10 運命の死闘
10-1 真珠色の決意
「くそっ」
「落ち着くんだ、伊羅将」
伊羅将の隣、コロシアムに続く扉を眺める位置に、
死ぬ前に最後もう一度、花音と話したかったなと、残念に感じた。
扉はきっちり閉じられているが、隙間から強い陽光が、剣のように鋭く射し入ってくる。外からは、大観衆と思しきざわめきが聞こえてくる。
「男だろ。覚悟を決めろ。あと数分で果たし合い開始だからな」
「武者震いさ」
「その意気だ」
強がってみせたものの、実際は、恐ろしくてたまらない。
あの夜も次の夜も、レイリィは夢に現れなかった。面会に来た
もはやすべての対策は潰えた。あとはリンからの攻撃をあえて受け、急所だけギリギリ外すという、最後の手段しか残されていない。
鞘から抜くと、短剣・
「頼んだぞ。花摘丸」
瞬間、グリップが震えたような気がした。大丈夫だと答えんばかりに。
「お前……俺の言葉がわかるのか」
今度は震えはしなかったが、なにかを感じた。温かな心のようななにかを。慰めるかのような。
「どうした、伊羅将」
「こいつが……花摘丸が、なにか応えてくれたような……」
「魂を持つ短剣だったな、それ。……貸してみろ」
立ち上がると、何度か振ってみせた。
「うん。いい剣だ。前も言ったが重量バランスがいいし、手に自然となじむ。まるでこちらの心や体と、自ら一体化してくれるようだ。……古代の遣い手は、魂を持つ相棒と感じたことだろう」
「そうかな」
頷いた。
「ああ。だからこそ、勝負どころで、力をフルに発揮できたのさ。相棒に護ってもらえる気がするから。……伊羅将、お前も同じだ。気づいたか? お前、もう震えていないぞ」
「えっ……」
そう言えばそうだ。奇跡の業物と讃えられた剣の伝説は、こうしたところから始まったのかもしれない。
「ほら。お前の相棒だ。大事に扱え」
「わかった」
受け取った剣は、たしかに頼もしく思えた。
「よし」
決心が着いた。たとえ微かな可能性しかなくとも、自分は賭けのチップを置く。リンも自分も生き残る「トゥルーエンド」ルートに、必ず分岐してみせると。
「時間だ」
闘鑼が立ち上がった。扉の外に、人の気配がする。
音を立てて、扉が開く。まばゆいばかりの光の中に、伊羅将は踏み出した。
●
大歓声。音圧で圧倒されるほどだ。聖地屋外の闘技場は楕円形。ラグビーフィールドほどの大きさ。外側に、一万人は入りそうな席が設けられている。満杯だ。みなヒトガタで、部族型はひとりもいない。
百メートルほど向こう、ちょうど闘技場の反対側に、こちらと同じ、こじんまりとした控室が設けられている。ネコネコマタではない自分には理由がわからないが、まだ敵方の扉は開けられていない。扉の脇に二名、衛兵だか門番だかが立っている。果たし合いを申し込まれたほうが先に出る「しきたり」かなにかなのだろう。
こちら側と向こう側、それぞれの控室両脇に、巨木が一本ずつ生えている。王家の聖地でも見た、聖なる樹木だ。この闘技場を守護する祖霊の木かもしれない。
フィールド内には、審判や後見団と思しき人物が十名ほど配置されている。他に人影はない。
観客席なのか知らないけれど、とにかく観戦(?)するための席は、前列より後列のほうがゆったり作られている。もっとも高い位置には天蓋付きの個室が並ぶ。多分、地位に応じて陣取る場所が異なるのだろう。もっとも豪華な個室、豪奢な椅子には、見たことのある人物が座っていた。
「伊羅将くん、ごめんね」
声がしたので振り返ると、レイリィだった。こちらの陣地の背後、最前列に、関屋瀧と共に陣取っている。関係者席といったあたりか。相手側にも、リンの係累が座っているに違いない。
すでに力を使い果たしたと知られているためか、レイリィは、特に拘束などはされていない。いつものツアーTにデニム。瀧は男子の貴族正装。口をきりっと結んで、行儀正しく腰を下ろしている。
「夢に出られなくって、ごめん。ほんの少しだけ自律回復したけど、まだ……」
伊羅将は、手を振って応えた。レイリィができる限りのことをしてくれたのは、話さずともわかっている。歯車がうまく回らなかったのは、運命だ。誰かを恨む筋もない。
「とにかく頑張ってよ。伊羅将くんの命は、私のもの。誰にも渡さないから」
思わず苦笑してしまった。まあ……応援のつもりなのだ。素直に喜んでおく。それに笑ったことで、少し心も体も軽くなった。緊張すれば、発揮できる力は普段の二割――。闘鑼の言葉が蘇った。
本気で来るリンを倒せるわけもない。最悪、俺はここで死ぬだけだ。
――まあいいや。どうせ死ぬのは、みんな一度きり。俺は、他の人よりたった六十年かそこら早いってだけさ。ごめんな、レイリィ。それに花音。
深呼吸をした。先ほどまでの緊張は、とりあえず収まっている。できる範囲では戦えるだろう。リンに刺させて致命傷を避ける――。今はそれだけ考えておけばいい。
どよめきが広がった。振り返ると、相手方の控室の扉が開けられたところだ。
中から小柄な女子が出てきた。大海崎リン。神明学園中等部のセーラー服姿で、抜刀した短剣を、右手にさげている。横に立つ後見人は、父親の
――おいおい、多分素手って話はどうなったんだよ。
思わず傍らの闘鑼を見やると、厳しい表情でリンを見つめている。
――くそっ。ハードルートになっちまったか。無理ゲーだな、こいつは。
闘鑼の戦略を、なんとか思い返した。
――剣同士の戦いでは、出方を見るため、最初は牽制が多いだろう。それでいい。その間、なるだけ派手に振り回せ。ヘボいお前を見て、ニンゲン憎しの観客は満足する――
――お前の戦略と強さを見て取ったら、リンは本気で来る。そこが勝負だ。トドメを刺すため、斬撃でなく刺突でくる。お前をじわじわ傷めるのは、リンは嫌なはずだからな。苦しませずに殺そうとするだろう――
――リンの刺突をギリギリまでひきつけて、最後、わずかに体を開け。観客や審判からは、急所を突いたように見える。それで作戦は成功だ。片方が致命傷を受けたのだから、決闘はそこで終了。リンは大海崎の名誉を保ち、お前は命を落とさずに済む――
一歩も動かず、リンはこちらを睨んでいる。すごい気迫だ。百メートル離れたここまで伝わってくる。これが、ネコネコマタの本気か。あの聖地での大暴れのときより、さらに凄みを感じる。
突然、さらに大きなどよめきが、闘技場を包んだ。誰彼となく、一方向を指差している。王族席を。
「花音……」
花音。後ろに陽芽を従え、王族席に現れたところだ。
「お前、なんで……」
どよめきの理由がわかった。真珠色に輝く花嫁衣装。それを、花音が身にまとっている。あのとき、王家の聖地で着ていた服だ。自分とキスを交わすことで、永遠の絆を誓ったときの――。
「これはまた、姫様……思い切ったことを」
ぽつりと、闘鑼が呟いた。
「姫様は、満場……いや、それどころかネコネコマタ全体に宣言なされたのだ。言葉ではなく、誰の目にもわかる形で……」
こちらを向いた。
「お前は、恋人でも、もちろんただの配下の騎士でもない。神辺花音は生涯、奴隷ニンゲンと添い遂げると。たとえ……お前が死んだ後ですら」
陽芽の策略かと、一瞬思った。素知らぬ顔で、陽芽は姉に付き従っている。いや違う。陽芽がネコネコマタ内の、花音の立場を危うくする戦略を取るはずはない。第一王女たる花音の、強い意志に違いない。
あの晩、ふたり結ばれた夢のような一夜を、伊羅将は思い返した。あのとき、花音は「決意のために来た」と話していた。思えばすでに、このことを決めていたのだろう。
「これより、ナベシマ族大海崎家、
観客席のざわめきに負けじと、主審と思しき中年のネコネコマタが、声を張り上げた。周囲が一気に静かになる。聞こえるのは、上空を抜ける風の音と、高空を飛ぶ小鳥のさえずりだけだ。
「双方、正々堂々と果たし合いに臨め。後見人は下がるように」
無言のまま、闘鑼がぽんと、こちらの肩に手を置く。落ち着かせるつもりだろう。そのまま後方に下がった。
「どのような結末を迎えても、試合後の遺恨は許されない。同族、祖霊、そして家系の名誉は、そこ一点に懸かっている。心せよ」
伊羅将は頷いた。
「では始めっ!」
さっと、審判団が体を引いた。それぞれの持ち場に散る。観客の声援が一気に高まった。堰き止められていたダムの水が一気に放出されたかのようだ。
伊羅将は抜刀した。闘鑼の戦略どおり、花摘丸を下段に構えたまま、リンが突っ込んでくるのを待つ。なにもこちらから走って、自ら疲れる必要はない。ただでさえ勝ち目がないのだ。
リンは、突っ込んではこなかった。花嫁衣装の花音に視線を置いたまま、じっとしている。三十秒、一分、二分――。観客席に戸惑いの声が広がった。
と、突然、剣を投げ捨てた。意図を図りかね、満座が息を呑む。
――リン、まさかお前、決闘を自ら放棄するつもりなのか。この残酷な運命に逆らうために。
一瞬、希望の光が見えた。リンがそのつもりなら、こっちもそれに乗る。ネコネコマタの伝統がどうだろうと、知るか。双方が放棄すれば、どちらの名誉も地に落ちるとしても、殺されはしないだろう。
リンはこちらに向き直った。鋭い瞳のまま。一度体を縮め、天を仰ぐと、大声で吠える。狼が月に遠吠えするように、体を伸ばし。
「リン!」
瞬時に、リンの体を体毛が覆った。破り去るように、服を脱ぎ投げる。全裸になったリンは、部族型の姿を露わにした。和毛に覆われた体。鬱金に鉄黒で、豹のような模様。体型もやや獣じみて、亜人といったところ。尻に二股の尾が垂れ、頭ではネコミミが動いている。
観客席の声援が、一気に大きくなった。「ニンゲン野郎を殺せ」とか、ぶっそうな声援すら聞こえてくる。
剣を拾うことすらせず、こちらに向かい、リンは跳躍した。みるみる速度を上げてくる。
「くそっ。部族型でやる気か」
伊羅将は、花摘丸をしっかり構えた。王宮裏の庭園で、リンは言っていた。部族型になったらお前なんか瞬殺だと。勝ち目はほぼないと、闘鑼も認めていた。その戦いに挑まなくてはならないのか……。
――なんだよ、ハードルートどころか、詰みじゃんか、これ。
「頼むぞ、花摘丸。奇跡を起こすんだ!」
自分を勇気づけるため、声に出して叫んだ。その声が震えていることに、伊羅将は戦慄した。
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