07:変貌

 ルイス探偵の顔に戻ると、足早に去って行った。さほど広い敷地ではないのだが、手早く調べるために二手に別れることににしたのだ。

 シェプリーも、急ぎ奥へと向かう。

 シェプリーは念のため、エルリックが消えた件について、ハミルトン夫妻に口止めをしておいたのだが、いつまでもそれが保たれるとは思えなかった。狭い村のこと、遅かれ早かれ噂になるのは目に見えている。

 五人失踪してまだ日も浅いのに、また更に一人消えたのだ。新聞記者達の耳に入れば、さぞかし盛大に騒ぎ立てられることだろう。そして、それ以上に懸念すべきことがもうひとつあった。

 ターナー牧師が遺した日記によれば、行方不明になった者はおぞましい実験の材料にされてしまう。まさかあの老人がこの現代社会に於いてまで暗黒時代の忌まわしき実験を再現しているとは考えたくはなかったが、いずれにせよ、事態が差し迫っているのは明白だった。

(急がないと)

 枯れかけた草を踏みしだき、裏庭を目指すシェプリーの脳裏に、昨日エルリックと交した会話が蘇る。

『なんという幸運。いや、本当に。こんな辺鄙な所で同業者に出会えるなんて』

 そう言って、彼が人好きのする笑顔を見せたのは、つい昨日のことだ。

「何が幸運だ。余計な事に首をつっこんで、失踪までして」

 しかし、そのきっかけを作ってしまったのは他ならぬ自分だ。シェプリーは唇を噛み締める。事件の話などしなければよかったと、今さら後悔しても遅い。

『お願いです。どうか娘を――どんな小さな手掛かりでもいいんです。お願いします』

 ロンドンの一角で、涙ながらに訴えかける婦人の悲痛な声。その痛みはシェプリーもよく知っている。今もまだ、その痛みを抱えている。

 あの時――4年前のあの夜、何か少しでも予兆に気付いていれば、あんな事態は免れたのではないだろうか。その考えが片時も頭から離れない。思い出す度、胸が締め付けられる。

 あんな想いは、二度としたくない。させたくない。

 ルイスが屋内へと入っていくのを見て、シェプリーは裏庭へと回った。そして、人影がないことを確認して、その場に立ち止まる。

 呼吸を整え、目を閉じる。昨日屋敷内でやった時のように、意識のアンテナを広げたのだ。だが、シェプリーが意識を解放させた途端、目眩のようなものが襲ってきた。

「まただ……何だっていうんだ、一体」

 前日、屋敷の玄関口で感じた違和感に近い奇妙な浮遊感に、シェプリーは焦りを感じた。

 体調がよくないせいだろうかとも思ったが、それくらいで使えなくなるほどヤワな能力ではないことくらい、自分でよくわかっている。その証拠に、手にしたルイスの銃の冷たいグリップから、彼がここへ来るまで考えていた事と、現在の彼が考えている事が読み取れた。

 ピリピリとした弱い電流のように、それはシェプリーの薄い掌の皮膚を通して流れて来る。付けっぱなしのラジオのようなものだ。わざわざ耳を傾けなくとも、物に込められた思いが勝手に主張している。

 シェプリーは探知を一旦中止すると、空いている左手を伸ばし、屋敷の外壁に触れた。そして、今度はそこに意識を集中させた。

 昨晩行った夢見の応用――ただアンテナを広げて漠然と受信するのではなく、多重の層からなる時空を思い描き、一歩離れた地点からそれらを眺める方法を選んだのだ。

 眠らずとも夢見の力は使える。ただし、相当の集中力を必要とするために疲労も激しく、限界もあった。だから、シェプリーは余程の事がなければ滅多に使わないようにしていた。他の霊能者達が道具を使って行うダウンジングと程度のことなら、先の意識探知だけで充分だからだ。

 しかし、この場所では何故かそれが使えない。強力な磁石に囲まれたコンパスのように、はっきりとした方向が定まらず、情報を読み取る事が出来ない。

 どこかに、自分の力を妨害するものがある。まずはそれを突き止めなくてはならない。

 ゆっくりと沈むように、融けるように、シェプリーの意識は肉体を現実に置いたまま時間を遡りはじめる。たちまち、焦点の合わないイメージが脳内を錯綜し、調律の狂った楽器が奏でる不協和音にも似た不快感が全身を襲った。過去の焼き討ちの時の記憶だろうか、突き刺すような痛みを伴う熱を、肌ではなく脳の奥で感じた。

 うっすらと額に滲んだ汗はやがて珠になり、頬を伝い落ちる。それでも止める事なく尚も深く意識を潜行させてゆくと、突然、ざらついた石の感触が外側ではなく”内側”へと逆転し、掌と外壁との境界が消えた。

 突如重圧から解放され、シェプリーは混乱しかけた。その途端、集中していた意識は乱れ、結んだ像が霧散してしまう。

「しまった――!」

 慌てて目を見開いたその時、視界の隅で何かが動くのが見えた。

(え――?)

 振り向いたシェプリーがその姿を認めるのと、金属の煌めきが風の唸りを上げて襲い掛かってきたのは、ほぼ同時だった。


「妙だな」

 ルイスは先程から感じていた違和感に立ち止まった。

「静かすぎる」

 屋敷には人の気配が全くない。

 普通、どんなに手入れが行き届いていなかったとしても、人が住んでさえいれば何らかの気配や痕跡はあるものだ。しかし、この屋敷にはそれがみられなかった。最低でも数カ月は何の手入れも施されていないように思える。

 本当にここには人が居住しているのだろうか。周囲を見渡してみても、それらしい形跡すらない。延び放題の雑草はどれもが萎れ、生気の片鱗も見られず、もちろんその上には期待したような足跡さえ無い。ルイスは舌打ちした。

「探すだけ無駄か……?」

 人間が霧のように消えてしまうのを信じているわけではないが、実際にそうとしか思えない状況で数人が失踪しているのだ。この屋敷の枯れ果てた庭で足跡を探して歩くのも今更という気がした。それよりも、シェプリーが夢で視たという地下室を当たった方がいいだろう。

 周囲を軽く見回し、裏庭へと向かおうとした時、ふと、ルイスの目は屋敷の外壁に広がる蔦に止まった。

 まだ少し色づいてはいるがほとんど干涸びたそれは、触れるとその命を全うし、地に落ちた。身を屈めて拾おうとしたルイスだったが、葉は軽く摘んだだけで粉々に崩れてしまった。

 ルイスは、キッチンを抜け、裏庭へと出た。そうして、屋敷全体を見渡せる位置まで進み、古い邸宅をじっくりと眺めた。

 古めかしい駒形の屋根に、左右に張り出した大きなよく。別段珍しいものではないはずなのだが、それまでに聞かされていた印象もあってか、屋敷の雰囲気は酷く陰鬱だった。しかも、何故かこの邸は目に見えないヴェールで覆われているかのように薄暗く感じる。

 まだ昼だというのに、この雰囲気は一体何なのだ。これではまるで、荒れ果てた墓場ではないか。

 先の日記の内容から考えても、あまり悠長に構えている時間はない。シェプリーと合流しようと、ルイスが踵を返そうとした、その瞬間だった。

「っ――!?」

 突然、鋭い痛みが頭を突き抜けた。

 あまりの衝撃に目が眩む。

 殴られたわけではない。物理的な痛みではなく、強烈な光を見た時のような、視覚で感じる痛みだ。そして、脳髄に突き刺さった痛みと共に飛び込んできたビジョン――

「シェプリー?」

 前日からルイスに纏わりついていた嫌な予感が、たった今〈視〉た像と結び付く。

「シェプリー!」

 叫ぶや否や、ルイスは駆け出した。


 声が出なかった。

 シェプリーは目を見開いたまま不様に尻餅をつき、開いた両足の間に生える物騒な代物を凝視する。

 地面を深くえぐっているのは、所々に赤い錆の浮いた手斧だった。そして何よりもシェプリーが驚いたのは、その柄を握っている人物の正体だった。

「ベ……ベネットさん!?」

「おやおや、どなたかと思ったら」

 シェプリーの顔を覗き込み、マーシュ・ベネットはのっそりと呟いた。

「昨日の警部さん? いや、あれはお連れの方でしたかな? まぁどっちでもよろしい。そんな肩書きなんぞ、じきに必要なくなるのですからな」

 張り付いたような笑みを浮かべたまま、マーシュは軽々と斧を担ぎ上げた。そして、そのまま高く振り上げる。

 一連の動作を呆然と見上げていたシェプリーは、マーシュの意図にようやく気付いた。

「――わぁああ!」

 悲鳴をあげ、慌てて横へと身を転がす。間一髪。斧は、シェプリーが居た場所に深々と突き刺さった。

「往生際が悪いですな。なぁに、御心配なく。痛みなんか感じやしませんよ。痛いなんて思う間もなく、あっという間に死ねますぞ」

「じ……冗談じゃない!」

 シェプリーは叫び、這うようにその場から逃げる。

「痛くなくても、斧は遠慮しておくよ!」

「それは残念。折角、御用意いたしましたのに」

 マーシュは慇懃に呟き、今度こそ外すまいとシェプリーにしっかりと狙いを定めた。

 シェプリーは右手に握ったままの銃の存在を思い出したが、それを構える暇もなかった。再び降り下ろされる斧に、後ろへと飛び退る。が、その拍子に地面に根を張っていた蔦に足を取られ、転んでしまう。急いで身を起こすものの、すでにマーシュは目前に迫っていた。

 後退る背が、屋敷の壁に当たる。

 追い詰められた――ひくりと喉を鳴らし、シェプリーが身を強張らせる。

「さぁ、覚悟なさい」

 マーシュが、これで王手とばかりに斧を振り上げる。

 咄嗟に、シェプリーは身を沈めた。直後、頭上で壁が砕け散り、破片が雨のように降り注ぐ。

 シェプリーは、つい先程まで自分の頭があった場所を見、驚愕した。

 石壁は砕け、その中心には斧が深々と突き刺さっていた。少しでも判断が遅れれば、斧は間違いなくシェプリーの頭を叩き割っていただろう。

 小柄な老人とは思えぬ力を目の当たりにし、シェプリーは喘いだ。へなへなと、体を支える力が抜けてゆく。

 マーシュは答える代わりに、にたりと笑ってみせた。灰色の瞳が異常な熱を帯び、妖しく光る。その滾る光の奥に、シェプリーは隠れていた本当の色を〈視〉た。

 刹那、シェプリーの意識はその色に絡め取られる。琥珀を思わせる、ありえざる輝き――


 静寂を破る銃声と共に、マーシュがもんどりうって倒れた。

「シェプリー、無事か!?」

 延び放題の茂みの影から、ルイスが姿を現す。硝煙立ち上る銃口は降ろされず、倒れ伏した老人に狙いを定めたままだ。

「何をボケっとしてる! こっちへ来い――早く!!」

 一喝され、痺れていた手足の感覚が蘇った。シェプリーは弾かれたように起き上がると、ルイスの方へと走り、その足元に辿り着く。

「ありがとう、助かった」

「礼を言うのはまだ早いぞ」

 息を切らせるシェプリーを庇うように、ルイスが前へと進み出る。銃口の先で、マーシュが動いたからだ。

「動くな。そのまま伏せて……」

 だが、通告するルイスの言葉はそこで止まる。

 異変に気付いたシェプリーは振り返り、恐怖に顔を引き攣らせた。

 常人であれば、銃で撃たれれば痛みと衝撃で動ける筈もない。なのに、この老人は何事もなかったかのように起き上がったのだ。しかも、着弾の際に吹き飛び大きく穿たれた穴からは一滴の血も流れていない。

「な……に?」

 戸惑うルイスの前で、マーシュの笑顔が崩れはじめる。そして、次の瞬間。マーシュだったものは、視界から消えた。

「――っ!?」

 ゆうに数メートルはあろうかという距離を跳躍し、牙を剥いたが目前に迫る。ルイスは反射的に引き金を引いた。

 立続けに炸裂する銃声と、悲鳴。飛び散る肉片と共に、すえた臭いが周囲に広がる。

 ルイスの喉笛に食らい付こうとしていたそれは、鉛玉の洗礼を受け、地面に叩き付けられた。が、すぐさま獣じみたこえをあげて跳ね起きると、恐ろしいほどの早さで走り去っていった。

「何だ、今のは……」

 全て撃ち尽した銃を構えたまま、ルイスが半ば呆然と呟いた。

「何だよ、あれは……」

 シェプリーは答えない。答えられない。

 わかっているのは、あれが昨日まではマーシュ・ベネットという人間のように振る舞っていたということと、そしておそらく、のだろうということだけだ。

 ルイスは、足元にある着弾の際に飛び散った肉片に視線を落とした。

 変色し、すえた腐臭の漂う中で、何か白いものが蠢いている。よく見ようと屈み込んだルイスが呻いた。

「蛆だ」

 腐肉を養分に丸々と太った蛆が、それまで潜り込んでいた世界から放り出され、苦悶するようにその小さな躯をくねらせている。

 シェプリーは自分の胃が急激に収縮するのを感じた。込み上げる胃液に、口元を押さえる。今更のように冷や汗が溢れ、強く閉じた目の奥で極彩色の星が瞬いた。

「大丈夫か」

 ルイスはシェプリーの側へと行き、手を差し出した。その手に掴まって立ち上がろうとするシェプリーだが、膝が笑ってうまく立つ事が出来ない。

 そんな様子を見、ルイスは提案する。

「一旦、戻るか?」

 しかし、シェプリーは首を横に振った。

「そんな時間はないよ。急がないと――」

 もう手遅れになっているかもしれないとの思いがよぎり、一瞬、目の前が暗くなる。だが、ルイスは。

「気持ちはわからんでもないが、少し落ち着け。あっちもダメージを受けたようだから、そうすぐには事は起こさんさ。その間に、こっちも体勢を立直そう。それからでも遅くはない」

 そう言いながら、肩を貸してシェプリーを立ち上がらせると、その場から離れ、一旦門の前まで後退した。

 ルイスは枯れた蔦の絡まる門柱の所にシェプリーを凭れさせ、「すぐ戻る」と言い置き、車を取りに小道を降りて行った。

 塀一枚を隔てただけだが、屋敷の敷地から離れた事で覆い被さってくるような圧力からは逃れられた。

 けれど、シェプリーはどうにも落ち着かない。先の襲撃で神経が高ぶっているのもあるが、それ以上に過敏な反応をする彼自身の感覚に戸惑いを隠せない。

 しんと静まり返る場所に、ただ一人。時折風が木々を揺らし、かさかさと乾いた音をたてる以外には、音らしき音は何も聞こえてこない。

「……何も?」

 シェプリーは、唐突に気付いた。

 前日にはこの周辺には鳥がいた筈だった。しかし、どうしたことか、今日は一羽も見かけないどころか、さえずりさえも聞こえないではないか。

 高い梢の隙間からは、薄曇りの空が覗いている。だが、いくら目を凝らしてみても、その間に生物の姿は見付けられなかった。

(死の気配だ)

 シェプリーは胸の内で呟く。

 ここには死が充満している。その気配が、荒廃した屋敷から周囲へと漏れだしている。

(あの時と同じ……)

 それはすでに日常からひどく懸け離れた違和感や単なる既視感などではなく、シェプリー自身が現実に体感した記憶そのものだった。直感というよりも、生死の狭間でのみ感じとる事のできる、原始的プリミティブな恐怖によって、シェプリーは思い出した。かつて、彼自身が目の当りにした濃い闇の気配を。

 沸き上がる恐怖に総毛立つ。シェプリーは強く目を閉じ、自分自身を抱き締めた。 そうして、ルイスが戻ってくるのをじっと待った。


 ルイスは戻ってくるとすぐに、ボンネットの上に鞄の中身を広げ、先程撃ち尽した銃の銃弾を補充しはじめた。シェプリーは無言でその動作を見守る。

 慣れた手付きでエンフィールドの細く長い銃身を折り、弾倉から空薬莢を取り出す。新しい弾を装填しながら、ルイスが呟いた。

「鉛玉でも効く相手だってのが救いだな」

 正体の掴めない幽霊ではルイスには対処できない。が、実存する現実の物体であれば何とかなる。死霊が死体に乗り移り、その手足を動かしているにしても、先のように銃弾を浴びて退却したのであれば、全くダメージを与えられないというわけでもない――それが本当に有効かどうかについては謎だが、ルイスは深く考えない事にした。

「やれやれ。幽霊だけじゃなく、怪物まで相手にしなくちゃならんとはな。次回からは銀玉の機関銃も用意しておくべきか?」

 冗談めかして言ってはみるものの、シェプリーも、ルイス自身も全く笑えなかった。

「そういえば――」と、ルイスはこめかみを軽く突いて、先程からずっとルイスの手を見ているシェプリーに訊ねた。

「さっき、お前が頭の中に飛び込んできたぞ」

「あぁ……さっきのか」

 そう呟いて、シェプリーはマーシュに襲われた瞬間の事を思い出した。

「多分、同調シンクロしたんだ」

「同調?」

「テレパシーと言った方が早いかな。丁度、〈力〉を使ってこの屋敷を視ていたときだったから。それで、驚いて飛び出した僕の思念が、近くにいたルイスに飛び込んだんだと思う」

「なるほど」

「……驚いた?」

「まぁ、な」

「そう……ごめん」

 顔色を伺うシェプリーに、ルイスは曖昧な返事をした。

「いや。気にするな」

 ショックを受けなかったと言えば嘘になる。けれど、それを一番気にしているのはシェプリーの方だというのもルイスは知ってる。

 シェプリーは自身の力を滅多に人目に触れさせない。数いる霊能者達のように、衆目の前で降霊会を開くなどもってのほかだ。こうして共に仕事をするようになって数年が経つのに、ルイスが目の当たりにした彼の能力は、まだほんの一部でしかなかった。

 一体どの程度の力を秘めているのか。そしてそれを打ち明けてくれるのはいつになるのだろうかと、ルイスはぼんやりと考えながら、すでに装填を終えている銃の銃身を起こし、話を元に戻した。

「それで、何を視た?」

 蹲り、膝を抱えるシェプリーの顔が途端に曇る。

「わからない……ううん、わかるかもしれない。でも、今はまだわからない」

 シェプリーは唇を噛み締めた。多くの情報を前にしながら、混乱した思考のせいで少しも纏まらないのだ。あとほんの少し隙間を埋めるだけでパズルは解けるのに、どのパーツがどれと繋がるのかがまだ見えてこない。焦る気持ちだけが空回りをして、シェプリーは深々と溜息を吐いた。

「俺が言うのも何だが、あまり考えすぎるな。さっき、ヒントはあるって言ったのはお前だろう。行けばわかるさ。そら――」

 ルイスは鞄から取り出した懐中電灯を、シェプリーに放って寄越す。シェプリーは慌てて手を広げ、ずっしりとした重みのある大形のそれを受け止めた。

「さぁ、仕切り直しといこうか」

 そう言って、ルイスももう一つの懐中電灯を手にし、鞄を背負った。


 怪人が通ったらしい痕跡はすぐに見つかった。銃による反撃を受けてよほど慌てていたのか、地下通路への入り口の扉が開いたままになっていたのだ。

 ルイスが入り口の階段周辺で一匹の蛆を見付けた。しかし、それ以上決め手になるようなものは見つからなかった。

 シェプリーは黒々とした口腔を見せる地下道を前に一瞬怯んだ。しかし、恐怖心を胸の奥に無理矢理押し込めると、持っている懐中電灯のスイッチを入れた。

 ルイスが左手で電燈を持ち、懐からは拳銃を取り出す。シェプリーもそれにならい、渡されたままだった銃のグリップを強く握った。ずっしりとした金属の重みと無骨な外観に、少しだけ勇気付けられる。

 ルイスが目配せをし、シェプリーもそれに頷き返す。そして、二人は地下へ降りていった。


 ふと気が付くと、エルリックは暗闇の中にいた。

 その暗闇の奥から、先程から誰かの声がしている。だが、声の主が何処にいるのかはわからない。

 周囲を見渡そうにも何故か目を開く事が出来ず、あるいはすでに開けているのかもしれないが、自分の体さえも見えない漆黒の闇の中に、エルリックはいたのだった。


「まだだ。まだ器が完全ではない……」

「無駄にするわけには……」

「何としても、あの御方が仰った時まで持ちこたえねば……」


(あの御方?)

 声に出したという感覚がまるでないにも関わらず、エルリックの呟きは周囲に広がり、こだました。

 エルリックは一瞬どきりとしたが、幸い、話声は途絶えなかった。

 もう少し聞いてみようと思ったエルリックだったが、ぼそぼそという不明瞭な言葉は時折奇妙にくぐもった声にかき消され、なかなか言葉としての意味を成さない。その度に彼は言い様のない苛立ちを憶えた。が、そのかわり、途切れる事なく聞こえてくる声に導かれ、霧がかかったように不明瞭だった意識は徐々に覚醒をはじめる。

 そして、エルリックはある事に気付いた。

 先程からずっと、自分の体の感覚がないということに。

 何故、何も見えないのだろう。何故、声を出せないのだろう――素朴な疑問が次々と浮び、一番大切な事に到達する。

 ――そういえば、息はどうしているんだ。呼吸をしなければ、生きていられないではないか!

 そこまで考えた途端、エルリックは猛烈な息苦しさに襲われた。あまりの苦しさに、彼の意識は呻き、必死にもがく。

 ひやりとした冷気が一瞬にして周囲を覆う。周囲をとりまく得体の知れない重圧。このまま黒の世界へ閉じ込められてしまうのではいかという恐怖。


――嫌だ、死にたくない――まだ死にたくない!


「助けてくれ――!!」

 喉から迸る悲鳴に、唐突に視界は開けた。

 同時に、どしん、と音をたてて固いものが背中に当たる。急激に戻った感覚に、エルリックは文字どうり息を詰まらせた。

 身を折り、咳き込んでいるうちに混乱は収まってゆく。

 ようやく一息ついた頃には、エルリックの意識は完全に現実へと戻っていた。

「ここ、どこ……?」

 薄暗い空間が目の前に広がる。エリックは、固い地面の上で呆然と座り込んだ。

 そもそも、何故自分がこんな場所にいるのかが理解できない。

 広くはないが、狭くもない。どこに灯があるのかはわからないが、小さな蝋燭の炎で照らした程度の明るさは保たれている。取り囲む壁はむき出しの岩肌で、それらは、かつては人の手でなされたとおぼしき痕跡が見て取れた。そして厄介な事に、扉があるべき所には古びた鉄格子が嵌っていた。

 鼻腔をちりちりと刺激する嫌な匂いが微かにする。エルリックはずきずきと痛む頭を抱えたまま座り込み、彼方に霞む記憶を辿った。

 自分は、夢を見ていた筈だ。そうだ。確か、おかしな夢を見ていたのだ。それから――

 だが、その事に思い至った途端、エルリックは寒気を感じた。ひやりとした冷気などという生易しいものではなく、躯の芯から凍り付くような寒気だ。エルリックは慌てて、それ以上考えるのをやめた。本能的に、これ以上は探らない方がいいと判断したのだ。

 はっきりしない記憶は、いずれまた改めて思い出すこともあるだろう。それよりも、まずは現実を、現状を把握しなくては。

 そう思い、エルリックはそろそろと立ち上がった。頭痛は収まってはきたが、そうなると今度はこの臭いが気になってくる。常に臭うのならばいずれ慣れてしまうであろうが、緩やかな風に乗って時折やってくるそれは、淀んだ汚猥からたちのぼる悪臭にも似て、生理的な嫌悪を抱かせる。だが、どうしようもない。

 どこか他に痛む所は無いだろうかと自身の体を探ってみたエルリックは、自分がちゃんと服を着ていることに気付いた。

 荷物は街のホテルに置いたきりだったので、ヴィディコムの宿では、上着とシャツを脱いで肌着だけでベッドに入った筈だった。なのに、その脱いだはずのものをちゃんと身に付けている。

「……僕って、夢遊病だったっけ?」

 例えそうだったとしても、どうしてこんな場所にいるのか。説明が全くつけられない。

 エルリックは闇に慣れた目で、周囲をもっとよく見渡してみた。と、すぐ傍らで沈黙する黒い影に気付き、息を飲んだ。

 まさかそんな近くに何かが居るとは思っていなかったため、エルリックは思わず飛び退り、後ろにあった台――それまで彼が横たわっていたものだ――に、嫌と言うほど腰を打ちつけてしまった。

 幸い、影はそんな彼の挙動に気付かないのか、微動だにしなかった。

 痛みと涙を堪えて暫く様子を窺っていたエルリックだったが、やはり影は少しも動く気配がない。よく見てみれば、どうやら眠っているらしい。エルリックは意を決すると、その影に近付いてみた。

 それは、まだ若い女性だった。

 すっきりとした鼻筋と、ふっくらとした唇。やや目が離れている感じはするが、額も高く、利発そうな顔をしている。とびきり美人というわけでもないが、笑顔を見せれば大抵の男はきっと彼女の魅力によろめくだろう。

 髪は何色だろうか。褐色か、それとも黒か。こう暗いと、はっきりした色がわからない。もっと明るい場所で顔を見られたならと、エルリックは思った。

 それから、彼女が着ている服を、ロンドンのボンドストリートにある洋服屋で見かけたことがあるのに気付いた。

「まさか、コニー?」

 前日にシェプリーから聞いた行方不明者の名前が口をついて出る。

 行方不明になった学生は、全部で五人。そのうち、女性は一人だけだったという。なら、おそらくこの女性が、シェプリーが依頼を受け探しにきたという人物なのだろう。

 彼女は簡素な石造りの台の上に横たわり、眠っていた。その台は腰ほどの高さで、まるで棺桶を乗せる台を彷佛とさせる。エルリックが目覚めた時の衝撃は、どうやらここから落ちた時のもののようだ。

「コニー。コニー・リトルウェイ」

 エルリックは名前を呼びながら、コニーを軽く揺すってみた。しかし、彼女は少しも起きる気配がなかった。

 もしかして死んでいるのではないだろうかと心配になり、鼻と口に手をあててみるエルリックだが、掌には微弱な風を感じた。しかしそれは間隔が長く、浅い呼吸――薬でも飲まされているかのような不自然な眠りだった。

 それからも何度か声を掛けてはみたものの、やはりコニーが目覚める様子はなかった。エルリックは諦めて、空いている台に腰かけると、深々と溜息をついた。

 諸々の状況から考えるに、ここはあの幽霊屋敷の地下にある秘密の部屋で間違いないだろう。

 しかし、どうやって?  夢に導かれてここまで歩いてきたというのか? ならば、残りの四人は何処に居るのだろう?

「参ったな」

 考えれば考えるほど、わけがわからなくなってくる。もう一度、溜息をついたそのときだった。

 エルリックの耳は、微かにこだまする足音を捉えた。

 足音の主は、何かブツブツと呟きながら、この牢屋に近付いて来るようだ。

 咄嗟に、エルリックは台の上に飛び乗り、横になって目を閉じた。

 不規則ではあるが、独特の歩調で迷わずここへとやってくる。僅かに片足をひきずるようなその歩き方の主に思い当たった時、金属どうしがこすれる耳障りな音がした。

 錆び付いた蝶番ちょうつがいが悲鳴をあげ、エルリックの耳に突き刺さる。

「ええい、忌々しい……」

 足音の主はが忌々し気につぶやく。酔った人間の、呂律ろれつのまわらない口調に似た喋り方だった。低く嗄れてはいたが、やはり聞き覚えのある声だ。

 エルリックは、その声の主が身を屈めて自分の顔を覗き込んだのを、気配と押し寄せる臭気で知った。

「眠れ、眠れ。永久とこしえ微睡まどろみに沈んでおれ」

 間近で囁く声は抜けた歯から空気がもれるような音だった。かさかさと干涸びた笑いは容赦なくエルリックに向けて注がれる。

 薄目を開けて声の主の正体を見極めたいという誘惑がなかったわけではないが、つい先程まで見ていた悪夢の余韻がその誘惑を押しとどめた。それよりもすえた臭いが鼻をつき、眠ったふり続けるのに苦労を強いられた。

 幸い、声の主はさほど長くは留まらなかった。ただ単に様子を見にきただけなのかもしれない。コニーに対しても同じ様に囁きかけると、エルリックが起きていることに気付かずに、来た時と同じように独特の歩調で離れていった。

 再び鉄格子が閉まり、錠が下ろされる。そして完全に気配が去ってから、エルリックは半身を起こした。まだ周囲には腐臭が漂っており不快この上ないが、それどころではなかった。

 エルリックは危険が迫っていることを察していた。一刻の猶予もないだろう。早くここから逃げ出さねばならない。だが、どうすればいい?

 壁は、粗雑とはいえどこも石で組まれ、寸分の隙間も無かった。天井はもちろん、床に至っても同様である。

 一方、鉄格子は太く頑丈なもので出来てる代わりに、その間隔は割と広かった。古い時代の城の地下室にあるようなタイプだ。エルリックは難なく腕を出すと扉にかかっている錠前を手にとった。

 ざらついた感触は表面に浮いた錆なのだろう。薄暗くはっきりとは見えないが、相当に古いもののようだった。だからといって、もちろん素手で壊せるようなものではない。

 鉄格子を揺すってみたが、これもまたびくともしなかった。

 紛れもなく、ここは虜囚を閉じ込めておくための本物の牢屋なのだと認識したとたん、エルリックは軽い目眩を感じ、鉄格子の前でへたり込んだ。

 身に降り掛かったありえざる事態に、エルリックはまだ夢を見ているのではないだろうかと思っった。だが、両手で握る鉄格子と、地面から伝わる冷たさが、わずかな希望を否定する。

 力の抜けた躯を、悪夢の残滓が苛みはじめる。暗闇と、得体の知れない存在。すぐ足元まで押し寄せるみぎわは黒――絶望の色だ。

 けれどもエルリックは、なりふり構わず叫びだしたくなるのをぐっと堪えた。頭のどこかで、そうなってしまったらお終いだというのだけは理解していたからだ。

 唯一残った理性でエルリックは考える。あきらめるのはまだ早い。何か方法があるはずだ。

 エルリックは頭を振り、幻覚を打ち消した。

 視線を牢の中へ戻す。と、台座の上で横になるコニーがその目に飛び込んだ。

 エルリックは立ち上がり、コニーの側に向かった。そして、失礼だとは思いつつ、彼女が何か使えそうなものを持っていないかどうかを調べさせてもらった。

 彼女もエルリックと同じように、ほとんど昼間に外出する時のようないでたちだった。服のポケットには何も入ってはいなかったが、その代わり、緩いウェーブのかかった髪を留めるために、数本のヘアピンを使用していた。

 エルリックはそのヘアピンを拝借すると、再び鉄格子の前に立った。

 錠前破りなどしたことはなかったが、壁も天井も床も駄目なら、残る手段は一つしかない。

 手探りで探り出した鍵穴へ、コニーのヘアピンを差し込んだ。

「冗談じゃない」

 自分にはまだやりたい事が沢山あるのだ。こんな地下牢で果てるなど、自分の考えている未来像ではない。

 エルリックは、ピンが折れない事を祈りながら、慎重に指を動かした。

 ヘアピンの感触から得た鍵の内部を頭に思い描く。鍵の構造自体は至極簡素なもののようだった。不馴れな作業に挫けそうになるが、エルリックは諦めない。

 そして何度か試行錯誤を重ね、ついに小さな音をその耳で捉えた。

 慌ててピンを引き抜き、状態を確認する。

 ピンは、折れていなかった。

「やった!」

 エルリックは鍵を掴み、これを外した。飛び上がって喜びたい気分だったが、はしゃいでいる場合ではない。 台座で眠り続けるコニーを抱き起こし、背負う。

 扉を開ける時に蝶番が軋む音が大きく響き、冷や汗を垂らしたが、幸いなことに気付かれたような様子はなかった。

 通路は左右どちらにも伸びていた。

 牢内に満ちていた光はあまりにも弱々しく、通路の先までは届かない。少し考えて、エルリックは耳を澄ませてみる。すると左の方から、微かな音が聞こえたような気がした。

 エルリックは迷った。今の音が、先の得体の知れない存在ががたてた音でないという保証はない。しかし、ぐずぐずしてる場合ではなかった。そいつがまた戻ってくる前に、ここから離れなければならない。

 ままよとばかりに、エルリックは歩き出した。自分の幸運が続くことを信じて、音のした方向へと。

 通路は、緩やかな傾斜が続いていた。

 人並みに体力はあると自負していたエルリックだったが、いくら女性とはいえ、自分で体重を支える意志のない肉体はその重量どうりの荷物でしかなく、普段からこのような重労働をしたことがない彼を苦しめた。

 加えて、強い既視感が生み出すわけのわからない恐怖が彼の精神までもを苛む。

道を間違えていたらどうしようか。もし途中で見つかってしまったらどうしようか――様々な思いがエルリックの脳裏に浮んでは消えてゆく。地を踏む足から力が抜けて、立ち竦んだまま一歩も動けなくなってしまいそうになる。

 その度に彼は懸命に気持ちを奮い立たせ、歩き続けた。

 やがて、真っ暗だった世界に変化があらわれる。前方にぼんやりと点る微かな光を、エルリックの目はついに捉えた。

 疲れきっていた体に活力が漲る。

 エルリックはコニーを背負いなおすと、しっかりとした足取りで歩き出した。


 闇を、光の筋が容赦なく切り裂いてゆく。

 懐中電灯による強力なそれは、この薄寒い地下道を進むにあたって唯一の色を生み出すものであったのだが、周囲にわだかまる闇を完全に払い除けることまでは出来なかった。

 それでも、前日のあの小さく頼りない灯にくらべれば随分とましな方だ。人工の光は冷たい輝きで通路の壁を照らし、無機質なその一面を際立たせたが、むしろその方がシェプリーにはかえって好都合だった。

 黙々と二人は通路を奥へと進み、そして、目的の場所へと到達する。

 ルイスが振り返り、シェプリーに聞いた。

「ここか?」

 シェプリーは頷いた。

 扉は閉じていたが、前日にはしっかりとかけてあった閂が外されていた。鍵も見当たらない。

 ルイスは壁際に身を寄せ、扉をそっと押し開けた。しかし。

「何も無いぞ?」

 がらんとした部屋には、何もなかった。流れ込む空気によって舞い上がった塵が、懐中電灯に照らされて小さな乱反射を起こすだけだ。

「そんなはずは……」

 ルイスの後ろから中を覗いたシェプリーも、軽いショックを受ける。が、すぐに思い出した。

「いや、いいんだよ。ここはまだ入り口なんだから」

 牧師の遺した日記には、この先にも部屋がある記述があったはずだ。だが、隅々を照らしても、それらしきものが見当たらない。

「あぁ……なるほど、わかったぞ」

 懐中電灯で隅々までを照らしていたルイスが言った。床の石材に、何か重いものが弧を描きながらその表面を擦ったような跡があるのを見付けたのだ。

「扉は一種類とは限らないってことだ」

 ルイスはその跡のある壁の前に立ち、その石組みをなぞった。よくよく調べてみれば、周囲のそれとは僅かに違った配列のものがある。そして、ちょうど腰ほどの位置に、小さな窪みがあるのに気付いた。

「多分、この辺だな」

 ルイスは窪みに手を当て、ぐっと押し込んだ。

 すると、壁が――壁に見せかけた隠し扉は簡単に開き、暗闇の満ちる新たな空間を二人の前に曝け出した。途端に緩やかな風が巻き起こり、奥から流れ出す微かな腐敗臭が二人の鼻腔を刺激する。

「誰がこんな細工をしたんだろうな?」

「さぁ……」

 ここにあった本や実験道具等は、スタンレーが地上に持ち出したのは間違いないだろう。だとしたら、彼もこの先の扉とその先にあるものを知っていたはずだ。

知っていて、隠蔽したのだろうか。だとしたら、一体何のために?

 多くの疑問が二人の脳裏を駆け巡るが、答えは隠し部屋の奥にしかない。

 暗がりに沈む奥からは、何かしらの小さな音が絶え間なく響いていた。

 地表からここまで到達する間は寒かったのに、今この部屋は暖かかった。熱の源は、部屋の奥だ。

 闇の中で何かが潜んでいる気配、あるいは闇そのものが静かに息づき、生きているかのような気配がひしひしと伝わって来る。

 それらは前日にもシェプリーが感じ取ったものに近かったが、今はその気配がより一層強くなっているようだった。

 そしてそれは、シェプリーに比べてそういった感覚の劣るルイスでさえも奇妙な気分になるほどのものである。

 不安になり隣を振り返れば、同じように不安顔で見つめ返す相手がいる。

「行くぞ」

 先に動いたのはルイスの方だった。慌ててシェプリーもその背中に続く。

 懐中電灯で入り口付近を照らしたルイスが、そこにある小さなスイッチに気付いた。おそらく、スタンレーがあとから取り付けたのだろう。スイッチを入れると、照明が灯った。

 それまで黒かった視界が一転白く弾け、目が眩む。急激な変化に慣れるまでに、暫くの時間がかかった。

 ほどなくして、霞んでいた視界が回復する。そして、期待していたとはいえ、目の前に広がる光景のあまり異様さに、シェプリーとルイスは共に言葉を失った。

 ターナー牧師が日記に記してあったような光景が、目の前に広がっていた。大きな樽が三つ並び、部屋の一角を占めている。日記の内容を思い出し、動揺したシェプリーだったが、幸いなことにどの樽も中身は空だった。

 次にシェプリーは、樽の影に隠れるような位置にあった機具に目をとめた。

 やはりこれも人の背丈ほどもある機具で、左右の竈にかけられたフラスコから真鍮の管が上に伸びている。管は二重螺旋を描きながら真ん中の柱に絡まるような形で固定されていた。中世の錬金術師が使う竈だ。

「すごいな……」

 似たような機具は博物館の展示資料で見たことがあるが、ここまで大掛かりな設備を目の当たりにするのは初めてだった。

 まるでこの空間だけ時間が止まっているかのようだと、シェプリーは思った。中世の錬金術、そのものの世界がここにある。しかし、よく注意して見れば、それらの中には現代のものが雑じっている。

 例えば、竈から少し離れた所にある作業台には、現代の反射式顕微鏡が置かれていた。他にも試験管や試薬の入った薬壜やボトルが幾つも並んでいる。シェプリーは、薄汚れたラベルに記してある名前を読み取った。

「濃塩酸と濃硝酸……? そうか、王水だ」

 それぞれの溶液を一定の割合で混合すると、金や銅、錫、白金などの金属を溶かすほどの強い腐食性をもった王水になる。錬金術師が水銀とともによく利用したものだ。

 混在する時代が織り成す不可思議な光景に、暫くの間、当初の目的も忘れて見入っていたシェプリーとルイスだったが、突然鳴り響いた大きな音にぎょっとした。

 慌てて銃を構え、音のした方向を見る。2フィートも離れていない場所で、床に堆積していたわずかな埃が舞い上がっている。その視線の先で、再び、床板が跳ね上がった。

「下がれ!」

 ルイスはシェプリーの腕を掴んで引っ張った。バランスを崩したシェプリーが床の上に転がるが、構っている暇はない。手にした銃の照準を定める。

 しかし、勢い良く開いた床板からから顔を覗かせたのは、例の怪人でも何でもなく、一人の青年だった。

「わぁ! な、何? 待って、撃たないで――!!」

「エリック!?」

 服を払うのも忘れて、シェプリーはエルリックのもとへと駆け寄った。

 目の前に突き付けられた銃口を見て慌てふためいているのは、夜中のうちに宿から消えたはずのエルリックその人だ。

「エリック、無事だったのか」

「なんだ、シェプリーじゃないか。脅かさないでくれ」

 見知った顔に、エルリックも安堵に胸をなで下ろす。

「それはこっちの台詞だよ。でも、良かった……怪我はないかい?」

「ああ、シェプリー。心配してくれるのはありがたいんだけど、その前にちょっと手を貸してくれないかな。そちらの物騒なものを持った紳士も。女性を、こんな臭くて薄汚い場所に放っておくわけにはいかないからね」

 エルリックの台詞に、シェプリーとルイスは顔を見合わせた。

「女性?」

「このだよ」

 そう言って、エルリックはぐったりとした少女を抱え上げて見せた。

「コニー!?」

 写真で見た顔と寸分違わぬその姿に、シェプリーとルイスが揃って声を上げる。

 だが、驚いていたのはほんの数秒。ルイスは素早く駆け寄ると手を差し出し、コニーを引き上げが。続いて、エルリックもシェプリーの手を借りて床下から這い上る。

「ありがとう。君達が居てくれて良かったよ。僕はエルリック・ノーマン。エリックでいいよ」

「ルイス・ケアリーだ。撃たれたくなかったら、今度からは扉を開ける前に一声かけてからにしてくれ」

「わかった。そうする」

 ルイスと握手を交したエルリックはいたって真面目に答えると、

「ところで、彼女って、君達が探している娘だよね?」

 昏々と眠り続けるコニーの側に膝をつくシェプリーに声をかけた。

「ああ、間違いない」

 言って、シェプリーがコニーの首筋に手をあて、脈を測る。若干弱くはあるが、規則正しいリズムを刻んでいた。

 顔色が良くないように見えるのは、この部屋の照明のせいだろうか。もっとも、消息を断ってから一週間も経過しているのだ。その間ずっとこのような地下に閉じ込められていたとしたら、それは相当な負担となって彼女を苦しめたことだろう。

 しかし、それ以前に何かがおかしい。

「どうだ?」

 具合を聞くルイスに、けれどもシェプリーはうまく答えられなかった。

 ルイスは、それ以上深く追求することを諦め、今度はエルリックに訊ねた。

「他には誰も居なかったのか?」

「さぁ? 僕が見た限りでは、この子しか居なかったからね」

 言って、自分が出てきた穴を見遣る。

 シェプリーとルイスも、それに倣い、自分達の足元を注意深く眺めた。どうやら、この床は後から上に被せたものらしい。実験室の入り口ほど巧妙ではないが、羽目板で一面を覆い、隠してあったのだ。穴の部分だけはくり抜かれ、扉代わりの蓋がのせてあっただけなのだが、数々の設備に気を取られていた二人が気付くはずもなかった。

 ルイスはエルリックが出てきた穴を覗き込んだ。階段状の石が数段積まれ、そこから先は緩い傾斜が続いているのが見えた。

「深いな」

 懐中電灯で奥を照らそうとした、そのときだった。

 耳をつんざく雷鳴にも似た咆哮とともに、穴から黒い影が飛び出した。マーシュ・ベネットの、動く死体だ。エルリックの後を追ってきたのか、影に潜んでいたのだ。

完全に不意を突かれたルイスは、体当たりをまともに食らい、吹き飛ばされた。

「ルイス!?」

 慌てて銃を構えるシェプリーだったが、引き金を引くことが出来なかった。

 すっかり人の姿を放棄した怪物は、ルイスと上になり下になりと激しい取っ組み合いをしている。この状態では、過ってルイスの方を撃ちかねない。

 エルリックは何が起こったのか理解できていないようだった。あんぐりと口を開け、呆然と立ち尽くしている。

 シェプリーも、取り乱してはいけないと頭ではわかっていても、どうすればいいのかわからない。そうこうしているうちにも、シェプリーの目の前で、ルイスが怪物に組み伏せられた。

 恐ろく強い力で両肩を掴まれ、ルイスは痛みに呻いた。この怪物の体は死んでいるはずなのに、信じられないほどの力をもっている。

 ルイスは吹き飛ばされた拍子に、銃を落としてしまっていた。それを知ってか、上にのしかかる怪物が、ぞっとする笑みを浮かべる。間近で見るその形相に、ルイスは戦慄した。

 銃弾を浴びた顔は、一部が破損していた。弾け飛んだ皮膚からは腐肉と骨が覗いており、変色して滴る血もない筋肉組織の間からは白い蛆がぼろぼろと零れ落ちてくる。

 限界まで開いた口から、剥き出しの犬歯があらわれた。鋭い刃物のような牙――こんなものに食らい付かれたら、間違い無く骨ごと噛み砕かれてしまうだろう。

「この、化け物――!」

 ルイスは相手の腹に足をかけ、思いきり跳ね上げた。

 放物線を描いて投げ飛ばされる怪物。

 ルイスも急いで起き上がるが、相手の動きの方が何倍も早かった。くるりと空中で体勢を変え、猫のように着地した怪物は、間髪を入れず床を蹴り、再び宙を跳ぶ。

迫る牙。

 ルイスは横っ跳びでこれを躱した。

 目標を見失った怪物は急に止まることができず、今度は空の樽にぶち当たる。派手な音とともに樽は木っ端みじんになり、周辺には埃がもうもうと舞い上がった。

 ルイスは銃を探した。少し離れた場所で、鈍く光る銃尻が見えた。しかし、拾いに走るよりも先に、怪物が樽の残骸の中から身を起こす。痛みなど感じることもないせいか、大してダメージを受けたような素振りさえない。

「くそっ」

 自分の考えが甘かったのを思い知らされ、ルイスは歯噛みした。

 ちらりと背後を窺えば、冷たい床の上に寝かせられたままのコニーが視界に映る。その隣にはエルリックの姿も見えたが、呆然と突っ立ったままで頼りになりそうもない。そして、シェプリーは。

(シェプリー――?)

 ルイスは愕然とした。

 シェプリーの姿が見えない。

 何処へ――?

 動揺が、一瞬の隙をつくる。ほとんど音もたてずに、怪物が跳躍した。

 不意をつかれ、避けようとしたルイスの靴が滑った。

「しま――ッ!」

 迫る怪物の淀んだ瞳には歓喜が満ち溢れていた。獲物を、己の器を傷付けた張本人を屠る喜びに。

 駄目だ。間に合わない――瞬間、死を覚悟したルイスの耳に、聞き慣れた叫びが届く。

「ルイス! 伏せて!」

 考えるよりも先に、体の方が動いていた。ルイスは身を捩り、倒れるように身を伏せる。と、その上をシェプリーの投げた壜が飛び、すぐ目前にまで迫っていた怪物の顔面を直撃した。

 粉々に砕け散るガラスの破片とともに、中に入っていた液体がそれにふりかかる。途端に、白い煙とともに鼻をつく刺激臭が広がった。――塩酸だ。

(まずい――!)

 塩酸がどういうものかくらい、ルイスも知っている。触れただけで皮膚は炎症をおこし、酷い火傷を負う。

 ガラスの破片と塩酸の飛沫が頭上に広がる。ルイスは咄嗟に両腕で頭を庇おうとした。そして、来るべき痛みに備えて歯を食いしばる――だが、その必要はなかった。

 放射状に広がりかけた飛沫は、するすると映画のフィルムを逆回しにしたように引いてゆく。塩酸は、ルイスと怪物との間を遮蔽する幕となり、次の瞬間、それは生き物のように翻り、怪物の全身を包み込んだのだ。

 この世のものとは思えない叫びが室内に響き渡る。

 纏わりつく塩酸の膜を振払おうと闇雲に暴れる怪物から、鼻をつく刺激臭とともに白煙が激しくたちのぼった。

 ルイスは混乱する頭で目の前で繰り広げられる凄惨な光景を呆然と眺め、そして気が付いた。

 シェプリーだ。

 ルイスは、壜が跳んできた方向を振り返った。そこに、シェプリーは居た。

 シェプリーは真直ぐこちらを見据えている。その瞳には、今までにルイスが見た事もない燐光が宿っていた。


 シェプリーが濃塩酸の壜を投げたのは、下手な射撃で友人を射殺する過ちを避けるためだった。

 作業台に駆け寄り並んでいたうちの1つを手にした時、派手な音がシェプリーの鼓膜に突き刺さる。はっとして振り返れば、崩れた残骸の中に倒れ伏すマーシュの成れの果てが見えた。そいつは何事も無かったかのように起き上がり、そして。

「ルイス! 伏せて!」

 叫ぶと同時に、シェプリーは手にした壜を思いきり投げた。2パイントほども中身の入った壜は、目標に向かって吸い込まれるようにまっすぐ跳んでいった――通常ならば届くはずもない距離を、シェプリーが思い描く軌跡を描いて。

 手を触れずに物を動かすなど、シェプリーにとっては容易いことだった。ただ、普段は、それを無闇やたらとひけらかすような行為を禁じていただけのこと。

 弾丸のような早さとまではいかなかったが、それでもかなりの速度で飛んだ壜は、怪物の顔面に命中した。しかし、このままではルイスまで濃塩酸を被ってしまう。

 考えるまでもなく、シェプリーは続けて〈視〉た。すぐ直後の光景を。自身の思い描くその光景が、そのまま現実となるのを。

 けれど、シェプリーは肝心な事を忘れていた。この場所で力を使うとどうなるかを。

 濃塩酸は少量でしかなかったものの、すっぽりと体を覆う膜は消えることはなかった。塗り込められる膏薬のように、すでに死んでいる皮膚を焼き、筋肉組織へと浸透する。

 それにつれ、剥がれない湿布を剥がそうと暴れ回っていた怪物の動きが徐々に鈍くなってゆく。

 ルイスは巻き添えをくらわないように、刺激臭に目眩を起こしながらも、這うようにその場から離れた。間髪を入れず、怪物の体に異変が起こる。

 不出来な人形が踊っているような、ぎくしゃくとした動きが止まったかと思うと、ぼとりと音をたててまず右腕が落ちた。続いて、左腕。

「シェプリー、もういい、やめろ……」

 ルイスは、尋常ではないことが起こっているのを感じ取た。これ以上何か起こる前に、シェプリーを止めなければならない。

「シェプリー!」

 しかし、ルイスの声は、シェプリーには聞こえていなかった。

 獲物を屠る歓びをこの怪物が感じていたように、シェプリーもまた、一種の陶酔状態に陥っていた。彼の意識も五感のすべてが、それまでずっと彼が感じ、疑問に思っていたこの歪曲した空間によって歪められてしまっていた。

 今のシェプリーが視ているのは、腐敗した肉や肉汁、生きたままの蛆虫たちが溶解してゆく様ではなく、未来の光景であり、そして過去の光景。現実に居ながらすでに現実味を失ってしまっているこの場所であるからこそ、解放された意識は抑制が効かなくなっていた。

 燐光は輝きを増し、炯々けいけいと燃え盛る冷たい光となる。

 多くの影が〈視〉えた。彼等はたがいに肩を寄せあい、怯えの浮ぶ眼差しで光る陽炎を見つめる。燃え盛る炎は感情を押し込め、その奥で滾る激情と重なる。

 あれは誰だ。地獄の業火を思わせる熱で、あの肉体に宿るものを焼きつくしたのは過去の出来事ではなかったか。では、目の前にいるものは何だ。まだだ。まだ終っていない。どこからともなく声があがる。殺せ。殺せ――すべての原因を、排除しろ。すべて焼き払えと。

 絡み付く感情のうねり。高揚感に包まれ、鼓動が高まる。霞む影。光り輝く様々な色。それを焼きつくすその瞬間まで、上昇する熱を、シェプリーはその力で〈視〉て――

「やめろ! シェプリー、やめるんだ!」

 ルイスはシェプリーの視界を遮ぎるように手を広げ、そして彼を押し倒した。二人は揃ってもつれるように転倒する。同時に、怪物ががくりと膝をつく。

 前のめりになる腰の部分が外れ、内部に収まっていた腐りかけの臓物が溢れた。続いて肉と骨とがそれらの上に崩れ落ち、そして怪物は――マーシュ・ベネットのすでに死せる肉体は、遂に動くのをやめたのだった。


「シェプリー?」

 険しい表情で自分の顔を覗き込んでいるのがルイスだとわかるまでに、暫く時間がかかった。

 シェプリーはぽかんと口を開け、ルイスを見上げた。その瞳には、先に見せたような異常な輝きはない。

 それを確認したルイスは身を起こし、ずっと押さえ付けていたシェプリーの肩を解放した。顔にかかる前髪をかきあげ、大きな溜息をつく。

「どうしたんだ、一体」

 ちらりと横目で死体を見てみれば、それはもうすっかりすべて溶解し、どす黒い水たまりと化していた。乳灰色の骨までもがあらかた解け、僅かに残った欠片が沼地に浮ぶ孤島のように点在している。まだぼうっとする頭で半身を起こしたシェプリーは、ルイスの目線を追い、そして息を飲んだ。

「これも、お前の……?」

「違う!」

 シェプリーは首を振った。

「僕、こんな……、ここまでしようなんて思わなかった! なのに、どうして!?」

 幾つもの疑問がシェプリーの頭の中を駆け巡る。降り掛かる塩酸からルイスを護ろうとしたのははっきりと覚えている。しかし、その後。視界が真っ白に弾け飛び、それから――。

 身体の震えが止まらない。再び、吐き気がこみあげてくる。それでも尚、自分がやったことから目を逸らすこともできず、シェプリーは言葉を失う。

「……気にするな。どのみち、最初から死んでいたんだから」

 そうは言いつつも、ルイスも苦しそうだった。めずらしく声が震えている。

「気にするな」

 もう一度、ルイスは自身にも言い聞かせるように呟いた。シェプリーから離れ、忘れ去られていたエルリックに声をかける。

「そっちは大丈夫か?」

「え、あ……あぁ、なんとか……」

 ようやく我にかえったエルリックがまごまごとした様子で狼狽えはじめる。ルイスは呆れながらも、変にヒステリーを起こして足手纏いになるよりはましかと思い直してみた。

 それから、床の上に落ちていた銃を拾い上げ、懐のホルスターに収める。すぐ近くには中折れ帽もあったが、それは無惨にも踏みつぶされていた。苦悶にのたうつ怪物が踏んだのだろう。御丁寧に酸による焦げ跡までついている。ルイスはもう一度大きな溜息を吐き、帽子の形を整え、それを頭に乗せた。

「い、今の、なに? あれ、生きてるの?」

 エルリックがルイスの側にやって来た。興奮さめやらぬ様子で、怪物のとルイスの顔とを交互に見比べる。

「安心しろ。もう死んでる」

「けど、さっきの、動いてたじゃないか。どうして?」

「俺が知るかよ」

 むしろこっちの方が聞きたいくらいだと、ルイスは吐き捨てる。

「でも」

「うるさい! 話なら後にしろ!」

 尚も追い縋るエルリックを、ルイスは一喝した。もう、我慢の限界だった。これまでにもいろいろ体験をし、多少のことでは動じないつもりでいたのに、さすがに今回のは酷すぎた。

「シェプリー、上に戻るぞ! 依頼人に連絡する方が先だからな!」

 コニーのもとへと戻り、彼女を抱き起こす。しかし、シェプリーからの返事はなかった。

 訝し気にルイスが振り向けば、シェプリーは座り込んだまま中空を睨んでいる。

 ややあってから、シェプリーはぽつりと呟いた。

「鏡だ……」

「何だって?」

 聞き返すものの、返事はない。シェプリーのそれは、目の前のものを見ている目付きではなかった。ルイスは、ぞくりとした冷気を感じた。

 気がついてみれば、この部屋に入る前に感じていた熱は冷めている。実験室内の数々の設備も、急速に色褪せてしまったようにも見えた。まるで、怪物の死が引き金になったかのように。

「……シェプリー?」

 恐る恐る、ルイルはシェプリーの名を呼んだ。彼の意識が、この場所にあるのを確認するために。

 シェプリーは一度、目を閉じ、深く息をつく。そして、ふらつきながらも立ち上がった。

「大丈夫……おかしくなったわけじゃないから。心配しないで……」

 酷く青ざめていたが、しっかりとした口調でシェプリーは言った。

「戻ろう。多分……今夜はもう大丈夫だと思うし」

?」

 鸚鵡おうむ返しに聞くルイスに、シェプリーはただ一言、「後で話すよ」と言ったきり口を鎖した。話すべき事は沢山あったが、とにかく今は何も考えたくなかったのだ。

 シェプリーの耳の奥では呪詛がこだましていた。鼓膜を震わすことのない、思念の声が。何度も繰り返す、その強固な意志の残骸が。

 頭の芯が、膿んだようにぼうっとしている。精神も、そして肉体も疲れきっていた。

「……戻ろう。少し、休みたい」

 シェプリーは、ふらつく足で出口へと向かう。

 ルイスは何か言おうとしたが、それを実行するのをやめた。代わりにコニーを担ぐと、エルリックを促し、黙ってシェプリーの後に続いた。

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