10. 環
静寂と情熱を模したような二色の瞳、
儚さと強さを共に持つ月下美人。瞬きを忘れる程に美しいシャーマン。
これが
ただひたすらに魅入るナツメは、熱い湿り気を帯びたため息を零していることにさえ気付かない。
「フィジカルにて磐座家の歴史に関する記述を見たと言っておったな……ナツメ?」
…………
「…………はい」
肯定を示すほんの短い返事さえ、
そんな
やれ、何処から話そうか……と、彼方の水平線へと視線を向けたその人が切り出す。
「輪廻を動かす存在がフィジカルにも必要だと考えたのがアストラルのシャーマンたちだった。
抑揚には欠ける低い声色。こっちは……と納得するナツメに“彼”が再び自らを名乗り、まず一つの真相を述べる。
「それこそがメグルという青年……すなわち俺だった。目的などただ一つだと思っていた。精力溢れる若い身体を用いて、能力を受け継ぐに相応しい女との間に子をもうける。それを成し遂げた後は己を亡き者ということにして、アストラルに帰還する予定になっていた。残された母子が苦労するであろうことは承知の上。されどこれも使命だ、やむを得まいと、無理矢理にでも割り切って遂行するつもりでいた」
自分で話して自分で頷くというワダツミの仕草はなんとも不思議である。しかしこれにも次第に慣れていく。
声質そのものが変わるのだ。“彼女”へ切り替わるタイミングもわかりやすく、実にすんなりと受け入れられる。
「元々磐座家の人間は、ほんの少しばかり霊感が強いくらいのものでシャーマンの能力など持っていなかったのじゃ。逢引転生を作り出したのは他でもない私たち。そこから始まったのじゃよ」
遠い過去へ想いを馳せるようそっと瞼を閉じた神秘のシャーマン。彼女と彼とが行ったり来たりしながら続けた。
古き時代、ある日のこと。
磐座家の娘・タマキは、付き人と共に珍しく民間の町中を歩いていた。
裕福の代償とでも言おうか、年頃のタマキに自由など有りはしなかった。何処に行くにも何をするにも、親族や使用人たちの目にぐるりと一周囲まれていた。
そうやって過剰なまでに守られつつも、少しずつ世の仕組みを覚えていくように……という父親の計らいによって、やっと外の世界へ繰り出すこととなった。この日の目的はかねてより
そして品定めの仕方を教わっている途中のこと。
大きな荷物を抱えて店内をすり抜けようとする人影に、タマキは不思議と目を奪われた。円らな黒の瞳をあまりに見開いていたからであろうか、気付いた店主が過ぎ去ったばかりの後ろ姿へ呼びかける。
「いつもご贔屓にしてもらっている磐座家のお嬢様じゃ! ご挨拶くらいせんか!!」
振り向いたその人は汗水流す力仕事の最中にも関わらず、鼻まで隠れるほどに深い
「おい、その顔だけは見せてくれるなよ」
若い男と思しき頭巾の人は結局名乗ることもなく、ぼそぼそとくぐもった当たり障りない挨拶だけを済ませると、再び荷物を抱えて店の奥へと去っていった。
「何故お顔を見てはいけないのです?」
タマキが問いかけると、店主の険しい表情が一転して柔らかいものとなった。これはこれは失礼致しました、などと言った後は、口元に手を添え声を潜めて。
「あのように逞しい身体をしているので引き取ったんですがね、正直その……何処の馬の骨ともわからんのですよ。なによりあんな目の色を私は見たことが無い……あぁっ、いや!
「目の色……ですか」
「ええ、奴は何から何までもが異端なのですよ。特に目なんかは、そう……ありゃあまるで蛇のようじゃ。私のような老いぼれには頼もしい存在ですが、それは小間使いゆえのことです。ともかくお嬢様、あのような得体の知れない男には近付かれませんよう……」
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。働かせておきながらそれはあんまりではないかと、タマキは終始眉をひそめていた。その後のどんなやりとりも頭に入って来ないという程に煮え切らない思いでいっぱいだった。
そして時が経つごとに、タマキの脳裏に焼き付いた頭巾の男の存在は鮮明に色味を帯びていった。
もはやただの憐れみと言った感情とは異なっていることに気付いたのはそれから数日後のこと。
見たこともない目の色……? 蛇のようだなんて、一体どんなものなのかしら。
一度で良い、この目で確かめることは出来ぬだろうか。
そしてほんの少しで良い。
私の知らない世界の話をあの頑なに結ばれた真一文字の唇から紡ぎ出してはくれぬだろうか。
私を知ってはくれぬだろうか。
いわゆる“
使用人たちの目を盗んでただ一人、あの民間の町を目指していたのだが、そこで思わぬ事態が起きた。
おい、見ろよ。ありゃあ上玉だぜ。
まさか自分のことを言われているだなんて夢にも思わなかったタマキは、一瞬にして暴漢二人組に囚われてしまった。
細い悲鳴は何の役にも立たず、抗う
「誰か……助けて下さいまし! 誰かぁ……ッ!」
家屋の壁に押し付けられると衣類も乱されてしまう。我が身にこれから何が起きるのかもわからないままのタマキが非力で滅茶苦茶な抵抗を続けていた。そのとき……
野太い叫びと砕けるような衝撃音が路地裏に響いた。
タマキが顔を覆っていた両手を退ける頃にはすでに、いかつい暴漢二人がすでに地面に伏せた後だった。
呆然と立ち尽くしていたタマキは、それからすぐに力強い腕の力によって引き寄せられた。
「こちらへ」
聞き覚えのある声に息を飲んだ。
見覚えのある頭巾の後ろ姿に大きな目を見開いた。
再会は思わぬ形で訪れた。
理由もわからない涙が自然とタマキの頰を伝っていった。
閑静な町中を駆け抜ける
「鍵を管理しているのは俺です。ご安心下さい」
閉ざされる重い音にも、埃っぽい匂いの空気にも、そして感情のまるで読めない頭巾の男の声にも、タマキは不思議と恐怖心を
それどころか……
「……濡れてしまいましたね」
「…………っ!?」
おのずと震える指先を伸ばしていた。
反射的に仰け反った男の濡れた頭巾が、触れる前に跳ね上がった。
蛇のよう。
そのように称された瞳がついに露わになった。暗がりの中でも確かめることが出来た。小窓から射し込むわずかな光を拾ってその色を示してくれたのだ。
そればかりではない。
白髪と呼ぶにもまた遠い、やや青みがかった白銀の長髪が逞しい首の後ろで束ねられ、ふわりと宙に踊っている。上質な絹糸同士が舞い上がり、重なり合ったかのように。
「綺麗……」
意図せず零れたタマキの呟きを受けて、大きく見開かれたのは異端の瞳。夕焼け色を宝石にしてはめ込んだかのような
少し遅れて彼は訪ねた。
「俺が怖くないのですか?」
「ええ……それより貴方の名をお聞きしたいです。今日は貴方の真の姿を求めて……」
「俺の、為に……何故」
上気したタマキの頰を伝う雨水を男の骨ばった指先が拭った。それから二人は互いを示す響きを与え合ったのだ。
「メグル、と申します」
「タマキです」
「タマキ様……こんなにお美しく高貴でいらっしゃるのに変わったお方だ。その……俺を知りたいとおっしゃるのなら、俺で宜しければ、一つずつ教えて差し上げます」
今日は何を教えてくれるの? と問うタマキの手をメグルはそっと握った。これです、そう言いながら互いの指を絡ませ合うぬくもりを……動き出した二人の運命を、
「もう関わることも無いと思っていたのに近付いてしまった……そして俺たちは、そう時間もかからずに超えていくことになったんだ」
運命は再び巡る。
かつての頭巾の男と世間知らずの令嬢が、また新たなる真相を打ち明けようとしている。
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輪廻を動かす能力をフィジカルにもたらす使命を担ったシャーマンの青年。種族は人間に分類されるが、正確には遠い先祖に海の妖精が居る。男らしい身体つきでありながら雰囲気は何処か妖艶。「ブルームーン」を彷彿とさせる青みがかった白銀の髪、そして夕焼けのような
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元々はフィジカルの日本に生きていた人間。貴族・磐座家の娘。かなりの美女であり、艶やかな黒髪と大きな黒の瞳が見る者を惹き付ける。自覚の無い霊力を有していて、物事の動き出す気配をいち早く感じ取る(ゆえに行動は割と衝動的)司るのは“
ようやく正体が見え始めたこの二人についても、ちょこっと紹介させて頂きました。片割れ同士の魂である為、同じ月の力を持っている(しかし形状に例えるなら真逆である)という仕組みのようです。
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