もんじゃ屋・さおり
koyomi
飲み会の席で
「あたし、もんじゃ焼きの才能があるよね。もんじゃ屋さんでもはじめちゃおっかな」
冗談とも本気ともつかない言葉は、周囲の喧騒にまぎれることなくしかと僕の耳に届いた。
彼女がわざわざ大きな声を出したわけではない。僕の神経が彼女にだけ向けられている証だ。
「じゃ、じゃあそのときは僕のことバイトで雇ってください」
「イヤよ。だって安本くん、もんじゃヘタクソじゃん」
にべもないつれない返事だったが、彼女が笑いながら楽しそうに言うので、僕もつられて笑ってしまった。
笑って乾いた喉にビールをぐいっと流し込み、ヘラを抱えて鉄板の上でくつくつと焼きあがるもんじゃ焼きに意識を向ける。
そんな彼女を眺めていると、内心からふつふつと嬉しさが湧き上がってくる――好きな女性が手ずから僕が口にするものを調理してくれている、これが幸せでなければなんだというのか。
ただ、惜しむべきポイントはいくつもある。
僕が敢えて忘れようと意識の外に追い出していたその「惜しい」ポイントは、僕の背後からずうずうしくやってきた。
「安本ぉ~!なんだよお前、ちゃんと飲んでんのかぁ?」
肩に熱を帯びた重みを覚えて、あまりの不快感に思いっきり眉根を寄せる。見やれば、声の主・高橋先輩がビールジョッキ片手に僕の肩を引き寄せていた。彼が纏う白いTシャツ越しに、長年鍛え上げたであろうムキムキの分厚い胸筋を感じて、僕はげんなりとした。なんでも、現役で空手サークルの主将をしているという。暑苦しいわけだ。
その上、鉄板があちこちに置かれじゅうじゅうと煙をたてているこのもんじゃ屋では、不快さ倍増である。
情けなくも助けを求め、目の前でもんじゃを焼いている彼女、春日さんを見やるも、彼女は口端をつりあげて微笑みをこぼしただけだった。おもしろがっているように見える、というか、確実におもしろがっている。春日さんとは、そういう無邪気でおもしろければすべてヨシ、みたいなところがある女性なのだ。
しかたがないので、己で厄介な先輩の対応をこころみる。
「の、飲んでますよ」
「それ、ただのウーロン茶だろ~?ああん?」
なんて言いがかりだ。
「ちゃんとウーロンハイです!ねえ春日さん」
「あら?そうだったっけ」
「か、春日さん~…」
おもしろがってつれない態度をとる春日さんに、思わず情けない声をあげると、彼女は心底おもしろいといったようすでケラケラと笑い声をあげた。それから、やっぱり潤すようにビールを豪快に飲む。
高橋先輩は僕の肩を掴んだまま、春日さんのほうを指さした。
「ああいうのが“飲む”ってことなんだよ、わかったか?」
「む、無理です。僕、にがいの、ダメなので…」
「なんだ安本、俺の酒が飲めないってのかよ!」
「もう、高橋くんってば。まだ二十一でしょ?いまからオッサンでどうすんのよ」
春日さんも負けじと、もんじゃを焼いている大きなヘラで高橋先輩を示しながら言い返す。
すると、いつからか周辺のテーブルの注目は僕たちのもとへ集まっていたのか、ほうぼうから「そうだそうだ」「高橋先輩、あつぐるしいぞ」「ていうか安本、おまえなに春日さんとふたりっきりなんだよ」などとガヤが飛んでくる。
終わりだ。
スーパーのアルバイトとして雇われ三ヶ月。バイト仲間、およびパート仲間、そして一部の若い社員が出席するこの飲み会に僕が参加するのは、二度目となる。一度目は僕の歓迎会で、そのときは春日さんが来なかった。
先月も一度飲み会があったのだけれど、そのときも春日さんは欠席だった。だから、僕も不参加にしておいた。そもそも僕自身、あんまり飲み会が得意ではない。大勢でわいわいと軽快に言葉を投げあい、場を盛り上げるなんて高等技術を持ち合わせていないのだ。だから、苦手としている。
けれど、今回は別だ。なんせ、春日さんが出席するのである。
つられて出席することに決めて、けれど、他に話せる人もあまりいない。不安に思っていたけれど、奇跡的に春日さんの目の前という神のような席に落ち着いてしまった。いったいなにをどうしたのか、自分でもわからない。慣れない飲み会でおろおろしている間に、いちばん端っこの、小さな二人掛けの席に落ち着いてしまったのだ。そして、顔をあげたら、そこには春日さんがいた。
もしかすると、その段階で幸運は使い果たしてしまったのかもしれない。
やっとはじめて得た春日さんと気軽なおしゃべりが出来る機会なのに、グループみんなが注目しているわ、高橋先輩が絡んでくるわ。そもそも。その前だって、春日さんとは気軽におしゃべりできていたとは言いがたい。
僕の希望は、一瞬にして打ち砕かれてしまった。
内心でがっくりと落ち込む僕のことなど露知らず、春日さんは高橋先輩としゃべっている。
「ほらほら、高橋くん。目の前で男同士でぴったりくっつかれてるなんて、見てるほうも暑い。早く離れてよね」
「そうか?そうかもな…」
いまいちピンと来ていないようで首を傾ぎながらも、不承不承、高橋先輩は離れていった。やっと肩のあたりにべたべたまとわりついていた筋肉から解放され、思わずほっと溜息をつく。
すると、高橋先輩が僕のほうを見ながら、ふいにヘンなことを言う。
「うーむ。俺は対して暑くなかったんだが、もしかして安本の体温が低いのか?」
そういわれても、しょうじきわからない。
返答に困っていると、目の前から、すっ、としろい手が伸びてきた。
「どれどれ?」
春日さんの手だ。
春日佐緒里、二十三歳、フリーター。ショートカットの黒髪がきらきらとまぶしくて、すらりと背が高い、ジーンズの似合うモデルのような春日さん。とびきり美人なのにおごるところがなくて、長いたばこをすぱすぱ吸って、いつも白いシャツをきれいに着ている、春日さん。スーパーまで原チャリでやってくる、ワイルドな春日さん。車いすのお得意様が来店するたびに、いつもさりげなく補助している春日さん。僕みたいな、あんまり世慣れしていないうえに人見知りな大学二年生のちんちくりんにもやさしい、春日さん。
あこがれの、春日さん。
そんな春日さんの手が、そっと、僕の頬に触れた。
僕はいったい、どんな顔をしていただろう。
じゅうじゅう燃えさかる鉄板のうえのもんじゃよりも熱を帯びていたのは、いうまでもないかもしれない。
だから、春日さんがいぶかしんだ顔で、
「べつに。ぜんぜん、つめたくもないけど…」
と言いながら、ちょっと残念そうに手を離したのも、しごく当然の話だった。
高橋先輩はその返答を聞き、「そうか?そうだったかもな!」という言葉とともに酔っ払いらしく曖昧で豪快な笑いを残して、さっさと別テーブルへとうつっていった。
隣のテーブルから、「うわっ、こっち来ないでくださいよ先輩!」と邪険にされる声と、笑い声が聞こえて来る。高橋先輩は、そういうキャラだ。僕は、そんなふうに扱えやしないのだけれど。
いつの間にか僕たちに向いていた注目のまなざしも散っていた。
失われたかと思った春日さんとの“ふたりっきり”が不意に戻ってきて、僕はどぎまぎとする。さっきあんなに残念に思っただろう、こんどこそちゃんとしろ、個人的な話のひとつふたつしてみせろ、と思うのだけれど、うまく言葉が出てこない。
とまどう僕をよそに、春日さんは鉄板の上に意識を向けた。
「やっば、ちょっと焼きすぎたかも!ってか、火力強い」
「えっ、あ、弱火にします?」
「できる?ちょっと下げてみてくれない?」
まるで手のかかる弟に向けるみたいな心配そうなまなざし――否、きっと「まるで」じゃない。春日さんからしてみれば、僕はきっとそういう存在なのだ。そう自覚したらますます恥ずかしくなって、僕は隠れるみたいにテーブルの下に屈みこんで鉄板のスイッチを探した。もれなく「強」になっているそれを見つけて、とりあえず「中」まで引き下げる。
机の下から顔を上げると、春日さんは両手にヘラを持ち、じゅうじゅう音を立てながら焼けていくキャベツや牛すじをタンタンタンタン、とリズミカルに叩きつけていた。
「もんじゃって、そうやって…叩きながら焼くものなんですか?」
「え?わかんないけど、前に彼氏がこうやってた」
「あ、なるほど…」
とうとつに残酷な事実を突きつけられたとも知らず、春日さんはなおもヘラで具材を叩き、そして混ぜ合わせ、そしてまた叩いていく。
まるでマグロやいわしのたたきを思い出す動きだ。
鉄板とずっと向き合っているせいか、じんわりと額に汗をにじませながら、春日さんは思い出すように言う。
「なんか、キャベツとか食べやすく小さくなるらしいよ。あ、でも、どうなんだろ。地域差とかあるんじゃないかな」
「なるほど…ええと、その彼氏さん?はどこのご出身なんですか?」
「福岡っつってたな。でも、どうなんだろ。ほんとかわかんない」
いつもみたいに明るく笑いながら言って、けれど、その顔はきっと笑っていなかったんじゃないかなと僕は思った。
もくもくと立ち込めるけむりの向こう、真剣にもんじゃに向き合ってうつむく彼女の表情までは、わからなかったけれど。
なんとなく春日さんの“素”の部分が不意に近づいてきたように感じ、僕は当惑する。このまま手を伸ばしていいのだろうか。それとも、引き下がるべきなのだろうか。
そもそも彼氏がいるじゃないか、そんなことも知らずにのうのうとこの人を好きでいたのか。
自己嫌悪におちいって己のことを叱りつける。
春日さんももんじゃをじょうずに焼くことに必死なのか、もう言葉を発しなくて、にぎにぎしい同僚たちの酔っ払った声が遠くに感じられるほど、僕たちは黙り込んだ。
こんなふうに黙ってしまうところもまたダメなのだな、と反省のループを起こしてしまう。こうなってくると、乱入してきた高橋先輩の存在が、なんだかありがたかったとすら感じられる。
「…安本くんは?出身、どこ?」
長い沈黙――けれど、それは気まずさゆえの体感で、もしかしたらもっと短かったのかもしれない――のあと、気を遣うように春日さんがそっと問うてきた。これを逃すわけにはいかない、と奮起して僕も応える。
「長野です」
「へえ、いいとこそう。あ、あれでしょ。ねぎがおいしい」
「そうです、ちょうど僕の出身はその産地の近くなんですよ」
未練がましい僕は、失恋してもなお「それで、春日さんの出身はどちらで」とたずねようと思っていた。
しかし、それは叶わない。
いきなりがばっと顔を上げた春日さんが、なんだかたくらむみたいにいたずらっぽい顔をして笑っていたからだ。気圧されてひるんでいると、そのまなざしが僕を真正面から捕らえる。
「いいね、ねぎ。それって、もんじゃに入れたらおいしいかな」
「え…?たぶん、おいしいんじゃないですかね…?」
「なるほど。じゃ、もんじゃ屋やるならねぎもんじゃは採用だ」
もんじゃ屋?と思ったが、そういえば高橋先輩が乱入してくる前はそんな会話をしていた。
トントンと具材を叩くのを止め、一度、鉄板の上の具材を真ん中に集合。その中央にまあるく、まるでドーナツのように空洞を作ると、ボウルに残っていたタネを流し込む。じゅわあぁぁ…と音をたて、あつあつにはじける新たなタネを、これまで焼いていたもんじゃたちと混ぜ込んで、また、焼いていく。
「…たしかに、春日さんはもんじゃ屋をやれそうですね」
手際を見ながらぽつりと言うと、自信に満ち満ちた「でしょ?」という声が返ってくる。
まだ食べたわけでもないのに、そんなふうに断言できる春日さんのことが、やっぱり好きだ…と、不意に思った。
おおむねもんじゃは完成したようで、春日さんは満を持して、とばかりにうやうやしくチーズの入った小皿を引き寄せた。
本来はピザ用であろうそのチーズを、なぜだか春日さんは顔の真横からはらはらと落としていく。打点が高い、というやつだ。そうすることによっておいしさが違うのだろうか…と眺めていると、
「ここは突っ込むとこでしょ!」
と言われてしまった。
どうやら春日さんなりのボケだったようで、慌てて「い、いや高い!」突っ込んでみる。声が震えるわ、なんだか裏返っているわ、百点満点でいうと三点ぐらいしかないとてつもない残念なツッコミだった。しかし、そのへたくそっぷりがツボにはまったのか、春日さんはまたケラケラと笑い、ビールを飲んだ。
高い位置から振り落としたチーズは、ところどころぷつぷつと気泡を生んで焼きあがるもんじゃの上に落ち、すぐさま熱でとろけていく。和のだしと具材が焼きあがる良いにおいに、洋風のチーズのかおりも混ざり合って、ぎゅうとお腹が鳴った。
春日さんにばかり夢中だったけれど、春日さんが作ったもんじゃも、やっぱり魅力的だ。緊張のあまり忘れかけていた空腹がよみがえってくる。
「よし!そろそろ食べよっか」
「な、なんか作らせてしまってすいません…でもめちゃくちゃおいしそうです!」
「でしょ?いいってことよ」
得意げに笑った春日さんが、食事用の小さいヘラを渡してきたので、受け取りながら――はっと気付く。もんじゃ焼き。すなわちそれは、間接キッスとなりえるのではないだろうか。
今更な事実にうろたえ、慌てる僕をよそに、春日さんは額に滲んだ汗をさっとおしぼりでふき取ってから、「いただきまーす!」と元気に叫ぶ。そうなると、僕も続いて「いただきます…」と手を合わせるほかない。
はらはらする僕の気持ちをよそに、春日さんは己が自信満々につくりあげたもんじゃを一口。ふーふーと念入りに冷ましてから、口にほおばった。
春日さんは感想を言わなかったけれど、そのゆるんだ口元やアーチ型の目元から、いかにおいしかったのかは伝わってくる。
間接キッスぎわくはあとで考えるとして…と僕もヘラでもんじゃをすくう。
そのときだった。
「ちょうどさ、彼氏と別れちゃってさ。同棲してたから住むとこもなくなっちゃって」
「えっ」
「フリーターってのもさ、いつまでも続けてらんないし」
「えっ」
春日さんは、もんじゃを食べながら、とつぜん爆弾を放り投げはじめた。
「もんじゃ屋、ありだなあ…。別にもんじゃじゃなくても、いいっちゃいいんだけど。でも、おいしく出来たし…」
ヘラに掬い上げた自作のもんじゃを見つめつつ言う春日さんのまなざしは、なんとなくさみしげな色を浮かべていた。「ちょうど彼氏と別れた」というのが「つい最近」という意味であれば、もしかしたら傷ついているのかもしれない。と、ぼんやり思いながらも、失恋のショックが急に撤回された忙しさで、僕は固まったままなにも考えられなくなる。
「あ、具材とかお店のものかー。…でもさ、やっぱりあたし、もんじゃ焼きの才能があるよね。もんじゃ屋さんでもはじめちゃおっかな」
どうやら、相当このもんじゃは美味しいらしい――愛しの春日さんが作ったのだから、それは当然のようにも思える。
けれど、そんな浮ついた台詞をすべらかに口にすることが出来ない、もちろん失恋がショックなのか、それをどう慰めるのだとか、器用なことを思いつけもしない僕は、ただ、
「じゃ、じゃあそのときは僕のことバイトで雇ってください」
――先と同じことを、けれど、先ほど以上に真剣に告げた。
春日さんはまたケラケラといつもみたいに笑った。けれどいつもよりほんの少しだけさみしそうな色を浮かべたまなざしは変わらない。
それから、冗談とも本気ともつかない笑みを浮かべて、こう言った。
「いつか、安本くんが上手にもんじゃを焼けるようになったらね」
もんじゃ屋・さおり koyomi @koyomi__
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