第1話‐5 帰還

 神山家に着くと、いつの間にやら狐耳と尻尾を隠した蒼矢が、二階堂の代わりにインターホンを押した。


 インターホン越しにかすみが応対する。


「二階堂だ、今戻ったぜ」


 蒼矢が告げると、すぐにドアが開き、かすみが出迎えた。


「蒼矢さん、二階堂さん、お帰りなさい。優太は……?」


 不安そうな表情を浮かべるかすみに、蒼矢は体を少し斜めにずらし、左手の親指で後ろを示した。


 蒼矢の後ろには、優太を抱えた二階堂の姿がある。


 それを見たかすみの瞳には涙が浮かび、不安そうな表情は一瞬で安堵のそれに変わる。


「とりあえず、優太君を安静な場所に……」


「……っ! そ、そうですね。中へどうぞ」


 二階堂の言葉に、かすみは我に返り、中へと案内する。


 ソファーに優太を寝かせると、二階堂と蒼矢も手近なソファーに腰をおろした。


「今、紅茶淹れますね」


 と、かすみはキッチンに向う。


 かすみに礼を言うと、二階堂は隣にいる蒼矢をうかがい見る。正確に言えば、蒼矢の肩にいる狸を、だが。今のところは、おとなしく蒼矢の肩に座っている。


(……別に気にしなくてもいいか)


 二階堂がそんなことを考えているところで、かすみがコーヒーカップの乗った盆を運んで来た。二階堂と蒼矢の前にカップを置き、


「お好みでどうぞ」


と、テーブルに置かれたシュガーポットをすすめた。


「いただきます」


 二階堂は、淹れたての紅茶に口をつける。紅茶の上質な甘味が口の中に広がる。


「これは……アッサムですか?」


「ええ。お口に合いませんでした?」


「いえ、とても美味しいです」


 かすみは茶菓子と自分の分の紅茶をキッチンから持って来て、二階堂達の向かいのソファーに腰かけた。


「二階堂さん、蒼矢さん。優太を助けていただいて、ありがとうございました。それで、お代の方は……」


「いえ、報酬はまだ受け取れません」


「どうして……?」


「一つ、優太君に聞きたいことができまして」


「聞きたいこと……ですか?」


 二階堂はうなずいて、


「神山さん、約束してほしいことがあります」


「約束……ですか?」


「ええ。優太君の話を、最後までちゃんと聞いてあげてください」


「……はあ……?」


 状況が把握できていないかすみの返事は、どうしても曖昧なものになる。


「狸憑きの原因は、人にあることの方が多いんだよ」


 蒼矢はそれだけ言うと、人肌程度に冷めた紅茶に口をつける。


「え、それじゃあ……」


 と、青ざめるかすみ。気持ちを落ち着けようと、カップに伸ばした手が震えている。


 三人とも押し黙り、重苦しい空気に包まれたその時だった。優太が気がついたのは。


「優太っ! 気がついたのね」


 かすみは持っていたカップを乱暴にテーブルに置いて、優太の側に駆け寄る。


「……お母さん」


「よかった、心配したんだから」


「ごめんなさい」


 素直に謝った優太は、起き上がりソファーに座り直した。


「こちら、二階堂さんと蒼矢さん。優太を助けてくれたのよ」


「……ありがとうございます」


 優太に礼を言われ、二階堂と蒼矢は軽く会釈した。


 紅茶を一口飲んだ二階堂は、おもむろに口を開く。


「優太君、一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 うなずく優太を見て、言葉を重ねる。


「君は、狸に何をしたんだい?」


「……っ!」


 優太は表情をこわばらせ、うつむいてしまう。しかし、それもほんのわずかのことで。顔を上げた優太の瞳は、何かを決意したような光をたたえていた。


「ぼくは……狸を殺しました」


 事前に聞いていたとは言え、やはりショックなのだろう。かすみは青ざめた顔をしている。


 当時を思い出しながら優太は、たどたどしくではあるが言葉を紡ぐ。


 当時、昼休みに友達とともに木の棒や植物のツタで弓矢を作っていたこと。それを気に入って、放課後毎日のように学校の裏の林に行っては、落ちている枝を矢に見立てて放っていたこと。それが、徐々にエスカレートしていき、最終的に狸をターゲットにしたこと。そして、狸の亡骸を見て、怖くなって逃げてしまったことを話した。


 優太の主観で語られているが、その内容は、狸から聞き出したものとほぼ同じものだった。


「なるほど、話してくれてありがとう。だけど、君がしたことは許されないことだ」


 好奇心や興味本位などでむやみに命を奪うことは、あってはならないと。それが人であれ、他の動物であれ同じことだと。二階堂は穏やかに告げる。


 二階堂の態度は、優太が思っていた反応とは違うものだったのだろう。二階堂をまっすぐ見つめる優太の表情には、驚きと罪悪感とがない交ぜになった感情が浮かんでいる。


 今にもこぼれ落ちそうな涙を浮かべている優太を見て蒼矢は、


「なあ、優太。その林に案内してくれよ」


「え? ……いいけど」


「蒼矢?」


 蒼矢の提案に、優太は戸惑い、二階堂は怪訝な表情を向ける。


「悪いと思ってるんなら、ちゃんと謝って供養してやらねえとな」


 そう告げて、蒼矢はすっくと立ち上がる。


「そうだな。神山さん、スコップかシャベルを貸していただきたいんですが、ありますか?」


「ぁ……はい、スコップなら」


 少し待っていてくださいと告げると、かすみはベランダに向かった。


「……蒼矢兄ちゃん……あの、ぼく……」


 優太は、言い出しにくそうに言葉を紡ぐ。体力がまだ完全に戻っていないことを告げるのが、躊躇ためらわれるのだろう。


 それを察したのか、蒼矢は柔らかく微笑んで、


「心配するな。俺がおんぶしてやるよ」


 と言って、優太が座っているソファの隣に後ろ向きでしゃがむ。


 蒼矢に促され、優太は蒼矢の背中におぶさった。その瞬間、蒼矢の肩にいた狸は二階堂の肩へと移動する。


 しばらくすると、かすみが園芸用のスコップを三本持って戻って来た。


「これでよければ」


 スコップを受け取った二階堂は礼を言って、


「じゃあ、行こうか」


 二人を促し、神山家を出る。


 優太の通う小学校は、アパートから徒歩十分くらいのところにある。


 途中、先の戦闘の舞台となった公園にさしかかった。


「あれ? 何で、こんなに穴開いてるんだろ?」


 公園内の地面を見て、優太がつぶやく。


「さ……さあ、何でかな?」


「あ~……あれだ。野良犬が宝探しでもしたんじゃねえか?」


 二階堂と蒼矢は、苦し紛れに適当なことを言ってごまかす。


「そっか」


 優太は納得したらしい。どうやら、狸に操られていた時のことは、記憶にないようだ。


 二人は胸を撫で下ろし、歩みを進める。


 しばらく歩くと、前方に大きめの門が見えてきた。その奥に視線を移すと、校庭らしき広場と校舎だろう建物があった。優太が通う小学校である。


 残念なことに、校門は閉まっていた。平日の昼時である。防犯上、当然といえば当然だが。


 一行は、学校の外周を迂回して目的地に向かうことにした。

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