生徒会鬼譚

羽風草

1

このあずま高校生徒会室で過ごす時間は、私のお気に入りだ。誰かの視線を気にする必要がないから、こんなふうに大あくびしながら背伸びすることもできる。幼稚園から中学まで通わされた有名私立のお嬢様学校だったら考えられなかったことだ。

 眼鏡を外してにじんだ涙をぬぐい、目の前の窓ガラスに映る自分に気づいた。

 校内でもめずらしいくらい校則指定そのままのセーラー服姿。みんな地味だと不評を言うけど、濃紺に水色の三本線が入ってる襟にえんじ色のスカーフは、とてもシンプルでいいと思う。そもそも有名ブランドがデザインした制服は着せかえ人形にすぎないしね。

 中学までは特に視線が怖かった。親の言いつけで成績はトップクラスを維持していただけに、余計なことで目立つことは許されず、いつもおとなしく控えめのポジションにいた。だから親の反対を押し切って公立高校に入学手続きしたときは、本当に嬉しかったんだ。教室で足を組んで座っても、誰かに咎められることもない自由な日々が待ってると思ったから。

 当然、入学してからもそりゃ大変だったけど。お嬢様たちとは違って喜怒哀楽の激しいクラスメートたちに馴染めなくて、歴史的人物の話かと思ったら俳優だったりしてね。自分がこの場ではかなり浮いてることを知った。おかげでまた視線を気にするようになり、おとなしく地味なポジションに逆戻りした。ずれているとは自覚しても、どこがおかしいのかわからない。

 運良く、そこがおもしろいと言って喜んでくれるクラスメートに巡り会えて、その時から私の本当の高校生活が始まった。彼女はいつも元気で明るく、今では私の大切な栄養源、親友になっている。心の友と言っても過言ではない。親友になにかあったら、私はきっとどうにかなってしまうだろう。

 ガラス越しで三つ編みがほどけそうなことに気づき、おもむろに髪を解いた。窓には髪をおろしたおとなしそうな女子が現れ、目が合わせないよう下を向く。

 昔からライバル視全開のお嬢様に囲まれていたせいか、元々の性格なのか、女の子を全面に出すのが嫌いで、自分が女の子であることを意識するのも嫌だ。スカートも制服以外は履かないし、腰まである長い髪は親の言いつけでしぶしぶ伸ばしているだけ。親友に止められていなかったら、とっくの昔にベリーショートにしているだろう。

 私は手早く一本の三つ編みに結いあげて背中に垂らす。黒いゴムで止めた先端が腰のすこし上を打った。これでやっと前を向ける。ガラスには眼鏡をかけた三つ編みセーラー服の自分がいた。よし。

 落ち着いたところで、なんとなく室内を見渡す。元から十畳弱という理科準備室より狭い所だ。それも物に追われて実質六畳ほどしかない。すすけた壁にはヒビが走り、天井近くまで積まれた段ボールは移動式ホワイトボードが隠している。中央に置かれた応接セットはスプリングがほとんどきかない最悪の座り心地だし、唯一きちんとした物品であろう生徒会長の机も歴史の分だけ傷とらくがきがある。自分は本棚の裏にこっそり設置されたレンジとポットの前にいる状態だ。

 生徒会室というより屋根裏部屋だよね。ひとり納得しながら、ポットから勢いよく湯気があがったのを合図にコンセントを抜いた。

取井彩華あやか会計殿。やっぱりオレ、コーヒーにして」

 本棚の向こうから元気そうな声が上がった。私は人数分のカップを並べながら答える。

「遠藤、遅い。もうティーバッグ開けちゃったからダメ」

 本棚の向こう側で遠藤がふてくされた。

「ちぇっ」

「残念だったね。ポッキーいる?」

「わかってると思うけどさ。それ僕のポッキーだからさ、ちょっとは残しておいてほしいんだけどさ」

 やさしく耳に心地良いトーンの声がなぐさめ、高めの声があわてて止めに入る。

「もらうもらう!」

「返事は一度だ」

 一段と低い声がきっぱりたしなめるが、遠藤はケロリと返した。

「はいはいっと」

「聞こえなかったのか」

「最近耳が遠くてね」

「ひとをバカにするのもいいかげんにしろ」

「乾こそいいかげんにしたらどうよ」

「あんたたちこそいいかげんにしなさい!」

 口げんかが止まりそうにないので、私はとうとう声を張り上げた。ふたりのケンカはいつも些細な事ばかりで、だいたい我慢できなくなった私が止めに入っている。お茶くみ係同様、日課みたいなものだ。

「取井ちゃんにまとめられちゃった」

 ポツリとつぶやく遠藤に、みんなでちょっと笑った。

 そう、この空気が好きなんだ。会計の仕事や書類整理も好きだけど、ここで共に過ごすメンバーが私には心地良い。男子を怒鳴るなんていう、教室では見せない自分を見せても平気でいられる場所は、ここ以外にない。

 まず一番大きなカップをテーブルに置いた。

「遠藤幸人会計補佐。あきらめて紅茶をどうぞ」

「さんきゅ。あのさ、オレいつから取井ちゃんの補佐?」

「補佐でしょ。計算一式やるほうと書き写すだけ、どっちが頭使ってると思うのよ。監査が必要だから会計は二席っていうけど、監査も私がやってるようなモンなんだからね」

「オレ補佐でいいです」

 遠藤は茶髪を揺らして笑った。生徒会にはほど遠そうな、何でも顔を出したがる落ち着きがないムードメーカー。だけど言い換えれば誰にでも平等に対応する根に持たない気のいい男子で、はじめはなんだこいつと思っていた私も、今ではすっかり気軽に話せる男友達となっている。

「乾誠一書記殿」

「ん。ああ」

 遠藤の斜め前に腰を下ろしている乾は、典型的な体育会系だ。がっしりと組んだ腕も解かず、ちらりとカップを見てうなずく。いらない喧嘩を買う事実を、本人は少し伸びたスポーツ刈りのせいだと主張するが、無愛想な目つきと態度が原因だと思う。

「ああって。乾、ほかに言うことはない?」

「……いただきます」

 あきれる私を、乾は困ったように見返す。

「違う。この場合はありがとうでしょ。もう、黙ってるから先輩からも怖がれたり、余計な喧嘩まで売られるんだからね。もうちょっと喋ったら?」

「そうそ。乾が廊下歩いたら道できるんだよな。人が割れてく」

 くすくす笑う遠藤を乾は無言でにらみつける。

 私はふたりにかまわず、生徒会長の机に向かった。

「会長も、どうぞ」

「ありがとう」

 やわらかくほほえみ返すのは、我が東高校生徒会の会長を務める吉備たずな。声の印象どおり、すっきりした顔立ちで人柄も良く、全国模試毎回上位に入る頭脳の持ち主。小柄だけど、やさしく芯が強そうな顔つきは充分生徒会長らしい貫禄がある。おかげで全校生徒から名前ではなく会長と呼ばれている。私も呼んでいるひとりだ。

 会長もあまり喋らないけど、乾のように無愛想ではなく、ただ物静かな印象がある。今日もいつもの場所に座り、おだやかな表情で、脇に置かれたノートパソコンの画面を見ている。

「すごいなあ。昨日の続きなんだよね、これ」

 パソコンに向かっていた者は手を止め、ぷにぷにの人差し指を立てた。

「微妙に違うんだな。昨日のはCGIだったけど今日はスタイルシートなのさ」

 キーをいじっているのは、丸々と太っている佐々木亨副会長。猫背になって肉づきの良い手でキーボードを素早く操作する姿は、物を食べているハムスターみたいで、見ている人をなごませる。ほほのお肉のせいで、いつも目が笑っているしね。それと、あだ名が佐々木亭という定食屋みたいなこともぴったりだと思う。

「はい、佐々木亭」

「ありがと、取井ちゃん」

 ちなみに副会長は生徒会役員の中でただひとりの三年だ。後輩の私たちがあだ名で呼んでも咎めない心の広さも、親しみやすさのひとつなのだろう。

「今さ、トップに出す画像をいじってるんだけどさ。ほらこれ。美術部とパソ部の合成画像なんだけどさ。おかしいころがないか同じ情報処理科の後輩である取井ちゃんの目でチェック頼みたいんだけどさ」

 学校ホームページの管理人は佐々木亭がやっていて、私がサポートしている。

「了解」

「よろしくね。それとさ、明日の放課後までにさ、新任の先生のコンテンツも考えといてほしいんだけどさ。いいかな」

「うう。了、解」

「吉備太は昔っからこういうのダメだよね。保育所の時からずっとそう。細かい工作とかすぐ投げちゃって」

 生徒会長が副会長の手を阻んだ。

「よしわかった。亨、データ消してやる」

「あ! やめて! やっと終わったのにさあ! あっちもこれからなのに!」

 彼らは幼なじみだ。いつも静かに見守っている会長でも、副会長でだけは砕ける。

 ふたりのじゃれあいを横目に、私はやっと腰を下ろした。遠藤の手前が所定位置。

「なあ。あっちってなんのことだ?」

 遠藤が聞いていた。ゆっくりお茶も飲めたもんじゃない。

「佐々木亭の、裏の仕事のことでしょ」

 隣で乾は小首をかしげ、遠藤は目を剥く。

「なんだよ、それ。おもしろそうじゃん」

「だから。裏掲示板の管理」

「ああ、そっちか。なんだ」

 遠藤は拍子抜けする。

「でも‘タル’が佐々木亭なんて信じられねえ」

「‘トール’でしょうが。T、A、L、L、でトール。ま、私も聞いた時はびっくりした」

 ホームページには生徒のみ使える裏掲示板がある。今期から設置されたこのコンテンツは昼休みと放課後のみ稼働し、生徒による愚痴や噂でいつもいっぱいだ。管理人はトールという正体不明の男子。先生もチェックしている可能性があるため、ヤバイ書き込みは彼が手早く削除する。その早さは発言時間から削除まで二秒という記録もあるほど、トールの管理は隅々まで行き届いている。また、悩み事にも的確なアドバイスをくれたり、喧嘩腰の言葉を流しながらも冷静に対応して鎮火させるなど、同じ高校生とは思えない采配の見事さに、心酔する者やファンクラブまであるのだ。

 佐々木亭がそのトールだと知る人は生徒会を含めてごく一部の生徒のみ。真実を知った者は愕然とするが、納得もする。パソコンの作業が好きで気配り上手のマメな性格である副会長じゃないと、こんな掲示板は一ヶ月たたないうちに閉鎖していただろう。

「裏の仕事なんて、よくやってるよな。留年すんなよ」

「いやなこと言うなあ、遠ちゃん」

 ぼやくわりには、うれしそうに笑っている。本当はすごく楽しいんだろう。

「でもさ。うまくできてるよね」

 会長が口を開いた。

「僕みたいに携帯持ってないヤツは、十円で新聞を買えばいいんだもの。皆が平等に情報を知ってるって凄いよ。それに中村さんの記事がいいんだよね。臨場感がある」

「そう。私もたあこの記事好き」

 たあこ、というのはあだ名で、名前は中村貴子という私の親友だ。彼女は新聞局副局長を務めていて、当然トールの正体も知っている。

「たあこはいつも現場に行って写真も撮って記事も書いてるでしょ。仕事に追われて大変だから身体三つほしいって言ってたよ。佐々木亭もそう?」

「ほしい。裏の仕事持ちは大変だからさ」

 佐々木亭はしみじみこぼした。


 廊下を勢いよく走る音がしたと思ったら引き戸がじれったそうにノックされる。会長が返事をすると、噂の当人が飛び込んできた。背が小さくていつも走っている貴子は、乱れたポニーテールもそのままで息を切らせ、あいさつもそこそこ佐々木亭の前に立つ。

「ねえちょっと教えて。あれ、どっちなの?」

「なにがさ」

「お化けが出た廃屋。廃屋って言ったら、グラウンド行く途中にある古い倉庫と、裏にある蔵のふたつしかないでしょ。どっちか判断つかなくて聞きにきたんだけど。……ねえ佐々木亭、ひょっとしてまだ掲示板見てない?」

「今休憩中だったんだけどさ。見てみるからちょっと待ってよ」

 話を聞きながら佐々木亭はキーボードを、私はPHSをほぼ同時に操作し始めた。

 遠藤が声を弾ませる。

「今度はなんの話だよ。おもしろそうじゃん」

「そうなの、遠ちゃん。なんか影が動いてるのを見たとか金色に光る目がこっち見てたとか。ちょっとそそるでしょ」

 会長がちらりと記者を見る。

「本当?」

「本当みたいよ、会長。ひょっとしてなに? なんか心当たりでも? 別の目撃情報とかあったら、もう大歓迎なんだけど!」

「いや、その」

 会長が返事に詰まっていると、乾がフォローするように彼の背後に立った。手を後ろに組み、じろりとにらむ。

「中村、いい加減にしろ。それにそんなモノ、どうせ猫かなにかだ」

「なによ、聞いてみただけじゃない。怒らなくてもいいでしょ、もう」

 貴子が涙目になって背中に逃げてくる。乾ににらまれると、だいたいの人は貴子のように逃げるのが常らしい。私はどこも怖いとは感じないんだけど。

 しかし見あたらない。村田和也と西川アキという、先月駆け落ちした先輩の話ばかりだ。県外で見かけただの、どこかで心中してるだの、毎日同じような噂の繰り返しだ。時々貼られている画像のせいで、名前も顔もすっかり覚えてしまった。西川アキのほうはシャギー入りの髪から赤い薔薇のピアスをいつも覗かせている。

「あった」

 裏掲示板管理人の声に視線が集まった。ちょっと遅れてPHSの画面にも表示された。


【出たー!!】発言者・無記名

  この間部活が終わって帰ろうとしたら廃屋に、なななななんと人影が! 自分逃げたけど、見にいった友達が居て、金色の目を見たって!!! ぎゃー呪われるー!!


 あとには、いたずらだと決めて煽る者とほかの怪談につなげる者ばかり連なっていて、これ以上有力な情報は見つからなかった。

「これだけじゃどっちとも言えないなあ。なんだかなあ。いたずらかな」

 突然会長が席を立った。驚く幼なじみに見向きもせず、こわばった表情のまま引き戸へ向かう。

「吉備太」

「ごめん。用を思い出したから先に戻る」

 そう言い残してさっさと生徒会室を出て行った背中を、全員が呆然と見送る。

 昼休み終了まで残り十五分はあるというのに、いったいどうしたのだろう。

「あ。わかった、これか。気づくの遅かった、ちくしょう」

 佐々木亭が表情を硬くして、手際よくキーボードを弾いていく。横から覗くと、ひとつの書き込みを削除するところだった。

「どしたの、佐々木亭」

「見る? 今なら消す前だから、見てもいいけどさ」


【懐かしいネタデスガ】発言者・無記名

 中学ん時、隣の県で一家惨殺の事件があったろ。犯人の父親、まだ捕まってないんだよな。そいつだったりして????


 頭の中が一瞬で沸騰した。私のことじゃないけど、私のことを書かれたようで許せない。

「ちょっとなにこれ! 消して、はやく!!」

「取井ちゃん、今やるから待って」

「人のプライベート引っ張り出してきて、こいつどんな神経してんの!? アクセス解析でつきとめてやる!!」

「無理だって! いいから待てってば! ほら、デリート、消えた!」

 せかされながら佐々木亭も乱暴にキーを叩き、数秒後には問題発言が削除された。

 緊迫感はゆるんだが、追って今にも爆発しそうな怒りがこみあげてくる。

 それはどうやら自分だけじゃなかったようで、いきなり乾が壁を殴った。

「いったい誰だ!」

「知るかよ。こっちまで胸くそ悪くなるぜ。だって、吉備ん家の話だろ!? 関係ないじゃん! おい、佐々木亭! マジで犯人突き止められないのかよ!」

「できるならやってるよ!!」

 怒る遠藤を佐々木亭も怒りで返す。新聞局副局長も憎々しく吐いた。

「これだから掲示板って嫌い。書き逃げなんて最低」

 中学二年の夏休み中に、隣の県で一家惨殺事件が起こった。気のふれた父親が妻と小学生の次男を惨殺、中学生の長男に軽傷を負わせて逃走、その後行方不明ではなく、遺体で発見されたはずだ。この事件でひとり生き残った長男が、今ここで生徒会長を務めている彼、吉備たずなだった。彼が市外ではなく県外の高校に入学した理由は想像に難くない。

 もちろん入学当時は全校生徒の注目を浴びた。ひとりが気づけばあっという間に噂は広まり、遠巻きに見る者、同情する者、話を聞きだそうをする者、極端に嫌悪する者など、尽きなかったようだ。私も彼の動向をそれなりに気になっていたひとりだったが、周囲の露骨すぎる反応に嫌悪するほうが多かった。そんな状況も一ヶ月も過ぎれば噂に上ることすらなくなったが、今でもときどきネタとして引き出されるのが現状だった。

 私は、貴子の次にこの生徒会が好きで、大事だった。どんな自分でも受け入れてくれる仲間だった。その仲間がこうやって傷つけられると、どんな相手でも立ち向かってやる気になる。今回のようなことは初めてじゃないけど、何度遭っても怒りに震える。本人も忘れたいだろうつらい記憶を、他人がおもしろ半分で見せつけるなんて。

 それなのに会長はなにも言わず、席を立つだけ。ひとりで感情を鎮めてくるのだろう。いつもひとりで苦痛を抱えているのかと思うと、胸が苦しくなる。せめて私だけでもなにか仕返せたら。

「おい、どこ行くんだよ」

 怒りの形相で指を鳴らしていた乾が出て行こうとしたのを、遠藤が止める。

「犯人の元へ行く。なんとかならないなら、こっちから探すまでだ」

「見つかるわけ無ぇって」

「それでも校内にはいるはずだ!」

 正義感のカタマリみたいな乾に冗談は一切通じない。特に吉備たずながからむとそれは極端に出るようで、以前、会長について遠藤と話をしているとき、聞いていた乾は話に乗ってくるどころか人の尊厳について説教してきたのだ。人を動物にたとえることさえ乾には許せないらしい。

 さらに乾は、主人に従う忠犬のごとく会長に付き従っていることが多い。小柄な生徒会長の斜め後ろに立つ体格の良い書記の姿は校内のあちこちで見られており、そういう仲を疑われたこともある。さすがにそれはそれぞれ否定したが、だからといって乾は態度を変えることはせず、従われるほうも負けたのか、苦笑を浮かべているだけ。

 今回は私も乾のように激昂したが、ふたりの言い争いを見たおかげで頭が冷えていった。冷静に考えても、今は止めに入ったほうが良さそうだ。

「乾、落ち着いてよ。全校生徒に聞いて歩いても逃げられるし、呼び出しても来るわけないじゃない」

「あの方が馬鹿にされているんだぞ、落ち着いていられるか!」

 見かねたように遠藤も横から入ってくる。

「まあまあ、そう乾も怒るなって。吉備がからむとおっかない顔するんだから。だいたい、いつも吉備にくっついて歩いてて、どれだけあいつが迷惑かわかってんのかよ。デキてるとか言われてんだぞ。そうじゃなくてもマジでポチみたいでおかしいのに」

「サルに言われる筋合いはない」

「なに」

「会長のことをよく知りもしないくせに、わかっているように言うな」

「てめえ!」

 遠藤は歯を剥いて乾の胸ぐらをつかんだ。乾にくらべると頭半分ほど小さいが、怒りのオーラは負けていない。

「ちょっと出ろよ。今度こそ殴ってやる」

「いいだろう。バカは痛い目を見ないとわからないからな」

「ちょっと、待ってよ! 落ち着いてって言ってるでしょう!」

 貴子の声も届かず、遠藤が引き戸に手をかける。

 私は予想外な展開になにが悪いのかわからないまま、とにかく止めなきゃいけない気がした。

「ああ、もうっ」

 ふと、卓上隅に立っている三角柱が目に入った。生徒会長と書かれている赤いそれを握ると、出て行く寸前の頭に一発ずつ振り下ろした。痛そうな音がしたけど、このくらい大丈夫だろう。

「だっ」

「ぐっ」

 それぞれ頭を抱えてこちらをうらめしそうに見返す。

「犬猿の仲を証明してどうすんの、このバカ!」

「取井ちゃん、座布団一枚」

 茶々を入れる佐々木亭にも振り上げると、頭を引っ込める。その隣で貴子が拍手していた。

「さすがあやっち。影の生徒会長」

「中村にも座布団一枚」

 つぶやきににらみをきかせ、親友に聞き直す。

「どういう意味よ」

「あのふたりを止められる人は校内でもあやっちと会長だけじゃない。ただ、会長は殴ったりしないだけで」

 言われて足下がふらついた。否定しようとしたが、思い起こすほど肯定せざるを得ない。

「ひょっとして。私って暴力女?」

 目をやる先からさらにうなずかれ、自分で言った台詞にさらにショックを受ける。

 佐々木亭が笑いをこらえながら言った。

「大丈夫だよ。単に吉備太より容赦ないだけだから」

「そうだな」

 乾に真顔でうなずかれる。

「取井って、いらんこと喋って墓穴掘るタイプだよな」

 真顔の遠藤からとどめを刺された時、ドアの向こうで聞き覚えのある声が爆笑した。まっさきに乾がドアを引き開ける。

「会長!?」

 確かにそこには、笑い転げる生徒会長がいた。

 パソコン前で裏掲示板管理人から事の次第を聞いている間も、会長はずっと笑っていた。さすがの幼なじみも心配顔になる。

「笑い事じゃないと思うんだけどさ。吉備太……」

「ごめん。僕もそう思うんだけど、なんかスイッチ入っちゃったみたいで、無理。おなかいたい」

 会長は笑いの発作を引き起こしながら説明してくれた。教室に戻ったはいいが鞄を忘れたことに気づき、気まずい気持ちで戻ったらしい。いざ入ろうとしたら痛そうな音が二発上がり、入るタイミングを失ったという。

「やっぱり取井だと思ったんだ。でもって影の生徒会長なんて。そんな感じだよね」

「やめてよ!」

「それ持ってていいよ」

 言われて気づく、手の中の三角柱。赤い表面には見事な明朝体で生徒会長と彫られていた。

「生徒会長はそっちでしょうが! 返す!」

 所定位置に戻すと、会長のうれしそうな目と合った。

「ありがと、取井」

 物を所定の位置に戻したお礼を言われただけなのに、激昂したことにお礼を言われたような気がして、自分の顔がみるみる赤くなる。どうしてここで赤くなるんだ、私。

「じゃあしょうがないから、生徒会長やるかな」

 あははと笑う彼が、どこかせつなく見える。この人はどうして笑っていられるのだろう。あんなこと書かれたら、私なら平気でいられるはずがないのに。もしも笑うなら、きついことをごまかすために……。

 会長。きついなら笑わないでよ。

「ちゃんと言ってよね。みんな一緒なんだから」

 彼はすこし驚いたように目をまるくして、はにかんだ。五時限目の予鈴が鳴る。

「じゃ、続きは放課後だね」

 会長の言葉を合図に、皆それぞれ返事をして生徒会室を出ていく。

 やっと手に入れた自由な時間、やっと巡り会えた親友、仲間。私はきっとどちらもずっと守っていくだろう。

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