第1話‐4 VS 狸

 蒼矢の妖気を追ってたどり着いたのは、アパートからそう遠くないところにある小さな公園だった。ブランコとジャングルジムとベンチがあり、入り口付近には小さな花壇が作られている。


 その公園のほぼ中央で、優太と蒼矢が対峙していた。


「遅えよ、誠一」


 二階堂が追いついたことに気づいた蒼矢が、後ろを見ずに告げる。


「お前らが速すぎるんだよ」


 二階堂は抗議して、状況を把握しようと視線を巡らす。


 小競合いが何度かあったことは、明白だった。公園内の地面が、所々えぐれているのである。


「苦戦してるみたいだな」


「うっせえ! 本番はここからだっつの」


 そう言って、蒼矢は鎌を構え直す。


 蒼矢の妖気が次第に濃くなっていき、彼の周囲に青白い炎が複数現れた。


「殺すなよ」


 二階堂が釘をさすが、蒼矢はフンと鼻を鳴らすだけだ。


 横目でちらりと見やれば、そんなことはわかっていると言いたげな表情をしている。


 やれやれと、わずかに肩をすくめて、二階堂は走り出した。


 一瞬、優太の意識が二階堂にそれた。


「どこ見てんだよ」


 と、蒼矢が青白い炎を放つ。


 それは、優太の足元に着弾し、砂ぼこりを上げる。


「捕まえた。……蒼矢!」


 砂ぼこりに怯んでいる優太を、後ろに回り込んだ二階堂が捕らえ、声高に蒼矢の名を呼ぶ。


「おうよ!」


 砂ぼこりの間から鎌を振り上げた蒼矢が現れ、勢いよくそれを振り下ろす。鎌の刃は確実に優太を捕らえていた。


 断末魔にも似た悲鳴を上げて、優太はその場に崩れ落ちる。刹那、何かが優太の体から放り出された。


「……おっと」


 優太が地面に倒れる寸前、二階堂はその華奢な体を抱きかかえた。汗ばんだ首筋に手をあてる。正常に流れている脈を感じ、二階堂はほっと胸を撫で下ろした。


「誠一! ガキは!?」


 どこに行っていたのか、蒼矢が声を荒げて戻って来た。


「ああ、無事だ。気絶してるだけだよ」


「そっか」


 心なしか、蒼矢の声にも安堵の色がうかがえる。


「ありがとう」


「あ? 何がだよ?」


 唐突に礼を言う二階堂に、蒼矢は訝しげな表情で問いかける。


「いや、殺すなって言ったこと、守ってくれただろ?」


「そりゃ当然だろ。今回の依頼は、あくまで救出なんだから。神経使ったんだぜ? ガキを傷つけずにこいつを切り離すの」


 蒼矢は自分の右手を掲げるように上げた。そこにいたのは、おぼろげな狸の幽霊だった。敵意を露にしているそれは、蒼矢から逃れようと必死にもがいている。


「大人しくしてろっての!」


 蒼矢が指に力を込めると、小さな悲鳴を上げて大人しくなった。


「加減しろよ? そいつには、聞きたいことがあるんだから」


 二階堂が告げると、


(聞きたいこと……ね)


 蒼矢は視線だけを唸り声を上げている狸に向け、わずかに思案する。


 聞き出したいことがあっても、このままでは無理だろう。幽霊とは言え、動物である。人の言葉を話すことはできないのだ。


 小さくため息をついて、蒼矢は狸に自分の妖気をほんのわずか分け与えた。


 すると、いまだ唸り続けている狸が、


「……っ!? てめぇ、何しやがる」


 体をひねって蒼矢の手から抜け出し、蒼矢に食ってかかる。


 しかし、それには答えず、


「てめえに聞きてえことがある。なぜ、あいつに取り憑いていた?」


 極力、感情を抑えて問いかける。


「フン! お前らなんかに教えてやるもんか」


「答えろ」


 蒼矢は静かに、だが、否と言わせぬ声音で告げる。深い海の底を思わせる濃い藍色の瞳には、剣呑な色が浮かんでおり、答えなければ滅すると告げていた。


「……っ!」


 狸は声にならない悲鳴を上げる。


「答えてくれ。優太君に取り憑いていた理由を」


 どうしても知りたいと二階堂が告げると、狸は観念したのか、しぶしぶではあるが、口を開いた。


「……オレが死ぬちょっと前、そいつがいきなり攻撃してきやがったんだ――」


 ――それは、三週間前のこと。


 狸は、お気に入りの切り株の上で昼寝をしていた。


 小学校の裏側にある林の中である。この林は狸の縄張りだった。狸の天敵になるような動物がいないため、長いことここに居を構えているのである。


 しかし、安らぎの時間は唐突に終わりを告げた。脇腹に衝撃と痛みを覚えて目を覚ます。辺りを見回すと、切り株の根元に木の棒があった。見覚えのないそれに、狸は自分が襲われたことを知る。しかし、他の動物の姿はない。警戒して辺りに気を配っていると、木の棒がすごい勢いで飛んで来た。当たる直前、後ろに飛びすさって回避する。棒が飛んで来た方を見ると、一人の人間の子どもが走り去るのが見えた。


 次の日もその次の日も、その子どもは狸に木の棒を投げつける。それも、この狸の習性を知っているかのように、毎日同じような時間に狙撃してくるのだ。


 回を重ねるごとに、日を増すごとに、狙撃の精度は上がっていく。


 しかし、狸は相変わらず、お気に入りの場所で惰眠を貪る。毎日狙撃されているのだから、別の場所に移動すればいいと思うのだが、この狸にとってここは離れがたい特別な場所なのだろう。


 そして、人間の子どもにとっても、狸を狙撃することは、もはや習慣となっていた。


 その日も、子どもは狸を狙撃する。一矢目は狙いがはずれ、切り株の根元に当たる。しかし、熟睡しているのか、狸が起きる気配はない。


 それをいいことに、子どもは足元にあった木の枝を二矢目に選んで放つ。今度は狙い通り、狸に当たった。が、狸は今まで聞いたこともない絶叫を上げる。驚いた子どもは、狸に駆け寄る。見ると、木の棒が狸の後頭部に突き刺さっていた。先が尖っていないものを選んで矢の代わりにしていたのだが、先程拾った枝の端がたまたま鋭利だったのだろう。深々と突き刺さり、絶命しているのは明白だった。怖くなった子どもは、その場から一目散に逃げ出した――。


 狸の話を聞いた二階堂は肩をすくめ、蒼矢はやれやれといった表情で首を振る。


「これは、取り憑かれても仕方ねえな」


「だろ? だったら……」


「させねえよ」


 狸の言葉を蒼矢が遮る。


 低く唸る狸に、


「この子の母親から依頼されてるんだ、助けてくれって。だから、君にこの子を殺させるわけにはいかないんだ。悪いな」


 二階堂が静かに告げる。


 それでもまだ怒りが収まらないのか、狸は唸り続けている。


 それを見た蒼矢は小さくため息をついて、


「どうしたら、怒り収まるわけ?」


「そりゃもちろん、そいつを殺したらだよ」


「そりゃ当然か。……でもよ、それってお前の本当の望みなわけ?」


「どういうことだよ?」


「確かに、お前は優太に殺された。だから、自分と同じ目にあわせてやりたいって気持ちはわかる。けど、優太を殺して、お前の気持ちは本当に晴れるのか? 報われるのか?」


「それは……」


「本当にしてほしいことは、違うんじゃねえの?」


 蒼矢の問いに、狸は口ごもる。答えを拒んだのではなく、持ち合わせてはいなかったのだ。


「行こうぜ、誠一」


 呆然としている狸を気にもとめず、蒼矢は二階堂に声をかけた。


 二階堂はうなずいて、優太を抱えて立ち上がる。


「……ま、待てよ!」


 歩き出した二人に、狸は慌てて声をかけた。


「あ? 何だよ?」


「オレも連れてけ」


 狸の思わぬ発言に、二人は顔を見合わせる。


「……大人しくしていれば、いいよ」


 わずかの逡巡、二階堂は条件つきながらも承諾した。


「おい、誠一!」


「大丈夫。こいつから、もう殺意は感じないから」


 危害を加えることはないだろうと、二階堂は告げる。


 蒼矢は、勝手にしろとばかりに鼻を鳴らし、歩き出した。


 二階堂は苦笑して、狸とともに蒼矢を追う。


 二人と一匹は神山家へと向かった。

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