07-3 発情の「お相手」

「やっと終わったか……」


 重い工具箱を抱えて、伊羅将いらはたは寮の廊下を歩いていた。男子寮のシャワー、夜中に壊れたからなんとかせいとか言われて、駆り出されたのだ。


 マジの寮母は女子寮寮母が兼ねているのだが、夜中は対応が無理。その点、自分なら「ただの押しかけ寮母」だから、遠慮会釈なく使えるってわけだ。


 こっちは異世界でこき使われたりモンスターに襲われたり非日常に振り回されているってのに、勘弁してほしい。水道なんかどうでもいいだろ、一晩シャワー浴びないくらいで死ぬわけじゃなし。こっちはこないだマジで死ぬところだったんだからな。トカゲに襲われて。


「そもそも夜中にシャワーなんか使うなっての」


 原因は、どうやら誰かのイタズラ。水道の元栓が閉めてあっただけだ。愚痴りながら寮母室のドアを開けると、部屋の真ん中に誰か立っていた。こちらを見て、驚いたように飛び上がる。


「おっ脅かすな」

「……えっと」


 立っていたのはリンだった。部屋着らしい、ゆったりした薄手のトレーナー姿で。伊羅将の瞳から、視線をそらしている。


「驚いたのはこっちだ。……なにしてんの、お前」


 後ろ手で、ドアを閉めた。裏庭に通じるドアがあるため、この部屋は女子でも気軽に出入りできる。どうにも、合鍵が出回っているのには困り果てている。自費で鍵を付け替えてもいいのだが、どうせ陽芽がすぐ対応して、またぞろ配りまくるに違いない。


「別に」


 瞳を逸らした。なんだか髪がしっとりしていて、今晩は妙にきれいに見える。


「別にって……」

「お前、斥候は大変だったらしいな」

「まあな」


 思い返すと、溜息が出た。


「伊羅将お前、頑張ってるじゃないか」

「もうこりごりだけどな」

「……そうだ。茶を淹れたからさ、飲んでみてくれ」


 思い出したかのように口にする。見るとたしかに、テーブルにお茶のセットが出されており、冷めないようにか、ポットがタオルでくるまれていた。


 ほっと息を吐くと、伊羅将はベッドに腰掛けた。リンの隣に。テーブルを引き寄せ、場違いに豪華な紅茶カップにお茶を注ぐ。このカップは陽芽が持ち込んだものだ。なんでも王家の紋章が記された品で貴重らしいが、自分的にはどうでもいい。


 ひとくち含んだ。うまい。香りも最高だ。飲み下した後も、鼻に抜ける香りがまた格別だ。バラを彷彿とさせる華やかさがあって。


 そう告げてやると、リンはうれしそうな顔になった。


「大海崎家特製の茶葉を使ってるんだ。領地で採れる最高級のリーフだからな。ナベシマ族長だけでなくネコネコマタ王家にも献上してる品だぞ」

「へえ……」

「ネコネコマタではな、決戦前の会議とか、重要な節目にこうしてお茶を飲んで対話するんだ」

「それはいつか聞いたよ。……で?」

「いや斥候で辛かっただろうし、話相手でもどうかなってさ」


 ――なんだ、リラックスさせに来てくれたのかな。


 例の事件を、ひととおり話してやった。斥候隊の一部兵による嫌味や意地悪に、リンは心から憤ってくれた。自分が噛み付いてやるという申し出を、伊羅将はていねいに断った。女に尻拭ってもらったとか、かえって悪評が広まるのは明白だ。それにそもそも、噛み付いても今さらなにか解決するわけでもなし。


「もう遅いぞ。一時前だ」


 その後も雑談に移って延々話し続けるので、話の区切りを見てやんわり告げた。


「だからなんだよ」


 なぜか、ムッとした顔だ。


「いや俺もそろそろ眠いし」

「んじゃあ仕方ない。寝るか」

「寝るかって……お前」


 伊羅将の視線を受けると、少し顔が赤くなった。


「なんだよつれないな。あたしだって遊びに来ていいだろ。陽芽様とか花音様とか、ここに泊まってるって話じゃんか。レイリィに聞いたけど、あいつだって頻繁に――」

「わかったわかった」


 腕を振って止めながら、伊羅将は困惑していた。


 やはりこの言い方だと、どうも泊まりに来たようだ。なんのためだろうか。陽芽ならプレイ目的だし、花音は純粋な「友達泊」だ。一時いい感じになったものの、結局まだ停滞中だし。


 レイリィにしても同様。もっぱらひとりで酒飲みまくり、話し相手させられるパターンばかり。夢の中だけだ、キスするのは。


 それにリンとは経緯上「彼氏彼女」扱いだが、恋愛方面にもエロ方面にも、特段大きな進展はない。


 ――考えてみれば、女子がとっかえひっかえ泊まりに来るのに、自分、驚くほど清らかじゃん。修道院かっての。


「便利な下僕」扱いの自分に今さらながらに気づいたが、とりあえず今は、目の前のリンをどうすべきか考えなくてはならない。


「なに黙ってんだよ、伊羅将。お前、あたしとエッチしたいんだろ。なら……し、してみるか」


 悪い笑顔だ。冗談か本気か、ちょっとわからない。


「その気ないだろ、お前。前、胸触ろうとしただけで噛み付いたくせに」


 とりあえずそう言ってみた。


「こないだは触らせてやったじゃないか。ほら、王宮裏の山の上で」

「そうだけどさあ……」

「……ょうだ」

「は?」

「……じょうだ」


 なにかゴニョゴニョ口ごもっている。


「はっきり言えよ。リンらしくないぞ」

「発情だって、言ってんだろ。アホ」


 むっとしている。


「なんだって?」

「発情するんだよ」

「誰が」

「あたしだよ。お前、頭ワイてんのか」

「発情。お前が」

「そうさ。今日、これからだ。だから相手しろ」


 なぜか勝ち誇ったような口調だ。言い合いに興奮しているのか、瞳が輝いている。


「その……薬は。発情抑制の」

「き、切らしててよ」

「陽芽か誰かにもらえよ」

「いいんだよ。――それともなにか、あたしの相手は嫌なのか」


 鼻息が荒い。


「いやそんな、逆ギレされても……」

「いいか。ともかく頼むぞ。お前には貸しがあるからな」

「貸し……」

「ああ。花音様をサミエルから救ったとき、お前を手助けしてやったろ。あの礼、なんでも言うこときくって言ってたじゃないか」


 たしかにそんな覚えはある。


「それはそうだけど……」

「いいじゃんか。あたしはお前の彼女だぞ。花音様とはキスしたくせにっ!」


 急に抱き着いてきた。


「いてててっ! 胴体を締めるな。――柔道かよ」


 シャワーを浴びたばかりなのか、いい香りがする。髪がしっとり見えていたのは、風呂あがりだったからなのかもしれない。それに体の形も感じるし。……ただハグと呼ぶには、あまりにも強すぎだ。


「わりい。やり方がよく……。こ、こうか」


 腕の力を緩めた。


「そうだけど。……お前、本気なのか」


 黙ったまま頷いた。リンの瞳には切実な願いが宿っている。伊羅将は迷った。これは古来いわゆる「据え膳」って奴だ。リンが自分を好いてくれているのは間違いない。好かれていてうれしい。


 それに男としての欲望がある。正直、そろそろ我慢できそうにない。


「……本当にいいのか」

「伊羅将……」


 リンの唇が近づいてきた。ゆっくり。触れ合う寸前には、瞳を閉じて。


 ――柔らかい。……女の子だな、リンも。


 伊羅将が応えると、リンが吐息を漏らした。熱い。次第に高まってくる自分を、伊羅将は持て余していた。やはりもうダメだ。


「リン」


 息も荒く、ベッドに押し倒した。


「伊羅……将」


 トレーナーの胸に置いた手を、そっと動かす。下着は着けていない。理由はもちろん、自分と関係を持つつもりだったからだろう。


 それがわかると興奮した。黙ったまま瞳を固く閉じて、リンはされるがままになっている。


 励起した欲望のままにねちっこく触っていると、次第に胸の中心が硬くなり手のひらを押し返してくるようになった。


 ――くそっ。もう知らん。


 トレーナーの裾へと、手をずらした。

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