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 放課後。私の声は生徒会室中に響いた。

「勘弁してよ!」

 だが、そのくらいでは新聞局の記者の好奇心は抑えられない。

「大丈夫だって。行こうよ! グラウンドに行く途中のところだからすぐだよ、今から行ってちょっと覗いてくるだけ!」

 掲示板に紛れているいくつかの情報から推理して、件の廃屋は倉庫だとわかった。冷静になればすぐわかる。蔵は四方まっさらな壁で塗り固められ、中を見ることすらできない。

「やだ、行かない! だいたいねえ、取材なら私じゃなくて局長を連れていけばいいじゃない」

「局長は腰が重いの知ってるじゃん。取材だってメールで済ませるんだから」

「じゃあ後輩が」

「怖いからいやだって逃げちゃったよ」

「私も怖いからいやだ」

「今さらなにを」

「なに騒いでんだ」

 トイレから戻った遠藤が顔を出す。私は迷惑なことを隠しもせずに説明した。

「あの倉庫に、写真撮りに行くから一緒に来いって言うの。私、ゴーストスポットだけはダメなんだよ」

「影の生徒会長にも弱みがあったのか」

 ふざける遠藤に軽く膝蹴りを入れてやる。もういいっていうのに。

「もう。霊感の強いあやっちだからこそ、来てほしいんだけどなあ」

「取井ってそんなに霊感強いの?」

 のんきな会長の質問に、貴子がうなずく。

「かなり。こないだも教えてくれたトンネルに行ったら、デジカメが壊れたの。でも家に帰って確認したらちゃんと動くんだよ。撮れても全部真っ暗とかザラだし。あやっちの言った所は、こういうことが必ず起こるんだよね。去年の怪談特集にはお世話になったんだ。増刷が間に合わないくらい人気だったんだから」

 へえ、と会長に感心されても、うれしいどころかげんなりした。

 昔からその類は感じ取っていたし、霊感はあるほうだと自分でも思う。でもわざわざ嫌なところに行きたいとは思わない。悪寒が走るていどならまだしも、時には硬直して動けなくなる。見えないなにかが居ると感じた瞬間にわきあがる恐怖心は、どうしても慣れない。そのうえ今度は、特にやばそうな気がするのだ。

「たあこもわかるでしょ。通るだけで気持ち悪い雰囲気だったり、妙に寒かったりして」

「全然わかんないからこそ、探知機に来てもらいたいんじゃない」

「でも私本当に怖いんだよ」

「大丈夫だって! それにまだ四時で外も明るいから、なんも出ない! ね、ちょっとだけだから! すぐ終わるって!」

 頼み込んでくる親友に返答を悩んでいると、遠藤が顔を出してくる。

「倉庫だろ。オレも一緒に行きたい!」

「撮影の邪魔しなきゃ来ていいよ。あやっち。遠ちゃんも一緒なら平気でしょ? じゃあさっそく行こ!」

「おう! 取井、行くぞ!」

 貴子と遠藤に両腕を取られて引っ張られるように、私は生徒会室を出た。

「取井ちゃんがんばってね」

「気をつけてね。猫ならこっそり連れてきて」

 にこやかに手を振る佐々木亭と会長、同情混じりの目で見つめる乾が憎たらしく思えた。なにかあったら呪ってやるから。


 噂の倉庫は、校舎とグラウンドの間に建っている。

 先に行くからと飛びだした貴子を追おうとして、私はさっそく動けなくなった。

 貴子の向かった先から来る、明らかな悪意、憎悪、そんな気配だ。

「なに、これ」

 こんなことは初めてだった。信じられない思いで先を見ると、古い倉庫が雑草の中でしょんぼり建っている。外は薄曇りで時々陽も射すのに、ここからほんの三メートル先にある廃屋が、やけに暗く感じた。

 いる。

 なにかわからないけど、近寄っちゃいけないなにかがいる。

 玄関前ですくみ上がっていると、誰かに肩を叩かれた。

「取井、行こうぜ。大丈夫だよ、怖くないって。それにここ学校だぜ。グラウンドじゃ野球部と陸上が走ってるし、まだ四時過ぎじゃん。それにほら、オレもついてるし」

 遠藤の言うとおりだ。ここは学校で、ひと気のないトンネルじゃない。怖いことはなにもないじゃないか。大丈夫。

「うん。たあこも待ってるし、早く行かなきゃね」

 歩き出したとたん、ぶつんと音を立てて髪ゴムが弾け飛んだ。三つ編みがほどける。

「なに」

「なんだ、今の音」

 口を開いたのはほぼ同時、たぶん私も遠藤と同じくらい青ざめている。鼻緒が切れることと髪ゴムが切れることは同じだろうか。

 間をおいて、遠藤は大げさな笑顔を作った。

「取井、驚かすなって! へえ、髪おろすと雰囲気変わるな!」

 私も負けじと笑顔を作ってみせる。

「ちょっとおろしてみた! なんか新品のはずだったんだけど、いきなり切れちゃったんだよね!」

「じゃあ不良品か!」

「そうだね!」

 ひきつった顔で笑いながら、ふたりで倉庫に向かった。

 一階建ての古い倉庫は雑草の中にあった。薄汚れていて、コンクリむき出しの壁には大きな亀裂が走っていて、割れた窓には板が適当に打ちつけられていた。玄関からグラウンドを往復するたびに前を横切っていたが、怖いなんて一度も感じたことがない建物だった。

 今の倉庫には、以前のさびれた雰囲気はない。なにかのはずみで変形でもして、自分たちを食いころしそうな威圧感をかもし出している。こんなにおかしいのに、どうして誰も気づかないのだろう。

 私の一メートルくらい離れて立った。怖くて近寄れない。

 周囲を一回りしてきたにわかカメラマンが尋ねる。

「あやっち、どう?」

「怖くてたまりません。すぐ帰りたいです」

 ひどく声がふるえる。

 貴子の隣で遠藤がにやりと笑った。

「こりゃあいますね、中村レポーター」

「ぜったいいますね、遠藤キャスター」

 レポーターは目をきらきらさせてうなずく。

「では、中に入ってみたいと思います!」

「入れるのか?」

「裏のほうに穴があったの。よつんばいになれば行けそうなんだ。草の影になってて、見逃すところ。なんか誰か先に入ってたみたいで、たくさん足跡が残ってたから、おばけじゃなくて誰かのいたずらかも。今日中に正体突き止めてやる。遠ちゃん手伝って」

「おう」

 ふたりは草を分けて建物の裏へ進んでいった。

 私は急に、ここに一秒たりともいたくないような不安が体の奥からぞわぞわとわきあがった。貴子を捨ててでも逃げだしたい衝動をかろうじて抑える。やっぱり近寄っちゃいけないなにかがいるんだ。それをわざわざ刺激するようなことはしちゃいけない。

「ちょっと、やめなよ! 入っちゃだめだってば!」

 ふたりはどんどん進んでいく。だめだ、止められない。

「たあこったら! 絶対にやめたほうがいいって。もういいよ、戻ろう!」

 貴子が迷惑そうな顔でふり返った。

「あやっち、怖いなら先に戻ってていいよ。あ、髪おろしたの? おろしたのもかわいいよ。やっぱクラスで一番の美人なだけあるねえ!」

「そうじゃないでしょっ。たあこ、写真は外観だけでいいじゃん、帰ろう!」

 遠藤が余裕の笑みを見せる。

「取井、オレもいるから大丈夫だって。先戻ってろよ。なあ中村、お前小さいからいいけどさあ、オレ入れる?」

「いけるいける」

 探検感覚で潜り込んでいくふたりを引きずり出したいのに、自分は動くこともできない。悪寒はだんだんひどくなってきている。

 さっきから私の勘が叫んでいる。そこにいるのはおばけじゃない、そんなかわいいものじゃないって言ってるのだ。化け物とか妖怪とかでもない、いるなら得体の知れない闇そのものだ。

 そんなところに友達ふたりが入っていってしまった。だけどまだ気づかれていないらしい。今ならまだ間に合う。止めなきゃ。

「早くそこから出て!」

 かろうじてある窓から貴子がのぞき込んだ。不機嫌な声でたしなめられる。

「あやっち、わかったから静かにしてて。仕事中」

「でも本当にやばいんだってば!!」

「そりゃばれたら先生に怒られると思うけど、今のうちに調べるだけ調べなきゃ。もうちょっとかかりそうだから、マジで先に戻ってていいよ。遠ちゃん、そっちどう」

 奥から、なにもないと返事が上がる。

「あれ。ねえ、遠ちゃんの足下にあるそれ、ひょっとして」

 なにかを見つけたらしく、貴子が窓から離れた。それが闇に呑まれたように見えて、私は悲鳴を上げた。

「いやあ!! たあこ!!」

 まるで崖から落ちそうな人を助けるように、私は倉庫に飛び込んでいった。


「オレの部屋、きたない所だけど適当に座って?」

「バカ!」

 ふざける遠藤をにらむ。貴子がカメラを下ろして近づいてきた。

「あやっちも最初から来ればよかったのに。ひとりだから怖くなったんでしょ」

「そうじゃないけど……」

 制服が汚れるのもかまわず無我夢中で潜り込んだ先は、物が見えるていどに明るかった。教室の半分もない広さで、床は泥まみれで靴底が粘つき、中は処分に困った不要品が置かれていた。壊れた机、椅子、破れて綿が出ているマットレスなど、使えないけど捨てるには手間取りそうな物が適当に積み上げられていて、なにかのはずみで崩れそうだ。

 貴子の言ったどおり、先に誰かが侵入していたような跡もあった。靴や手の跡がそこらじゅうに残っている。

 そして、外ではわからなかった、いやに感じる視線もある。

 やっぱりなにかがいる。せりあがる寒気はおさまりそうにない。

「あやっち、見て」

 貴子が、紐のちぎれたストラップを掲げた。英語が彫られたシルバーキューブが組まれている。

「読んでみ」

「かずや・M。これ、ひょっとして」

 遠藤が顔を出してきた。

「どっかで聞いたよな。かず……あ、村田和也!」

 貴子がうなずく。

「やっぱりそうだよね。私もそう思う。あのふたり、家出してここに隠れてたのか」

「信じらんねえ。学校のすぐ側だぜ?」

「まあね。でも隠れ家にするなら正解かもよ。だってここに誰かいるなんて、遠ちゃん気づいた?」

「うんにゃ」

「よし、スクープ、ゲット! 局長にメールしとこ」

 仕事熱心な貴子がメールを打ちこんでいる横で、なんとなく天井を見上げた。

「ねえ。メールは後にして、はやく帰ろ……」

 私は恐怖に喉を詰まらせた。

 いた。

 最悪なことに、目が合ってしまった。

 あれは、なに。女子には間違いない。かなりぼろぼろだけど、私と同じセーラー服を着ている。ミニにしたスカートからのぞく生足と、袖が肩から破れているせいでむき出しになっている腕は血とほこりで汚れ、器用にも天井の梁にぶらさがっていたのだ。それも首だけこちらに向けて、私たちをまばたきもせずに見つめている。

 顔には見覚えがあった。裏掲示板で画像を見るたびに目についた薔薇のピアスが、ひどく乱れた汚い茶髪からのぞいている。きっとストラップの関係者だろう。

 特に目が離せないのが、なにかの塊をくわえた口のまわりにべったりと赤い塗料がこびりついていることと、明らかに人のものではない琥珀色の瞳。

 見下ろされたまま私は、悲鳴を上げたいのに声も出せず、知らせたいのに指すら動かせなかった。ただひたすら私の目だけがそれを見つめている。最大級の警鐘がこんなにも突きあげてきているというのに、動けない。まずい、ここを出なきゃ。今すぐここから逃げなきゃ。ほら早くここから出るんだ出ろ早くここから今すぐ早く早く早く出るんだすぐに!!

 なんとか声を振り絞って、私は貴子に言った。

「ねえ……たあ、こ……まだ?」

「待って。なんかさっきから送信ミスばっかりしてんだ。もう、なんなんだろ」

「じゃあここ出てからのほうがよくねえ? 行こうぜ」

 遠藤が踵を返したとき、金色の目が笑った。口にくわえていた物が落ち、血に染まった牙が覗く。塊は遠藤のすぐ後ろに落ちる。

 ふり返った遠藤は落ちてきた物を見て悲鳴を上げて飛びすさり、続いて貴子も絶叫する。

 それは食いかけの人の手だった。  追って、影が猫のように飛び降りてきて、出口への道を塞ぐ。山姥のような頭を一振りすると、獲物を見つけた獣のように目をらんらんと輝かせ、前傾姿勢で狙いを定めた。マニキュアのはがれた爪で床を掻き、血だらけの唇を、ぬらぬらとした舌でべろりと舐めて。

 私たちはぎりぎりまで下がったが、なすすべもなく、ただ抱き合って怯えるだけ。

 どうして止められなかったのだろう。どうして入ってしまったのだろう。どうして気づいてしまったのだろう。私たちを見定めている瞳に、今さら後悔している。

 貴子は半泣きで叫ぶ。

「なに、なによあれ!? 本物なの!?」

「わかんないよ! だから嫌だって言ったのに!」

「いや! こっち来る!」

 山姥が床を蹴った。逃げられない。もうだめだ。

 生まれてはじめて食われる側の恐怖がわかった。ライオンに見据えられて動きを止めるシマウマの理由は、足の速さが追いつかず身動きが取れないんじゃない。どうあがいても最後には食べられる事実に絶望しているから逃げられないのだ。

 だって、わかるもの。あの鋭くとがった爪で腕を裂かれて、ぞろりと並んでいる牙で頭や腹を生きたまま食いちぎられる自分。その運命からは逃げられない。

 私は貴子の頭を抱きしめて身を縮こませて叫んだ。その悲鳴さえ聞こえないけれど。

「来るな!」

 遠藤が椅子の足を投げつけた。椅子は壁に当たって落ち、山姥は軽やかにかわして、元の出口手前で身をかがめ牙をかちかちと鳴らす。

 遠藤は新たに椅子を引き抜いて構えた。外れかかった椅子の足が、手と一緒にがたがたとふるえている。

「取井、窓!」

 言われて、自分が板で塞がれた窓のすぐそばにいることに気づく。わずかに射し込んでいる光に、あきらめが立ち消えた。ここから逃げられるかもしれない。

「わかった! たあこ、こっち!」

「遠ちゃん、前!」

 爪が遠藤の腕をかすめて学ランを裂く。かわりに彼が突き入れた椅子の足が山姥の腹に入り、山姥はぎゃうと鳴いて飛びすさった。

「はやくしろ!」

「今やる!」

 お互いに張り上げる声もふるえている。怖くてたまらない。

 迷わず椅子を持ちあげて思いきり振り下ろす。ガラスは粉々に散るはずだ。

 しかし散るどころか、椅子は窓に弾かれて床に転がった。

「うそ。なんで」

 傷ひとつないガラスに呆然と立ちつくす。驚いたことに、割れた隙間から感じるべき外気が感じられない。まるでそこに見えない壁があるように。

 貴子が窓にすがりついた。

「誰か!! ここから出して!!」

 校舎はすぐそばにある。見慣れた外壁まで二メートルも離れていない。こういう時に限って、誰も通らないなんて。

「うあっ!!」

「遠藤!?」

 ふり返ると、遠藤が片腕で薙ぎはらわれるところだった。飛ばされた遠藤はそのまま不要品の山に埋まる。

「遠藤!!」

 折れたポールや割れた三角コーンの間から遠藤の手足は見えていたが、ぴくりとも動かない。  山姥がこちらを見て、笑った。空腹なライオンのように口端からよだれを垂らし、ぐるるると喉を鳴らす。隣で貴子が崩れるように倒れた。気絶したのかもしれない。

 私は全力で叫んだ。

「たすけて!!」

 その時。

「取井?」

 遠くで、しかしはっきりと名を呼ぶ声がした。泣きそうなくらいやさしさをもった声に全身の細胞で応える。ここにいるの。ここにいるから、どうか気づいて。

「会長!! たすけて!!」

 あわただしく駆け寄ってくる足音を、窓を叩いて急かす。

 すぐに板のすき間から彼が顔を覗かせた。中を見ようと目をひそめる。

「暗くてよく見えないんだけど、みんなは?」

「みんないる! 出られないの! お願い、はやく出して! 窓割って!」

「わかった。ちょっと待ってて、乾も呼んでくるから」

「はやくして!」

 走っていく気配にすがりつきたい思いで、遠のく影を見送る。お願い急いで。でないと本当に間に合わなくなってしまう。

「ヨコセ」

 突然、山姥がぽつりと言ったので、私は凍りついた。

 ざらついた女の声は童話に出てくる魔女のようだ。低く地の底から沸き上がるような声で、強者が弱者にはっきりと、もう一度命令する。

「ヨコセ」

 薄汚れたたて髪をふり乱し、金色の瞳で窓の向こうを見て、牙を剥き出しに笑って。

「ヨコセェッ!」

 四つ足でこちらに突進してきたかと思うと、山姥はひと飛び、窓を割って外へ出た。身体を傷つけるガラス片や木くずもそのままで、校舎玄関へ向かう会長のすぐ前に着地する。道を阻まれた会長はわずかに後ずさった。

「ヨコセ!」

 魔女の声は喜びと期待を含んですこしうわずっている。身を硬くした獲物を前に、ライオンはよつんばいからゆっくり立ちあがる。

 私は窓に残ったガラス片が邪魔をして出られず、身を乗り出して叫ぶことしかできない。

「会長、逃げて!」

 しかし彼は動かない。いや、さっきの私のように動けないのだろう。するどい爪が彼の首をつかんだとき、乾が玄関のほうから走ってきた。

「会長!?」

「乾、はやく!」

 乾は山姥の首に腕を回したが、山姥はびくともしない。それどころか太い乾の腕を女子の細い片腕でつかみ、邪魔だといわんばかりに乾を投げた。乾は校舎に激しく背中を打ちつける。

「乾! くそっ」

 復活した遠藤が私の肩越しに外を見てから、出口に向かった。

「遠藤!? だいじょうぶだった!?」

「腰痛えけど行ける。取井は来るなよ!」

「気をつけてね!」

 遠藤が飛び出した時、会長は首をつかむ手をなんとかはぎ取ろうとしていた。しかし山姥は構わず、ずいと顔を眼前に近づける。

 そこを乾が肩からぶつかっていき、山姥の手がゆるんだ。

「その手を離せ!!」

「吉備!!」

 会長が解放されたところで遠藤が駆け寄り、山姥はくやしそうにうなる。

「こらあ!!」

 突然、雷のような声があたりに響いた。

 声の主らしい人は、校門のほうから走ってくる。短髪で中肉中背の黒い袈裟をまとったお坊さんだった。怒りに満ちた表情で走ってくる。

 山姥はお坊さんに向かっていくと思いきや、土を蹴って一気に屋上まで飛び上がった。まるで糸にでも吊られているかのような身軽さに、呆然と見送る。

 気絶した貴子を起こして皆のところへ行くと、お坊さんが会長を立たせたところだった。

「なんとか生きてるようだな」

 冗談のように尋ねるお坊さんに、会長はすまなそうにうなずいて喉をさする。乾は歯が立たなかったことがくやしかったのだろう、消えた先を憎々しくにらんでいた。

 気づくとお坊さんも厳しい目つきで屋上を見上げていた。なにか心当たりでもあるのだろうか。

 そんな険しい目つきも、私たちに向き直った時はやさしくほほえんでいたけれど。

「もう大丈夫だ。あとかたづけはやっておこう。君たちは早く帰りなさい」

「あとかたづけって」

 数珠を握った手が指さす方向には、窓が破られた倉庫があった。通りすがりの生徒が数名、おそるおそるのぞき込んでいる。今頃気づいても遅いよ、と私は地面を蹴った。

「悪いが、もうあそこには近づかないでくれ。わずかでも手がかりがほしいんだ」

「あれってなんかの呪いとか?」

 貴子の疑問は、私も感じていた。金色の瞳で動物のように四つんばいですばやく動き、屋上までひとっ飛びで上がる。映画で呪いをかけられた人のような、あり得ない動きばかりだ。

 お坊さんは、さあね、と答える。

「よくわからないから調べているのさ。さあ帰りなさい」

 遠藤が怪訝顔でお坊さんを見る。

「っていうか、なんで坊さんが学校にいるんだよ。あれの後でもつけてたのか」

「いや。タイミングが良かっただけさ。私はたまたま学校へ挨拶に来ていたんだ」

「挨拶って」

「明日になりゃわかる。じゃあな。変なものに取り込まれないうちに帰るんだぞ」

 そう言うとお坊さんは倉庫へ向かって歩き出し、ふいにふり返った。

「あ、今日のことはあまり口外しないほうが賢明だぞ。誰かに言ってもバカにされるのがオチだからな」

 私たちはそれぞれうなずいた。確かにそのとおりだと思った。

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