07-2 窮地

 ――落ち着け、考えるんだ。


 伊羅将いらはたは、自分に言い聞かせた。ただの怪物ではない。複数で狩りをする連携が取れている。それに刃物が危険だと判断している。知性のないタイプとはいえ、そこそこ知能があるに違いない。


 ということは、自身の安全を最大限確保しながら、こちらを狩ろうとするだろう。おそらく間合いを詰めながら様子を見て、隙があれば飛びかかってくる気だ。一気に来ないのは、直立での移動も動きも苦手だからと判断できる。


 ――やはり連中、本来は四つん這いのがやりやすいんだ。でもここは足場が悪いから、立たざるを得ない。そこにチャンスがありそうだ。


 少しだけ力が湧いた。


 大きなほうが威嚇音を発した。口をかっと開き、牙を見せつけるように吠えている。鉱物食ということは、牙が鋭いだけでなく、顎力は強いだろう。咬まれたら、腕の一本や二本、すぐもげるに違いない。実際、顎ががっつり左右に膨らんでいる。顎の筋肉が強大な証拠だ。


 だが体型からして、胴体や手足の強さはなさそうだ。つまり咬みつき攻撃さえなんとかしのげばいい。直立によって、動きも鈍っている。前脚に鋭い爪は見えない。そちらの危険性は、とりあえず考慮しなくて良さそうだ。隠していたらそれまでだが……。


 微かに叫び声が聞こえた。物部と、名前を読んでいる。


「こっちだ。トカゲ野郎に狙われてる。二体だっ」


 叫び返すと、背後遠くで音がした。草をかき分け、走ってきているようだ。


 もう少しだ。もう少しこのまま膠着させておければいい。


 だが、妖怪も援軍の気配を感じたようだ。ふらつく足取りながらも、大きな個体飛びかかってきた。一気に勝負を決めるつもりだろう。


「わっ!」


 花摘丸を振り回した。二足歩行状態なのに、蜥蜴野郎は器用にステップバックして避けた。体が柔軟なのだろうか。振り子のように体を振ると、上体を倒すようにして、咬みつきにきた。


「わわわっ!」


 かろうじて、剣で受けた。というか相手は剣を咬み込んでいる。


 生臭い鼻息がかかった。ぐるぐる動く瞳がこちらを捉えた。緑色の猫目で、翡翠のように美しく輝いている。


 もう一体は襲いかかってこなかった。足場が悪いせいだろう。様子を伺っている。


 ――くそっ。


 つるっぱげ銅像での解説を、伊羅将は思い出した。全身の力を腕に込めて、思いっきり柄を捻る。


 老木を叩いたような手応えがあった。雄が飛び退く。


 剣の櫛歯から、歯が何本か地面に落ちた。剣のように叩き折ったのだ。


 唸ると、頭を振っている。憎々しげに、こちらを睨んで。


「物部っ」


 声が近い。


 小さなほうが一声高く鳴くと、歯を折られた奴はバッタのように飛び退いた。そのまま四つん這いになる。二匹は北道を這い戻り始めた。


「大丈夫か、物部」


 伊羅将の横に、ふたり立った。近衛兵だ。岩棚からずれて背後を見ると、続いて斥候隊も追いついてくる。


「怪我は」


 隊長が叫んだ。


「あ、ありません」

「よし」


 言葉だけでなく、自ら伊羅将の体をひととおり確認してから、隊長は彼方を睨んだ。


「あの二体以外はいたか」

「いえ、あれだけです。あ、あれは……赫蜥蜴ですか」

「ああ。成体だ」


 今になって、どっと恐怖があふれてきた。また足が震え始める。きっとアドレナリンが大量に放出されたためだ。


 近衛兵のひとりが、地面に落ちた歯を拾い上げた。


「どうやって戦った」

「あの……」


 なんとか息を整えた。


「剣をくわえてきたので、捻って歯を折りました」

「赫蜥蜴は毒腺を持つ。咬まれると、管状の牙から死の猛毒が注入される。それなのにお前、よく近接戦闘できたな」

「間合いの短い短剣だぞ。咬まれるのが当然だ。怖くなかったのか」


 もうひとりの近衛兵も付け加える。


「その……。毒の話は聞いてませんでした」


 近衛兵たちは、大声で笑い出した。


「お前、変な奴だな。それにあの牙、なかなか折れるもんじゃないぞ。なあ隊長。そうだろ」

「そうだ。……やはりその剣だからだな」


 斥候隊の隊長が、感心したような声を上げた。


「あれはつがいだ。おそらくあの幼生の親。群れとはぐれた子供を探していたのだろう」

「なるほど」

「この牙は、洗って持ち帰れ。お前の戦利品だ」


 近衛兵に渡された。


「は、はい」

「それにしても……」


 隊長は、厳しい表情をまだ崩していない。高杉に向き直った。


「お前。物部と残ったのに、なぜひとりで先行した」

「いえ、靴ずれ治療が終わってもこいつが戻らなかったんで……。すぐ追いつくと、隊長にも申し上げたはずです。まさか数分で蜥蜴野郎が現れるとは……」


 恐縮し切った声だ。


「なぜ物部を襲ったと思う」


 高杉の表情からなにかを探るように、隊長の瞳が動いた。


「わかりません」

「なにか誘引するものとか――」

「隊長。幼生を探していたなら、気が立っています。数分もくそも、見かけたら襲ってくるのではないでしょうか」

「うむ……」


 隊長はしばらく黙った。高杉の抗弁を検討していたのかもしれない。


「それに自分は、妖怪の存在は気づきませんでした。申し訳ありません、隊長」


 高杉は直立不動だ。


「いくら無事で済んだとはいえ、結果論だ。お前のその判断の甘さは、後で報告しておく」

「はいっ。隊長」


 安堵を感じさせる声だ。言いながら、こちらを横目で見ている。


 伊羅将は、なんとなく嫌な気分になった。

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