04-3 リンの告白

 模擬決闘。「殺す気で来い」と睨んでくるリンの瞳を見つめながら、伊羅将いらはたは考えた。どういう戦術で行こうかと。リンは素早いし、体の柔軟性にも優れているはず。しかし小柄だし、しょせんは女子だ。体格や筋力では、こちらに分がある。それを生かさない手はない。


 この戦いは、要は体術だ。斬られる恐れはないので、間合いを気にする必要はない。なら組み付いて押し倒す。寝技の要領で固めてしまえば、相手の素早さを殺すことができるし、体格に勝るこちらが優位だ。


「じゃあぁ――、はじめっ」


 花音の合図で、伊羅将は足を踏ん張った。リンのことだ、どうせ突っ込んでくるに違いない。ギリギリでかわしてセーラー服の袖を掴み引き倒せばいい。


「うおーっ」


 案の定、リンは突っ込んできた。目を見開いて動きを見、作戦どおりギリギリでかわす。そのまま袖を取ろうとしたが、リンは左足を前方に突き立て軸足にして、慣性を生かして体をもう回転させていた。伊羅将の手が宙を掴む。


 ――速い!


 そのまま後ろにひと跳びして距離を取り、体勢を立て直すと、また突進してくる。拳を握り締めて。きっと殴ってくるつもりだ。


「くそっ」


 ――イチかバチかだっ。


 よけずに、伊羅将は頬を殴らせた。体重が軽いくせに勢いが乗っているから、けっこう痛い。視野に火花が散って、頭がくらっとした。それでも意外だったのか、リンがひるんだ。その一瞬の隙をついて、殴ってきた腕を抱えて引く。重心が乱れて傾いた相手に体重をかけ、そのまま押し倒した。


「伊羅将っお前っ」


 逃れようともがくリンを、袈裟固めにしようとした。暴れるので王宮に続く緩やかな斜面にかかってそのままふたり、抱き合うようにして転がってしまった。


 言葉にならない叫びと共に。まるで樽転がしだ。なにか花音が叫んでいるようだが、よく聞き取れない。リンの荒い息遣いを感じる。


 数秒経つと踊り場のような平坦な場所に落ち着き、体は止まった。だが、気がつくといつの間にかリンが上になり、逆に体を固められている。袈裟固めに似ているが、腕を取った奇妙な固め方だ。おそらくネコネコマタの体術なのだろう。逃れようとすると肩関節が痛む。どうやら勝負があったようだ。


「はあ……はあ。い、伊羅将……」


 リンの熱い体を感じる。しなやかな腕や体、控えめだが柔らかな胸も。制服のスカートはまくれ上がって、裸の腿でこちらを締めている。


「お前、抱き着いてきたな。へへっ……あたしのことが好きなんだろ」


 息を整えながらも、リンは微笑んだ。


「い、いや。防御……しただけだし」


 息も絶え絶えで、なんとか答える。息が整うのも、リンのほうが早い。鍛え方自体からして、全然かないそうもない。


「隠すなって」


 リンが笑うと、当たっている胸が揺れた。


「ここなら姫様には聞こえない。存分に告白すればいいさ。……あたしはな、お前のためなら死んでもいいと思ってる」

「俺は……」


 自分はどうだろう。花音のためには死んでもいいと、王家の聖地で思った。リンに対してはどうか。そこまで真剣に想ってないなら、リンの純真なネコネコマタ心をもてあそんでいるだけではないのか。クルメの姫様をダマした悪いニンゲンのように。


 伊羅将はうなった。


 リンと魂が結びついている自覚は、花音ほどはない。でも手放したくはない。リンもレイリィも。誰か別の男のものになると考えると、なぜか辛い。この気持ちは、倫理を超えたところにある本能だ。それに従うままでいいのだろうか、獣のように。


 この気持ちを、実は持て余していた。実際、どうすべきなのだろうか。しばらくこの感覚を許してやるべきか。まだ判断できないから。そのうちに落とし所も見つかるはずだ。


「嫌いなのか」


 畳み掛けてきた。


「いや」

「好きだろ」

「……好きだな。どちらかを選べと言うなら」


 つい本音を明かしてしまった。少なくともそれに嘘はない。


「安心しろ」


 優しい声だ。


「あたしはお前の彼女だからな。ま、少なくとも、あとしばらくの間はだが」


 照れ隠しのように微笑んだ。


「ほら、寝技を喰らえっ」


 ふざけるように、さらに胸を押しつけてきた。


「ちょっとなら胸触ってもいいぞ」

「いいよ」

「遠慮するな。胸を押しのけないと、外せないだろ」


 さらにぐっと突き出す。たしかにそれもそうだ。


 右手で胸に触れると、リンの力が弱まった。


「うまいぞ伊羅将」


 そっと揉んでみる。芯を感じ、花音などと違いたしかに小さいが、それでもこちらを夢中にさせる、なんらかの魔法がかけてあるようだ。伊羅将は、思わず無言になった。


「ぷぷっ」


 リンは噴き出した。


「く……くすぐったい。ま、まいった」


 笑いながら、拘束を解いた。そのまま上向きに寝転んでしまう。ふたり鯉のぼりのように並んだ形となった。


「伊羅将。お前には、あたしの胸を育てる義務があるんだからな」

「……わかってるよ」

「なんだ遠慮して」


 横たわったまま、こちらの表情を読もうとする。


「出逢った最初の頃は、なにかってえと、すぐ触りたがったくせに」

「なんか……仲良くなったら、かえって触りにくくなった」

「なんだそりゃ。遠慮みたいなもんか」

「ちょっと違うんだけど……」


 考えた。そう。自分でもニュアンスを掴みづらいが、あえて表現するなら、大事に思う気持ちだ。でもそう言い切ると、やはりなにか違う。型に合わないいびつな部分が、こそぎ落ちてしまう。なにか大切な部分が。


 いずれにしろ口に出すのははばかられた。なんたって恥ずかしい。


「まあいいや、ほら」


 手を取って今一度胸を触らせると、リンは起き上がった。服についたホコリや土を払っている。


「また今度触らせてやる。そんときまでお預けだ。逆落としもな」

「さかさおとしぃ? なんだそりゃ」

「なんでもない。気にすんな」


 花音に手を振っている。茶卓の前で、花音も振り返した。空は高く、済んだ空にちぎれ雲がいくつか浮かんでいた。高空は風がないのか、ほとんど動かない。海のきらめき、優しい薫風、リンの息遣い――。この日を忘れたくはないなと、伊羅将は思った。


「物部」


 背後から、急に声をかけられた。振り返ると近衛隊長が立っている。後ろにふたりほど従えて。返事の礼を返したが、なぜか不機嫌そうな表情だ。


「お前に勅命ちょくめいが下った」


 ぶっきらぼうに続ける。


「勅命……」

「斥候だ。詳しくはこいつらに聞け」


 それだけ言い残すと、すたすたと歩み去る。


「伊羅将が戦地に……」


 リンが手を握ってきた。常ならず真面目な顔つきで。

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