第1話‐3 神山家へ

「それにしても、狸に何したんだ?」


 道中、蒼矢がつぶやいた。


「え?」


 二階堂は思わず聞き返した。


「狸が人間に取り憑くのは、人間に非がある場合が多いんだ。おそらく今回も、優太……だっけ? そいつが、狸に何か悪さしたんじゃねえかと思うぜ」


「じゃあ、その狸の怒りを鎮めればいいわけだな?」


「そう単純にいけばいいけどな……」


 かすみに告げた時の勢いはどこへやら、蒼矢は弱気な言葉を口にする。


「どうしたんだよ、蒼矢らしくない」


「除霊は専門外だぜ、俺。それに、昔から狸とは相性悪いからな……」


 苦戦するかもしれない、と言外に告げる。


 運転中の二階堂が、ちらりと横目で蒼矢を見やる。その横顔には不安の色が見えた。


「蒼矢でもあるんだ、苦手なもの」


「そりゃあ、あるだろ」


「五百年も生きてるのに?」


「生きてる年月なんざ、関係ねえだろ? ……まさかお前、俺が負けるとか思ってるんじゃねえだろうな?」


「そう思ってるのは、蒼矢だろ?」


「……っ!」


 痛いところを突かれて、蒼矢は口ごもる。


 図星か、と二階堂は苦笑する。


「妖狐様は、狸の霊が怖いのですか?」


 わざと挑発するような口調で問えば、


「はっ! あんな下級な者どもに、この俺がやられるかよ」


 甘く見るなとばかりに、強気な口調で応戦する。


 その答えは、二階堂の希望通りのものだったらしい。納得したような笑みをたたえて、


「敵陣に着いたみたいだ」


 前方を見れば、白地の壁に焦げ茶色の屋根が特徴的な二階建てのアパートが目に入る。


 前を走る車が、そのアパートの駐車場に入った。かすみが運転する車である。二階堂もそれに従って駐車場に入り、かすみの車の隣に停める。


 車から降り、かすみの案内で目的の部屋まで向かう。


「こちらです」


 アパートの一〇二号室。ここが、神山家である。


 かすみに促されて玄関に入ると、靴箱の上に小さな花瓶がちょこんと置かれていた。しかし、きれいに咲いていたはずの白い花は、微かにしぼんでしまっている。


 玄関を抜けると、ダイニングキッチンがあり、その先に扉が二つあった。


 そのうちの一つから、二階堂は嫌な気配を感じ取る。出来ることなら近寄りたくない、そんなことまで思ってしまう程である。


(……間違いない、あの扉の先にいる)


 二階堂はそう確信する。


 かすみが左側の扉――二階堂が気配を感じた扉をノックする。


「優太、ただいま」


 返事はない。


「入るよ?」


 声をかけて、扉を開ける。


 部屋の中は、昼間だというのにカーテンが閉めてあるせいで薄暗い。空間を遮るものがなくなったせいか、先程から感じている気配が、より濃く肌にまとわりついてくる。


 息苦しくなるくらい、鼓動が早鐘を打つ。早くここから離れろと、危険だと本能が告げる。しかし、逃げるわけにはいかない。二階堂はしっとりと汗ばんだ手を強く握りしめ、小さく深呼吸をする。ほんの少しだが、気持ちが落ち着いたところで部屋に入った。


 入り口正面には、勉強机や本棚が置かれている。奥を見るとベッドが置かれていて、少年が横になっている。そして、少年の枕元に『それ』がいた。狸である。


 おぼろげな狸の瞳は禍々しく光り、殺意が浮かんでいる。狸は、優太を本気で殺そうとしているらしい。


 しかし、かすみには見えていないらしく、優太に歩み寄ろうとしている。


 二階堂は、咄嗟とっさにかすみの手首を掴み、制止した。


「……二階堂さん?」


 かすみが怪訝な表情を浮かべる。なぜ止められたのか、理解できていないようだ。


「神山さん。ここから先は、僕達に任せてください」


 二階堂は狸を見据えたまま、かすみに告げる。


 否と言わせぬ声音に、かすみはうなずくしかない。


「優太を……お願いします」


 そう言って、かすみは部屋を出て行った。


「お願いされちゃあ、手加減するわけにもいかねえよな」


 蒼矢が軽口を叩く。狐耳と尻尾を出現させ、妖気で作りあげた鎌を手にしている。戦闘体勢は万全である。


「手加減なんて、最初からする気ないくせに」


「まあな」


 二人が構えながらそんな会話をしていると、優太がゆらりと起き上がりベッドの上に立つ。


 虚ろな目に光はなく、低く唸り声をあげている。完全に操られているようだ。


「よう、狸。そいつに何されたか知らねえけどよ、そいつに死なれちゃ困るんだわ」


 だから解放しろと、蒼矢が告げる。


 しかし、殺気立った相手がそう簡単に聞き入れるはずもない。優太は右手を前に突き出し、蒼矢に向けて何かを放った。


 妖狐である自分にも見えないらしいそれを切り裂こうと、蒼矢は鎌で空を切る。しかし、刃ではなく柄の部分に当たったのか、見えない球体は角度を変えて窓ガラスを打ち破る。


 蒼矢は舌打ちをして、鎌を振り上げ優太に襲いかかる。振り下ろす瞬間、優太はその細い体からは想像がつかないほどの素早さで、蒼矢の攻撃範囲外に避難した。


「な、に……!?」


「そんなっ!?」


 これには、蒼矢だけでなく二階堂も驚きを隠せなかった。


 優太の体は痩せ細り、本来ならば立っているのがやっとの状態のはずなのだ。いくら操られているとはいえ、人の運動能力には限度がある。しかし、先程の優太の動きは、その限度を超えているように見えた。


「野郎……!」


 蒼矢が低く吠えて、優太に再び襲いかかろうとする。が、それは叶わなかった。体勢を立て直している間に、優太が割れた窓から外に逃走したのである。


「逃がすかよ!」


 蒼矢が、優太の後を追うように窓枠に足をかける。


「蒼矢!」


 二階堂が呼び止めるも、蒼矢は聞かずに外に飛び出していく。


 二階堂は舌打ちをして、きびすを返し部屋を出る。


 リビングには、かすみが心配そうにソファーに座っていた。二階堂が部屋から出たのに気づいたのか、立ち上がり、


「二階堂さん、ガラスが割れた音がしたんですが……」


「ちょっとした事故がありまして……。ですが、優太君は必ず助けます。だから、待っててください」


 二階堂はそう言い置いて、神山家を出た。


 アパートの裏手に回るが、優太と蒼矢の姿はない。当然といえば当然なのだが。


 二階堂はため息をつく。いつものことではあるが、戦闘モードの蒼矢は獲物のことしか見えなくなってしまうのだ。


 仕方がないと思考を切り替え、蒼矢の妖気だけを感じ取るように神経を集中させながら、二階堂はアパートを後にした。

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