あかり①ー②

   3


 さて、結の質問から場所は跳んで校門前。あれから俺たちは気まずい雰囲気にならず、寧ろほんわかな空気で校門前に来れた。これは後腐れの無い結のお陰である。俺たちは喧嘩はしたことあれど、仲直りをしないことなど無かった。それも、昔のことを持ち出してくるわけでもないので、安心(?)して喧嘩することができるのだ。その辺は妙に男らしいというかなんというか。まあ、とはいえそのお陰でこちらは助かっているのだから文句の付けようが無い。


 校門で立って挨拶をしている生徒会長に挨拶をしてから校門を抜けると、それに従って結も同じように挨拶をして校門を抜けた。正門から校舎に入り、下駄箱を目指す。下駄箱は全学年共通なので結と一緒に歩いている……のだが、如何せん目立つも目立つ。男子と女子の視線は全て我が妹へと集中していた。そのせいで俺が見られている視線は、大半嫉妬、あとは羨望(せんぼう)(これについてはよく分からない)の感情が入り交じっていた。まだ入学したてなのに、ファンクラブみたいな存在まで出来ているのだ。


 確かに、それは納得出来る。我が妹は器量良し、成績良し、両親良し(一般人の知名度が高いため)、顔やスタイル良し、性格良し……ほら、出来ない理由がないだろう。妹は正直やめて欲しいそうだが、もうこればっかりはしょうがない。自重しないからな、ここの生徒。だが、あまり行き過ぎる行為をしないのが良いところでもある。ちなみに妹は、男子よりも女子に好かれている。そして、この短い期間でお淑やかに接していたら、彼ら彼女らのイメージは、白雪のような純粋で綺麗、付いた二つ名が『白天の雪姫』。なんという中二病。これを結はファンの人間から聞いた時、これでもかというぐらい顔を真っ赤にしていたのを覚えている。ものすごく可愛かった。


 玄関口で結と別れ、俺は二年二組(出席番号二十九)の下駄箱で自分の上履きを取り出し地面に置いてローファーから履き替える。ローファーを自分の下駄箱の中に突っ込み、近くにあるいつも結を待つときに使う柱に身体を預け、結が来るのを待つ。と、一分の時間も掛からないうちに結は……いや、もう一人の女の子と一緒に俺のもとへと小走りで駆けて来た。それも何故か顔を紅潮させて。結の友人であろう彼女は、それをニヤニヤとした表情で見るだけで、他に何かあった様子はない。下駄箱で何かあったのか。それを不思議に思いながらも、壁に預けていた身体を離し、結に声を掛ける。


「結!」

「に、兄さん……」


 俺がここに居るなんていつもだろうに。何故そんなにも歯切れが悪い。まるで、俺がここに居るなんて気が付かなかった、と言われている気分になるじゃないか……大丈夫だよな。そんなことないよな。俺はちゃんと認識されているよな。


「えっと、結のお兄さんですよね……?」

「そうだけど、君は……?」


 と、一人で自問自答を繰り返していると、いつの間にか俺の隣に来ていた結の友人。俺の目を見ながら、ぺこりと軽くお辞儀をした。


「自己紹介が遅れました。初めまして、あたしの名前は『加賀 結羽(かが ゆう)』です。結のゆいに、はねって書いて『ゆう』です。いつも結にはお世話になっています。結とは漢字が一緒だったのを切っ掛けに話すようになりました」


 加賀結羽(かがゆう)なる人物は、黒髪ショーットカットの爽やか美少女で、見た目は活発的なイメージがあるが、その中に静かなイメージもあるという結構不思議な容姿をしている。個人的にあんまり出会ったことのないタイプでどう接していいのか若干分かりかねているところだ。結の友人であるから、あんまり結がマイナスになるようなことはしたくない。ここはフランクに年上として自己紹介すればいいのか、それとも堅苦しく年下に敬語で挨拶をした方がいいのか。どうしよう。このまま、俺が自己紹介しないというのはそれこそ結のマイナスになり、相手に失礼だ。だから早めに言った方がいいのだが……いいか、ここは年上のフランクであんまり失礼にならない程度にフランクでいこう。


「態々ご丁寧にどうも。結の兄で、名前は――」

「はい、どーーーーーーーーーーーーーーん!」

「グフォッ!?」


 いきなり背中に衝撃が来た。痛みはそこまでないが、そのまま堪えきれず吹き飛ばされてしまった。ゴロゴロと地面を転がり、壁に激突してからやっとのこと止まった。まさに衝突事故である。激痛である。痛いである。嘘である。さっき自分で痛くないとか言ってたである。とか、そんなバカなことを思っている場合じゃねえ。さっさと俺は立ち上がり、後ろから衝突してきたアホを睨み付ける。


「やあ、おはよう。今日も良い天気だねっ!」


 蹴り飛ばした挙げ句、無駄に爽やかな挨拶するアホに、脳天へとチョップをプレゼントしてやった。


「ふざけんなっ!! 何が良い天気だね、だよ! お前な、人が結の友達に自己紹介してる時に後ろから跳び蹴りはないだろ! いくら俺でも完全に油断している時にやられたら反応できねーよっ!」


 全力で蹴りに関しての抗議をしていたのだが、アホの反応は鈍い。俺にチョップされた場所を手のひらで押さえ、怨みがましい眼で俺を可愛く睨み付けていた。


「いたたたたあ~……というか、それは僕のせいじゃなく、油断してる君が悪い。さらに言えば、女の子をナンパしている君が悪い」

「空気読めよ!! というかそれ以前の問題に、跳び蹴りすんなってことだよ! 俺だけが被害にあったからいいものの、これで加賀さんを巻き込んだらどうする気だよ! というか、分かれよ! 会話の流れからしてさ!! あと、ナンパなんてしてねーよ!!」


 このアホの名前は『羽々斬(ははきり) 静香(しずか)』。女だ。認めたくないけれど。羽々斬家は“三家”である日向家の派生で、古くから存在する退魔の家系としてその世界では有名らしい(本当かどうかは兎も角として)。もっとも、その“三家”である日向家は昔に起きた事故が原因で本家分家親戚含めて殆ど死んでしまったらしい。生き残りは二人のみ(静香談)。


 そして、どういうことか何故か俺に付きまとう。俺が憶えていないだけで、一年前に助けて貰ったのだとか。人違いでは? と伝えてもみたが、本人は間違いないと頑なに主張している。俺としてはそこまで頑なにならんでも……という気持ちの方が大きい。……それは兎も角、彼女は俺の友人の一人で、学校と休日は彼女と俺を含めた六人で行動を共にしている。


「もう、本当に我が儘だね君は」

「誰のせいだよ!?」


 やれやれと両手を少しだけ広げながら首を振る静香に殺意が沸くが、そんなことは無視をして、こいつのせいで空気になりかけている二人に身体を向ける。結は苦笑して、加賀さんは少し笑いながら見ていた。これ以上変な事になる前に、先程のことを謝ることにした。


「加賀さん、さっきはごめんな。ちゃんと自己紹介しないといけなかったのに」

「いえ、全然平気です。それより、先程の怪我は大丈夫ですか?」


 ポケットから花柄のハンカチを出すと、いつの間にか額から出ていた血を優しく拭い取ってくれた。あんまり先輩と思われない俺にとって、礼儀正しい子は貴重なのである。なんだこの子は。めちゃくちゃ優しいぞ。そこの隣で膨れている誰かさんとは大違いだ。


「む、何か君に対して怒らなければならない気がしてきたぞ」

 静香が俺に対して何か言っていたが、普通にスルーして加賀さんにお礼を言う。

「あ、ありがとう。なんか悪いね。そうだ、そのハンカチ俺に貸してくれないか? そのままっていうのも悪いし、俺が洗って返すよ」

「いえ、大丈夫ですよ。先輩は気にする事ではありませんし、あたしが勝手にやったことですから」

「そうだよ兄さん。兄さんがそういうことをやると、必ず血の部分が広がるんだから。大人しくしてた方がいいよ? ただでさえ兄さん家事が出来ないんだから」

「うぐっ……」


 事実だから一切反論することが出来ない。しかし、俺の血でハンカチを汚してしまった以上なにかしなければ罪悪感というか良心に反する気がする。俺に出来る事は加賀さんに何かしてあげることぐらいだ。それぐらいしか思いつかなかった、というのも原因の一つでもあるけれど。


「分かった、加賀さんの言葉に甘える事にするよ。今度なにかあれば協力させて欲しい」

「ええ、その時はよろしくお願いします。ところでお兄さん、『加賀さん』なんていう他人行儀はやめてください。結のお兄さんなのですから、あたしの事を気軽に『結羽』って呼んでください」


 にっこりと笑う加賀さん――いや、結羽に少しだけ見惚れてしまった。屈託の無い笑顔と健康感のある紅い唇が、その笑みを人が惹き付けられるような笑みに昇華させていた。他の女子ではこの笑顔は到底不可能だろう。そんな魅力を持つ彼女は、俺の方に向けていた身体を結の方に向かせ、下駄箱と廊下を挟んだ先にある時計を人差し指でさした。


「結、早く教室に行きましょ。遅刻するわよ」


 俺も結も言われて気が付く。そこまで遠くはないが、若干見にくい位置にある時計を眼を凝らして見ると、時刻は八時二十分。本鈴が鳴るまであと十分。いつの間にかそんな時間になっていた。学校に着いた時は遅くても八時前だった筈だ。それだけおしゃべりに夢中になっていたらしい。

 とりあえず、遅刻したくはないので、ここで結達と分かれることにする。


「結と加賀さ……じゃない、結羽(・・)じゃあな。あ、結。昼はいつもの場所で」

「うん、じゃあね兄さん。また後で」

「はい、失礼します。結、行こう」


 結は俺に手を振り、結羽はお辞儀をして一年生の教室がある四階へ、西階段を使い、上にあがって行った。二人の姿が見えなくなったので、俺も自分の教室に向かうことにした。俺たち二年生の教室は、東階段を使い三階にある。上がった先にあるのが俺たちのクラスで、全部で五つ。横一列で並んでいて、特に迷うようなことはない。それだけここの校舎は単純な構造をしているのだ。まあ、たまに覚えられない奴がいるが、それは特例だろう。


 俺と静香は東階段を使い、三階へ。二階へ上がると三年生が教室で授業を受けていた。ここには教室の他に、科学室や家庭科室など実技や実験などの色々な教科で使うような部屋が幾つもある。勿論準備室もある。当然俺たちはここには用が無いので、三階へと足を向けた。


「そういえば、今日転校生が来るのを知っているかい? なんでも美少女らしいよ」

 不意に、静香は俺に聞いた。

「一応知ってるさ。でも確か隣のクラスだよな? 正直、俺にはあんまり関係なさそうだったから言われるまで忘れてた」

「だろうね。君ならそう言うと思っていたよ」


 肩をくすねてニヒルに笑う静香。それで興味を失ったのか、止めていた足を再び動かさせ、俺たちは自分の教室へと向かった。……あ、結に下駄箱で何があったのか聞くの忘れてた。まあ、いいか。お昼に聞けばいい話しだしな。



 自分の教室に着き、クラスメイト達に挨拶をしながら席へと座る。俺の席は窓側の後ろから二番目という特等席。寝はしないけど、ボーっとするには丁度良い席でもある。


 静香も同様に、クラスメイトたちと挨拶を交わしてから俺の隣の席へと座った。

 俺はスクールバックの中から今日使う教科書達(数学ⅡA、現国、英語、世界史、選択で取った情報二時間)とノート、それに筆記用具を机の中に入れ一息つく。ふと、時間を見る――八時二十七分だった。あと少し、気が付くのを遅れていたら遅刻していただろう。結羽には感謝してもしきれない。


 何故、俺がここまで遅刻をするのが嫌なのかというと、それには理由がある。一年から遅刻をしていないから皆勤賞を取りたいという思いも少なからずあるが、それは二の次だ。原因はここの担任がいけないのだ。そう、担任だ。


 普通の担任で、それも体罰程度(何処かの委員会に知られればどうなるかは分からないが)なら文句も言わないだろう。それはこちらが遅刻したのだから罰を受けるのは当然のことで、嫌ならしなければいいという話しだ。だが、ここの担任は普通じゃない。――いや、見た目(顔だけではなく精神的な意味も含めて)は普通にイケメンなのだ。誰も彼もウチの担任に初めて会えば大体の人は格好いいと答えるだろう……それが実に厄介なのだが。


 では、いったい何が普通ではないのか。それは――


「ほら、みんな席に座って。出席を取るぞー。呼ばれた者は返事をするように。

 相坂、荒川、宇良之、丘、蒲田、粉川――ああ、もう全員いるよな? メンドイから以下略。全員出席ということで、な。

 ああそうそう、出席なんてどうでもいいから先生の話を聞いてくれよ! 今日さ、通勤途中……ああ、言い忘れたけど、先生の通勤手段は電車ではなくて、歩きな。――で、この学校の近くに公園あるだろ? そこの公園にたまたま眼をやったんだ。そしたら、なんと良い男を発見しちゃってさ。ベンチに腰を掛けていたもんで、思わずその男に声かけていたよ。ホントに無意識の行動ってやつ? いやぁ参った参った。その男、近くで見ると更にいい男で、思わず固唾を飲み込んだ程だ。

 一応僕も鍛えてはいるけど、その男の物は僕のと比べると、勝負にはならなかったね。服の上からでも分かる、鍛え上げられた美しく堅い筋肉。そしてそれを惜しげもなくつなぎからはだけさせ晒している、完成された胸襟(きようきん)。無駄や隙の無い上腕二頭筋と上腕三頭筋。圧縮されてすら――いる。

 それは下半身にも言えることだけど。いや、それよりも先に注目することがあった。確かに筋肉は素晴らしかった。僕では一生手に入らないようなものだ。では、何を先に注目するか――それは、オーラだ。そう、オーラ。最早纏(まと)っているオーラが常人のそれとは違っていたよ。筋肉だけを増やしているのであればボディービルダーに沢山いるだろう。

 だが、先程も言ったが、まさにオーラが違っていたのだ。あれはまさしく……男の中の男! ――ああ、そうだ。僕はああいう人を望んでいたんだ。これは完璧に惚れた。一目惚れだ。ああ、ああ。――嗚呼、この出会いをいったい誰に感謝すればいい? 神様? 仏様? イエス様? 違う。そういうものではない。――そうだ、出会わせてくれたあの公園に感謝しよう。あのベンチに感謝しよう。そして、教師という仕事に就かせてくれた学園長にも、生徒である君達にも感謝しよう! 教師職に就いていなかったら彼に会うことは出来なかったはず。ああ、なんて素晴らしいことなんだ――」


 そう、この担任は男スキーである。こうなるとキャラが崩壊し、精神的に安定しなくなる。理解してくれていると思うが、担任は男であり、普通であれば筋肉とかがどうのという話しではなくて、顔が綺麗とか仕草が可愛いとかそういった異性のことを話題にする筈なのだ。それなら俺たち生徒も大歓迎なのだが。ホモなだけに。……こほん、しかし、この担任が持ってくる話しはいつもやれ筋肉やれオーラだの基本的に同姓のことしか持ってこない。いや、まあこれだけなら万歩譲って良いとしよう。


 だが、問題はその先である。彼の性癖だ。男色家の彼は、外見は整っていて美男子と言っても過言ではない程の容姿、普通の思考(男に関すること以外)とは裏腹に、大胆にその性癖を満足させてくるのだ。俺たち男が遅刻しようものなら、体罰より酷いことをされる。


 ――色々な意味で食われる。そう語ったのはいったい何処の誰で、ナニをされたのでしょうか。未だに年齢=彼女無しの俺には何のことだか分かりません。分かりたくありません。


 だから、その話しを聞いた瞬間、絶対に遅刻をしないと心に誓い、おしりを隠した。他のクラスメイトたちも同様だ(女子は別)。それ以外は生徒想いの優しい先生だから尚(なお)惜しい。ちなみに、その生徒は何かに目覚めてしまったみたいで、我が担任の事を崇拝(すうはい)しているらしい。……蛇足である。




 チャイムが鳴る。

 何処の高校でも流れそうな普通の鐘のチャイムだ。これは本令のチャイムで、これ以降に校門に入ると、学園長と校長の三者面談というそれはそれはもう有り難い指導が待っているのだ。とはいえ、ウチのクラスの担任ほどではないからまだマシと言える。


 その担任の先生といえば、チャイムが鳴った途端、お話を中断し明らかに不満な顔をしてこの教室から消えた。全員ほっという安堵のため息をついてから、授業の予習する者、教科の先生が来るまで寝ている者、後ろや隣の席と喋っている者 と分かれた。ちなみに、俺は後ろや隣の者と喋るというグループに属する。


「そういえば、静香今日の宿題やってきたか?」


 横にいる静香に問う。鞄から出した教科書を机に入れ、静香は俺の方に身体を向けた。


「うん、一応。先生には怒られたくないんでね……やってきたよ」

「そりゃそうだ。俺も怒られたくないからやってきたさ」


 なら何故聞いた、とでも言いたそうな顔をしているが、それをスルー。少しでも日常会話を増やそうと思ったが見事に失敗。やはり、俺にはそういった気の利いた会話など不可能だと改めて思い知った。

 それ以降、俺と静香の間に会話は無く、担当の教師が来るまで俺は教科書を見ることにした。




   4




 今日最後の授業が終わった。チャイムが鳴ると同時に、担当の先生が今日の号令担当(先週は俺だった)に号令の合図を出す。その合図を待っていた生徒は頷き、起立と声を出した。全員バラバラながらも立ち上がり、「礼」の号令で背を折り曲げる。六十度の角度だ。たっぷり二秒お辞儀して、全員背を再び元の位置に戻した。ちなみに結達とは昼飯を食べることが出来なかった。二時限目が終わったあたりに結からメールが着て、内容を確認したらお昼一緒に食べられないとの文字が書いてあったのだ。血の涙を流すのを我慢した俺を誰か褒めて欲しい。……チクセウ。


 選択の授業である情報の時間が終了した。これから俺は教室に戻り、帰りのHLをやって帰宅するだけである。

 教科書や筆記用具を持って、情報の教室――パソコン室を後にした。


 パソコン室があるのは二階の東。丁度、三年生の教室(四、五組)の隣だ。俺や他の二年生が使う階段があるので、それを使って三階に上がる。とはいっても直ぐ上なので、ほんのちょっと移動するだけで着いてしまう。階段の踊り場で先に帰る他クラスの生徒達に挨拶をしていると、静香の後ろ姿を見つけた。気のせいか、少しだけ静香の雰囲気が暗く見える。少し心配になった俺は、励ますつもりで息を殺し、ゆっくりと背後へと近付きそして――


「わっ!」

 脅かしてみた。

「ひゃうっ!?」

 ……。…………。………………………………。

「わっ!」

 もう一度脅かしてみる。

「………………」


 無言で睨まれた。マテ。まてまてまて。何だ今の驚き方。何なんだあの可愛らしい驚き方は!? いったい俺は何を見た!? あんな声を出すなんて普段の静香からでは考え等れないぞ。いや、でも、女の子にはそういった面があるって結が言っていたこともあるし……これこれで凄く良いギャップだ。うん、これに関しては静香は案外可愛いということにして収めることにしよう。そうだ、そうしよう。


「……それで、僕に何か言うことは?」


 拳を強く握りしめながら、驚くほど爽やかな笑顔で静香は俺に言う。身体がプルプルと震えているのは明らかに怒りからだろう。現に静香の額には青い筋が浮かび上がっていた。しかし、俺は自重などしないのである。もう一度言おう――自重しないのである!


「ああ、静香があんな声を出すなど俄に信じ難いが、案外可愛いんだな。静香って」

「――――っ! もういい!」


 俺がそういうと、静香は顔を真っ赤にしてそっぽ向いてしまった。それも俺の何かが刺激されてもっとからかいたくなったが、これ以上やると、結と同様ご機嫌斜めになってしまうので、今回はここまででやめることにした。


「はは、悪い悪い。じゃあ教室に行こう」

「…………ん」

 耳まで真っ赤にしたまま頷き、歩き出す。俺も後を追うように、歩き出した。



「……もう……ばかぁ……」



 教室に着き、席に座る。既に担任は来ていて、毅然とした態度で他の生徒を待っていた。俺と静香が来たのを確認すると、「おかえり」――そう笑顔で迎えてくれた。なまじ顔がイケメンなだけに、微笑むと他の女子生徒から感嘆の溜め息が洩れること洩れること。とはいえ、あの反則級微笑みに反応しなかったのはこのクラスで四人居れば良い方である。それほど担任の微笑みは凶器なのだが、如何せんそれを担任は把握していない。天然であれをやるのだ。笑顔は癖のような感じですよってか。困ったものです。

 それから数分してクラスの全員が揃っ――いや、一人足りない。この学年のアイドルが居ない。


「ん? 日野が居ないけど……授業が遅れているのかな。まあいいや。誰かさが――」

「はいはい! センセー俺が行きます!」

「いいや、俺が行く! 先生、俺が行ってきてもいいですよね!?」

「バーカ。俺が行くに決まってんだろ!」


 担任が言う前に男子生徒達が一斉に手を上げる。これはこの学年のアイドルである女の子に少しでも気に入られたいというアピールだ。分かる分かるぞ。俺も手を挙げたいのだが、俺はシャイなので積極的に手を挙げたり自分をアピールすることができないのだ。というか、ここまでがっつくと逆に相手にされなさそう。

 勿論、担任がそんなことを許す筈もなく、


「お前等は駄目だ、諦めろ。ああ、それについてはあいつに行ってもらうよ」


 何故か俺を指さした。え? 俺? マジで?

 自分でも不思議に思っていると、男子達が悔しさなのか嫉妬なのかよく分からん悲鳴を上げた。そんなこと俺に言われても困るのだが……。


「分かりました先生。すぐに探してきます」


 とはいえ、このまま探さないで見捨てるのも忍びない。俺は探すために、席を立ち上がり、教室を後にする。その時静香が何かを言っていた気がするが、何も聞こえなかったことにした。


 教室を出て、東階段を下りていく。目指すは一階の奥。教職員室を越えた先にあるテニスコート。今から探すクラスメイトはそこで体育の授業をしている。しかし、本来なら彼女は体育の授業をしてはいけない。――いや、“とある事情”において、出来ないと言った方が正しい。先生達にも止められているのだが、それを押し退け体育の授業を選択した。その時の担任は困りに困ってクラスメイト達に助けを求めていたのを覚えている。これが普通の女の子なら我が儘だとか何かしら悪評がたっても可笑しくないのだが、その女の子は初めて我が儘というか自分の意志というか、を見せたので、誰しも渋々ながら身を引いたのである。


 教職員室の前を通り、そのまま真っ直ぐ行き、左に折れ右に折れ、グラウンドの端っこを通って古びた扉を開ける。

 と――

 夕焼け、テニスコート内で悠然と佇む一人の少女がいた。長い髪の毛がふわりと揺れ、その光景が一種の神秘にも思えた。そのまま見とれているわけにもいかないので、頭を振り脳内を空っぽにして俺は目の前の女子生徒に声を掛けることにした。


「おーい、そこの美少女。もう下校のHRやるから早く戻るぞー」


 俺の声に気が付いたのか、ゆっくりと振り向き、



「――来て、くれたのですか」



 綺麗な微笑みを見せてくれた。それは結羽とは違う清楚な感じの笑み。静ずかで、儚くて、すぐにも壊れてしまいそうな――そんな笑み。


「ああ、だから早く戻ろう。俺がクラスのみんなにどやされるからさ。……というか、美少女と言ったことに対して何かないの? スルーですか? そうですか」

「ええ、そうですねスルーです。でも、貴方が困っているところを聞くのも悪くありません」

「それは困る。というか、これはこれでもう既に困っているのだから勘弁してくれない? じゃないと、あだ名を『美少女』にするぞ」


 「それは困りました」とくすくす上品に笑う彼女の名前は『日野(ひの) 灯(あか)理(り)』。俺と同じクラスで、学力は常に学年三位という才女。あとの上二人は天才と呼ばれる馬鹿げた才能の持ち主達で、この二人が居なければ絶対に一位だっただろう。彼女はそれをしょうがないと受け入れることなく、もっと頑張らなければと努力する努力家でもあるのだ。これには俺も好感を抱いており、正直、尊敬している。“ハンデ”を諸ともせず、ひたすら努力し、信念を曲げることもしない。さらに彼女はそれを鼻に掛ける事もせず、にこやかに微笑むのだ。――そんな彼女を尊敬しないで誰を尊敬しろというのか。同い年だが、そんなものは関係ない。尊敬に値する人は年齢関係なくするべきであり、況してや、歳で判断して変なプライドなんて持ちたくはない。そんなものは捨ててしまえ。


「さあ、戻ろう灯理」

「はい。お願いします」

 灯理の手を掴み、優しく教室へとエスコートしていく。



 ――いつだったか。当時(クラスメイトになった一年の始め)名字で呼んでいた俺に、灯理は名前を呼んで欲しいと頼んできた事がある。それと同時に灯理の闇にも触れたのだが、結局その正体がなんなのか分からなかった。それが少しだけ悔しく思う。もう少し力になれなかったのか、と。しかし、同時に彼女の懐にこれ以上入ってもいいのかと思うこともあった。それでいいのだろうか……。



 先程俺が通ってきた道のりをゆっくりと戻る。彼女は感覚で道が分かる(もちろん右手には障害者用の棒がある)そうなのだが、俺と居るときは何故か手を引っ張って一緒に歩いて欲しいと言うのだ。流石に不自由な人間にそのまま歩けと言える筈もなく、こうして手を引っ張っている。のだが、如何せん回りの目が無いとはいえ、やはり見た目がかなりの美少女の手を握っているとなると、顔が自分で分かってしまうぐらい紅潮してしまう。


 少しだけ彼女の方を見ると、ニコニコと上機嫌な様子で歩いていた。何をそんなに上機嫌なのか分からなかったが、柔らかい手の感触を意識しないように歩くことにした。


 先程の道を戻りながら、ふと、疑問に思うことがあった。それは何故テニスコートに居たのか、ということだ。いや、授業だからというのもあるし、“ハンデ”のこともある。しかし、彼女はどの授業も誰の手を借りず自分一人で行ったり来たりしている筈だ。それなのにどうしてだろうか。……まあ、灯理も一人になりたい時があったのだろう。うん、そうだ。きっとそうだ。


「――気に、なりますか?」

「――え?」


 一瞬、ひやりと背筋に何かが走った。いや、悪い予感ではないけれどそれに似た何か。……なんだろう、ホントに何か起こりそうな予感が……。


「あ、ああ。勿論だとも!」


 動揺をが声にでないように出したが、正直声が震えていました。自分でも分かります。


「これが、答えです」

 ふにょん。

 そんな擬音が。

 腕の方から。

 聞こえた。

 それは、幻聴かもしれない。だが、俺は聞いたのだ。俺は聞いたのだ! 俺は聞いたのだ!!


 首を音がした方に向けると、そこにはなんと、灯理が俺の腕に抱きついていた。服越しでも分かる大きな胸に、女子特有の甘い香り。これは、柑橘類か? そして、素晴らしき柔らかい感覚……!


「――って、ああ、ああああ灯理さん!? 何していらっしゃるので!?」


 ごめん。何の経験も無い高校生では普通に刺激が強いです。最早、テンパリ過ぎて自分でも何を言ってるのか分からない。もうホント何がどうなっているんだか。いったいさっきの予感はこれだったのか? なんと素晴らけしからんことか。こういう予感なら大歓迎ですはい。まあ、これ以上刺激が強いのは勘弁ね。鼻血が勢いよく吹き出すだろうから。


「これで分かりましたか?」


 ニコニコと微笑みながら俺に問う。多分、俺が疑問に思っていたことの答えだと思うのだが……。


「いや、ごめん。全く分からない……」


 ホントに。何故、御胸様を押しつけることが答えになるのだろう。


「……もういいです。さ、これ以上待たしては申し訳ないです。行きましょう」


 少し拗ねた表情していたが、俺の手を握ってそれも少しだけで、今ではもういつものニコニコ顔に戻っていた。何がそんなに嬉しいのだろうか。


 兎に角、これ以上遅れないよう俺たちはもう戻らないといけない。あれから十分以上も時間が経っているし、もうそろそろテニス部の連中がここを通って行くだろう。もし、手を繋いだ状態を見られれば何をされるか分かったものじゃない。……考えただけで身震いがした。


「……あ、ああ。戻ろう」


 俺が身震いしている意味を知らない灯理の頭には『?』が出ていたが、俺が歩き出すと、それに遅れないように灯理もまた歩き出した。


 さっきは俺が一人だったから数分で着いたのだが、戻りは俺だけではなく灯理も一緒だ。灯理に合わせてゆっくり歩いているのでもう少し掛かりそうだ。


 普段こんなにゆっくり歩くことはまずといっていい程ない。だから何気なく、いつもはよく見ない廊下を隅々まで見る。

 と、いつもとは違って廊下が見えた。

 ただ妙に長いな、と思っていた廊下も、隅に埃が溜まっている窓も、全部俺が産まれる前から存在する物なんだ。そう考えるとこれが情緒のある風景というものだろうか。


 ――すみません、白状します。結構テンパってます。そもそも俺が産まれるよりも前からある埃とか不衛生すぎるわ!


 正直、今更なんですが、何を話して良いのか分かりませぬ。分かりませぬぞ、殿。……ふっ、爺やもまだまだだな。――もう、駄目だ。これは駄目だ。テンパり過ぎだろ俺。


「どうかしましたか?」


 俺のテンパり具合に察したのか、隣でゆっくり歩いてる灯理が俺に視線を向ける。


「い、いや、何も……」


 どうしよう。こういう時何を話して良いのか分からない。


「きょ、今日も良い天気だな―」


 言うことに欠いて、それか……! 外はもう夕方だよ! そして、外は曇りだよ!


「ええ、そうですね」


 明らかに気が付いてるだろ。


「……ええい、だまらっしゃい! どうせ俺には持ちネタの一つもないようなつまらない男ですよ! ええ、そんな男なんデスヨ!」


 挙げ句の果てに逆ギレか!


「ふふふ……貴方はそんな自分を卑下にするほどつまらない男性ではないと思いますよ。私はそれを知っています」


 ……ええ、娘や……。こんな俺に対してなんて優しい言葉をかけてくれるのだろうか。もう、天使や。他の誰が認めなくとも俺が認める。天使や……。


 まるで慈母のように美しく微笑む彼女に見とれてると、


「お、やっと来たか」


 全世界の男の敵(色々な意味で)こと担任が教室からドアを引き顔を出していた。

 「はい、今行きます」と担任に告げてから、教室の引き戸を引き彼女の手を優しく握ってゆっくりと引いていく。教室に入ると男子の怨嗟が聞こえてくるが、相手にするだけ疲れるので日野を席に座らせてから自分も席へと戻る。

 担任が俺たちが座ったのを確認すると満足そうに笑って帰りのHRを始めた。



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