第一章 あかり①




 《過去1 五年前(事件後)》




 息を乱し、少女が公園の端、それも一番誰にも見えないような場所にあるベンチへと座る。息を整え、“彼”が言ったことを思い出しながら“誰か”の忘れ物であろうノートを開き中身を確認する。


 ペラペラと真っ白なページを捲(まく)って、用のあるページまで飛ばすと、まずはノートの持ち主が書いたであろう前書き(?)みたいな文章に眼を通した。




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 今の俺には、この世界が白黒(モノクロ)で見えている。比喩表現ではない。事実、この世界のありとあらゆるものが白黒(モノクロ)に見えているのだ。感覚的にはモノクロのテレビを視界にしたのが近いと思う。まあ、とはいえこれが不便かと言われれば確かに不便だと言うしかない。しかし、生きるのに困るかと聞かれれば、それは無いと答えるだろう。実際、この五年間不便なことだけで、生きるのに全く不自由はなかったからだ。


 ――ああ、そうだ。これだけは記しておかなければならない。これから書く《物語(情報)》は“呪い”の《物語(情報)》で、それ以上でもそれ以下でも無い。そうだ、うん。俺が言いたかったのはこれだ。だから、これを見て推理小説のネタにしても良いし、SFのネタにしても良い。勿論、ファンタジーでも可だ。それは全て“君”に任せるよ。




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   1




「……、……きて」

 誰かの声がする。鈴を転がしたような綺麗な声。

「……さん、……起きて」


 微睡みの中、身体を揺らされる感覚。揺られる感覚が強くなる度意識がハッキリと覚醒していくのが分かる。


「兄さん、起きて」


 もう一度強く身体を揺らされ、沈んでいた意識は、完全に浮上した。眼をパッチリと開け、起こしてくれた人の顔を見る。少しだけ吊り上がったクールな印象を与える栗色の目に、女子が羨むような長い睫毛。長い髪の毛をツインテールで纏め、年齢より幼く見えるが、しかしそれがクールな外見とのギャップとなる。身長は女子の平均より少しだけ高く、また、足が細く、黒いニーソと短いスカートが男子の欲望の的である絶対領域を創りだしている。腰辺りやくびれが女の子らしく整っているため、周りの女子にとってはため息ものである。まあ、今は制服を着て殆ど分からないが、私服になるとその身体の良さがいつも以上によく分かる。


 彼女の外見は、人によって可愛いともとれるし綺麗ともとれるので、しかしそれを彼女の前で言うと、気にしているのか、口を一週間聞いてくれなくなる。それでも、かなりのダメージなのに、更にご飯も用意してくれなくなるので言わないように気を付けているのだ。この間、うっかり言いかけ、結の逆鱗に触れてしまいその日のおかずがごはんですよになったのは一応記しておく。


「おはよう」

「うん、おはよう」


 寝っ転がりながらの挨拶にも笑顔で対応してくれる彼女はお気付きの通り、俺の妹で、名前は『結(ゆい)』。可愛い名前だろ。俺の自慢の妹だ。誰にもやらん。


「兄さん、朝食はもう出来てるから。早めにリビングに来てね」


 パタンと扉を閉め、軽快な足音を発てながら階段を下りていく。そんな可愛い妹の手作り料理を冷ませるわけにはいかなので、閉じそうになる瞼を気力でこじ開けベットから下りる。


 このまま寝間着で行ってもいいのだが、確実に怒鳴られてしまう――それだけは勘弁だし、不機嫌になられても困る。だから、制服に着替えるため、窓に掛けてある制服を手に取った。その時、一瞬身体がぐらりとよろけたが、そこは気合いで持ちこたえる。


 それにしても、皺がない。丁寧にアイロンがかけてあるようだ。殆ど毎日アイロンをかけ、尚且つ、汚れないように細心の注意すらしてある。本当に結様々だ。もしかしたら、結無しでは生きていけないのでは、と自分の中で最大級の疑問にぶつかっている。が、それは結が本当に大切な奴を見つけるまではお世話になろうと自己解決した。いや、誰にも渡さないけども(二度目)。


 俺が通う学校は『私立奈原高等学校(通称なは高)』と言い、我が家から三十分の何処にでもあるような、普通(ある部分を除いて)を地でいく地元の高校だ。ちなみに俺は高校二年生、クラスは二組で、一歳下の我が妹は、当然ながら高校一年生。なは高の制服はブレザー指定の学校で、友人に聞いた話しだが、上は紺、下は灰色と黒や赤のチェック。女子も同じようなデザインで、スカートが蒼と白のチェック。後ろには桜色の小さなリボンが付いている。これが女子の間で可愛いと人気なのだ。そんな制服に俺は着替え、結が待っているリビングに向うことにした。


 自室の扉を開け、すぐに薄暗い廊下に出る。三方向に分かれており、右は結の部屋。左に両親の部屋。真っ直ぐに少し歩くと右手に階段がある。電気を付けてから階段を下る。この家の電気は白色で、若干見にくい。いやまあ俺がそう見えるだけなのだけれども。


 また廊下に出る。今度も三方向。右手に洗面所兼洗濯機とトイレ。その奥に風呂場が有るのだが、今回は使わないのでパス。そして、左には玄関。まあ、後で行くからここもパス。最後に残った正面。リビングを繋ぐ扉が俺の目の前に有る。そのノブを掴み下に捻る。扉は入れた力と同じようにゆっくり開いていく。


 中に入り、パタンと扉を閉じてから、この部屋の真ん中に置いてある少し大きめなテーブルに目を動かした。それはしょうがない事だろう。何せ、入った瞬間から卵焼きの良い匂いが俺の鼻孔を擽(くすぐ)り、脳を刺激して涎(よだれ)を大量発生させているのだから。


 正直、思考より身体の方が先に動いていたのではないだろうか、と自分の身体に心底びっくりさせられた。我慢出来なくなった俺は颯爽(さつそう)と自分の席に座り、


「まーだー?」


 と、台所に立っている結に言う。エプロン+制服姿に思わずときめいてしまったが、妹の前なので顔が赤み帯びないように極めて冷静に努(つと)めた。


「兄さん、いつの間に来たの?」

「さっきだよ」

「ちょっと待ってて。今、お味噌汁を汲んだら座るから」


 忙しそうに動いていた結は、お椀に味噌汁(なめこ)を汲(く)むと、ゆっくりとテーブルに持ってくる。俺のはもうすでに置かれてるので、持って行くのはちょうど結自身の分だけなのである。


 二人だけで飯を食べるのは、もうかれこれ一年以上続いている。何故二人分だけなのかというと、ウチの両親はかなり有名な人物で、色々な場所で活躍しては俺たちを置いて世界を回ったり、つい最近なんて世界遺産に行ってきたなんていう手紙が送られてきた。母は敏腕弁護士。それも国際。父はどこかの大学教授をやっている。確か父さんが専行しているのは物理だったはずだ。この間、タイムマシンがどうのこうの言っていた気がするが、専門用語がポンポン飛んできたので半分以上理解出来なかった。一介の高校生に専門用語が飛び交う言葉を理解しろというのが無理な話しだ。


 結はこぼれないように丁寧に置き、椅子を引いて座る。勿論その前に結は埃(ほこり)がこちらに飛ばない所でエプロンは外していたけれど。


「兄さん、遅くなってごめんね」


 申し訳なさそうに謝る結。これでは何もしていない俺が惨(みじ)めではないか。しかしやはり良くできた妹である。俺にはこのような家事能力は無いし勉強もあまり出来ない(赤点を取らない程度には勉強はしている)。が“とある事”を切っ掛けに運動だけは並以上にでき、腕っ節はそんじょそこいらのチンピラには負けない自信はある。とはいえ、それが自慢出来るかといえば全然出来ないし、暴力はあまり褒められた事では無い。これにより最終手段として手を出している。自分からは絶対に暴力を奮わないことにしているし、それが力を持った者の責任だと思っている。


「大丈夫だよ。じゃあ、食べようか」

 「うん」と結は小さく頷き、俺たちは手を合わせる。

「「いただきます」」

 こうして二人だけの朝食が始まった。




   2




 朝食が食べ終わった俺達は、各自家を出る最終調整に入っている。結は鞄を取りに二階へ、俺は歯を磨く為に洗面所に。洗面所で歯を磨き、うがいを、粉が残らないぐらいまでしっかりと濯ぎ、吐き出す。それを数回こなしたところで結が洗面所に入ってきた。結もこれから歯を磨くらしい。俺は邪魔にならないよう顔をしっかりと拭いてから洗面所を出て、リビングで待機することにした。


 ソファーで朝のニュース(この地域限定のテレビ局)を見てると、気になるテロップが画面に流れた。


『三家会談』


 “三家”とは、俺が住むこの地域(正確には隣の町だけれど)を取り仕切っている古い名家の事だ。しかし、知名度は日本に住んでいるのなら知らない者は居ないとされるほど有名。武の“朝倉家”、財の“水無月家”、智の“日向家”が親戚と当主陣が集まり、年に数回話し合いをしているらしい。それぞれ大きい会社を持っていて、俺たちが使っている娯楽品の殆どがこの三つの家のどれかで作った製品だ。だから知らない者はいない。


 あんまり面白い内容ではなかったので、興醒めしつつテレビの電源を消すと、結が洗面所から戻ってきた。よく見ると、結の髪の毛が先程よりサラサラになっていた。歯を磨くついでに、自身の身だしなみの最終チェックもしてきたというのが分かる。


「兄さん、準備は大丈夫?」

「それはネタ振り?」

「違うよ! それで、大丈夫なの?」

「大丈夫だ、問題無い」

「……はあ、うん大丈夫なんだね。分かった。早く行こう、遅刻しちゃうよ?」


 どこかの天使みたいに返事をしたら妹に呆れられてしまった。とはいえ、これ以上ゆっくりしていたら本格的に遅刻してしまう。時計を見ると、現在午前七時四十五分。完全に遅刻まであと四十五分。ここからゆっくり行っても余裕で学校に着く。しかし、油断していると、確実に遅刻してしまいそうなので、結と一緒に玄関に向かい、予め出してあるローファーを履くことにした。


「兄さん、朝他に窓開けてないよね?」

「開けてないよ」

「なら、もう行こ。窓の鍵は私が確認したから」


 玄関のドアを開けて外に出ると、まだ春先なのか、ひんやりとした空気が肌を撫でる。身体がぶるりと震えた。隣を見ると、それは結も同じなのか身体を抱いて縮こまっている。早くこの寒さを何とかしたい俺たちは、鍵を俺が閉め、

「「行ってきます」」

 その言葉を誰も居ない玄関に投げかけて家を後にした。




 ウチから学校までは三十分の道のりだ。四つの角を曲がり、大通りに出てから信号を三つ渡れば学校に着く事が出来る。ちょっとした坂の上に出来ているなは高は、この街ではバカ騒ぎで有名な高校でもある。これはこの学校の責任者である理事長に問題があるのだ。例えば、去年起こった文化祭事件が良い例だろう。この事件は学園長から生徒に至るまで――というか、一人の生徒が先に全力で自重しなかったので、結果、誰もが全く自重しないことになってしまった。コスプレは当たり前、水着から裸エプロンまでなんでもござれ。寧ろ、これで誰も逮捕されなかったのが可笑しいぐらいだ。真っ先に理事長や教師が捕まっていてなければいけないはずなのだが……いやはやこの世界は可笑しいものだ。去年、結が入学してなくて良かったと全力で言える。


「結、今年は全力で文化祭出るのやめような」

「あはは、あれは凄かったね」


 去年、入学していなかったが、文化祭(期間は一週間、朝十時から夕方五時まで)は殆ど全部来ている。だから去年なにがあったか知っているのだ。俺にはあの惨劇を止めることは出来なかったし、というか、俺一人で出来ているのならば、誰も自重しない、なんていう結果にはならなかっただろう。そういうわけなんで、止められなければ、逃げればいい。君子危うきに近づかず、だな。だから、結には参加してほしくない。あんな意味不明な文化祭。


「でも、私は参加するよ。だって勿体ないもん。あんなに楽しそうな文化祭」


 俺の願いとは裏腹に結は参加するみたいだ。


「ちょっとえっちな格好は遠慮したいけれど……」と結は苦笑いを浮かべた。

 確かに楽しくは、ある。しかし、あんな破廉恥なカッコを結にはしてほしくないのだ。せめて、メイド服とかあんまり露出しない服でなら考えないこともないが……。いやいや、それを他のオスで見せるのは危険だ。月が無いのに狼化しかけない。俺ならする。確実に。必ず。俺でこれなのだ。そんな危険な場所にどうして行かせられようか。しかし、どうやって結を説得するか。


「本当に参加する気か?」

「まさか、兄さん……反対するの……?」


 眼に雫を溜め、うるうるさせ始める結に、俺は負けを認めるしかなかった。この状態になった結に俺の勝ち目なんて全くと言っていい程、ない。これが出た時点で最早勝負は決まったも同然だ。俺は結に甘い。だからこんな顔で悲しそうにされるとかなりというか強烈に弱い。もう何でも許してしまうぐらいに。説得? ああそれね。もう既に何処かに投げたよ。


「……分かった。俺の負けだ」

「じゃあ――」

「――ただし、俺が本当に駄目だっていう時は大人しく諦めてもうらうからな?」

「……うん! 兄さんありがとう!」


 遮った時は本当に泣きそうな顔をしていたが、許可すると先程の泣きそうな顔が嘘みたいに笑顔になっていく。この顔が見たかったので、許可出したことは、もう仕方が無いと諦めている。うん、それにしてもあれだな。女の武器は涙だなんて言われるが、まさにその通りだと思う。あれがなければ俺は許可しなかっただろうし、したくもなかった。……あんまり諦められてないな。うん、これはもうしょうがない。そうだ。しょうがない事なんだ。……はあ。




 歩くこと約十分。結は先程の嬉しそうな顔から一転して何か思い詰めた表情をしていた。そして、三個目の曲がり角に差し掛かると、結は突然、もごもごしていた口を開いた。突拍子もなくしかし俺には気持ちがぶれそうになる言葉だった。


「兄さん、ちゃんと聞いて欲しいことがあるんだけどね……私に何か隠しごとしてない? 昔から気になってたの。兄さん“あの時”からずっと様子が変。これって私の勘違い……?」


 ああそうさ。勘違いなんかじゃないさ。けれど、これだけは結に言うことは出来ない。結のみならず、両親にも、友人にも、だ。これは“俺だけ”の秘密だ。他の人に言っていいわけじゃない。俺の罪でもあるし――いや、やめよう。正直に言えば、確かに誰かに言いたい。俺の罪の形だって治したい。けれども、今はそれを言っていい時期ではない。俺の身体が限界になるその日まで言いたくないのだ。身体に違和感を感じた日より、この身はそれだけを守ってきた。それが結や両親に心配や迷惑を掛けているということは知っているし――分かっている。これは俺の我が儘だ。生涯で一番大きな我が儘で最後の我が儘。だから、そんな眼で、そんな顔で俺を見ないでくれ。こっちまで泣きそうになってしまう。折角心の奥底に仕舞い込んだ涙を浮かび上がらせないでくれ。俺は絶対に大丈夫だから。堪えてみせるから。


「ははは、何言ってんだよ。俺はいつも通りだろ? 昔から何も変わっちゃいないさ」

 ――だから、笑ってくれよ。俺が原因だって理解もしているからさ。

「……兄さん。分かった、もし何かあれば相談に乗るからね。絶対に隠さないでよ? お願いだから無理しないでね」


 ぎこちなく微笑む結。たぶん何か隠していることはもうバレている。だが、教えてくれそうにないと悟ったみたいだ。うん、その代わりだけど、結の側では必ず笑っているからさ。頑張るからさ。

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