運命の死闘編

01 奴隷ニンゲンの後見人

01-1 芝桜のケーキタイム

「たいへんだなあ……イラくん」


 ネコネコマタの世界。眼下に広がる近衛隊訓練場を見下ろして、神辺花音かんなべかのんは溜息を漏らした。王宮の裏にある東屋風の休み処で、妹の陽芽ひなめとケーキを味わっているところだ。


 王宮の主宮殿裏に広がる広大な丘を利用して、訓練場は設けられていた。各部族を代表する幹部候補生と共に、そこで物部伊羅将もののべのいらはたが剣術稽古に励んでいるのだ。遠いので、木剣を振る彼らが、まるで豆粒のように見える。


 激しい訓練でも埃を立てず、また転倒時の怪我の可能性を下げるため、ニンゲンの国から移植された芝桜が、訓練場に敷き詰められている。六月頭のうららかな陽光を受け、満開の芝桜で訓練場は桃花色に輝き、特有のキツめの香りが漂っていた。


「お姉さまの騎士に叙任じょにんされましたからね。きちんと修練をこなさなくては。ニンゲン野郎の奴隷騎士、王女の恋人を出世させただけのお飾り騎士などと、なかば公然と揶揄する貴族連中が、多くいますから」


 大海崎おおみさきリンの部族、ナベシマの里から献上されたハーブティーが、芝桜の香りを押しのけ、心地よい空間を作ってくれている。蜜柑に似た柑橘類を用いたケーキは、とろけるようなスポンジの柔らかさにナッツ類の歯応えあるアクセントの対比が見事。ナッツの香ばしさと果汁のみずみずしい香気に満ちている。ひとくち味わうと、陽芽はほっと息を吐いた。


「うん……そうだね」


 そうした噂を、たしかに聞いたことがある。自分と関わることで伊羅将に降りかかる重圧を思い、花音は暗い気持ちになった。


「花音がもっとイラくんを助けてあげないと……」

「でも平気ですわ」


 陽芽が笑いかけてきた。


「お兄様はああ見えて、気持ちのお強い方。ましてお姉様を守るためとなれば、死に物狂いでお働きになられるでしょう。サミエルとの結婚から、お姉様をお救いになったように」

「イラくん、かっこよかった……」

「お姉様ったら、顔が赤くなっておられますわよ」

「えへっ」

「お兄様の真摯なお心持ちは、遅かれ早かれ各部族の族長や貴族の方々に伝わりましょう。なにせ一時は滅ぼそうと決意したしもべ、つまりニンゲンが王家に関わってきたのです。一時的な反発が起こるのは当然。お兄様の美点を、いずれわかってもらえれば問題ない。わたくしはそう考えております。それより……」


 意味ありげに言い淀むと、ケーキをまた口に運んでいる。


「それより――なあに?」


 周囲に、陽芽は視線を投げた。執事や護衛の近衛兵が、意図を悟ってふたりと距離を置く。


「わたくしに入ってくる情報によれば、大海崎が厳しいようですわ」

「大海崎……。リンちゃんのとこ?」


 陽芽は頷いた。


「でもリンちゃん、大活躍だったじゃない。花音とサミエルくんの婚姻の儀で。イラくん助けて大暴れしてくれたよ。花音のために」

「ええ……。たしかにそうですけれど」


 眉を寄せたまままたお茶を含むと、陽芽は説明を始めた。


 それはたしかに、陰謀を暴き王族を救出した英雄的行為ではあった。とはいえそれは結果論。部族族長の決定に反した単独行為であることに違いはない。王家より先に、族長に忠誠を誓うのが、ネコネコマタ貴族の務め。大海崎を政治的に蹴落とそうとする勢力が、そこを衝いて責めている。結果オーライの英雄など、危険なだけだと。


「そんなことになってるんだ……」


 花音は考えた。ネコネコマタはそもそも、多数の部族からなる部族連合だ。それぞれに掟や法典があり、司法も行政も独立している。


 王家も元は一部族。かつてネコネコマタ全体が危機に陥ったとき、全部族をまとめ乗り切ったのが、一万二千年もの歴史を誇るクルメ族の多麻王。危機回避後、クルメ優先政治になるのではという各部族の懸念を感じ、自らクルメを出、ひとりで「連合統治のためだけ」の部族を創建した。それが王族の起源だ。


「リンちゃん、でもいつもどおり元気いっぱいだけど」

「そう演じているだけですわ。あれからネコネコマタの地に一度も足を踏み入れていないのは、父親に禁じられているからです。ほとぼりが冷めるまでは顔を出すなと」


 いつ会っても裏表なく明るいリンの面影を、花音は思い浮かべた。


「じゃあ、花音もフォローしてあげないとね。なるだけリンちゃんと一緒にいて、王族がバックについてるってアピールしたほうがいいもの」

「ええお姉様」


 陽芽は微笑んだ。


「いい考えだと思いますわ」


 ――大丈夫かなあ……リンちゃん。


 天を仰ぎ、同級生であり大切な友である大海崎リンのために祈った。そのとき――。


 そのとき、はるか眼下の伊羅将の周囲で、騒動が起こった。

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