後
その時。
エアガンの発砲音みたいな音が2度続き、音に合わせて蛇の身体がはねた。遅れて誰かが私の腕を捕らえて舌から引き離す。しかしつまずいた拍子に、その誰かへ背中から倒れ込んでしまった。
すかさず蛇は牙を剥いてきたが、背後の誰かが長い棒をかざし、蛇は棒にかみつく形になった。
「このっ! やろっ! どけっ!」
背後の人は私を腕に抱いたまま蛇の頭に蹴りを数回入れ、蛇はやっと牙を離した。
誰だと思ったら遠藤先輩だった。目深にキャップをかぶり、つばから人なつこそうな目が覗く。
「立てるか。逃げろ。あ、いや待てっ!」
先輩は顔色を変え、私の頭を抑えて叫んだ。
横目で見ると、蛇が私たちめがけて一直線にかみつきかかってきた。思わず悲鳴を上げる。
しかし蛇は私たちに届かなかった。陰が走ってきて蛇へ体当たりしたのだ。蛇はよろめき、陰は私たちと蛇の間に立ち、ファイティングポーズを取りながらぼそりと言った。
「下がってろ」
「乾」
TシャツにGパンという私服で誰かわからなかったが、遠藤先輩の言うとおりそれは乾先輩だった。彼は迫る鼻面を殴りつけ、大蛇はうろこを散らしてのたうち、くやしそうに牙を剥きかえす。牙を剥き、襲う。かわして、後頭部に拳を入れる。自分にくらべても蛇のほうが頭二つ分は大きいのに、慣れているのかまったくひるまない。
「遠藤!」
女の子が遠藤先輩を呼んだ。見ると、先輩のうしろから、腰あたりまである一本の三つ編みを揺らしながら女の子が走ってきた。色が白くて目ぱっちりの眼鏡美人。名前は確か。
「取井、頼む」
そうだ、取井彩華先輩だ。確か校内新聞で遠藤先輩と一緒に電卓を手にしている写真が出ていた。でも今は手にエアガンを持っている。ひょっとして始めの銃声は取井先輩が……いや、まさか。
遠藤先輩は私を取井先輩に託すと、棒を持って乾先輩の元へ走っていった。へたりこんだままの私を、取井先輩が心配そうに覗きこむ。
「塚本さん、咬まれなかった? 大丈夫?」
差し出された手を取る。きつそうに見えたけど、案外いいひとかもしれない。でも、この生徒会役員たちはどうしてここにいるんだろう。
はい、と返事しようとしたところで、舌がこわばった。
取井先輩の背後に、なぜか神々しく見える影が立ったのだ。その部分だけ空気が澄んでいるような、気軽に触ってはいけないようなモノ。目を奪われ頬がゆるむ。……見つけた。
遠くでなにか大きなものが倒れる音と、遠藤先輩の喜ぶ声がした。
「……やった! 塚本さん、蛇は倒したからね。もう安心していいから」
取井先輩もうれしそうに笑ったけど、私はそんなことどうでもよかった。だって、今ようやく彼が目の前に居るのだから。今、取井先輩の肩に手を置いた彼が居るのだから。
「取井、気をつけて」
「会長」
彼――生徒会長の吉備先輩は私を一瞥して声を上げた。
「取井、そいつを離せ! 逃げろ!!」
声と同時に額の上に激痛が走り、すぐ消えた。全身を熱いものが貫いて髪の先まで総毛立つ。
沸騰するような熱さの中で、私のなにかが切り替わった。
沸き上がる強さを感じる。今ならなんでもできる。そうだな、今は側にいるこいつが邪魔だ。
邪魔者を、掴んでいる手ごと引き倒して立ちあがった。
「痛っ! 塚本さん!?」
「違う、彼女じゃない。角がある」
「うそ……塚本さん!!」
うるさい。女を張り倒そうとするが、すばやくよけられた。まあいい。女はどうでもいい。
「吉備、どうした!!」
「会長、これは!?」
走ってきた二人も畏怖を感じてか呆然としている。そうだろう、そうだろうとも。我はそういう存在だ。
「みんな動くな。乾もだ」
そうだ、こいつのいう通り誰の邪魔も許さない。あとで我が食ってやるからそこにいろ。
「こいつは僕にだけ用があるんだ。……そうだろ?」
そうとも。我を恐れず不敵に笑うお前こそ、我にふさわしい。
お前は始めからわかっているな。あの時お前が我に気づいたように、我もお前に気づいた。あれからお前のことしか考えられなかった。お前がほしくてたまらなかった。お前は我の器にふさわしい。お前のように澄んだ器は我のためにあるのだ。
そして今、お前は我の前に居る。
ほしい。
ほしいぞ。なんとしてもほしい。
脅すように強い目で我を見返しているが、そんなものはかわいい抵抗にすぎない。だからじっとして、我の目の前から逃げずに立っていろ。その目を我にむけてわれのめをみてのぞきこんでわれにそのウツワをはやくウツワウツワウウウウツワヲヨコセ!!
捕らえようと手を伸ばした時、器が叫んだ。
「取井、角だ!!」
発砲音と同時に、額の上に衝撃が走る。
私の身体の中からなにかが風のように抜けていった。
禍々しいなにかが。呪いが。
私はゆっくり膝を折り、駆けてきた取井先輩の腕に倒れた。
「後輩によくも憑いてくれたな」
かすむ視界に、吉備先輩が人の影のような煙に刃物を突き立てたのが見えた。喉を刺された煙は、輪郭をぼやかせながら倒れていく。
そこまで見たあと、私は気を失った。
倒れる煙に鬼のような一本の角があったのは、きっとなにかの見間違いだろう……。
どのくらい気を失っていたのだろう。薄目を開けると、ベンチに横にされた私を人影が囲んでいた。なんとなく聞いてはいけない気がして、あわてて寝たふりをする。
男の人が小声で喋っていた。
「……そう。あれは彼女を守護していた蛇だ。彼女に憑いた鬼のすべてを受けて、ああいう形になったんだな。だから彼女の中の鬼が覚醒したとき、蛇の力も弱まったという寸法だ」
「守護って、おい六道。じゃああの蛇は倒しちゃまずかったのか!?」
六道と言ったら、学校でカウンセラーしてる六道先生だろうか。本業はお坊さんのはずなんだけど、どうして生徒会役員と居るんだろ。六道先生は苦笑混じりに言った。
「遠藤、違う。むしろ良かったくらいだ。いくら鬼憑きのせいで豹変したとはいえ、守護してた彼女を襲うなんて守護者失格だ。でももう大丈夫だ。蛇は時間が経てば怪我も治って元気になるし、鬼は取井と吉備で消されたし、塚本さんの額も角の跡すらない。もし覚えていても、今夜は悪い夢でも見たと思うだろうさ」
ほっとする空気が流れる。先生は感心したように続けた。
「吉備。お前が見つけてから全員でマークしてたが、大当たりだったな。鬼が表出していないのによくわかった」
「気配が全然違ったから。僕につきまとう動きもあったしね。でも蛇は思ってもみなかったよ。玄関の事は乾と遠藤の機転に感謝だな」
と、吉備先輩。乾先輩がためいき混じりにつぶやく。
「あれは……さすがに何事があったかと思った」
「乾でもびっくりしたんだ」
おどける取井先輩の声に、遠藤先輩が声を上げた。
「おい、取井は笑うけど、かなりびびるぜ? オレたちが怒鳴ったら消えたからいいけどよ。あのままこっち向かってきてみろ。手ぶらじゃ戦えねえって」
そこで、携帯でなにか話し終わった六道先生が声をかける。
「さあ、帰るぞ。お前らは先に寺へ戻ってろ。俺は今呼んだタクシーで、塚本さんを送ってから戻る。俺がアズマの学生カウンセラーだと言えば親御さんも納得してくれるだろうしな」
遠藤先輩が納得したように答えた。
「だよなあ。もし吉備が、生徒会長ですけど娘さんが鬼に憑かれてたので祓っておきましたからって言っても冗談で終わるもんな」
「それでも遠藤よりマシだ」
「乾、てめえなあ」
喧嘩腰の遠藤先輩と乾先輩を、取井先輩がたしなめる。
「うるさいっ。塚本さんが起きちゃうじゃない。誰が言っても同じよ、わかってるでしょ。……本当のことでも、黙っておくのが一番いいわ」
吉備先輩が神妙な声色でつなげる。
「生徒会の夜の姿が、鬼退治の一団なんてね」
「シッ」
六道先生が遮る。
「喋りすぎだ。いいから早く寺へ行ってろ」
はあい、と生徒会一同が言葉を返したところで車が停まった。
そこでやっと私は目を開けた。六道先生と目が合い、先生はにっこり笑う。
「塚本さん、頭とか痛くないかい。風邪ひくから、先生が家まで送ろう」
頭は痛いというより真っ白になったような感じがしていた。寝起きでぼんやりしている私を、心配顔の吉備先輩が覗きこんできた。すごくやさしい目。
「大丈夫かい?」
ちいさくうなずくと、先輩はにっこり笑った。恐くもなんともない。この人のどこを私は気になっていたんだろ。もういいや。
でも、ひとつだけ確認しておきたい。裏を知った私はどうなるのか。
「私、寝てたみたいで……真っ黒な大蛇を先輩方にやっつけてもらう夢見てた」
一瞬、空気が緊張した。
しかし、すぐに先生が笑い飛ばした。
「そりゃ夢見悪そうだな。でも所詮夢だ。全部忘れて、家でしっかり休みなさい。ベンチで寝てた事は先生もみんなも内緒にしておくから」
全部忘れること。もしくは、みんなで内緒、か。
間をおいて、私はうなずいた。
「そうですね。今は夢よりもお母さんのほうが恐いし」
そう言うと、吉備先輩がくすくす笑った。
誰にも言ってはいけない話がある。
これは、その話。
了 (20040715)
生徒会鬼譚 番外編 「夜の形態《かたち》」 羽風草 @17zou
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