08 夜に来た花音

08-1 六脚馬車激走

「ほんとにいいのぉ、伊羅将いらはたくん」


 飛ばしに飛ばす六脚馬車の座席で体を揺らしながら、レイリィが不満げな声を上げた。


「平気さ。リンの実家に『遊びに』行くだけだし」


 そう答えたものの、実は不安だ。そもそもネコネコマタの国は、自分にとってアウェイ。なにせニンゲンたる自分は、基本的に「下僕」「奴隷」と見下されている。いくら王女の恋人とは言えど、それは痛いくらい感じている。しかも果たし合いの相手に直談判に行くのだ。


 本音を語るなら、震えそうなくらい不安なのだ。でも今は、それを表に出すわけにはいかない。


「でも、決闘相手の家だよ」

「そりゃ……そうだけど、そもそもそれが間違ってるだろ。なにか」

「けどさあ、陽芽ちゃんに釘刺されてるじゃない。勝手に動くなって」


 王宮で持たれた「緊急会議」を、伊羅将は思い返した。


          ●


「イラくんが……リンちゃんと果たし合い」


 会議の席で、花音は珍しく動揺していた。お茶をこぼしてプリンセスローブを濡らしてしまったくらいだ。


 例によって闘鑼を加えた伊羅将チームで状況を再確認したのだが、先ほどからお茶を大量に消費しただけで議論は堂々巡り。ただはっきりしたのは、「決闘である以上、避けることは難しい」という一点だけだ。


「仮にだよ。仮に」


 伊羅将は声を張り上げた。


「事態が本当に避けられないとしてさ、なんとか双方無傷とかにできないのかよ。ヤラセでもなんでもいいからさ」

「無理だ」


 不機嫌そうな闘鑼に一蹴された。


「話題のニンゲン様の果たし合いだ。ネコネコマタ全体の興味の的になるに決まってる。というかもうなっている。全世界が観戦すると考えたほうがいい。八百長なんかしたら、すぐバレる。そもそも素人も同然のお前が、プロの目をごまかせるような手加減など、できるはずがない」

「そんなことをすれば、お兄様は嘲笑の的。お姉様どころか王家全体の権威が失墜し、人類殲滅派の思うがままかと」

「じゃあどうするんだよ」

「お兄様が大海崎家の相手を倒すのです」

「リンが死ぬじゃないか」

「仕方ありませんわ」


 陽芽は溜息を漏らした。


「申し込んできた相手が悪いのです。それに――」


 見つめられた。


「冷静に判断して、倒されるのはお兄様かと」

「武闘派ナベシマ族とニンゲンだ。チャンスはないと考えるのが、まあ自然だな」


 闘鑼の声に、重い沈黙が、合議の間を支配した。外から聞こえる鳥の啼き声が嫌だった。まるで日常だ。こっちはとんでもない事態に巻き込まれているというのに。自分が死んでも、あの鳥は無邪気に啼き続けるに違いない。


「バカらしい」


 茶のカップを、レイリィがテーブルに置いた。


「今度こそ私、飼い主として命令するわ。果たし合いなんて、させないから」

「レイリィさん、何度も言ったようにそれでは――」

「ネコネコマタがどうなろうか王家が没落しようが、知ったことじゃないし。こっちは命が懸かってんの。伊羅将くんだけじゃない。伊羅将くんが死ねば、契約者たる私だって困るもん」

「まあ待て」


 宿敵たる仙狸の皇女を妙に気に入っているらしい闘羅が、止めに入った。


「要は勝ちゃいいんだ。それなら伊羅将もお前も無事。王家の権威にも問題は出ない」

「勝てるわけないって、言ってたじゃん。さっき」

「普通はな」


 闘羅は、顎を撫でてみせた。


「十中八九、相手は人型だろう。そこにチャンスがある。相手が部族型で来れば、お前は瞬殺だ。なにせナベシマ貴族の娘だぞ。……姫様の婚姻騒ぎのときに、俺はあいつと戦ったからな。その実力もよくわかる」

「どうして人型だと思うんだ。人生の勝負どころは、部族型だって聞いたぞ。実際リンだって、花音を救うときは部族形態に変身した」

「ああそうだ」


 闘羅は認めた。


「果たし合いでは部族形態で戦うのが、たしかに一般的だ。だが、今回はお前、つまり王家の客人が相手だ。王家は基本的に一生人型のままで、部族形態に変身するのは、秘跡絡みの極めて稀な例と聞く。王家に敬意を表すために、おそらく人型で来る」

「花音もそう思うのか」

「うん……多分」


 頷いたが、瞳を陰らせたままだ。恋人と友達が決闘するのだから、当然の反応だろうが……。


「花音様のご判断のとおりさ。相手は人型。うまく立ち回れば、千にひとつの勝ち筋はある」

「そんなんじゃ話にならない」


 レイリィが大声を上げた。


「千に千の勝ち筋にならない限り、私は決闘禁止を命令するから。反すれば伊羅将くんは契約違反でしなびて死ぬ。あなたたちだって、それは嫌でしょ。ネコネコマタ全体に嫌われたっていい。伊羅将くんは私と人間社会で生きていくから。……それにリンちゃんだって、仲いいもん。殺し合いなんか、まっぴら」


 仙狸皇女の言葉に、皆ただ唸るばかりだった。


         ●


「ぼーっとしちゃって。聞いてた? 私の話」


 大海崎家に向かう馬車の中で、伊羅将はレイリィに頭をはたかれた。


「聞いてたさ。……ちょっと会議を思い出してただけで」

「リンちゃん家に行くなんて、向こうも困るじゃん」

「……なんとか考えるから勝手に動くなと、陽芽には言われたけどな。会議の場で」

「伊羅将さ……くん。レイリィさんの言うとおり、おとなしくしていたほうが良かったんじゃあ……」


 レイリィと共に同乗している関屋瀧が、遠慮がちに口にした。


「殺されるか相手が死ぬかの決闘を待てってか? それともレイリィに命令されて情けなく逃げるのか」


 そもそもリンが自分に命の取り合いを申し込むのは、どえらく不自然だ。皆には明かさなかったが、決闘騒ぎの直前には泊まりに来てイチャついて帰った。あのときだって、実家絡みでくさくさしていると語っていた。親の圧力かなにか、絶対裏があるはず。それは陽芽も同意見で、探るからおとなしくしていろと釘を刺されていたのだ。


 でも満腹のネコのようにぼんやり待つ気はない。リンは、なにか困った立場に追い込まれている。それを救えるのは、自分以外にないはずだ。伊羅将は、窓の外を窺った。


 ネコネコマタの国特有の、輝く葉を持つ大木が、枝を広げて連なっている。ここはナベシマの族都に向かう街道だ。目立たないよう、同行はレイリィと瀧だけ。こっそり王宮を出て、例の大木「導管」を抜け、ナベシマの里に。手配してあった馬車で、リンの家に向かっているところだ。道案内から手配まで、すべて瀧に頼んだこと。友達になっていて助かったと、伊羅将は実感していた。


「あとどれくらいですか」


 窓から顔を出して声を掛けると、露天の前席に陣取った御者が、伊羅将に振り返った。ガタイがいいのは、多分想像以上に体を使う仕事だからだろう。


「いっときでさあ。飛ばしやすんで、へい」

「よろしくお願いします」

「へい」


 前を向く。もう伊羅将を見もしない。



「決闘相手の家にのこのこ押しかけて、危険じゃないのかなあ、はあ。瀧くん、どう思う」

「そうですね」


 瀧は考えていた。


「過去のいろいろな果たし合いについて書物で調べた範囲では、危険はないですね。そもそも復讐とかいがみ合いをルール化したものが決闘ですから、申し込んできた以上、本番まではどんな形であれ手は出さないかと」

「そうお?」


 レイリィはあまり納得してないようだ。


「決闘前にちょっかい出したら、貴族の誇りを傷つけたってことで体面を失い、向こうは部族内での地位も失うでしょう」

「なっ。大丈夫なんだよ」

「そうなのかなあ……」

「もうすぐ着きやすぜ、旦那」


 御者の声がした。


「わかりました。……じゃあ作戦だ。レイリィはここに残れよ」

「なんでさ」


 ふくれっ面になっている。


「契約者たる伊羅将くんが心配だもん。ついてって、なにかあったら暴れるから」

「仙狸が出てきたら、話ややこしくなるだろ。お前や俺と仲いいってんで、リンはいろいろ言われてるんだから」

「なら、せめて根付は持っていってよね。でないと……」


 嫌な笑顔だ。


「な、なんだよ」


 耳に口を寄せてきた。


「こないだ、リンちゃんとエッチなことしてたの、みんなにバラすから」


 聞こえるか聞こえないかの小声だ。


「お前なあ……」

「根付はいいよねえ。ぜえーんぶ、見えるから……」


 涼しい顔してやがる。くそっ。なにもかも覗き見しやがって。もうあの根付、捨てるぞ――って、飼い主様が捨てさせてくれるわけないか。


「わかったわかった。くそっ」

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