10

 夜十時を回ったお寺は薄暗く不気味さえあるが、今はあわただしいせいかそんなことはみじんにも感じない。私が本殿でロウソクに火を点していると、乾が息を切らせて入ってきた。出迎えた六道先生に、自宅から取ってきたナックルを渡して一礼する。先生もうなずいてナックルを受け取った。

「お願いします」

「ごくろうだったな。走ってきたところで悪いが、すぐ始めるぞ」

 武器のお清めが始まるのだ。赤い数珠だけが武器ではないらしく、日本刀や弓などいろいろあるらしい。ただ、今回は私たちに合わせ六道先生が選んでくれた物だ。

 またご本尊に向かって読経したあと、先生はまず、銀色のナックルを乗せた台を一番端に座る乾の前に置いた。うやうやしく一礼し、乾も合わせて礼をする。ナックルは元々持っていたそうで、たまに装着してシャドウボクシングしたりしていたそうだ。

「ちょっとつけてみるか。別に変わった感じはしないはずだ」

 乾は勧められるがままナックルに指を通し、しげしげと自らの拳を見つめる。

「ただし、もう普通のナックルじゃない。魔物はもちろん、鬼にも効くはずだ。一発で消せる訳じゃなく毒手みたいな効果だ。技術は自分の腕しだいだが、空手で段を持っているお前ならそれなりに渡り合えるだろう。いいか、自分に向かってくる魔物には遠慮しないで、はじめから急所をねらっていけ。弱らせてからとか考えてるうちに、こっちがやられるぞ。駆け引きなんか考えずにぶつかっていけ」

 次に、遠藤の前に、少林寺とかに出てきそうな長い棒が置かれた。先端にゴルフボール大の赤い珠がふたつ、同じくらい赤い色の組紐でしっかり結わえてある。遠藤はめずらしそうにそればかり見ていた。

「いいか、遠藤。これは俺の予備の棍だ。こいつを貸す。突くのが一番簡単だし、横に持てば盾にもなるし、竹刀にもなる。それと、珠は吉備にやった根付けのでかいものだ。この特別な紐で括りつけられているかぎり効果があるから、絶対に珠は取るなよ。これがないとただの棒に戻るからな」

「俺もらっていいの?」

「レンタルだ、レンタル。やらんぞ!」

 新しいオモチャに浮かれたようすの遠藤は、乾から頭にひとつ痛いモノをいただいた。

「取井はこれだ」

 差し出された物を見て、つい息を呑む。台に乗っていたのは、本物のエアガンだ。あの赤い数珠が添えられていたが、珠が小さい。数珠の赤がエアガンの黒に映え、妙にまがまがしく思えて身ぶるいする。

「これは俺が人から預かっている物だ。取井に貸してやる。使ったほうが錆びないだろう」

「預かってる物なんて、いいんですか」

 構わん、と先生はうなずいた。

「見てわかると思うが、まず取井が戦いの要となる。鬼はまず妖術を使ってくるはずだから、この数珠を撃ち込んで、妖術を無効にしろ。撃ち込むほど妖術は効かなくなる。撃ち込んでやっと乾や遠藤が動けるようになるんだ」

「それって、けっこう責任重大じゃないですか」

「そうだ。でも霊感の強い取井に一番向いているものだ。それにこれは投げつけるより当たりやすいし、身体にめり込めば効き目も大きい。一番効き目があるのは首から上で、次に全身。数珠を弾扱いするからって、お前に限りバチとか気にするなよ。坊主がやれって言ってるんだから、遠慮無く数珠の紐を切って、バラして弾にしろ」

 私は首を左右に振る。持ったことのない凶器に、私はすっかり逃げ腰になっていた。

「これは取井にしかできない事なんだ。でかい魔物の片目を潰したよな。それだけお前は霊感が強いっていうことだ。あの珠にはヒビが入っていたんだろ。本当はそれで使い物にならない状態だったはずだ。ただの珠だから普通は跳ね返ってまったく効かないか、当たっても怪我を負わせられない。しかし珠の効果の十二分に発揮させた。つまりこの数珠を使うのは取井じゃないと意味がないんだ。やってくれ、取井」

 諭すような先生の視線が痛くて、私は首を振ることしかできない。

 役割の重要性と自分の恐怖が相容れず、情けなくて皆に申し訳ない。こんなことで吉備たずなを守るなんて到底無理だ。

「いけるよ」

 会長の凛とした声に顔をあげた。あの頼もしい笑顔で私を見ている。

「なんとかなるって。オレみたいな補佐もいるしよ」

「いつでも言え」

 遠藤が笑い、乾もうなずく。

 私は一度目を閉じて、先生を見上げた。

「……わかりました。やります」

「頼んだ。多少はずしても構わんし、足りなくなったら俺の数珠から分ける。ここに五十珠くらいあるから、全部撃っても一発は当たるだろう。BB弾で練習しておけ。元は女が使っていたから、お前でもそんなに難しい操作はないと思うが」

「まさか、先生の彼女とか」

「違う!!」

 六道先生が赤くなっている所をみると、なんとなくあやしい気がする。あとで探りを入れてみよう。

 最後にサバイバルナイフが会長の前に置かれた。彼は覚悟を決めたようにナイフを見据える。 「これが鬼を殺す剣となる。お前なら鬼を消せるだろう」

 声は本殿に静かに響く。

「乾から聞いた。魔物が泡になったってな。俺がやっても泡にはならん。ほかの魔物が遺骸を食べに集まるんだ。吉備のは、泡にして存在を消すってことだろうな。だから、お前なら鬼を消せると俺は判断した」

 私たちは固唾を呑んだ。

「鬼の弱点は人間に似て一線上にある。どこだ。乾」

「……正中、ですか」

「そうだ。上から頭頂、眉間ときてみぞおちや股間に至る。一撃入れればそれなりにダメージを食らう。しかし、股間が最大の弱点じゃあない。ヤツの最大の弱点は、喉だ」

 会長の口が、喉、と動く。

 聞いている私も、鼓動がせり上がってくるのがわかる。

「昔から言うだろう、‘鬼の首を取ったが如く’とか。本当のとどめ、魂ごと殺す方法だ。首を刎ねろ。それも一太刀でだ。ためらうとそこで魂が抜けて、なにかに憑きにかかる。目の前には器の吉備がいる。その時かならず憑くだろう。ためらわず一気に喉を突いて、鬼を消せ」

 先生が立ち上がった。

「決行は明日の夜。夜中の校舎で鬼退治だ。もちろん俺も行くが、お前らを助けるためについていくだけで、直接手は出さないぞ。わかっていると思うが、かなり無謀だ。明日が来る保証はない。自分で戦って勝つしかない事を、特に頭にたたき込んでおけ」

「はい」

 生徒会全員、声をそろえて返事をした。


 次の日は寝不足と筋肉痛に悩まされての登校となった。

 持ち帰ったわりには練習すらしなかったエアガンは、今朝のうちに六道先生に預けてある。今は教室でのんきに、止まらないあくびがなんとかならないか考えていた。

「あやっち。なにかあったの?」

 貴子が心配そうに顔を覗かせてきたので、私は驚いて身を退いた。笑ってごまかしても、自分でもマヌケなほどわざとらしいつくり笑いになるのがわかる。

 親友は目元をきつくして口をとがらせるので、私は手と頭をぶんぶん振った。

「なんでもない。本当になんでもないから! ちょっと眠くて頭痛すんの」

 そう言いながら、本当は不安でいても立ってもいられない気持ちから目をそらす。本当は泣きつきたい。今夜、自分は鬼に食われて死ぬかもしれないんだけど、どうしたらいいかなって言いたい。

 貴子は見抜いてるのか、疑いの眼差しをしかけてくる。

「なにか引っかかるんだよなあ。なんかヘコんでる」

「なんでもないって。気のせい気のせい!」

 自分の嘘が苦しい。彼女の心配がとてもうれしくて、申し訳ない。すべて話せたらいいのに。  この学校にひそんでいる鬼がいて、私たち生徒会が退治すると知ったら、この新聞局副局長はどんな顔をするだろう。いつものように、感じたことすべてを共有できたなら、最高の親友になれるだろう。

 でもそれはしない。

 昨日の帰り際、六道先生にさりげなく聞いた私は、現実の怖さをあらためて知った。

「まだわからんのか!」

 先生は開口一番、私を怒鳴りとばした。

「いいか。親でも友達でも下手にバラしてみろ、どう転ぶかわからない事態に陥るぞ。その友達が興味津々で魔物を怒らせたとして、あの人面犬みたいなヤツに襲われた時、どうする。俺は武器を持たないお前らを結界で守るつもりだ。それができるからな。取井はどうする。身体を張って守るにしても、お前が倒れたら次は友達が確実にやられる」

 言われて、返答に詰まった。守れるはずなかった。

 だから親友を魔物の住む世界に巻き込まないと決めた。会長を守るように、私は親友も守るんだ。

 ふてくされる貴子に、私はもう一度念を押す。

「本当に大丈夫だから、かえって私には良いほうだし」

「良いほうって、会長の」

「うんそう。やっと会長の力になれそうで」

 そこまで言って、私はあわてて口を手でおさえる。誘導尋問に引っかかった。

「ほほう。吉備たずな生徒会長の。へえ」

 意味深顔で見つめられ、私は冷や汗をかきながら目を反らす。やばい、どうしよう。心臓がぎゅっとつかまれたような感じがする。

「……いいなあ」

「は?」

 今度は親友がそっぽを向いた。耳まで赤くなり、もぞもぞ動いて目線がおちつかない。こんな貴子は今まで見たことがない。いつもよりかわいく見える。

 まじまじ見ていると、貴子は観念したように沈黙を破った。彼女らしくない、小さな声で。 「私も乾くんの力になれたらいいのにな」

「ああ、たあこのこと心配してたよ」

「なんだって!?」

「痛いところないかって。首とか」

「乾くん、やさしいっ。いつもぶつかってるからってそんなこと心配してくれてるんだ! やばいなあ、凄く好きになってきちゃった! あやっち、どうしよう」

「いいんじゃないの」

 私は笑って貴子を見守った。

 今日は学校生活を味わうように過ごした。貴子とたくさん喋った。バカ話ばかりだけど、すごく楽しかった。この日常が続くように全身全霊を賭けて戦うんだと、決意はさらに固くなっていった。

 放課後はあっという間に来た。明日は開校記念日で休校ということもあり、教室内は明日の約束を交わす言葉があふれかえる。

 私に明日が来る保証はない。そう思うと切なくなってきた。

「あやっち。明日、来る?」

 突然貴子にたずねられ、私は目をしばたかせた。

「な、なに?」

「うちに遊びに来るかって聞いてんの」

 そういえばそんな話を昼休みにしたような。

「来られる? いそがしい?」

「そういうわけじゃ」

「じゃあ来たまえ!」

 貴子は私の肩に腕をかけて、そのまま小声でささやいた。

「今日、なにかあるんでしょ」

 息を呑んだ。彼女はすこしさびしそうな笑顔を見せる。

「よく知らないけど、がんばれ。あやっちは絶対に負けないから」

 うん、そうだね。絶対に負けないから。がんばるから。私は強くうなずいた。

「で、明日一緒に爆笑DVD観よ!」

 あははと笑う親友と一緒に、私も不安を笑い飛ばした。ああもう、この友達が大好き。

「お先。局寄って帰るよ。またメールして。じゃあ、またね!」

 その言葉は軽いようであたたかい。口に出せば叶う気がして、私も一番伝えたい言葉を言った。私だけの固い約束にするために。

「うん、また明日ね」


 私は下校する生徒であふれている廊下を、足早に歩いていく。皆ぴりぴりした状態で待っているに違いない。はやる気持ちを抑えながら、気を引き締めて生徒会室のドアを開けた。

「お待た、せ」

 私はそのまま立ちつくした。

 ソファーに座って、スコーンを頬張っているしあわせそうな遠藤。

 その向かいには口を開けて眠っている乾。

「はやふひめへ」

 会長席で、マンガから顔をあげた生徒会長に言われて、あわててドアを閉め鍵をかける。彼は卵サンドを口いっぱいほおばっていた。

 文句のひとつも言おうかと思った時、奥から作務衣姿の六道先生が出てきた。紅茶のいい香りも乗せて。

「おう、取井も来たか。お前の分も淹れるからちょっと待て。いやあ、ここ便利だな。電子レンジがある」

「泊まれますよ。あ、取井のは水玉のカップです」

 私は頬をひきつらせた。

「なんなのよ、こののどかさは」

 室内隅の鞄置き場に鞄を置くと、そこには遠藤の棍が立てかけてあった。確かに戦うには戦うらしい。

「うまいもの食ってるほうが楽しいじゃん。ね、たずちゃん」

「ね、ゆきちゃん」

 私は会長机を平手で打った。ふたりはすこし逃げ腰になる。

「ちょっと! ふざけんじゃないわよ。なにがたずちゃんでゆきちゃんよ」

「遠藤幸人だからゆきちゃん」

「会長!」

 どなる私の背後から、乾が笑いをこらえながら声をかけてくる。

「取井、俺も言った。そしたら先生がな」

 六道先生が紅茶をさし出しながら言葉をつなぐ。

「休んどけ。時間はたっぷりある。おやつはスコーンとカップ麺のどっちがいい」

「……スコーン」

 先生はうれしそうに笑った。

 生徒会室の空気はいつもとほとんど変わっていない。強いて言えば、会長がすこしくだけたくらいだろうか。くすくす笑う顔が以前に比べてやわらかい気がする。もちろん、根底にある鬼の存在もわかっているし、誰も目をそむけていないことは、なんとなく感じる。みんなは変わっていない。それがうれしくて、せつない。

 いつも座る場所で食べるスコーンは昨日よりおいしく感じた。もっといける。でも太っちゃうかな。

 そういえば。

「会長。佐々木亭は」

「来ないよ。先生とゆっくり話したいから貸し切らせてって言ってあるから。中村さんは?」

「たあこも今日は来ないよ。あ、先生。素朴な疑問いいですか」

「なんだ」

「魔物って、日中いないんですか? 夜に出るとは聞いたけど、昼はどうなのかなって」

 先生は佐々木亭のイスに腰を下ろした。椅子は軽くきしみ音を立てる。

「そういえば言うの忘れてたな。日中はいないと思っていい。魔物は、大物以外は完全に姿を消しているんだ。陽が傾くにしたがって現れる。見かける大物も、物陰で身を潜めているだけだな。襲ってはこない。どっちにしろ、滅多に陽の元に出てこない。よほどのことがない限りな」

 声を低くして、怪談のような締めくくりに、場はしんと静まりかえった。

 ふいに嫌な予感がこみあげ、背中がぞくりとする。ここに居たくない。先生に眼をやると、目で静かにするよう言われて黙る。

 室内に緊張が走る中、会長がするどく天井の隅を見た。先生がそこに向かって数珠をなげつける。同時に乾がそこから会長をかばうように立ち、遠藤は棍に手をのばした。

 数珠は天板に当たり、天井裏でなにかがはね上がるような音がし、気配が遠のいていった。まるで、そこに誰かが潜んでいたかのように。

「……乾、いいよ。行った」

 会長の言葉で雰囲気もやわらぎ、誰ともなく息をつく。私も嫌な感じが遠のいたので、ソファーに座りこんだ。安心すると力が抜ける。

「なんだよ、今の」

 遠藤が棍で音のしたあたりをつつく。

「あいつか」

 乾の言葉に、先生が数珠をしまいながら、うなずいた。

「当たり。視察にでもきたのか、今の器が限界で焦っているのか。やはり今夜だな」

 静まった生徒会室に全校放送が流れる。六道先生の呼び出しに、先生は迷惑顔で聞きながら腕時計を見る。

「なんだよ、こっちは忙し……げっ」

 先生はあわてて生徒会室から出ていった。引き戸が閉まったかと思ったらまた開いて、顔だけのぞかせる。

「ここにはヤツは入ってこられないようにしているから、特に吉備は日が暮れたらできるだけ出ないようにしろよ。出ても乾と遠藤についてきてもらえ。どうせ課題出されてんだろ。それをかたづけて昼寝でもしとけ。こっちも仕事かたづけたら来るからな」

 言うだけ言うと戸が勢いよく閉まり、段ボール壁にも振動が伝わって埃が舞う。

 私たちは引き戸をぽかんと見つめていた。

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