プロローグ(始まりにして終わり)
「……よし、こんなもんでいいかな」
書き終わったノートをパタンと閉じ、背もたれの無い椅子の上で背筋を伸ばす。昼間だというのに薄暗いここは、廃墟となっている元事務所など多数存在したビルで、場所は四階大広間。数十年前まで機能していたが、不景気という社会の荒波に揉まれ会社や事務所が倒産。挙げ句、自殺者も多数出たため人気も無くなり、軈(やが)てこのような廃墟となった。薄暗いとはいえまだ外は午後三時を迎えたばかり。太陽は斜めになってはいるが一応陽は射し込んでいる。
眼を閉じ、思い返すのは楽しかったあの日々。自分が持つ病気の原因を知り、それを治す為にと奔走(ほんそう)し、心の闇を取り払って女の子達と仲良くなり、仲間を増やし、先生に注意される程騒いだ。学校生活が本当に楽しかった。
もしもあの時、あの女性と出会っていなければここまで楽しい思いはせず、訳の分からないうちに“死んで”いただろう。そう考えると、やはり彼女には感謝しなければならない。とはいえ、その“女性”は今はもう居ないのだから感謝のしようがない。だから、せめて心の中だけは感謝していようと思う。それがあの女性に出来る唯一のことだから。
「さて、このノートも書き終わったし、最後の仕事に入ろうかな」
よっこらしょと爺臭い掛け声を出しながら、ゆっくりとした動作で立ち上がる。これから一人の少女を助けなければならない。これは最早運命なのだ。自分に架せられた宿命。変える事の出来ない確定事項。“この場”に来てしまった以上もう戻ることさえ叶わない。けれど、それでも、自分にはやらなければならない役割がある。それを全うしなければ、この一年間やってきたことはすべて嘘になってしまう。それだけは駄目だ。そんなこと自分が、あいつが、仲間達が、許してくれる筈もない。――だから、やらなければならないのだ。
自分はその為に強くなったのだし、もし、それ以外で強くなろうとしても確実に不可能だったと思う。先は後悔だったけれど、強くなる内に、自分の中にある二度と同じ事を繰り返さないという気持ちが表に出るようになった。そしていつの間にか、それが大きくなり、周りに居る人を必ず守るという思いに変わった。
(だから、もう少しだけ待って欲しい)
そう自分の“身体”に言い聞かせ、一歩一歩力強く踏み締めるように歩み、廃墟を――
――と、その前に。もう一度だけ、廃墟の部屋に身体を向け、全体を見回す。ああ、と彼は“最後の仕事”の一つである自分の“呪い”のことを思い出した。それをどうにかして果たさなければならない。けれど、そうするにはまだピースが足りない。もう一つ、もう一つだけあればそれは果たされる。が、それは時間の問題だ。恐らく、もう最後のピースが近づいて来ている筈だ。それまで、ここの思い出に浸かっていることにしよう――この“後悔と始まり”の部屋で。
自身の記憶と寸分も違わなく、辺りはボロボロで、手入れは疎か人が入り込んだ形跡すら無い。更にここは黴(かび)臭く、とてもじゃないが、人が住めるような状態では無い。――だが、ここは幼き日よりたった二日だったが、通った大切な“部屋”でもあるのだ。そう、一人だけの秘密基地。
(……そういえばもう一人居たっけ)
記憶に残る――黒い服を着た誰か。自分が“後悔”した謎の人物。
(……ふふ)
今思うと可笑しく、口元が柔らかく吊り上がった。
充分見る事が出来たので、振り返り歩み出す。階段を下り、一階へと着いたその時、腹部に小さな衝撃が奔った。痛くは無い。トン――という本当に小さな衝撃。ぶつかって来たのは小学生六年生ぐらいの少年で、怒られるという感じでビクビクと震えている。
「ごめんなさい!」
慌てて謝る少年に、昔の自分もこうだったなと笑いそうになる顔を必死に抑え殺し、少年の頭を強く撫でた。そう、撫でるだけでいい。ピースが全て揃った。これがあるものの“発動キー”。それだけでいい。
困惑する少年に、
――頑張れよ。
そう一言だけ残し、少年の頭に触れていた手を離してこの場所を後にした。
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