03-3 諫早の天啓

「くそっ。いまいましいニンゲンめっ」


 王宮内に設けられた訓練生寝室で、諫早いさはやは吐き捨てた。紳士決闘から数日経ったのに、伊羅将いらはたに突かれた背中がまだ痛む。


「諫早様。あれは運が悪かったんですよ」


 椅子に座り込んだ諫早の許に、龍造寺一本りゅうぞうじいっぽんが茶を持ってきた。


 頼み込んではみたが、隊長の決定は覆らなかった。準備が間に合わないと訴え、かろうじて数日ほど滞在を延ばしてもらえた程度だ。


「見ていましたが、諫早様、一方的に押してましたから。貴族らしい、見事な戦いぶりでした。奴隷野郎ときたら、逃げるばかりで……。ただ最後だけ運が悪かった。相手は卑怯にも後ろから突きましたからね」


 すり減りそうなくらい、揉み手している。


「まあ……それもそうだな。背後から狙うなど、こずるい奴隷ならではの卑劣さだ。ムカつくっ」


 倒れた自分を見下ろす奴隷の姿を思い出すと我慢できず、諫早は服掛けに蹴りを入れた。派手な音を立てて、床に倒れる。それを持ち上げた。


「あの奴隷、クソ野郎、野蛮なニンゲンめっ」


 剣のように持った服掛けで、茶卓を薙ぎ払った。茶道具が飛び散る。茶卓を何度も何度も叩いた。


「こんな風にあいつを壊せたら……」


 さらに続ける。


「くそっ。やってやるさ。いつかなっ」

「い、諫早様。ヤバいですよ。物音で誰か来たら――」


 一本はオロオロしている。構わず、諫早はそこら中を破壊して回った。息が上がって倒れそうになるまで。


「はあ……はあ……くそっ」

「とととにかく落ち着いてください。大丈夫ですって」

「なにが大丈夫だ。お前だって親父の残虐さ、知ってるだろ。俺は殺される」

「平気ですよ。卑怯なニンゲンが後ろから突いた。それは事実ですから。試合を見てない親父さんなんか、それでごまかせますって」


 大暴れで疲れたので、少し落ち着いた。とにかく父親をどうごまかすかが、今はたしかにいちばん重要だ。諫早は寝台に座り込んだ。


「問題は親父か……」


 厳しい父親の顔を、諫早は思い浮かべた。貴族としての世間体をなにより気にする男だ。負けて帰ったとなると、どんな処罰を受けるか、わかったものじゃない。


「いや。決闘の件は秘密だ」

「戻らされた理由はどうします」


 思いつきを、諫早は説明した。剣技も知能も優秀すぎるから、もう教えることはない。こんなところで時間を潰さず、戻って部族のために働け――。そう隊長に命令されたことにすると。


「さすが諫早様。悪知恵だけは働きますね。……いやその、頭が良くていらっしゃるという意味で……」


 睨んでやったら、言い訳し始めた。


「それにしてもあいつ……。許せん」

「満場で恥かかされましたからね」

「よりによって仙狸なんかの前でな」

「本当ですよ。宿敵たる仙狸を王宮に入れるなど。名立たる澄水すみず王も、さすがにモウロクしたと――」

「バカ者っ。統合王は尊敬しろ。……形だけでもな。誰かに聞かれたらどうする」

「し、失礼しました」


 青くなっている。


「あのニンゲン殺してやりたいが、手は出せない」

「そりゃ英雄ですからね」


 能天気な一本の脚を、諫早は蹴飛ばした。


「……いえ、英雄とされてるって意味です。すみません……」

「バックに王家もついてるしな。花音様の恋人だし。くそっ」

「どうでしょ。あいつを失脚させるってのは。王家から追い出せば、いくらでも謀殺できますし」

「うむ……」


 そのシナリオを、脳内で検討してみた。バカな一本にしては、マシな発想だ。


「それならまず、大海崎だな」

「ナベシマの小娘ですか」

「ああ」


 ひとつのアイデアが、諫早に舞い降りた。続ける。


「あいつ人類殲滅派のナベシマ族のくせに、野郎の味方しやがってムカつくし」

大海崎おおみさきリン……でしたっけ、名前」

「それにあいつを潰せば、ニンゲンへの風当たりも強くなる」

「素晴らしい。悪知……いえ最高の戦略です」


 将来自分の側近になるに違いない男のバカさ加減に、諫早は溜息をついた。だがこれほど知恵足らずな奴なら、少なくとも裏切りは心配しなくていいだろう。


「……まあいい。一本、お前も悪気はないだろうからな」


 心の広い諫早様とかなんとか、一本がおべんちゃらを口にした。


「で、具体的にはどう動くんですか。諫早様」

「いいか、お前はまだここで鍛錬できる。奴隷野郎の動向を、逐一俺に伝えろ」

「諫早様は」

「俺は実家に戻り、金をばら撒いてナベシマの裏事情を探る」

「探ってどうするんで」

「大海崎家の部族内での立場と、弱みを探る。そこをうまく突けば、リンとかいうバカを潰せるだろ。そうすれば人間野郎が焦って変に動く」

「ふんふん」

「奴隷のくせに越権行為だとか煽って、王室を揺さぶればいい」

「それくらいで潰れますかね」

「他の部族にも手を回すさ。ニンゲン台頭を快く思わない奴は多いからな」

「なるほど」

「王女の恋人といっても、結婚できない身の上だ。それに花音様自体、そもそも廃嫡されたからな。ふたりそろって人間界に追放させ、ネコネコマタの国への出入り禁止を決議させればいいんだ」

「さすが諫早様。わ……いえ、素晴らしいです」

「それに……そうだ、いい話がある」


 諫早は、天啓のように思い出した。人類殲滅派の仲間と父親が秘密の会合を持ったとき、廊下で立ち聞きした噂だ。こいつは使える。あの野郎を始末するのに……。


「なんです。それは」

「花音様をダマした男を知ってるだろ」

「もちろん。鷹崎サミエルとかいうクズ野郎。もうとっくに処刑されてますよ」

「あの男の死体が消えたって話さ」

「死体が……」

「ああ。頭だけな。そしてそれは今、俺の親族が所有している」

「なんです」


 首を傾げている。


「お守りにでもするんでしょうか」

「いや……もっと面白い実験を進めてるようだ」

「実験……」

「ああ。そいつをうまく担ぎ出せば、万事解決するかも。……いや、確実だ」

「どうやって――」

「焦るな。そうだ。予定を早めて、俺はもう今晩立つことにする。いろいろ忙しくなるぞ……」

「さすがは諫早様」


 追従の笑みを、一本は浮かべた。


「悪知恵だけは働きますね」

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