第11話‐4 最凶の敵

 蒼矢が歯をむき出して、緋桜をにらみつける。だが、彼はいまだ余裕の表情のままで。


「誠一。それ飲み込んだら、ダッシュで走れ」


 蒼矢は緋桜を見据えたまま、二階堂に告げた。


「え……、飲み込む? これを!?」


 明らかに錠剤よりも大きな勾玉を、水なしで飲めと言われて狼狽うろたえる二階堂。


 相手の攻撃の威力を軽くできるとはいえ、さすがに口に入れる代物ではない。蒼矢とて、それはわかりきっているはずだ。


「いいから! 押し問答してる暇なんざねえんだ。お前が頼りなんだよ」


 だから、今は何も言わずに従ってほしい、と。


 そう告げる蒼矢の声は、今までに聞いたことがないくらい切羽詰まったものだった。


 これ程までに余裕のない蒼矢を見るのは初めてで。二階堂は、うなずくしかなかった。


「最期の語らいは終わったか?」


 と、それまで二人のやり取りを黙って見ていた緋桜が口を開いた。


 答える代わりに、二階堂は勾玉を口に含む。先程までの質量が嘘のように、それは一瞬で溶けてなくなってしまった。空気を飲み込むように喉を鳴らす。


「――っ!? ぐ……が……!」


 突然、二階堂が喉を押さえて苦しみだした。


 首を絞められたような感覚と体の内部から熱せられている感覚に襲われる。


「ようやく、こっち側に来る気になったのか? 蒼矢」


 苦しみもだえる二階堂を見て、くつくつと笑う緋桜。


 だが、蒼矢は何も答えない。


「フン、まあいい。どっちにしろ、お前らはここで死ぬんだからな!」


 勝ち誇ったように緋桜が宣言すると、もだえていた二階堂の動きがぴたりと止まった。


 肩で息をしているが、どうやら苦しさはなくなったようだ。それどころか、円形の刃との戦闘で受けた傷がたちどころに塞がっている。


 ゆっくりと顔を上げると、二階堂の左目が金色に染まっていた。


「死ね!!」


「走れ!!」


 叫ぶ緋桜と蒼矢は、どちらが早かったのか。それを合図に、二階堂は弾かれたように刀を取って駆け出した。


 その直後、頭上の刀が降り注ぐ。だが、二階堂は間一髪のところでかわしきった。


 背後から、蒼矢の断末魔にも似た叫びが聞こえる。


 振り返りたくなるのを必死にこらえて、二階堂は緋桜へと向かっていく。


「ほう? 人間風情がどこまで足掻くのか、見せてもらおうか」


 自身の妖術から抜け出した二階堂に感心したのか、緋桜はそうつぶやいて円形の刃を数個作り出し放った。


 二階堂は、臆することなくそれを正面から切り伏せる。


 鼻を鳴らした緋桜は、二度三度同じように刃を差し向けた。だが、結果は同じで。


 二階堂と緋桜との距離は、徐々に縮まっていく。


「――はあっ!」


 緋桜の懐に入った二階堂は、気合とともに刀を振り下ろした。


 緋桜は、それを片手で簡単にさばく。だが、二階堂も負けじと攻撃を続ける。


 剣戟を響かせ一進一退の攻防が続く中、


「お前、あの時の人間だよなあ? あの時は怯えてたのに、成長したじゃねえか」


 と、緋桜は心底嬉しそうに告げた。


「お前に褒めてもらったところで、うれしくないよ!」


 二階堂はそう言って、彼を正面から袈裟に切る。


 だが、それは易々と受け止められてしまった。つばぜり合いになり、金属同士がこすれ合う耳障りな音が響く。


「ははっ、そりゃそうだ。……俺に挑む度胸は認めてやる。だがな、お前が俺に勝つなんてことは、万に一つもないんだよ!」


 そう宣言すると、緋桜は二階堂を弾き返した。


 二階堂は受け身を取ろうとするが、もんどりうって背中から地面に激突した。


 呻きながら立ち上がり、刀を構える二階堂。その瞳には、燃え尽きぬ闘志が宿っていた。


「フッ、いい目してるじゃねえか。ちったあ、楽しませてくれよな!」


 そう言うと、緋桜は一瞬で二階堂の真正面に行き剣を横に薙ぎ払った。


「――!?」


 二階堂は、とっさに刀で受ける。だが、力の差は歴然で、二階堂は緋桜に押し負け弾き飛ばされた。


 しかし、どうにか踏みとどまる。ここで倒れたら確実に命はないと、そう直感したからだ。


 荒い息を整えつつ、打開策はないかと思考を巡らせる。だが、すぐには思いつかない。


「なあ、ゲームしようぜ?」


 唐突に、緋桜が提案した。


「ゲーム……?」


 彼の意図がわからず、二階堂はおうむ返しに尋ねた。


「ああ。俺は、これから左手だけで戦う。もちろん、術も使わねえ。それで、俺がお前を八つ裂きにしたら俺の勝ち。お前が、俺に致命傷を与えられたらお前の勝ち。どうだ?」


「……僕が勝ったら、もうこの町で人間を襲わないと約束してもらう」


 承諾を口にする代わりに、二階堂は静かに条件を追加する。


「フッ、いいぜ。そうこなくちゃな! 殺す気でかかってこい!!」


 と、緋桜は嬉々として二階堂を煽る。


 言われなくてもと言うように、二階堂は刀に自身の力を乗せる。だが、その色合いはいつもの白ではなく、琥珀色の輝きだった。


 だが、そんなことは些末なこと。目の前の男を――否、五年前の忌まわしき記憶を打ち破ることに比べればどうでもいいことだった。


 二階堂は、体勢を低くして細く長く呼吸する。


 何度目かの呼吸の後、緋桜へと一気に駆け出していく。速度は今までよりも速く、くり出した攻撃は今までよりも鋭かった。


 緋桜は、妖しげな笑みを浮かべながら片手で捌く。


 だが、二階堂はがむしゃらに刀を振るう。そうしなければ、死んでしまうとでも言うように。もう必死だった。


 防戦一方になる緋桜。


「――くっ!」


 次第に激しさを増していく二階堂の攻撃に驚きを隠せない。


 どこにこんな力があったというのか。たとえ、蒼矢の妖気をその身に取り込んでいたとしても所詮は人間。その力は妖怪の比ではないはず。だが、実際には緋桜は攻撃に転ずることができないでいた。


 一瞬、彼の表情に悔しさが滲んだ。


 そのわずかな変化を二階堂は見逃さない。


(――いける!)


 力の出力を最大にし、渾身の一撃をくり出す。


 ギンッ、と。


 一際甲高い音が響き、二階堂の攻撃は見事に弾かれてしまった。


 後退した二階堂は、肩で息をしながら舌打ちをする。刀を構え直すも腕が重く、これ以上の長期戦は無理だろうと直感する。


「いい太刀筋だな。正直、見くびってたぜ」


 そう告げる緋桜の口角は上がっているが、その目は笑ってはいなかった。


「それはどうも」


 と、二階堂は感情のこもっていない声で礼を言う。


(一気に決める!)


 静かに決意すると、二階堂は全力で緋桜に斬りかかった。だが、攻撃は通らず弾かれてしまう。


 上下左右、四方向から刀を走らせるも、そのことごとくを弾き返されてしまった。


「くそっ……!」


 二階堂は、珍しく悪態をつく。


「もう終わりかよ? もっと楽しませてくれよ」


 そう言って、緋桜が攻撃に転じる。


 彼の攻撃は鋭く、それでいて重い。受け切るのも容易ではなく、かと言って避けることもままならない。


 反撃する隙さえない緋桜の斬撃を刀で受けていると、二階堂はあることに気がついた。彼と自分の刃が交差した時、最大出力で刃を覆っている光が火の粉のように舞い、彼の腕に小さな傷をつけているのである。


 だが、緋桜自身は気づいていないのか、それに対する反応はない。あるいは、この程度の生傷は日常茶飯事で、気に留めていないだけなのかもしれない。


(……もしかしたら、いけるかも)


 何度目かの攻撃のあと、二階堂は後退して緋桜との間合いを取り、刀を覆っていた力を解いた。


「おいおい、もう諦めるのか?」


「……さあね」


 二階堂が伏し目がちに言うと、


「――じゃあ、死ね」


 興覚めしたとばかりに緋桜は冷たく言い放ち、一瞬で二階堂の正面に移動する。


 振りかぶり、二階堂を袈裟に斬ろうと無慈悲に剣を振り下ろした。


 刹那、棒立ちだった二階堂が、俊敏な動きで緋桜の一撃を刀で防いだ。その刃は、いつの間にか最大出力の琥珀色の輝きを纏っている。そして、剣に添わせるように刀を滑らせた。


「な――に!?」


 それは、先程までの二階堂とはあまりにも違いすぎていて。無駄のない動きに、緋桜は驚愕する。


「……終わりだ」


 そう静かに告げると、二階堂はすれ違いざまに緋桜の脇腹を斬り裂いた。


「ぐ――あ――」


 呻いて片膝をつく緋桜。彼の左脇腹からは鮮血があふれ出し、白いポロシャツを赤く染めていく。


「……まさか、ここまで……やるとはな」


 緋桜の言葉に二階堂は振り向いた。


「生憎、諦めが悪い性分なんでね」


「ふふっ……そうか」


 そう言うと、緋桜は傷口を押さえながら立ち上がり二階堂へと振り向く。


 二階堂が刀を構えると、


「このゲーム、お前の勝ちだ。……この町で人間を襲うことは、もうしねえよ。じゃあな」


 呆れるくらいあっさりと告げて、緋桜はその場から姿を消した。

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