09-3 大海崎家を襲う嵐

「急げっ!」


 珍しく、闘鑼トラが声を荒げた。窓から顔を出して、御者に指示を下している。


 ここはナベシマ領。神辺かんなべ王家の御用馬車が、街道を疾駆していた。


 王家屈指の早馬を、六頭も連結してある。飛ぶような勢いだ。普通なら荒れ地で馬車が跳ねて危険な速度だが、呪力が込められた車両は、地を這うような滑らかさだ。王家の紋章を高々と掲げた馬車を見て、領民が先の先まで道を空けている。


 もう時間がない。今日中に大海崎おおみさき家に撤回させなくては、決闘は避けられない。申し込まれた側にはもちろん、拒否権などない。


 馬車は、沈黙に支配されていた。身を乗り出す闘鑼の向かいに、伊羅将いらはた。隣には、飼い主権を主張してむりやり同行してきたレイリィ。安心させるかのように、伊羅将の腕を抱えている。闘鑼の隣は、関屋瀧せきやたき。決闘の公平性を担保するため、王族は直接は動けない。陽芽も花音も同乗してはいなかった。


「陽が傾いてきた。くそっ――」


 呪うように天を見上げると、闘鑼が毒づいた。


「急ぐんだっ」


            ●


 馬車は、大海崎の門前に、稲妻のような勢いで駆け込んだ。門番は一瞬、殺気をみなぎらせたが、掲げられた紋章を目にしたのか、尊敬の礼の形となった。馬車から真っ先に飛び降りた伊羅将を見て、苦笑いする。


「なんだ、また来たのか。お前。懲りない奴だな」


 続いて、レイリィや瀧、闘鑼が降り立つ。


「それに仙狸せんり……はともかく、闘鑼様までか……」


 難しい表情で眉を寄せている。


「悪いが通してもらう。もう時間がない。火急の用事だ」


 闘鑼の言葉に、しばらく考えていた。


「闘鑼様。なにかご事情がおありですね。……わかりました。私の裁量でお通ししましょう」


 伊羅将に視線を移した。


「こら人間。お前、仲間に恵まれているな」


          ●


 通されたのは、立派な応接だった。この間の実務部屋ではない。母屋一階奥、明かり取りの障子を一面に配した、畳座の部屋。執事がふたりほど入ってくると、障子を引いた。ガラス越しに大きな庭園が見え、部屋はさらに明るくなった。


 リンの父親、大海崎和久羅おおみさきわくらが入ってきて、向かいに正座した。王家の使いを前にしても、この間と同様、落ち着き払っている。


 しばらく口を利かない。こちらと闘鑼、瀧、それに仙狸のレイリィの表情を、黙って窺っている。それから茶を勧めてきた。


「闘鑼様がこんな辺境までお越しとは、異例ですな」


 口を開いた。


「理由は和久羅殿もご賢察のはず」


 闘鑼は、いつにない改まった口ぶりだ。


「……それならもうお断りしました。そちらの物部殿に」

「事情が変わった。陰謀の全貌が見えたので」

「陰謀……」


 瞳を細めてしばらくなにか考えていた。それから、闘鑼に鋭い視線を飛ばした。


「ご説明いただこう」

「実は――」


 闘鑼は説明した。ハリマのナンバーツー、伊和が、族内の実権を握るため、伊羅将追い落としとナベシマ族弱体化の一石二鳥を狙っていると。そのためナベシマ族長会議内の間者を使って、大海崎を板挟みに追い込んだのだと。


「伊和……。まさか、あいつが……」


 和久羅の顔色が変わった。なにか心当たりでもあるのだろう。


「それで、ニライカナイまで持ち出したのか……」


 ニライカナイという単語が出たが、レイリィはひとことも発しない。すまし顔のまま、庭に遊ぶ小鳥など眺めたままだ。闘鑼から発言を止められているので、伊羅将もなにも口を挟まなかった。


「闘鑼様、それは真で」

「ああ」


 力強く頷いた。


「俺と祖霊の名誉を賭けてもいい」

「左様でございますか。誉れ高き闘鑼族の名誉までとは……」

「和久羅殿。僭越ながら、貴殿のお心持ち、この闘鑼に痛いほど伝わってくるぞ。そう自覚している。……この陰謀は、もう暴かれたも同然。神辺王家も、裏で動き始めた。今頃はハリマ族長の元に向け、極秘の一報を持った早馬が飛んでいる。ハリマ族長との裏の調整に、一週間ほどはかかるだろう。それさえ済めば、澄水王の名で、正式な沙汰状が全部族に回る見込みだ。その時点で、王家が正式に介入することになる」

「なるほど……」


 頷きながらも、浮かない顔だ。


「それで、先ほど……」

「もはや茶番の決闘には意味がない。申し込みを撤回されよ。それが大海崎家のためになる」


 和久羅は黙っている。厳しい表情を崩さず。庭を抜ける風の音がする。きっと樹木のいい香りの風だろう。


「闘鑼様」


 ようやく口を開いた。


「伊和の陰謀は、おそらく王家の方々のご想定より深く、広いかと……」

「どういう意味だ」

「決闘撤回は無理。……そういうことです」


 伊羅将に視線を移してきた。複雑な感情が瞳に浮かんでいるのを、伊羅将は感じた。


「なぜ。期限は明日でしょう」


 発言を止められていたというのに、伊羅将は、思わず口を挟んでしまった。もう我慢できない。


「つい先ほど、後見団の使いが来たのだ。決闘の場所、つまり聖地を司る司祭の宣託により、一日段取りが早まったと。この場で決闘継続の確約書に朱印をしたためよと」

「なにぃ! そんな話、王家にも届いてないぞ」

「司祭決済には、王家の事前の承認は不要です」


 おずおずと、瀧が解説を入れた。


「くそっ。もう押印したのか」


 和久羅は、瞳を逸した。


「まんまと出し抜かれましたな。当家も、闘鑼様も。神辺王家も。……危険な連中だ」

「後見団や司祭にも手を回していたのか。くそっ!」


 闘鑼が畳を叩いた。


「つくづく卑劣な奴め」

「物部殿」


 伊羅将は、また和久羅の視線を感じた。澄んだ瞳だ。


「こうなったのは悲劇ですが、もう取り消しはできない。貴殿は思いっ切り戦いなされ」

 ほっと息を吐いた。


「たとえリンが討ち取られたとしても、当家に遺恨はありません」

「そんな……。なあ和久羅さん、リンに……リンに会わせてくれ」

「それは……」


 しばらく考えていた。お茶を口に運ぶ。


「やめておきましょう」

「なぜ」

「いずれにしろ決闘は不可避。どちらから見ても、未練が募るだけでしょう。残酷なだけです」

「嫌だ。会わせろ」


 伊羅将は立ち上がった。


「座れ、馬鹿者」


 闘鑼の鋭い声が飛んできた。


「子供のような駄々をこねるな。和久羅殿のお気持ちくらい察しろ」

「くそっ」


 ひとりカカシのように突っ立ったまま、なにもできない自分――。伊羅将の瞳が潤んだ。悔しくて。自分が情けなくて。


 ――お、俺はなにもできないのか。またしても無力なのか。


 これまですまし顔でじっとしていたレイリィが、突然立ち上がった。伊羅将の手を取る。


「いよいよ私の番ねっ! マジカルマジカルー」


 呪文のつもりだろうか。


「古からの血の契り、命の盟約を交わした飼い主として、物部伊羅将に誓約を命ずる」

「待ってください」


 瀧が叫んだが、無視する。


「物部伊羅将に、この果たし合いを禁ずる」


 一座を重い沈黙が支配した。


「……宣託してしまったか」


 闘羅が溜息を漏らした。


「なにをしても無駄だ。もう引き返せはしない。期限が過ぎたからな。伊羅将もリンも、すぐに決闘後見団に拘束される。……それに変だぞ。仙狸の命の誓約は、目に見えると聞く。なにも起こらないじゃないか」

「ボクも……そう聞いています」


 瀧だ。


「レイリィさん、いったい……」

「そんな……」


 言われるまでもなく、自分の異変を、レイリィは感じているようだった。青くなっている。


「霊力が衰えている……。そうか、あの夢に出るために、エネルギーが枯渇して……」


 首を振った。


「いいもん。この世界からすぐ逃げるから。いい、伊羅将くん。大暴れするよーっ!」


 手を高く掲げた。


「えーいっ!」


 だが、吹くはずの暴風が起こらない。


「……って、なに!? 仙狸型に変身もできない。こんなに弱ってるなんて……。一発撃つくらいしかできないじゃん」

「物部伊羅将殿」


 引き戸が開くと、屈強な男が数人、土足のまま踏み込んできた。頭を丸めた和風の僧形で、手に手に巨大な数珠を握っている。いかにも強力な呪力の篭っていそうな奴だ。


「決闘拘束期限だ。ご同行願えるかな」


           ●


 なすすべもなく、伊羅将は拘束された。特別の馬車――見た目は豪奢だが呪力が付与されていて、逃亡できないそうだ――に監禁される。


 担保された決闘には、王家と言えども口は挟めない。瀧は黙ったまま、こちらを見つめている。憮然とした表情の闘鑼は、レイリィが暴走しないよう、優しく腕を取っている。レイリィの叫び声が聞こえた。――待ってて伊羅将くん、今晩夢に出るから。そして命の力をもらって、もう一度宣言を――。


 馬車の窓が外から閉じられる瞬間、屋敷から連れ出されるリンの姿が垣間見えた。切なげな瞳で、こちらを見つめている。泣きはらしたかのように、瞳は赤い。


 リン――。


 伊羅将の叫びは、塞がれた窓で遮られた。


          ●


 その晩からは、ゆったりした貴賓室に案内された。豪奢だがセンスがいい。とはいえ、部屋を出ることは禁止されている。体のいい座敷牢といったところだ。鬱々たる気持ちのまま寝床についたが、最後の望みたるレイリィは、当日も、翌日も、夢に現れなかった。


 ――そして、果たし合い当日を告げる夜明けを迎えた。

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