08-2 大海崎和久羅
「ここがリンの……」
少し離れた場所で止まった馬車の窓から、
日当たりのいい丘陵地帯。敷地と丘を区切るのは、植栽された低木だけ。おそらく治安がいいからだろう。ナベシマ貴族として、リンの父親は上手に領地を治めていると想像できた。敷地内に伸びる道の奥に、母屋が見えている。
母屋は想像以上に和風だった。教科書で見た銀閣寺が多層化した感じというか。王家の王宮も和風ではあるけれど、これよりはずっと和洋折衷の感じだった。
――書院造だっけ。あんな感じだな。
習俗から建築物まで、なにかにつけ樹木文化や和風を感じられるネコネコマタの中でも、ナベシマは特にその傾向が強いようだ。貴族と聞くとつい欧風を想像してしまうが、考えてみたら平安時代の日本だって、貴族はいたわけだし。猫又は日本発祥の妖怪なのだから、異世界に進出してもその文化を保持しているのが、むしろ自然だ。
「見事なたたずまいですねー」
伊羅将の視線を見て取ったのか、やはり屋敷を眺めていた瀧が呟いた。
「さすがは武闘派ナベシマ貴族。質実剛健の気風に溢れています」
「瀧んとこだって、すごいんじゃないのかよ。歴史あるクルメ貴族だろ」
「ええウチは古いのはこれよりずっと古いでしょうが……ボロボロですよ」
眉を寄せている。
「もうあちこち穴空いててネズミが出入りしてたり、雨漏りしたり」
想像してみた。ネコ妖怪たるネコネコマタの「巣」でネズミが我が物顔ってのは、なんだか奇妙だ。没落貴族で、修繕したり徹底退治する費用がないのだろうが……。
「そんなことより、気を引き締めてくださいね。決闘相手に直談判なんて、前代未聞なんですから」
釘を刺された。
「わかってる」
開放的な家構えとはいえ、門はある。脇に門番がひとり立っており、近づいてゆくこちらを訝しげに見つめてきた。短剣を装備していて、武装はそれだけのようだ。この間見知った呼子を胸から提げているので、なにかあったらそれで応援を呼ぶのだろう。
「止まれ」
三メートルほどに近づいた頃、制止された。三十代くらいに見えるヒトガタで、ガタイもいいが、聡明そうな瞳だ。
「どちらの御仁かな」
「
務めて穏やかな声を出そうと努力した。
「クルメ関屋は嫡男、瀧と申します」
瀧が頭を下げた。あわてて真似をする。
「ふん……」
顎に手を置いて考えている。それから口を開いた。
「やっぱりそうか。全世界で話題のニンゲン様だ。どこかで見たと思ったわ。関屋殿のご用事ではなく、お前の用だな」
「そうです」
「帰れ」
けんもほろろだ。
「通してください」
「通せるわけないだろ」
「入れてくれるまで動かない」
「頭おかしいのか。今ここに来ても無駄だぞ」
言葉は厳しいが、面白がっているような瞳だ。まあ果たし合いの相手が事前に来るなんて異例中の異例。いい酒の肴だくらいに思っているのかもしれない。
押し問答の末、「母屋に聞くだけ聞いてみる」という流れを経て、結果的に伊羅将は通された。
玄関脇の次の間。応接室とはとても言えない質素な部屋だから、本来主人が使うような部屋ではなく、使用人が出入りの業者と打ち合わせるときに使う場所なのだろう。そこここに、書付の束だのなにかの道具だのが置かれている。
板敷きで、中央だけ畳が敷かれている。そこに陣取ったが、座布団もなにもない。瀧は横できれいに正座し、心を落ち着かせようとするかのように瞳を閉じている。自分とは育ちが違う。こちらは久しぶりで慣れない正座に苦労している。リンを救ってやろうと、それでもなんとか気持ちを強く保っていた。
――おっとヤベ。レイリィの根付だな……。
レイリィに事態がよくわかるよう、根付をさりげなくベルトループにくくりつけた。
やがてふすまが開くと、メイドが入ってきた。その後ろから執事服の男たち。最後に男がひとり。最後の男は四十歳くらいに見える。面影からして、おそらくリンの父親だろう。母親やリンは連れていない。ひとりだけだ。
やや離れて正対して座った。魂を検分するかのように、瞳を強く見据えてきた。そのまましばらく黙っている。
こちらから挨拶するか迷ったが、強い視線に圧倒されて、口を聞けなかった。なにか言おうとしたら、力に負けて、おそらく自分は視線を外す。後ろ暗いところがあるからだと受け取られそうだ。
「
「はい」
穏やかな声色だ。伊羅将は、わずかに安堵した。
「そちらの御仁は、名高き古家、クルメは関屋家のご嫡男と伺ったが……」
瀧に視線を移している。
「関屋瀧です」
通る声で、瀧が名乗った。堂々たる態度。没落しているとはいえ、さすが貴族の嫡男だ。
「茶をいかがかな」
黙ったまま、メイドが注ぐ茶を、互いに味わう。落ち着こうと努めたが、心がリンへの思いであふれるのを、伊羅将は止めることができなかった。
「それで、本日は、いかなる御用で」
一服終えた頃、父親が見つめてきた。
「その……」
なんと切り出すべきか迷った。「戦いたくない」か、「どうして決闘を申し込んだのか」か。途上いろいろ考えていたはずなのに、頭が真っ白になっている。
「リンさんと話したい」
なんとかそれだけ口にした。
「なぜ」
「なぜって……決まってるでしょう。俺と彼女が殺し合う理由なんてない」
「あるから申し込んだ」
あっさりかわされる。
「あるというなら、それがなにか、リンから直接聞きたい」
「不要だ。理由なら私が話そう」
伊羅将は父親を睨んだ。
「どうして出さないんですか」
「どうしてだと……」
鋭く、瞳が光った。
「なぜ
「かたきって……」
「そうではないか。君は娘をたぶらかして、部族の決まりを破らせた。大海崎家にとって敵だろう」
「だれもたぶらかしたりは――」
「している」
「してない」
「している」
言い切ると、また茶を飲んでいる。タイミングを外されて、伊羅将の怒りは、対象を見つけられずにいた。
「なら、こちらからも尋ねよう」
穏やかな口調に戻っている。
「乱入した君を、娘は手助けした。花音様婚姻の席でな。部族の決まりを破ってまでも。……もちろん、君のことが好きだったからだ。だが君はどうだ」
魂の底から睨んでくる。
「物部殿。君は、生涯の連れ合いとして娘と歩む気がないじゃないか」
「連れ合いとか……。お、俺たちはまだ高校生だ。リンなんか中学――」
「ほう。中学生の王女と事実上の婚姻関係になったのに、そう主張するのか」
「それは成り行きで――」
「成り行きで婚姻? 王家に失礼だろう」
ぐっと詰まった。
――違うんだ。そうじゃない。言いたいことがうまく伝えられない。微妙な、ニュアンスの部分が……。
「和久羅様。物部様は、リン様を恋人として大事にしておられます」
黙っていた瀧が、初めて口を挟んだ。
「花音様の件は、正義を貫くため。ネコネコマタ王家に鷹崎の陰謀が及ぶのを防ぐためだったのは、和久羅様もご存知のはず」
「今はその話はしていない」
「では話を戻しましょう」
女性のように澄んだ声で続けた。
「たしかに物部様は花音様の恋人でもあります。しかしふたり以上の連れ合いを持つことは、ネコネコマタでも古代ではむしろ奨励された伝統でした」
関屋家の歴史書にも証拠がいくらでもある。それに現代でも一般的ではないかと続けた。
「今回は相手が王女だっただけのこと。加えてネコネコマタにニンゲン憎しの風評が広がっていた時期が悪かっただけ。どうか冷静に、事実を判断していただきたい」
「そ、そうです。事実を見てください」
「事実とおっしゃるのか……」
口を挟んだ伊羅将に、父親は視線を移してきた。
「外形的にどう見えるか、君は想像もつかないのかな。いいか、誰がどう見ても、君は娘を騙して利用したのだ。娘を踏み台に、王女の婚姻を台無しにし、自らの恋人とした」
「違――」
「娘の助けがなかったら、姫を救えなかったくせに」
それはそうだ。リンやレイリィ、それに陽芽がいなかったら、王家の聖地にたとえ入れていたとしても、瞬殺されていただろう。
「ニンゲンのこの横暴を許すなら、大海崎はお家断絶になる。それが部族の決定だ。それには逆らえない」
「では……リンの気持ちはどうなんだ。納得しているのか」
「これは娘への罰でもある。気持ちもへったくれもない」
「俺にはわかる。リンがこんな決定に納得するはずがない。会わせてくれ……ください」
「何度言わせるんだ。もうご帰宅願おう」
父親が目配せすると、執事服に身を包んだ屈強な男がふたり、伊羅将の脇に立った。
「嫌だ、会わせるまで帰らない」
「伊羅将殿、私を幻滅させないでくれ。娘が好きになった男は、優れた人格を持つと、せめて思わせてほしい」
「そんなの知るか」
なにか内側からの力に押され、伊羅将は立ち上がった。
「リン……リン、近くで聞いてるんだろ。出てきてくれよ。な、話し合おうぜ、そして部族に伝えるんだ。これはすべて誤解だと。リン――」
荒々しく腕を掴まれた。振り払おうとしたが、すごい握力だ。そのまま引きずられるようにして母屋から出され、瀧と共に門外に手荒く放り出された。転がされるようにして。
――くそっ。ガンコ親父めっ……。
立ち上がり、無言で泥を払っていると、先ほどの門番が、同情を含んだ視線を送ってきた。
「だから言っただろ。無駄だって」
伊羅将は答えなかった。とにかく悔しい。
「……なあお前は、王家を救ったヒーローと聞いている。なら、わかりそうなものじゃないか」
「……なにが」
「和久羅様のお立場ってものがさ」
「わかってるさ」
伊羅将は毒づいた。
「あいつは、娘の気持ちなんかガン無視して部族にヘコヘコ従うだけのクソ野郎ってことだろ」
門番は、悲しそうに微笑んだ。
「そうか。お前が能無しなら、もうなにも話すことはない。お前は俺にとっても敵だからな。すみやかに去れ。……二度と来るなよ。神聖な決闘を汚すような真似を繰り返せば、お前の名声は地に堕ちるぞ」
「名声なんかクソだ。それより無意味な殺し合いを止めるほうが大事だろ」
「伊羅将くん……」
瀧に、そっと腕を押さえられた。
「もう止めましょう。ここで騒いでも、それこそ無意味です。戦略的に動かないと」
「くそっ」
瀧の言い分が正しいに決まってる。どうせ自分は、ただの興奮したガキだ。駄々っ子のように泣き叫んだって、世界は一ミリだって動かない。
泣きたい気分のまま、レイリィの待つ馬車に、伊羅将は足を向けた。
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