02-4 決闘
扉が空いた。
暗い控室から表に出たので、とにかくまぶしい。芝桜のキツい桃色が、目に焼き付くかのようだ。春の風の香りが、一気に鼻孔に広がった。
「がんばってよ伊羅将くん」
後ろに控える仲間から、レイリィの声援が聞こえた。
「伊羅将くんが死んじゃったら、精をもらえなくなる私だって同じだし」
「えっ」
思わず振り返った。
「それはどういう――」
「周囲を見ろ、伊羅将。雑念を払って深呼吸。心を整えるのだ」
両足を開いて、しっかり踏みしめるように立つ。言われたとおり、周囲をゆっくりと見回した
観客は数十人。稽古仲間だけでなく、ニンゲンが決闘するというので面白がったのか、非番と思われる近衛兵の一団。あと王宮の使用人の制服姿が数人、後ろに控えている。多分あれも、なんだかんだ理屈をつけた興味半分だろう。
正面、二十メートルほど先に、
――あんなバカでかいの、構え続けるだけでも腕が疲れるだろうに。ご苦労なこった……。
こっちは普通に、動きやすいシャツとデニムだ。三十センチくらいの木の短剣を、脇に提げている。
唐猫谷一本とかいう例の腰巾着が、脇で声援を送っている。かなりの大声だ。試合前に騒ぐなとか、隊長にたしなめられた。
それが妙におかしく、ふっと笑いが浮かんだ。
――あは。一本の野郎、助かったわ。おかげで緊張せずに済む……。
「双方進めっ」
隊長の合図を得て、開始位置のマークに近づいた。諫早と五メートルの距離だ。
試合は、十メートルほどの円状フィールドで行う。境界線の部分だけ芝桜が刈られており、そこから髪の毛一本でも出たら無条件に負け。打ち負かされ降参するか倒れても負け。なんだか相撲みたいだ。
――伊羅将、お前の実力はクソだが、相手も同じだ。しかも相手の後見人も素人の小僧。ロクな戦術など、練られているはずもない。ニンゲンを侮っているしな。すぐ勝てると根拠もなく思い込んでいるはずだ――
闘鑼の言葉が蘇る。授かった戦略を、伊羅将は脳内で反芻した。こと戦いとなると、闘鑼の言葉は重い。さすがは第一の戦士と讃えられるだけある。なにせ、天涯孤独で貴族のバックすらないのに、王室の切り札として、警護や特殊作戦に取り立てられてきたらしいから。
「準備せよ」
隊長の声に右手の汗をシャツで拭って、ナイフを握り直した。手が滑ってナイフを落としたら、挽回は難しそうだ。待ち切れないのか、諫早は剣先を小刻みに振っている。闘鑼の読みどおり、開始の合図と同時に突っ込んで来るだろう。
――相手はニンゲン憎さに心が濁っている。必ず、公衆の面前でお前を手ひどく打ち据えにくる。重い木剣を振り回してな――
闘鑼の指示どおり戦えば、なんとかなりそうだ。少なくとも惨敗はしないはず。それを信じて、伊羅将は心を鎮めようと努めた。
「始めっ!」
隊長の声が響くやいなや、相手は走り込んできた。剣を大上段に構えて。足元の芝桜が舞い散る。観客が大声で声援を始めた。
一メートルまで近づいたところで、剣を振り下ろしてくる。走りながらであればちょうどいい間合いだと判断したのだろう。突入する相手の軌跡を見ながら、体を捻ってかわした。
大剣では、剣筋の急な軌道変更など、達人でも無理だ。剣の勢いで態勢が崩れたまま、相手がよろける。そこで焦って打ち込まず、闘鑼の指示どおり、走ってまた五メートルほど距離を取った。振り返ると、剣を下げたまま、相手は荒い息をついている。
「逃がすなっ、諫早様。ニンゲン野郎はビビってる」
「伊羅将、うまいぞっ」
一本の声に、リンの声援が交じる。
なんとか剣を構え直し、また斬り込んできた。かわして距離を取る。何度か繰り返すうちに、相手は目に見えて疲弊してきた。剣を地面に着いたまま、肩で大きく息をしている。重い大剣を抱えたまま何度も突撃したのだから、無理もない。
「ひ、卑怯者。逃げてば……かりい……ずに、男らしくた……戦えっ」
それだけのセリフに、息が上がって四苦八苦している。ここぞとばかり尻馬に乗って、一本がこちらを罵倒してきた。ニンゲン野郎とか卑怯者とか、ワンパターンの罵詈雑言で工夫もへったくれもない。
それがわかる自分に、伊羅将は安堵した。戦いの最中に、心が平静でいられた証拠だから。
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