3
翌週、俺は部活に復帰していた。
結局、音楽準備室に入り浸っていたのは全部で3日間だけだった。土日を挟んで、俺の足首はすっかり回復していた。
今日は秋らしい顔を見せた、風の心地よい天気だ。
「怪我の影響はもうなさそうだと見える。良きかな良きかな」
休憩時間、タオルで汗を拭っていると、
「俺のスーパーなスライディングのせいで外村の選手生命が断たれてしまったのではないかと、不安でいっぱいだったぞ」
「そう思うなら、そのスーパーなんちゃらは封印しろ。危ないだろ」
「お前が貧弱すぎるんだよ。もっと食え。そして、鋼の肉体を手に入れろ」
にかっと笑う。白い歯がきれいに並んでいた。
少々暑苦しいが、どうにも憎めないやつなのだ。部のムードメーカーにして守備の要、我らがチームの柱だ。
「とはいえ、今日の外村はいい感じだ」
「そうか?」
調子がいいという自覚はない。むしろ復帰初日ということで気を使いながら練習しているので、八割程度の力しか出していない。
「おう。プレーに余裕が感じられるし、なにより覇気がある。普段は相手に身体がぶつかるのを必要以上に避けようとしてるだろ。今日は行くべき時は行く、避けるべきとは避けるって感じで、メリハリがある」
「意識はしてないんだが……」
「無意識とは、なおいいじゃないか。さては休んでるふりして秘密の特訓でもしていたな」
「しいて言えば、みんなが炎天下で走り回っているときに、屋内でまったりアイスを食べてたくらいかな」
「卑怯な! おごれ!」
「怪我すれば食べられるぞ。どうだ?」
「断る!」
学業の成績はいまいちだが、和久井のサッカーにおける観察眼はあなどれない。体を動かす方面に特化したような男だ。
好調の理由を探していると、ふと由利の姿が浮かんだ。
小さな体をすべて使ってピアノを弾く姿が。
「突然笑い出してどうした?」
「なんでもない。気にするな」
「ところで外村よ」
「まだなにかあるのか?」
「あの女子、こっちを見てないか?」
和久井の指差す先をみると、グラウンド脇の木陰に由利が立っていた。かばんを持っているから、帰るところだろう。
確かにこちらを見ているようだが、自意識過剰なだけか?
試しに彼女に向けて手を挙げてみると、由利は大きく2回、腕を振った。
「外村に女の影だとぉ。いつの間に抜けがけを?」
「ただのクラスメイトだ。部活休んでる間に少し仲良くなったんだよ」
「少しだぁ? あまい。あますぎる。せっかく外村に好意的な態度をとってくれているのに、その悠長な姿勢はいただけない。よし、彼女のところに行ってこい。いっそのこと一緒に帰るんだ」
「は? なに言ってんの? まだ部活終わってないだろ」
「顧問には足の具合が優れないから大事をとって帰ったと伝えておこう。うん、それがいい。完璧な理由だ」
和久井がせかすように俺の背中を勢いよく叩く。強いよ。痛いよ。
思い込みが激しいのも彼の欠点だ。こうなると覆すのは大変苦労する。
ため息をひとつついて、俺は由利のところへ向かった。
由利に少し待っていてもらい、急いで着替える。顧問や他の部員に見つかると体裁が悪いので、学校の外で合流した。
突然部活を切り上げて一緒に帰ろうとか言うものだから、さすがに由利も驚いていた。
さすがにこれでは、俺が女の子と下校するために部活をさぼる人間という不名誉なレッテルをはられかねないので、和久井とのやり取りを一通り話した。
「あっははははは」
まあ、多少の脚色は許してほしい。
こうして彼女は声を出して笑っている。和久井の性格を間抜けな道化のように盛ったかいがあったものだ。
あいつも女の子の笑顔に貢献したのだ。本望だろう。
「……いくらなんでも笑いすぎだ」
「だって……外村くんが友達の真似をしてる時のしゃべり方が、いつもと違いすぎて……ギャップが、ギャップが……」
まさか、笑われていたのは俺だったのか……。
「ああ! ごめんごめん。そんな苦しそうな顔しないで!」
「よくある自己嫌悪だから、軽く受け流してくれていいよ」
「馬鹿にしてるんじゃないんだよ! 新しい顔が見れてわたしとしては嬉しかったし、ね? ね? 元気出して」
「別にへこんでるわけではないのだけど」
反省の感情がちょっと表に出てきただけなのだ。
とはいえ、彼女に申し訳なさそうな顔をさせ続けるのも嫌なので、話題の方向転換を図ることにした。
「今日もピアノを弾いてきたのか?」
「20分だけね。お客さんが来るから準備室を空けてねって伊藤ちゃんに言われてたから。もしかして、また聞きたかった?」
由利は3歩走って振り返り、大きな瞳でじっと見上げてくる。
「聞きたくても、部活があるからそう簡単には行けないな」
「そうだよね。今日はサボってるけど」
「本日は特別休暇。ていうか、後ろ向きで歩くのやめなよ。転んでもしらないぞ」
「はーい、わかりました」
くるっと半回転。由利は前を向いて歩きだす。
その時、自分のすぐ横を勢いよく風と人影が通り過ぎた。自転車だった。
「きゃっ!」
自転車に乗っていた人の腕が由利にぶつかった。死角からの衝撃。よろけた由利の足が縁石にひっかかり、彼女は背中から車道へと倒れていく。
反射的に身体が動いていた。
腕を伸ばして支えようとするが、踏ん張りのきかない体勢のせいで受け止めきれない。
巻き込まれるように自分も倒れていく。
「がっ!」
コンクリートに右半身を強かに打ちつける。痛みで世界が一瞬白く染まる。
「だ、だいじょうぶ?」
自分の上から聞こえてくる由利の声。
道路と彼女の間になんとか身体を入れることができたようで、由利に怪我らしい怪我は見当たらなかった。制服は多少汚れているけれど。
「ああ……」
自転車の走って行った方向を見るも、すでに姿は消えていた。
由利は後ろ向きに歩いていたとき、自転車の存在に気付かなかったのだろうか。そういえば俺の顔をまっすぐ見ていたか。それじゃあ無理もないか。
「と、外村くん?」
「ん?」
「あたま……」
痛む右の側頭部をさわる。こめかみの付近。髪の生え際あたり。ぬめっとした嫌な感触。
俺の手のひらにはべったりと赤い血がついていた。
痛み自体は右腕のほうが強いせいで気付かなかった。
とはいえ、血がどばどばと流れて止まらないというわけではなさそうだ。おそらく軽く切っただけで、場所が悪くて派手に怪我したように見えているだけだろう。
「ここからなら学校の保健室に戻ったほうがはやいか。由利、悪いけど付き添い頼めか?」
「……うん……うん。行こう」
「由利?」
顔が真っ青だ。それに、かすかに震えている。
「もしかして、変なところでも打ったか?」
「平気。平気だよ。……行こう、はやく手当てしないと」
他人のことを気にしていられる状態でもない。
俺たちは学校への道を戻り始めた。
結論から言えば、大した怪我ではなかった。保健室レベルの治療でなんとかなる傷で、血もじきに止まった。
――念のため後で病院にも行ったが問題なし。
――腕にできた痣のほうが長引いたほどだ。
それよりも気になったのは、由利の様子だった。
保健室に着いてからも顔色は変わらず、うつむきながら黙って椅子に座り続けていた。こちらを見ないようにしているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます