抑圧された生活に別れを。
廊下なのに、どこから降り立ったのだろう。
確かにメイさんは、浮いていて、カツンと下駄を鳴らしたのだ。
「メナのばかーー!!」
ユヌちゃんが声の限りに叫び、メイさんは眉間にシワを寄せてため息をついた。
右手を空で振ると、メナはスッと消えた。
透明になるように、溶け込んでしまったのだ。
僕はメイさんとメナに気を取られ、またも交互に見てしまった。
少し間抜けに見えたかもしれない。
よし、話を整理しよう。
メナはメイさんの召喚獣で、メイさんを呼んだ。
メイさんは妹のユヌちゃんを探していた。
ユヌちゃんのお姉さんはメイさんのことだった。
妹がいるなんて一言も聞いたことがなかったけれど、美人で、一匹狼。
うん、当てはまっている。
僕は合点がいって、右手で左手をぽんとついた。
小さい音だったのに、メイさんの耳に届いてしまったらしい。
鋭い視線を感じ、僕は目を逸らした。
「ユヌ。」
メイさんが語気強く言うと、シヴィーさんは暴れるユヌちゃんを床に下ろした。
そのユヌちゃんに、メイさんは困った子供に言い聞かせるように言った。
「大人しく部屋におりなさいと、いつも言っているのに、どうしてお前は私との約束を守ってくれないの?」
「だって先に約束破ったのメイ姉じゃん!
お昼ご飯は毎日あたしと食べるって約束したのに、昨日忙しいからって約束を破った!」
「ユヌ」
「3日前に約束したばっかなのに!」
突然、ユヌちゃんはシヴィーさんの、肩に置かれた甘い腕を振りほどき、僕に追突するような勢いで抱きついた。
「ヤッシーはどっちが悪いと思う!?
ねぇ、メイ姉が先に約束破ったんだよ!」
「うーん、約束は破っちゃいけないよねぇ。」
言いながらチラッとメイさんを見ると、鬼の形相で睨んでいた。
美人なのに怖いものだ。
「お昼ご飯くらい、この子と食べて差し上げても良いのでは?」
僕が言うと、メイさんはさんは下駄をカツンとひとつ鳴らした。
お気に召さない言葉だったらしい。
見かねたシヴィーさんが、まぁまぁとユヌちゃんを宥めようとした。
「ユヌ様、メイ様も昨日は泣く泣くユヌ様とのご昼食を断念されたのですよ。」
「そうよ。あたしが泣いてメイ姉を呼んでたのに、無視してたんでしょ!」
「無視だなんて…、だからメイ様は、私をユヌ様のところへ使いにやったではありませんか。」
「シヴィー退屈なんだもん!!」
「うっ…」
シヴィーさんは少し傷付いたように言葉を無くしてしまった。
メイさんはユヌちゃんを見つめているばかりで、シヴィーさんの様子は気に留めていないようだ。
そして当のユヌちゃんはといえば、腕を組みつんとした態度でそっぽを向いていた。
「もういいでしょ!
先に約束破ったのはメイ姉なんだから、今日はあたしの好きにする!!
あたし、今日はこの人とお喋りするんだから!」
「それはなりません。」
メイさんがぴしゃりと言った。
幼い妹に対して、少し厳しすぎるのではないかと思わせる程に。
「ヤシロ殿は公務がお有りなのですよ。
邪魔してはなりません。」
メイさんがそう言うので、僕は両手を胸の前で降って答えた。
「僕は構いませんよ。
公務なんてないですから。」
「やったあ!!!」
ユヌちゃんは喜んで、ピョンピョンと跳ねては、背中に突っ込んだ頭をぐいぐい押し付けた。
その様子を横目で見て、えへへと笑ってみせたけれど、メイさんはぴくりとも笑顔を見せてくれないどころか、怒りよりも驚きを瞳に映して尋ねた。
「公務がない…?
では普段は何をされているのです…?」
「あー…、主に散歩をしています。」
「散歩…?」
「えぇ。散歩。
国の中をぐるりと一周すると、ちょうど夕方になるんですよ。」
えへへ、ともう一度笑っても、やっぱりメイさんは笑わなかった。
一方でユヌちゃんは両手を叩いて喜んでいた。
メイさんは怪訝そうなお顔で、少しの間考え込んだ後、ユヌちゃんに向かって言った。
「…分かりました。
ヤシロ殿とはお話ししても構いません。
その代わりヤシロ殿を無理に引き止めてはいけませんよ。」
「うん!!やったあ!
メイ姉ありがとう!!」
ユヌちゃんは突然僕に抱き付いたように、突然僕から離れ、パタパタとメイさんへ駆け寄った。
そしてうんとジャンプをして、メイさんの懐へ大胆に飛び込んだ。
メイさんは子猫を抱きとめる様に易々と受け止め、軽々と抱っこした。
僕に背を向けるように体の向きを変えると、ニコニコと笑うユヌちゃんの顔が見えた。
「お前の言う通り、先に約束を破ったのは姉《ねえ》だったね。
許しておくれ。」
よいしょと抱え直して、ユヌちゃんはメイさんより頭の位置が高くなる。
「うん!いいよ!
だってあたし、メイ姉大好きだもん!!」
メイさんがユヌちゃんに額を寄せて微笑んだ。
心の中が空っぽになったかのように、その様子が僕を埋め尽くした。
メイさんも笑うのだと知って、やっぱりこの人は善人なのだと気付く。
そしてやっぱり素敵な人なんだと思った。
メイさんがユヌちゃんを下ろし、ふたりは手を繋いで歩き出す。
大きな赤い着物が揺れる横で、白いワンピースがテクテクとついていく。
ふたりはずっと顔を見合っていて、楽しそうに何かを話している。
後ろからついていくのだが、なんて微笑ましい光景なのだろう。
そして、なんて羨ましい光景なのだろう。
こんな日常をずっと見ていたいと心から思う自分に気付く。
毎日、息子さえ愛してくれないむっつり顏の父親と顔を付き合わせるのには、本当は疲れていた。
メイさんは厳しい方だ。
そう簡単には、僕を愛してはくれないだろう。
でも、別にそれでもいいんじゃないかと思う。
だって、所詮僕は余所者だ。
余所者の居候になるだろう。
何の役にも立たず、ただそこにいるだけの"夫"という名前の誰かになるのだ。
見合いに行くと連絡した時にくれた、姉からの手紙の言葉を思い出す。
『愛する者と結ばれることだけが、幸せな結婚ではありません。
いつか愛せる者と結ばれることも、十分幸せな結婚です。
その方こそ、いつか貴方を助ける力にもなりますよ。』
強かな姉が、先人の経験として僕に伝えた言葉なのだろう。
姉の婚姻は後者だった。
それでも、彼女は幸せだと言っていた。
『新しい生活、楽しいよ。』と微笑んでいた。
それを読んだ時は、そうなのか、としか思わなかった。
本音を言ってしまえば、その時は婚姻など気乗りがしなかったのだ。
毎日庭に訪れる野良猫や、毎年巣を作りに来る渡り鳥、季節の花々を眺める生活に満足していたから。
それを無くすのは、惜しい気がしていたから。
でも、優しく逞しい姉と、少し我儘で甘え上手な妹のそばにいるのも、多分、悪くない。
だって姉妹はあんなに笑顔なのだから。
僕もあの輪に入れたら、なんて、本気で思っているのだから。
妹が一生懸命になって話す他愛の無い話に、心の全てを傾けて聞くその姉の姿を見つめて、思わず微笑みながら、その背中にぼくは問う。
『ねぇ、メイさん。
貴女の家族に、なってもいいですか?』
勿論、返事は無いのだけれど、きっとこの先の生活もこんなものだ。
でも構わない。
メイさんが愛してくれなくても、僕から愛してみればいい。
いつか、理想の家族になれればいいさ。
そういうわけで、僕はなんとなく清々しい気持ちになって、婚姻に大きなマルを出すと心に決めた。
ユヌちゃんと知り合えてとても良かった。
だって、メイさんが良い人だと知れたから。
おかげで僕は後悔も未練もない未来を決めることができた。
辿り着いた先が隔離室でなければ、もっと良かったのだけれど、それはまた今度の話。
おわり。
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