09-2 命を賭けた鍛錬
「始めるか」
ぶっきらぼうに、闘鑼が告げてきた。
ここは王宮中庭の一角。芝生の養生部分だ。異世界の太陽が、決闘のことなど我関せずと言わんばかりに、早朝らしい、清らかな光を投げている。中庭は立入制限区域内なので、人影はない。決闘に向けた鍛錬をするには、絶好の場所だ。なにせ時間がない。明日には決闘撤回期限が来るのだ。それまでに陰謀を暴けない可能性に備えておかなければならない。
「本当にいいのかよ、真剣で」
「安心しろ。素人のへなちょこ剣に斬られる闘鑼族などいない。それより、お前が自分の武器に慣れることが重要だ」
「わかった」
闘鑼は武器を持ってはいない。普段の軽装で、もちろんヒトガタ。向き合ったが、力の抜けた自然体のくせに、隙がない。鋭い瞳で見据えられると、踏み込むことすら躊躇させる殺気が漂った。
「くそっ」
「どうした。かかってこないなら、俺から行くぞ」
鼻で笑われた。
「今やるところだ」
「教えた型を忘れるなよ」
「わかってる。――くそっ」
気合と共に踏み込む。まずは相手の利き手を斬ってリスクを減らし、返す刀で大腿動脈を狙う――。もちろんかすりもしない。ぎりぎりのところでかわすと、わざと急所を晒し、こちらの斬撃を促してくる。さすがは王家の懐刀だ。動作はスムーズで、まったく危うさを感じさせない。
「もっと本気でやれ。それでないと、審判も観客も納得しない。それにお前がガチに危険な相手と知れば、リンの攻撃は慎重になる。それでこそ、きわどく急所を避けることも可能になるんだからな」
「わ……わかってる」
早くも息が切れてきた。踏み込んで刺突したが、腕を取られ、関節を極める合気道の要領で投げられた。
「隙だらけだ」
「くそっ」
頭を振ると、花摘丸を拾い直す。
「倒されるときに、武器を放すな。武器を落とせば即座に怒涛の攻めが来るぞ」
「握り締めてればいいんだな」
「ああ」
闘鑼は頷いた。
「とはいえ強く握っていると、手首が固定され気味になる。自分の武器で傷つく可能性が高まるから気をつけろ」
「そんなになにもかも、うまくいくはずないだろ」
「うまくいかなければ、お前は死ぬ」
「くそっ」
何度めか自分でも覚えていないが毒づくと、無我夢中で飛びかかった。
「いいか。十中八九、リンはヒトガタだ。王家は部族型にならない。その客人たるお前に経緯を表してな」
「それは前にも聞いた」
また転がされた。
「同様の理由から、素手でくる可能性が六割だ。果たし合いで素手ってことは、殴り殺すか絞め殺すってことさ。禁じ手はないから、金的・目潰し、なんでも使ってくる」
「嫌な予想するなよ」
「戦略だからな」
こちらの剣をさばきながらも、平然としている。
「とはいえ、相手はリンだ。お前に金的や目潰しを使ってくるとは考えにくい。堂々と、殴り殺しにくるだろう」
どっちにしろ、嫌な予想だ。
型を受け流しながら、殴られつつ致命傷を避ける方法について、闘鑼は解説を始めた。それくらいお茶の子――というかこちらが弱すぎて余裕ってことだろう。
まず、派手に流血してダメージをわかるように観客に見せつけること。気絶しないこと。気絶ならいいと思いがちだが、気絶すれば観客はトドメをさせと煽る。リンはやむなく首を締めにくるだろう。生き残れる可能性は低い。そこでリンが手を抜けばミエミエだから。
つまり何度も何度も倒れて、こちらはもう手負いの獣くらいにボロボロにならないとダメだ。その上で、フィニッシュ技で、手ひどくリンにやられる。腕を折ってもらうくらいが重要だ。
「ここからが重要だ」
倒されたまま、肩で息をしているこちらを見下ろしている。
「ほら。起きろ」
「く……くそっ」
なんとか起き直ると、また刺突の型を繰り返した。
「倒れたお前は、それでも一撃食らわそうと、花摘丸を振り回す。リンがそれを奪い取る。武士の情けとして、リンが花摘丸で腹を刺してトドメを刺しに来る。そこが勝負だ。……少し休もう」
ふらふらになったこちらを見て、芝生脇のベンチに誘う。喉がカラカラだ。伊羅将は、壺の水をカップに注いで飲んだ。余った水は、頭にかける。
「ネコの水浴びだな」
「ほっとけ。ネコは風呂嫌いだろ」
「ネコネコマタは大好きだ。……いいか、トドメに来たら、動脈と背骨だけは避けるんだ。内臓に傷がつくのは、もう仕方ない。トドメは一撃だ。何度も来ない。お前が意識を失えば、そこで審判も観客も満足する。決着の判定が下るだろう。すぐに医者が入る。王家秘蔵のハーブを用いるから、死んでなければ、生き残れるだろう」
「言うだけなら簡単だけどな」
情けない顔をしていたのだろう。闘鑼が豪快に笑った。
「いやすまん。お前も命懸けだもんな」
謝ると、相手が剣持参の場合を解説し始めた。この場合、どちらが勝つにせよ、決着は速い。
「まあ、勝つのはリンだが」
「わかってる」
「剣同士の戦いだ。出方を見るため、最初は牽制が多いだろう。それでいい。その間、なるだけ派手に振り回せ。ヘボいお前を見て、ニンゲン憎しの観客は満足する」
「リンはどう出る」
「お前の戦略と強さを見て取ったら、本気で来るだろう。そこが勝負だ。トドメを刺すため、斬撃でなく刺突でくる。お前をじわじわ傷めるのは、リンは嫌なはずだからな。苦しませずに殺そうとするだろう」
ここからは素手の場合と同じだ、と、闘鑼は付け加えた。要するに、ギリギリまでひきつけて、最後、わずかに体を開く。観客や審判からは、急所を突いたように見える。それで終わりだと。
「リンが部族型できたら、どうするのさ」
「前も言ったろ。そんときゃ諦めろ」
闘鑼は首を振った。
「あいつは強い。部族型のリンが剣を握ったら、お前は瞬殺だ。なるだけ急所を避けろとしか言えん。ただ、速度と柔軟性に優れる相手だ。急所を外せる可能性は少ない」
花音の薦めどおり、逃走するしかなさそうだな、と、伊羅将は感じた。もちろん闘鑼にそれを告げるわけにはいかない。
「勝たないでいいのは朗報だ。剣で相手を牽制できる程度の強さだけ、あればいいからな。牽制できれば、相手の刺突の勢いを殺せる――つまり生き残りの可能性が増える」
休憩は終わりだと、闘鑼は立ち上がった。木剣を手に取る。
「今度は俺がこの木剣で攻撃する。花摘丸でさばくんだ。型は習ったろ、近衛兵の体剣術鍛錬で」
木剣を、こちらの肩に押し当ててきた。
「いいか。これが真剣だと、心から思い込め。実戦で真剣を前にすると、恐怖に打ち勝つ強さが必要になる。発揮できる実力は、普段の二割だ。お前は初心者だからな」
伊羅将も立ち上がった。向き合う。
闘鑼は木剣を中段に構えている。すごい殺気だ。とてもこちらから踏み込めるとは思えない。
大声で気合を入れると、闘鑼が刺突しにきた。まっすぐ、みぞおちを狙ってきている。たとえ木剣とはいえ、急所に入ればかなり危険だ。
――やられる。
脳内に恐怖が走った。と、腕に体が引っ張られた。急に。
花摘丸が闘鑼の剣をさばくと、木剣がバターのように切れた。そのまま体を回転させ、勢いのまま、闘鑼の胸を薙ぎ払う。脚をつっぱり突進の勢いをかろうじて殺した闘羅が、体を思いっきり反らせた。そこに花摘丸の刃が届く。
瞬間、刃筋が伸びた気がした。
「むっ!」
闘羅の気合いが聞こえた。
手応えがあった。飛び退いた闘鑼が、信じられないといった顔になる。軽装の服が切れ、血がしたたった。
「と、闘鑼」
「かすっただけだ。気にするな」
闘鑼は自分の胸を見下ろしている。
「どうやった」
「わかんないけど、体……というか腕が勝手に。剣と心が一体になったような……」
花摘丸を見た。別にこれまでと変わりはない。陽を受けて、刃先が輝いているだけだ。
「なんだこれ」
「斬撃の瞬間、妙に間合いが詰まったぞ。奇妙な太刀筋だ」
「お、俺もそう感じた。まさか……剣が伸びたとか」
「それはない」
闘鑼は唸っている
「
「は?」
「心と技、体が真に一体化したとき、力量を超える力が出せる。剣がお前と一体化したのだ」
伊羅将の脳裏に、言葉が蘇った。
「そう言えば瀧は、この剣に魂が宿っていると言っていた。もしかしたらその……」
「わからん」
伊羅将から花摘丸を受け取ると、闘鑼は振ってみている。
「普通の短剣だ。重量バランスがいいことだけは感じるが……」
剣を返してきた。
「ただ、これで希望の光がわずかに射したな。あの太刀筋ならリンの刺突の勢いを充分そげる。致命傷を避けられるかもしれない」
「物部」
背後から声がかかった。振り返ると、赫蜥蜴斥候任務で世話になった、第一分隊の有田隊長だった。
「面白いことをやってるな、お前ら」
微笑んでいる。
「噂の決闘に向けてか」
「ええ……まあ」
曖昧にごまかした。負けても死なないためとは、話せない。
「だがどうにも、普通とはちょっと違うな、鍛錬の方向が」
瞳が笑っている。ずっと見ていたのだろう。おそらく、なにかに気づいたのだ。もしかしたら、稽古の真の目的について。
「隊長。自分は剣術は初心者です。決闘に勝つ鍛錬以前に、死なない鍛錬が重要です」
「まあ……そうだな」
黙ったままの闘鑼に向け、訳知り顔の笑みを作ってみせた。
「なあ物部。今の一撃、あの太刀筋は興味深い。お前は、長剣より短剣術が向いていそうだ。決闘にもし生き残ったら、物部、斥候隊に志願してみないか」
「じ、自分が……斥候ですか」
「隊長、こいつは王家の客人だ」
成り行きを見守っていた闘鑼が、初めて口を挟んだ。
「最前線に向かう斥候任務は、どうだろうか……」
「まあそう言うな、闘鑼。物部がここ異世界で生き残るには、ネコネコマタ主流を納得させなくてはならない。奴隷ニンゲンといえども、けっこうやるな、ここに置いてやってもいいか、とな。……それには実績が必要だ」
「だがこいつは、すでに王家を救った過去がある。それでも納得しなかった連中が、斥候志願程度で心を変えるとは思えない」
「普通はそう思うよな……」
こちらの肩を、ぽんと叩いた。
「……まあ、俺には考えがある。今はそれどころではないだろうが、落ち着いたら考えてみてくれ」
後ろを向くと、歩き出した。
「いずれにしろ、お前が決闘で生き残ってからの話だ。気を緩めず励め。もう決闘は止められない。中止期限が過ぎるからな」
隊長の声が、早朝の中庭に響いた。
●
隊長と入れ替わりのように、レイリィが現れた。こちらに駆けてくる。遅れて、陽芽も姿を現した。
「闘鑼もいるのですね。……ちょうどいい」
急いで来たのだろう。珍しく、陽芽の息が上がっていた。
「表立っては、わたくしは動けないので」
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