11

 先生に言われた通り、私たちは課題を終わらせて昼寝をすることにした。

 ソファーに腰掛け、ジャージを広げたテーブルに足を伸ばし、各自ジャケットやコートをかぶる。これがまた快適で、私は夢も見ないで眠りにおちた。

「――だから、どうしても自分で討ちたかったんです」

 会長の話し声で意識が戻った。どのくらい眠っていたんだろう。

 すぐ身を起こそうとしたが、それよりはやく六道先生の声がして、起きそびれてしまった。ふたりは声を潜めてはいたが、話に入っていけそうにない雰囲気なので、私はまた眠くなるだろうと見越して、狸寝入りすることにした。

「そうか。ああ、あの時、俺よりも先に気づいたよな。正直驚いたぞ」

 気配からして、会長机に会長が座り、先生がパイプイスを持ってきて側にすわっているらしい。イスのきしみ音は、佐々木亭愛用のイスだ。

「そうだったんだ。ベテランに勝った、わあい」

 会長の声はすっかり相手に頼っているような感じだ。鬼のエキスパートと知って安心したんだろう。いつもと違って、子供じみた口調でかわいい雰囲気がある。

「こんなこと言うと怒られそうなんだけど、一生鬼に追われるって、すごいなって思うんです。うわあ大変なことになっちゃったなって」

 先生は小さく笑うと、声を落とす。

「確かにな。十年あちこち回ってる俺でも、念を残された人間はさすがに会ったことがない。いてもすでに憑かれたか。そう考えると、まだ憑かれていないお前はかなり運が良かったんだろうな」

「そう思うことにします」

 会長はため息をつく。

「お前は特に、鬼の目は絶対に見るな。目を合わせなければいいから、それだけ気をつけろ。水晶体越しで魂を移して、肉体に憑くと言われているんだ。面と向かった時は目を覗かれるなよ。ちなみに今回のヤツは行動からして小物っぽいな。直接的だし、焦りすぎる。大物ならまず魔物を使うだけ使ってくるんだ。獲物が弱ったところで出てくる」

「鬼にも小物とか大物とかあるんですか」

「身体と能力の大きさで分けてる。そうだな、お前と乾の違いみたいなもんだ」

「ああ……」

「小物といっても片手で乾を吹っ飛ばすけどな。お前のナイフを持って立ち向かっても、妖術の前じゃ意味が無い。そこは取井に持たせた数珠で妖術を封印していけ。最後には術を使えないただの巨人になる。そこから乾のナックルと遠藤の棍で攻撃して弱らせ、吉備が一気にとどめを刺す。これがベストだな。ナイフはぎりぎりまで控えろよ。できればとどめのときまで使うな。下手に払い落とされても困るし、刃が欠けたりしたらやっかいだ。ぎりぎりまであいつらに任せればいい。俺はフォローに回るから、これからの訓練だと思っていけ」

「訓練ですか」

「当たり前だろ。吉備も死にたくないだろうが」

 すこしの沈黙後、会長が口を開いた。

「皆がいなきゃ、やっぱりだめなのかな。これは僕の問題だから、できれば誰にもかかわってほしくないんだけど。命にかかわるし」

 私は口元がゆるまないよう、こらえるのにかなり集中を要した。

「そりゃそうだな」

「でしょ。だからやっぱり今夜行くのは僕だけ……ってわけには」

「いくわけ無ぇだろ、半人前。第一、吉備になにかあった時はこいつらが泣くぞ。それに置いていっても追いかけてくるだろう」

 六道先生はさすがわかってる。

「吉備の気持ちもわかるけどな。俺も高校生に身体張ってほしくなかったさ。遠藤なんか、トップで怪我しちまいそうで」

 私の隣で遠藤が身じろぎすると、また寝息を立てる。

 沈黙がおりた。

「先生」

 会長がためらいがちに切り出す。

「今夜、僕が憑かれたらどうなるんですか」

 私は心臓がつかまれたかと思った。六道先生の息を呑む気配もする。

「まずお前自身は即死。次に、憑いた鬼があいつらを血祭りにするだろうな。俺は俺でなんとかできるが、あいつら全員を救う余裕はない。努力はするが、一度に三人となると手が足りなすぎる」

「じゃあ、そうならないために、憑かれた直後に人間ごととどめを刺すことはできませんか」

「――お前」

「僕がみんなを殺すなんて、考えるだけで嫌です。ぎりぎりまで戦ってやるつもりだけど、もしも憑かれたら、そうなる前に僕を止めてほしいんです」

 先生はほっと息を吐いた。

「手っ取り早く憑かれに行くから残りを逃がせとか言うと思ったぞ」

「そんなこと考えてもみませんよ。みんながいるから、もう、死にたいとも思いません。ただ、一番最悪な状況のときを考えておきたくて」

 みんながいるから。私はその言葉を心でかみしめる。

「憑かれた人間にとどめを刺すというか、肉体に封印することは出来る。首を落とすんだ。あとは肉体を焼けば、鬼も一緒に消える。でも、こいつらにお前をなんとかすることは無理だろうな」

「先生」

 すがるような声を面倒そうな声がさえぎった。

「わかってるさ。約束だ。その時は俺が吉備に引導を渡してやる」

「……良かった。あ、でもそうなったら先生、殺人で捕まっちゃうかな。遺書でも書いておきましょうか」

「あほ!」

 と、先生。

「会長!!」

 と、乾。

「ばか言うな!」

 と、遠藤。

「冗談やめてよ!」

 と、私を含めて四人が同時に怒鳴った。飛び起きた私たちに、ふたりは腰が引けていた。

 二分後。遠藤からげんこつをもらった会長は、乾に言われてソファーの上に正座させられ、真正面に正座した乾からにらみつけられ、すっかりしょげている。

 しかし。

「でも、遺書は書くから」

「会長! そういう問題ではありません!」

 互いに引かず話も平行線のままで、最後にはうなり声をあげそうな書記に、生徒会長も負けじとにらみ返す始末。六道先生はすこし離れたところでくすくす笑っている。

 私は乾を押しのけると、会長の顔をのぞきこんだ。

「会長、死ににいくみたいに言わないでよ! 私やみんながいるんだから」

 彼は少し面食らったようだが、意見は変わらないらしい。

「だけど、いつかそうなるだろ」

 その一言に私はつい会長の胸ぐらをつかむ。

「いつかなんてない! ないったらないの!」

 怒鳴られたほうは勢いに飲まれ、間をおいてうなずいた。

「……はい」

「よし!」

 私が会長から手を離すと、先生が大爆笑し遠藤は、影の生徒会長はやっぱ怖え、とつぶやいて後ずさっていく。乾のおおきなため息までも聞こえる。

 その時やっと、自分がとんでもないことをしでかした事に気がついた。顔が熱くなるのを感じながらおろおろと会長を見ると、彼は照れくさそうに頭をかいて笑っていた。

 結局、彼は書かなかった。


 六時も回ると空も茜色になり、細くのびる雲も赤く色づいている。

 いつもなら窓の桟に肘をついてぼんやりと見ているところだが、今日はカーテンを引いた。そしてカーテンの真ん中に大きな四重丸の絵をテープで貼りつける。一番遠くまで下がれば三メートルくらいになるだろうか。その位置では会長がエアガンをうれしそうにさわっていた。アーミーカタログ好きだというのは本当らしい。

「じゃあこれ会長にあげるよ」

 目を輝かせた会長に、後ろから六道先生がすごんだ。

「だめだ。遊んでいないで、はやく取井に教えてやれ」

 はあい、と彼は笑い、私は内心で舌打ちする。

 武器の扱い方は得意なヤツが使い方を教えるという先生の案で、私には会長が教えてくれる事になった。彼はエアガンのいろいろな名前から教えてくれた。

「持つところはグリップ、引き金はトリガー。銃身のこのボタンを押すとマガジンが」

 小さなボタンを押すと、音をたてて、グリップの下から長細いペンケースのようなものが滑り出てきた。その中には白いBB弾が縦一列に行儀良く並んでいる。

「これがマガジン。弾倉だよね。あとで補充の仕方も説明するから。出したらこうやって入れるんだ」

 出てきたところからマガジンを入れると、硬い音を立てた。

「ここが安全装置。これをこっちに切り替えれば撃てるよ」

 小さなレバーを切り替え、会長はおもむろにエアガンを握る右腕をのばし、正面の的を狙った。

 ぱしゅっ、ばつっ。

 ガスの勢いよく抜ける音に遅れて、的の中央がはじける。

「ね」

 ぽかんと見ている私に、会長は笑った。

「これはガスだからドラマみたく続けて撃てるはずだけど」

 彼はまた構えた。様になっている。

 数回発射し、どれも中央に命中する弾に遠藤が、おお、と感嘆した。撃った本人はうれしそうに笑ってエアガンを返してくれた。つい身体をこわばらせてしまう私に、会長はうなずいて見せる。

「慣れると怖くないよ。大丈夫だからやってみて」

 エアガンは黒く重い。ニュースで聞いてはいたが、手にして、あらためて凶器だとわかる。正直、怖い。

 だけど六道先生は守るために使う物だと言った。守るために使うなら、できる気がする。

 私は意を決してグリップを握った。会長からねらいかたを教えてもらい、トリガーを引く。ねらえば大体当たった。どっちかというと弾の補充が大変で、補充するたびに落とした弾を拾い歩いた。

 やっと慣れたころ、気になっていたことを聞く。これだけは聞きたかったのだ。

「会長。これ暴発しないの?」

 そういったことは無いと、彼は爆笑しながら教えてくれた。

 遠藤は先生から棍の使い方を聞いていた。突いたり振ったり盾にして受けたり、いろいろあるらしい。しかし先生が席を外した間に脱線、乾の空手の相手をしたりプロレスごっこに発展していた。

 八時すぎに、六道先生が両手に買い物袋を提げて戻ってきた。コンビニおでんをはじめ、食べる物を大袋四つ。どうするのだろう。

「よーし、これであいつは学校から出られねえぞ。おら、先生からの差し入れだ」

 私は遠藤と中身を漁りながら先生に目をやる。

「出られないって、結界?」

「さすが取井はするどいな。そう、結界をちょっと張ってきた」

「そんなことできるんだ」

「おう。校舎から鬼を出さないものだから、吉備も出られないぞ。念が残ってるヤツはどうしても鬼と同調するもんだ。吉備、ためしに窓開けて手を出してみろ」

 会長は窓を開けるなり、すごい、すごいと嬉しそうに繰り返した。私にはただの夜の街並みしか見えず、なんだかうらやましい。

「本当、すごいよ。鏡なんだ。そこに僕たちが映っていないだけ。どれどれ……いだっ」

 彼が空間に手を伸ばすと、強烈な静電気がスパークしたような音がして、痛そうに手をひっこめる。

「そういうこった。終わったらちゃんと戻すからな」

 コンビニおにぎりやパンを頬張りながら、会長が尋ねた。

「いつごろ出ますか」

「そうだな、十時頃ここを出るつもりで居てくれ。宿直室にも細工してきたから、よほどのことがない限りは校内どこで暴れてもバレないはずだ」

「よほどって」

「火ついたとか爆発したら、さすがにバレるだろうな」

 それはちょっとしたくないです、と聞いてた私は苦笑した。

 食事が終わり一息つくと、今度こそ戦闘準備が始まる。会長机で六道先生が武器を清めている間に、私たちは乾の指示に従ってウォーミングアップを始めた。やはりジャージを着るべきだったな、と私はすっかりシワのついたプリーツスカートを見て反省した。こんな長時間制服のまま居るのは学校祭準備以来だ。

「ギブギブ!」

「針金でも入ってるんじゃないのか」

 開脚している遠藤に、乾は容赦なく背中を押す。私は会長の背中を押しながら、笑いをこらえていた。

「……よかった」

 会長のつぶやきが聞こえて、上から顔を出す。

「なにが」

 彼は問いに照れたようで、ほほえんで下を向いた。

「自分ひとりじゃないから。ひとりだったら、どうしてたかな」

「私なら逃げてるかな」

「逃げてる?」

「うん。だって追いかけてくるんだもん、怖いよ。でもって追いつめられて、あきらめて泣いちゃうね。私、根性無しだし小心者だし」

「取井が?」

 驚いた声につい、会長の後頭部を軽くたたく。

「小心者なの! お化けだってすごく怖いんだから!」

「絶対嘘だ」

 断言する遠藤に乾がおおきくうなずいた。

「もう、みんなして! むかつく!」

「んぎゃっ」

 怒りにまかせて会長の背中を思いきり押した私だった。

 やがて読経が止んだ。机の上にはきれいに磨かれた武器が並び、自分たちを待っていた。

「さ、持っていけ」

 まず遠藤が棍をつかんだ。しげしげと見てひとふりする。下がっている赤い珠が揺れて澄んだ音を立てた。

「さんきゅ、六道。借りるな」

「遠藤はもうすこし口の利き方を学べ。一応先生だぞ」

 大人に言われて、子供はあわてて背筋を正した。

「六道先生、ありがとうございましたっ!」

 小学生並の挨拶に、先生はくすくす笑った。

 次に乾がナックルを手にした。はめ具合を確認すると、うなずいて外し、深く礼をした。

「ありがとうございました」

「乾はもうすこし力抜け。こっちが肩凝るから」

 吹きだした遠藤に、乾はかるく拳をあてる。

 今度は私の番だった。

 置かれているエアガンとマガジンを手にして、確認する。マガジンには赤い数珠がすでに装填されていた。会長に教えてもらったとおりグリップの下からセットすると、力強い音を立てて固定される。なんだか清める前よりもずしりと感じる。私の意志を預ける、恐ろしくて頼れる相棒だ。

 先生のなごやかな顔を一度見て、頭を下げた。今までのことをすべてまとめて感謝するように。

「六道先生、本当にありがとうございます」

「取井。大丈夫だ。外したってなんとかなる。弾切れなんか考えないで、じゃんじゃん撃て」

「はい」  最後に会長がサバイバルナイフをつかんだ。厚い合皮のケースをはずし、ふとく鋭利な刃をしばらく見つめたあと、慣れた手つきで収納した。腰のあたりでベルトはさみ、乾のように深く一礼する。

「吉備。……負けんなよ」

 彼は顔をあげると、自信と不安で緊張した面もちでうなずいた。

 そしてふり返ると、今度は私たちに向かって頭を下げた。

「これが最後にするつもりは全然ない。だけど、聞いて。僕のためにこんな危険なことをさせて、ごめん」

 真剣な表情でまっすぐ見つめる彼に異議を唱えようとしたが、強い視線に口を閉じる。

「はじめは本当に僕ひとりで戦うつもりだったんだ。でもひとりだったら、戦う前からあきらめて逃げてるだろうなって、取井と話してて、気づいたんだ。僕のほうが取井より性格悪いよね。口だけの小心者なんだから」

 お前だけじゃねえよ、と言う遠藤に私たちもうなずいた。

「だからね。うまく言えないんだけど、僕にはみんながいないとダメなんだ。誰かにいてもらって見栄張って戦えるんだ。六道先生以外でこんなこと頼めるのは、乾と、遠藤と、取井しかいないんだけど」

 照れた笑いが私たちの間にあふれる。

「どこまでも僕の勝手で悪いと思ってる。だけど手を貸してほしいんだ。いいかな」

 間をおいて。

 遠藤が親指を立てる。

「まかせろ」

 乾は腕を組んだままうなずく。

「ああ」

 私は腰に手をかけた。これは頼み事を受けるときの癖。

「いいよ。最後までつきあうから」

 六道先生は頼もしそうに私たちを見つめ、最後に頼んだ彼に目線をやる。

 会長は恥ずかしそうに、それでいて自信の満ちた目で、まっすぐ私たちを見つめ返した。

「ありがとう。じゃあ、よろしく」

 その言葉は、生徒会を発足した日の台詞と同じものだった。

 そして一歩踏み出す。

「行こう」

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