりお気になさらず。

姉は、兄とユヌ以外とは馴れ合おうとしませんから。」

「そうなんですか。」


ミヤギ君の話が本当なら、メイさんは4兄弟だったことになる。

つくづく秘密主義なお方だなぁと僕が思っていると、ミヤギ君は急に真剣な眼差しでシヴィーさんに話しかけた。

きっとミヤギ君も忙しい人なのだ。


「補佐官より側近衆に召集がかかっております。」


ミヤギくんは辺りを見回し、小声になり付け加えた。


「侵入者がいるようです。

現在はメナ様が監視、捜索をしておりますが、召集はこの件かと。

シヴィーさんも参上されますか?」


「あー…」


その言葉にシヴィーさんは、僕とミヤギくんとを交互に見つめた。


「うーん…」


なるほど、シヴィーさんは僕の監視とメイさんの召集、どっちを取るか迷っているのだ。


僕は悪さをしたりしないから、今重要なのは侵入者だろうに。


「とりあえず行ってきたらどうです?

僕はユヌちゃんの所へ行って大人しくしてますから、その間にちょこっと。」


とにかく決めかねるという表情のシヴィーさんに、僕は助け舟のお礼をしようと、そう言った。


その時だった。


ミヤギくんとシヴィーさんが同時に空を見上げた。

何かいるのかと、僕も倣うと、メナだ。

上空にメナが現れ、巨大な空を水中かのように泳ぎ、見下ろしている。

真っ青なパレットに、筆を振り回して描いたような赤。

美しく、怪しげな絵画だ。

しかし、それはそれこそよく見る光景なのだが、なんだか今日は違和感がある。


「あれ? 金魚様って何匹かいるんですか?」


そうだ。

柄がメナと違う気がする。

そう思ってつい口が動いてしまったのだが、ふたりは驚いた表情で僕を見た。


「え、えぇ。まぁ。」

ふたりはごにょごにょとそんな事を言いながら、顔を見合わせていた。


「気になるなぁ。」

押せば教えてくれるのではないかと思い、口に出してみると、なかなか言ってみるものだ。

ミヤギくんが遂に教えてくれた。


「あれは補佐官ですよ。

金魚に身を変えて、国を見下ろすんです。」


「えっ、あれメイさんなんですか?」


正直、『まじか』としか言いようがない。

だってメイさんの華奢な身体が、あんなに飛び切りの巨躯になるとは思えない。

言われてみれば、柄が彼女の着物に似ているでもないけれど。

あと、目が似ている。

威圧的な目が。


メイさんは金魚を操るだけでなく、金魚にもなれるとは、いやはややはり凄いお方なのだ。


「ヤシロ様、緊急事態のようなので、申し訳ありません、僕行きますね。

ユヌちゃんのお部屋はすぐそこですし、何かあったら大きな声で僕を呼んでください。

飛んできますから。」


そう残して一瞬で視界からいなくなったふたりに取り残され、僕はもう一度空を見上げる。


メイさんはまだ旋回中だった。

国を覆うかのような巨躯を揺らして、侵入者に警告し、国民に警鐘を鳴らしているのだ。

『私がいるぞ』と。


格好良いなぁと思いながら、僕はユヌちゃんの部屋へ向かった。


あのメイさん、半分が元の姿に戻ったらどうなるのだろう。

人魚姫のようになるのだろうか。

でもそれだと金魚姫になるなと、馬鹿なことを考えながら、僕はユヌちゃんの部屋の扉を開けた。


「だめ!!!」


開けた瞬間だった。

ユヌちゃんの悲痛な声が聞こえ、僕は固まってしまった。


そして次に見えたのは、僕の身体中を締め上げる黒い脚と首に突き刺さろうとする、何かの針だった。


あぁ、巨大な蜘蛛だ。


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